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 頭の片隅にコーリーのことは常にありつつ、ミアはエディとの時間を──心の底から、とはいかなかったが──楽しんだ。


 空が紅く染まりはじめたころ。ミアたちは、帰路につこうとしていた。馬車内の空気は、重い。言うまでもなく、原因はコーリーだ。ミアの心の中で、黒くてモヤモヤしたものが大きく膨れ上がっていく。


「──ミア。やっぱりきみは、何処か別の場所で待っていた方がいい。なんなら、ジェンキンス伯爵のところに」


 ミアは、何度目かのエディの提案に、首を左右にふった。


「駄目です。コーリーは、わたしにと言っていたのですから。そのなにかをわたしに告げるまで、コーリーは何処までも追いかけてくるような気がしてならないのです。それに、わたしが帰らなかったら、コーリーはあなたに、これ幸いと、無理難題を押し付けてくるかもしれません」


「無理難題って?」


「わたしと別れろとか……口付け、とか」


 まさか。とは、エディは言わなかった。ただ、諦めのため息をついた。


「……本当に、ごめん。僕のこと、さぞや情けない婚約者だと、思っているよね。それなのに、傍にいてくれて……」


 隣に座るエディが、ミアの手を握る。ミアは、いいえ、と苦笑した。


「わたしは、傍にいたいから、いるんです。それに、情けないとは思っていません。エディの家族はみんなそうですけど、特に、ルソー伯爵のコーリーへの溺愛は、すごいですよね。もし、コーリーを泣かせでもしたら、いくら息子といえ、ルソー伯爵は容赦しない気がします」


 ミアの推測に、エディは瞠目した。かと思うと、なにかを耐えるように唇を噛み締め、ミアを強く抱き締めた。ミアが「わたしの考え、あたっていました?」とたずねると、エディは、うん、と答えた。


「どうして教えてくれなかったのですか?」

 

「……情けないと、思われたくなくて」


「子は親に、逆らえないものです。ルソー伯爵を軽蔑こそすれ、エディを情けないなどと、わたしが思うはずがありません」


 エディの表情が、僅かに強張る。だが、位置的にそれが見えないミアは、静かに続けた。


「……わかってはいても、コーリーの方ばかり構うエディを見ていると、寂しくて、不安にはなってしまうのです」


 はじめて吐露されたミアの想いに、エディの胸が詰まる。


「……父上には、きちんと報告しているんだ。日頃の、コーリーの行いを。でも、ちっとも聞き入れてもらえなくて」


 エディの声色が、いつもより苦しそうで。辛そうで。ミアは、エディの背中にそっと腕をまわした。


「わたしのために、頑張ってくれていたのですね。気付いてあげられなくて、ごめんなさい」


「……違う。きみが謝罪すべきことなんて、一つもない」


「はい。エディも、同じです。あと二年耐えれば、きっとこの状況も変わります。一緒に、頑張りましょう」


 ありがとう。

 絞り出すようなエディの弱々しい声音に、ミアは、エディと共に歩む決意を固めた。






「お帰りなさい、お兄様。お義姉様。随分と、遅いお帰りでしたね」


 ミアの屋敷で出迎えたコーリーが、笑顔でちくりと刺してくる。すかさずエディが、そうかな、と微笑み返す。


「日が落ちる前なのだから、遅すぎるということはないと思うよ?」


「あたしが一人で帰りを待っているのに、心配じゃなかったのですか?」


 頬を膨らませ、いつも通り、勝手なことを並べ立てるコーリー。だが、すぐに「まあ、よいです」と、持ち直し、にこっと笑った。


「お義姉様、デート、楽しかったですか?」


 急に矛先を向けられたミアが、びくっとしながら、ええ、と答えた。


「それは、よかったです。では、お義姉様の部屋でお話しましょうか。あ、お兄様は応接室で待っていてくださいね」


 エディの片眉が、ぴくりと動いた。


「それは、ミアと二人きりで話たいということか?」


「はい、そうです」


「僕が一緒では、駄目なの?」


 コーリーが、ふふ、と口角を上げる。


「まずは、お義姉様にお伝えして、それからお兄様にも、教えて差し上げますわ」


「それじゃ、二度手間だ。僕も一緒に聞くよ」


「駄目です。お義姉様次第ですけど、そう時間はかからないと思うので、待っていてください」


 ミアが「わたし、次第……?」と不安そうに繰り返すと、コーリーは、そうです、とミアの手を取った。


「さあ、行きましょう。あたし、ずっとこのときを待っていたのです」


「待つんだ、コーリー。僕も──」


 なおも食い下がろうとするエディに、コーリーは「これは、お父様の提案なのです」と、言った。


「……父上の提案?」


「そうです。お父様が、お義姉様が了承したなら、よいとおっしゃってくださったのです」


「……なんのことだ」


「それは、お義姉様にお伝えしたあとと言ったでしょう? お兄様はなんの心配もせず、待っていてくださればよいのです」


 コーリーの口調が強くなるにつれ、エディの中の不安も、強くなる。予想がつかないぶん、余計に不気味さが増していく。


「──エディ。わたしなら、大丈夫です」


 優しく囁くと、ミアは、コーリーと手をつなぎながら、二階に続く階段へと足をかけた。待ってくれ。エディが声をかける前に、ミアはくるりと振り返り、小さく笑った。


 信じて。


 そう目で語り、コーリーと共に、ミアは自室へと向かっていった。ばたん。扉が閉まる音が、微かに響いた。


「……くそっ……っ」


 こぶしを強く握り、エディが奥歯をぎりっと鳴らす。父親の──ルソー伯爵の存在が、エディの足を止める。



 それはまるで、呪いのように。





 「それで、お話とはなんでしょう」


 自室の扉が閉まるなり、ミアは口を開いた。話の内容も、もちろん気になるが、コーリーと二人きりの空間に、早くも息が詰まりそうだったから。


 コーリーが笑みを浮かべながら、ミアから一歩、離れた。


「せっかちですねえ。でも、あたしも早くすませてお兄様のところに行きたいので、さっそく、はじめましょうか」



 コーリーは、風邪で学園を休んだ日の、ルソー伯爵とのやり取りを語りはじめた。






 目を覚ますと、兄のエディは居ず。代わりにいたのは、父親だった。コーリーが、しくしくと泣き出す。


「……お兄様、ひどいです。あたしを置いていくなんて」


 寝台に横になりながら嘆くコーリーに、ルソー伯爵は「コーリーは、随分とエディが気に入りだな」と苦笑した。


「だって、お兄様は誰よりかっこよくて、優しくて、あたしの理想そのものなんですもの」


「エディより容姿がよくて、優しい令息はたくさんいるさ」


「いいえ。お兄様よりかっこよくて優しい人なんて、いません」


「……コーリー。私は、大切なお前に見合う男を、これまで何人も紹介してきた。けれどお前は、すべて拒んできたね。学園に通えば、好いた相手もいずれできるだろうと考えていたが──」


「お兄様以上に素敵な方は、いません」


 きっぱりとした答えに、ルソー伯爵は、大きくため息をついた。


「……そんなに、エディが好きか」


「はい。あたしは、お兄様と一緒になれるなら、なにを犠牲にしたってかまいません」


「……エディは、お前の兄だぞ」


「わかっています。でも、この気持ちは止められないのです」


 コーリーはそれから、ぽろぽろと涙を流しはじめた。


「……あたしだって、苦しいのです。だって、どれほどあたしがお兄様を想っても、お兄様とは一緒になれない。どれほどあの女との仲を邪魔しても、空しいだけ。あたしは、この世の誰より、不幸なんです」


 しゃくりあげ、コーリーが吐露する。ああ、コーリー。ルソー伯爵が、コーリーの手を握った。


「なんと健気なんだ、お前は……」

 

「お父様、お父様。あたし、誰とも交際はしません。お兄様と一緒に居られないのなら、修道院で、一生を過ごします」


「……っ、そこまで」


 ルソー伯爵はうつむき、そして、覚悟を決めたように面を上げた。


「──エディは、お前の実の兄ではない」


 コーリーは、大きく、大きく目を瞠った。


「……どういう、ことですか?」


「亡くなった、私の弟の子どもだ。つまりエディは、お前の従兄弟になる」


 コーリーは上半身を起こし、父であるルソー伯爵をじっと見詰めた。この国では、従兄弟との結婚は、法律で認められている。


「お前はまだ、二歳だったからな。エディが養子に来た日のことは、覚えていないだろう」


 どうして今まで教えてくれなかったのですか。そんな怒りも頭の片隅に過りはした。でも、それ以上に、コーリーの心は舞い踊っていた。


 それはまるで、神が与えてくれた奇跡のようにも想えた。


「……お、お父様……あたし、あたしは……っ」


「待ちなさい。エディには、ミアという婚約者がいる。それは理解しているね?」


「ええ、ええ。でも、お兄様が従兄弟だというのなら、話は別です」


「──と、言うと?」


「お兄様はいつも、ミア・ジェンキンスより、あたしを優先してくれます。それは、誰よりあたしを愛してくれている証拠だと思いませんか?」


「……だとしても、だ。貴族の婚約は、本人同士だけの問題ではない。信用にもかかわる。身勝手な理由で、婚約を解消するわけにはいかない」


 するとコーリーは「あたしが、ミア・ジェンキンスを説得してみせます!」と声を荒げた。


「あの女は、お兄様が自分より、あたしを愛していることを理解しています。そしてあたしがお兄様を愛していることも。もしあたしとお兄様が結婚できると知れば、心ある人間ならば、きっと、自ら身を引くはずです」


 真剣な双眸に、ルソー伯爵が、重い口を開く。


「……ジェンキンス伯爵の反感を買うことは、許されない。それは、承知しているか?」


「はい。お父様、あたしを信じてください。きっと、なにもかもうまくいきます」


「……そんなに、エディがよいか」


 確かめるように、ルソー伯爵はもう一度、問うた。コーリーの答えは、むろん変わらない。


「お父様。あたしの幸せを思うのなら、どうか、お兄様と結婚させてください」


 ルソー伯爵は頭を抱え、しばらく経ってから、わかったと、覚悟を決めたように、こう告げた。



「ミア・ジェンキンスが、エディとの婚約解消に応じれば、それを認めよう」




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