13
「お兄様!」
案内された応接室には、全員が勢揃いしていた。ジェンキンス伯爵は入り口からもっとも遠い位置に。ジェンキンス伯爵夫人とミア、そしてエディは、その右側に並んで座っていた。開かれた扉から入ってきたルソー伯爵とコーリーに、全員が目を向ける。
間髪を入れず、エディに駆け寄ろうとするコーリー。それを見越していたように立ち上がると、エディは無言で、拒絶するように右手を前に出した。
「……近寄らないでくれ」
「お兄様、もう大丈夫なんです! お父様が、助けてくださると約束してくださいましたから!」
「……なんの話だ」
「お兄様は、ミアに脅されていたのでしょう? だから仕方なく、あたしにああいった態度をとられたのですよね? でも、もう安心なのです。お父様が、なんとかしてくれます!」
エディは頭痛がしたように「……お前は、自分に都合よく記憶をかきかえる天才だな」と、こめかみを押さえた。
「え?」
「……いや、そうだな。お前をそんな風に育てたのは、ルソー伯爵だ。お前もある意味、被害者なのかもしれない」
「お兄様? なにをおっしゃっているの? あたし、お父様に育てられて、とても幸せだと思っていますよ?」
そうか。
エディは呟くと、コーリーを正面から見据えた。
「僕を脅していたのは、ミアじゃない。ルソー伯爵だよ」
コーリーは、不思議そうに首を傾げた。
「お父様がお兄様を脅す必要が、どこに?」
「優秀だった僕の父──ルソー伯爵の弟を、ずっと妬んでいたそうだから、その子どもである僕も、憎かったんじゃないかな。そのへんは、あとでルソー伯爵に詳しく聞いてくれ」
「お、お前! なんだその口の利き方は!?」
怒りを露わにし、怒鳴るルソー伯爵を指差し、エディは続けた。
「ほら、機嫌が悪くなると、すぐにこうやって怒鳴られて、脅迫されていたんだ、僕は。コーリーの知らないところで、ずっとね」
「き、貴様! 嘘をつくのも大概にしろ!」
「……ああ、思っていた通りの反応だ。誰が正しいか、なにが間違っているか、あの屋敷において、決めるのは、あなただった……」
掠れた声で、苦しそうに吐き捨てるエディに、コーリーが困惑する。
「……お兄様?」
「コーリー。僕はね、はじめてルソー伯爵に会ったとき、こう言われたんだ。私の家族に迷惑をかけるな。いつも笑顔で、常に感謝していろ。そして──コーリーを一度でも泣かせれば、すぐに屋敷を追い出し、人買いに売り飛ばしてやる、と。そう、脅されていたんだ」
コーリーの双眸が、はち切れんばかりに、見開かれた。
「お前がここまで僕に執着するようになってしまったのは、たぶん……僕がお前のどんな無茶もわがままも、全部、笑って叶えてきたから。なにをしても、許してきたから。それをお前は、愛されているからだと思ってきたんだろうけど」
「……いや。いやです、お兄様。聞きたくないっ」
コーリーが青い顔をし、後退る。エディはむろん、止めるつもりはない。
「僕は、ただ、ルソー伯爵に脅迫されて、仕方なくお前に優しくしていただけだ。お前のことは……申し訳ない。愛するどころか、もう、顔も見たくないほど、嫌悪してしまっている」
「いやー!!!」
絶叫するコーリー。ルソー伯爵が、顔を真っ赤にしながらエディに掴みかかろうとしたが、その手は、室内に待機していた執事によって止められた。後ろ手に捻られ、ルソー伯爵が呻く。
「お前! この私にこんな真似をして、ただですむと思うな!!」
「それはこちらの科白ですよ、ルソー伯爵」
静かに。けれど確かな怒気を宿した声色は、ジェンキンス伯爵のものだった。ルソー伯爵が、ぎろっとジェンキンス伯爵を睨み付ける。
「……どういう意味ですかな」
「人身売買は、法で禁じられている。それはあなたも、ご存じのはずだ」
ルソー伯爵は、はっと鼻で笑った。
「私より、エディの言葉を信じますか。ジェンキンス伯爵ともあろうものが、情けない」
「ええ、返す言葉もありません。もっと早くにあなたの人となりに気付いていれば、エディを、これほどまで長く苦しませずにすんだというのに……情けない限りです」
「……っ。私の話を聞いているのですかな!?」
「あなたは、人の話に耳を傾けられない人だ。だから、会話をするだけ無駄なんですよ」
「ぶ、無礼にもほどがある!」
「幼子を脅迫しておいて、無礼だと罵る権利があるとでも?」
「わからない人だな。それはエディの嘘だと言っているでしょう? 私がエディを脅迫したという証拠がどこにあるんです?!」
「逆に伺いますが、あなたがエディを脅迫していないという証拠があるのですか?」
「そんなもの、あるわけないでしょう!?」
ジェンキンス伯爵はやはりというように、ふう、と肩を竦めた。
「心配せずとも、エディは、脅迫されたことを世に訴えるつもりはないそうです。願いは、ただ一つだけ──」
ジェンキンス伯爵の言葉に応じるように、エディは、ルソー伯爵の前に立った。
「僕は、コーリーを泣かせました。屋敷を追い出すということは、ルソー伯爵家から除籍されるということですよね。手続き、お願いします」
「こ、この恩知らずが……っ」
ぷるぷる怒りに震えるルソー伯爵とエディのあいだに割って入ったコーリーが、涙ながらに訴えかけてきた。
「ま、待って。待ってお兄様っ」
「コーリー……お前は、ルソー伯爵と同じで、僕を人買いに売らせたいのか?」
「ち、違う! そんなひどいこと、お父様はしないっ」
「するよ。少なくとも僕は、そう確信している。ジェンキンス伯爵がいなければ、きっとそうされていた」
「お兄様は、ミアに騙されているのよ!」
「──あら。あたしが、どんな風にエディを騙したというのかしら」
落ち着いた声色に、コーリーは目を吊り上がらせた。
「どうやったのか知らないけど、お兄様を洗脳したんでしょう?! ありもしない記憶を植え付けて、あたしとお兄様を引き裂こうとしているんだわ!!」
殺意を向けられたルシンダが、呆れたように、頬に手を添えた。
「洗脳? ありもしない記憶の植え付け? それって本当に可能なの?」
「知らないわよ!!」
この感じ。この二人は、確かに。
「あなたとルソー伯爵って、そっくりね。さすがは、親子だわ」
その場にいる者の思いを代弁するように、ルシンダは吐露した。馬鹿にされた。見下された。そう感じたコーリーは、ルシンダにつかつかと詰め寄った。させまいと、エディが前に立ち塞がる。
「……お兄様! いい加減、目を覚ましてください!」
「覚めたよ。彼女のおかげで、僕は、ルソー伯爵に虐待されていることを知った。ルソー伯爵家の屋敷にいると、息苦しくてたまらなかったわけも、よくやく気付くことができた。ぜんぶ、彼女のおかげだ」
「ぎゃ、虐待だなんてっ」
「お前は、何を言っても納得はしないだろうね。ルソー伯爵と同じで、話が通じない人間だから」
「ひ、ひどい……っ。あたし、そんなことっ」
「そういう、すべて、自分が可哀想、被害者だと思い込むところ。僕は、そのことを言っているんだ。わがままという言葉では生ぬるいぐらい、お前は、どうしようもない」
貴様!
ルソー伯爵が叫ぶが、執事に両手を掴まれているので、吼えることしかできない。
「愛する人より、お前を優先しなければいけなかった僕の気持ちが、わかるか? ミアの気持ちは? 少しは考えてみてほしいけれど、お前には、一生わからないかもね」
長年の気持ちを吐き出すように、エディは淡々と、けれど確かな恨みを宿して、告げた。
ぺたり。
コーリーは絶望したように、床に尻もちをついた。エディを見上げる。エディは、憎しみをこめた双眸で、こちらを見下ろしていた。
『僕は、ただ、ルソー伯爵に脅迫されて、仕方なくお前に優しくしていただけだ。お前のことは……申し訳ない。愛するどころか、もう、顔も見たくないほど、嫌悪してしまっている』
息が、止まった気がした。あの言葉の意味を、ようやく理解したコーリーが、凍り付いたように動きを止めた。
──やはり、無理だった。
その様子に、エディは心の中で呟いた。コーリーも、被害者なのかもしれない。そう自分に言い聞かせたつもりだったが。
(……実際、ミアを傷付けたのはコーリーだ)
怒りや憎しみは、本人を前にして、抑えることができなかった。でも、これでよかったのかもしれない。ようやく、コーリーを黙らせることができたから。
エディはコーリーから、ルソー伯爵に視線を移した。
「ルソー伯爵。除籍に必要な書類はもう、ジェンキンス伯爵が用意してくださっています。あとは、あなたの署名だけです」
「……お前ぇ……絶対に許さん! 許さんぞぉ!!」
唾を飛ばしながら喚くルソー伯爵に、冷静な声色が、告げた。
「──なるほど、ルソー伯爵。戦がお望みかな?」
それは我を失っていたルソー伯爵にも届いたようで。ルソー伯爵は、はたと動きを止め、ジェンキンス伯爵の方へ顔を向けた。
「エディへの脅迫、心理的虐待。そしてあなたの娘は、私の大切な娘とエディの邪魔を長年にわたりしてきたそうで。あげく、娘を侮辱し、あざけったとか」
「……わ、私もコーリーも、そのようなことは、断じてしていませんっ」
ジェンキンス伯爵の本気を感じ取ったルソー伯爵の口調が、明らかに弱くなった。こんなルソー伯爵は、はじめて見たな。僅かに目を丸くしながら呟くエディを見ながら、ルシンダはくすっと笑い、口を開いた。
「あら、ルソー伯爵。けれどわたし、エディと口付けしたことがないと勘違いしたあなたの娘に、女として見られてない証拠じゃない。かわいそうとひとしきりあざ笑われたあと『あたしとお兄様の幸せの邪魔、これ以上しないで。早く、わかりましたって答えなさいよ。あまりにみっともないわよ』と、言われましたけど」
「…………う」
「また、嘘だとおっしゃるつもりですか? ああ、証拠が必要でしたかしら。なら、コーリーがわたしを侮辱していない証拠を先に出していただけます?」
臆することなく、ルシンダが優雅に笑う。ルソー伯爵は、目を瞠った。ミアは、こんな風に笑う娘だったろうか。
もっと、物静かで。大人しくて。
だからこそ、コーリーの好きにさせた。あの娘は、どうせ親になにも告げ口などしないだろうと。
安心していた。油断していた。
ジェンキンス伯爵を怒らせてはいけないと、知っていたはずなのに。




