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「きみたちを傷付けずに真実を話してもらうには、どうすればいいのだろうと、ホリーと話し合っていたところだったんだ」
「ええ。わたしたちを信頼してくれて、ありがとう。あとは、大人のわたしたちに任せて」
「……で、ですが……っ」
ジェンキンス伯爵夫妻の言葉は、素直に嬉しく、心が震えたのは確かだ。しかし、本当に巻き込んでよいのか。自分ではなにもできないくせに、怯え、迷う。
「大丈夫だよ、エディ。領地を持たないルソー伯爵に、私と争う力などないさ。どうやら、そんなこともわからないほどに、頭に血がのぼっているようだけどね」
はたと、エディは目をぱちくりさせた。
(……そうだ。ルソー伯爵には、自身で動かせる軍事力がないんだ)
「力があるから、戦える。守れる。この地位を与えてくれたことには、兄に感謝したいね」
ジェンキンス伯爵は、ニヤリと口角を上げた。
──遡ること、数日前。
「お父様ぁ!!」
屋敷に着いたコーリーは、脇目もふらず、一直線にルソー伯爵の自室へと向かった。ノックもなにもせず、部屋に飛び込む。これがコーリー以外の者なら、ただではすまなかっただろうが、ルソー伯爵は少し驚いたように目を丸くしたあと、泣いているコーリーに、どうしたと必死の形相で駆け寄った。
「ミ、ミアに、打たれましたぁ……っ」
「な、なんだと!?」
「あたし、あたし……必死にお願いしたんです。お兄様とあたしは、両想いだから、どうか、お兄様と別れてくださいって……一生懸命お願いしたのに、ちっとも、聞き入れてくれなくてぇ」
「……コーリーっ」
ルソー伯爵は、なんて酷いことを、とコーリーを抱き締めた。
「エディの奴はなにをしていたんだ! まさか、黙って見ていたんじゃないだろうな?!」
「……それが、ひくっ、お兄様、おかしくて……ミアに、なにか脅されているみたいでしたぁ……っ」
「?! まさか、ミア嬢がそんなに最低な女だったとは……」
「あの女、あ、悪魔みたいでした……あたし、殺されてしまうかと……お願い、お父様。お兄様をあの女から取り戻してきてぇ」
コーリーが、声を上げて泣きはじめた。よほど怖い目に遭ったのだろうと、ルソー伯爵が、もう大丈夫だと、コーリーの背中をさする。同時に、エディとミアに対する殺意が、あとからあとから湧いてきた。
(おのれ、小娘が……私の大事なコーリーによくも……どんな理由があるにせよ、守れなかったエディも同罪だ……絶対に許さん!!)
ルソー伯爵の双眸に、ぎらりと淀んだ光が宿った。
怒りのまま、ルソー伯爵はミアが住む屋敷を訪れた。予想していたであろうベンが、怒り狂うルソー伯爵とは対照的に、冷静に対応する。
「いらっしゃいませ、ルソー伯爵」
「あいさつは結構。ミア・ジェンキンスを出せ」
「申し訳ございません。ミアお嬢様は、お屋敷にはおられません。旦那様の元へ行かれました」
ルソー伯爵が「なんだと?」と、不快に眉をひそめた。
「私の娘に暴行しておきながら、呑気に実家にでかけたのか。いや、逃げたんだな。卑怯な奴め」
侮辱の言葉にはあえて反応せず、ベンはもう一度、申し訳ございません、と頭を下げた。
「エディは」
「ミアお嬢様と一緒でございます」
ルソー伯爵は盛大に舌打ちしたあと「目に物見せてくれる……っ」と、くるりと踵を返した。
『ルソー伯爵が来たら、わたしたちはお父様の元へ向かったと伝えて。いい? あなたになにかあったら、わたしも、ダリアも、ミアも哀しむわ。覚えておいてね』
ルシンダの気遣いが、脳裏で繰り返される。もし命じられていなければ、ミアの居場所をこうもあっさりと教えることなど、なかっただろう。きっと、知らぬ存ぜぬを通していた。
なにもできずとも。少しでも、危険が及ぶ可能性があるのなら、せめて、時間稼ぎがしたかった。役に立ちたかったから。
「──ご武運を」
ベンは祈るように、胸に右こぶしを軽くついた。
屋敷に戻ったルソー伯爵は、使用人たちに叫び、命じた。
「ジェンキンス伯爵の屋敷に向かう。出立の準備をしろ!」
何事かと、使用人たちがおろおろする。早くしろ。血走った目で一喝され、使用人たちが、それぞれの準備に散っていく。
「お父様……お兄様は?」
目を赤くしたコーリーが二階の自室から出てきて、玄関ホールまで降りてきた。ルソー伯爵が、吊り上げた目を、少し和らげる。
「逃げた。ミアと一緒に、ジェンキンス伯爵の元へと向かったそうだ」
「……そんなっ」
コーリーは両手で顔を覆い、再び泣きはじめた。可哀想に。辛いだろうに。ルソー伯爵が慰める。
「──あなた」
コーリーから遅れてやってきたのは、ルソー伯爵夫人だった。なにか言いたげに、眉をひそめている。
「ジェンキンス伯爵の屋敷に行って、どうなさるおつもりですか」
「コーリーから聞いていないのか。ミアはコーリーを理不尽に暴行した。これは犯罪だ。ジェンキンス伯爵に謝罪と慰謝料を要求しにいく。むろん、ミアとの婚約は破棄する」
歓喜するように反応したのは、コーリーだった。
「! お父様、ミアとの婚約は破棄というのは、本当ですか?!」
「当然ではないか。お前に暴力をふるうような女、私が認めるわけがないだろう」
「嬉しい! これであとは、お兄様を迎えに行くだけですね」
「お前が望むなら、仕方ない。だが、お前を守れなかった相応の罰は、あいつには受けてもらうつもりだ」
「お父様ったら。言ったでしょう? お兄様は、ミアに脅されて、仕方なくああいった態度をとったのです。罰なんて、ミアだけで充分です」
「……コーリー。お前は、本当に優しい子だね。私の自慢の娘だよ」
「やだわ、お父様」
楽しげに会話する二人。それをルソー伯爵夫人は、冷ややかな双眸で、ただ見ていた。
「お父様。あたしも一緒に行きます。そしてお兄様に、お父様がなんとかしてくださるからもう大丈夫ですと、伝えます」
ルソー伯爵は、ふっと諦めにも似た笑顔を浮かべた。
「……お前は心から、エディを愛しているのだな」
「はい!」
「……果報者だよ、あいつは。コーリー、私のことは愛しているかい?」
「ええ? もちろんですよ。ふふ。なんだか照れくさいですね」
「──そうか。なら、もう……」
「お父様?」
「いや、なんでもない。一緒に行くのなら、早くお前も支度をしてきなさい」
「はい、わかりました!」
すっかり元気を取り戻したコーリーが、侍女に声をかけ、自室へと向かって行く。その一連の流れをぼんやり見ていたルソー伯爵に、ルソー伯爵夫人が、あなた、と静かに声をかけた。
「王都の城門は、もう閉まっていますよ。それに突然の訪問は、どんな理由であれ、礼を欠く行為かと……」
コーリーとの会話で少し頭が冷えたのか。ルソー伯爵はルソー伯爵夫人を一瞥したあと、出立は明日の朝にすると使用人に告げ、ジェンキンス伯爵への手紙を書くため、自室に戻った。
ルソー伯爵夫人は顔を歪め、玄関ホールから、じっとルソー伯爵の自室を見詰める。
「──母上」
声をかけたのは、ルソー伯爵家の長男、イーモンだった。ルソー伯爵夫人と同じく、険しい顔をしている。
「……聞いていたのですか」
目線は夫の部屋に向けたまま、ルソー伯爵夫人は呟いた。イーモンが、ええ、と答える。
「なにか飲もうと。食堂にいましたので」
「……そうですか」
ルソー伯爵夫人は、はあと大きくため息をついた。
「よいのですか? 父上は、コーリーの言うことは、どんなことでも信じてしまいますが、あいつは悪気もなく、嘘をつく。いや、嘘をついているという自覚すら、ないのかもしれません」
「……わかっていますよ。けれど、あの人がわたくしの言うことに、耳を傾けると思いますか?」
イーモンは、ですね、と肩を竦めた。
「ミア嬢がコーリーに理不尽に暴行、ですか……どこまでが本当なのやら」
「どうであれ、ジェンキンス伯爵は、娘をとても大切に想っている。そしてエディのことも、随分と気に入っているようですし……すんなり事が運ぶとは、とても思えません」
「少なくとも父上が考えているようには、いかないでしょうね」
「……冷静ですね、イーモン」
「そうですか? まあ、ルソー伯爵家が没落でもすれば、父上の顔色を常に窺うことも、コーリーのご機嫌とりもしなくてよくなるので、それはそれでいいかなと」
ルソー伯爵夫人が、ふっと鼻で笑う。
「……エディの比ではないでしょうに」
「それはそうですが。母上だって、同意見でしょう?」
「もともとわたくしは、誰も愛していませんよ」
「実の息子の前で、随分と堂々とおっしゃる」
「あなたには、あの男の血が混じっていますから。それにもう、あなたには、わたくしの愛は必要ないのでしょう?」
それに対しイーモンは、酷い両親だと、薄く笑うに留めた。
もっと、もっと早く。エディに早く会いたいがために、馭者を急かすコーリー。まあ、落ち着きなさいとやんわり宥めるルソー伯爵。
「あまり速度を上げると、危険なんだ」
「けど、お父様。あたし、お兄様が心配で……」
「なに。いくらなんでも、命にかかわるようなことは、ジェンキンス伯爵たちもせんだろう」
「だって、お兄様はミアに脅迫されているんですよ?!」
こんなやり取りをすること、数日。ルソー伯爵とコーリーは、予定通りの日数で、ジェンキンス伯爵の屋敷に辿り着いた。
コーリーは、やっとね、と意気込んでいたが、ルソー伯爵は、屋敷を囲う兵士の数に、冷や汗をかいていた。
「ようこそ。旦那様たちが、中でお待ちです」
屋敷の執事が、馬車から降りてきたルソー伯爵とコーリーに、にこりと応対する。それすらルソー伯爵は、肝が冷える思いだったが、コーリーは、相変わらずだった。
「なによ、その態度。この犯罪者一家が。早くお兄様を返してよ!」
「コ、コーリー! よしなさい」
「どうしてよ、お父様。本当のことでしょ?」
「いいから。話し合いは私に任せて、お前は静かにしていなさい。いいね?」
コーリーはあからさまに不満そうだったが、これもエディを取り戻すためだと告げると、すぐに納得した。
「わかったわ。腐っても、相手も貴族ですもの。うまい交渉をしないといけないのね」
「あ、ああ……」
ちらっと執事を見る。顔色一つ変えず、背筋を崩すことなく、立っている。会話は、絶対に聞こえていたはずなのに。
(……いや、臆することはない。暴力を振るったのは、あちらなのだから)
被害者はこちらだ。なにを怖れることがある。兵士をわざわざ屋敷に集めて脅すとは、なんと卑怯なことか。コーリーが怒るのも無理はないな。
なかば奮い立たせるように自分たちの行いを正当化したルソー伯爵は、執事に向き直り、ふんと胸を張った。
「ジェンキンス伯爵の元に、案内してもらおうか」
「かしこまりました」
ゆるりと腰を折る執事。
その目がちらりとも笑っていないことに、ルソー伯爵も、コーリーも気付かない。
まわりにいる兵士たちの視線も、なにも。




