腰抜けじゃない、「安全重視」だ
「浪漫の探求者」本編 第一部終わり
第三節「取り返しのつかないもの」より
今日は凄く疲れる日だった。訳の分からん生物はいきなり出てきて馴れ馴れしいわ、普段やらんような殲滅戦はするわ、格上の冒険者団に絡まれて返り討ちにするわ…… おまけに、誰も気付かんかったダンジョンの秘密は掘り起こすわ。
出来事を振り返って嘆息していると、その元凶がお出ましだ。騒動の原因は全部、この玉ころ野郎…… トレイシー・サークスのせいだ。ナズナが楽しそうだったからいいものの、正直勘弁してほしい。
「兄さん、おれの言ったとおりだったでしょ? 正解があるやつを直感で選ぶと、絶対外れるんだよ」
「あぁ、アレな……。お前、あの馬鹿みたいに正確な直感の代償とかで、呪われてるんじゃねえの、やっぱり」
帰ってきてから、お遊びでギミック宝箱の解錠練習をしてたが、こいつの言ってたことはマジだった。正解がある問題だと、むしろ間違いの選択が少ないような場合ですら、意図的にやってるんじゃないかってほど、確実に外してやがった。直感に従おうが従うまいが関係なく…… それどころか、最終的な選択を俺やナズナがやった場合でも、こいつが直感で判断した選択を認識してるなら、絶対に外れた。どう考えてもたまたまじゃない、何かしらの作為的な働きがある。
「こういうのがあるから、やっぱできれば旅のおともは欲しいんだよね。大抵のことは独りでも何とかできてたけど、昔からこれだけはどうにもなんないんだあ」
「馬鹿野郎。たまには頭もちゃんと使えって、神サマが言ってるんだろうよ」
「はは。兄さんは手厳しいなあ」
流そうとしてやがんな。笑い事じゃねえぞ。……何で俺がこいつのことを心配してやらにゃならんのだ。知らん知らん。好きにしろ。
「まあ、本題はそっちじゃないんだ。おれが改めて話したかったのは、休憩地点で話してた、再発生のことなんだよ」
「あぁ、何か気にしてたな。そん時も言ったが、別にやり直せるからって、俺は気軽に無駄に死んでもいいとは思ってねえぞ?」
他のやつはそう思ってないようだが、死ぬのは苦痛だし、嫌なもんだ。ナズナを守るためだとか、そういう付加価値がねえなら、どんだけ醜くかろうと、最期まで抗ってやる。たとえ腰抜けと罵られてでもな。
「兄さんには、その感覚を大事にしてほしいんだ。おれの勘違いじゃないと思うんだけど、ここの常識では、命…… とりわけ、生存の価値が軽視されてるんじゃないか、って思ってさ」
「……そうだな。皆、必要だと感じたら、簡単にすぐ命を捨てやがる。どうせ返ってこれるんだから、無茶して死んだほうが手っ取り早いってな」
もちろん、ナズナも例外じゃない。殊にあの娘は欲望に忠実で、それを満たすためには危険を省みない。幾度となく無茶を繰り返して、今じゃもう、立派な高位の冒険者だ。成果だけ見りゃ悪くないが、身を燃やして生きるその姿勢に、危うさを感じることは多い。
「兄さん、きっとあんま死んだことないよね。死に鈍らず、その繊細な感覚をずっと保てているのは、真剣に生き延びることを諦めてないからだろ?」
「……悪いか?」
「いんや。……実際にはちょっと違うかもしんないけどさ、実はおれたちも同じようなことができるんだよ」
おれたち、か。つまり、こいつが言ってた球人のことだろう。……そっちの世界じゃ、こいつみたいなのが珍しくなくて、それこそゴロゴロ転がってるんだろうな。想像したら、馬鹿馬鹿しい絵面に頭が痛くなりそうだ。
「おれたち球人はさ。生物としてはすごく弱っちいから…… 戦うと、それはそれは簡単に死んでさ。そしたら、自分の持ってる剣に、自分にとって要らないものを捧げながら、復活して…… それを延々と何度も何度も繰り返して、だんだん強くなっていくんだ。……ところで、要らないものって何だと思う?」
半身、と言ってたのはそういうことか。もののたとえじゃなく、言葉通りの事実だったんだな。ダンジョンで見たこいつの戦闘能力からは、球人が弱っちい生物だとは全く思えんが。
「……そんなの、個人個人で異なるんじゃねえか?」
「もちろん、そうだね。でも、どれだけ弱くても戦わなくちゃいけないおれたち球人は、ほとんどの場合、真っ先に捨てるものがあるんだよ。……死に対する忌避さ。そうして死ぬのが嫌じゃなくなったら、今度は勝つのに必要じゃなかったものを捨てていくんだよ。次はどうすれば勝てるだろうって、まるで散歩に行く先を決めるみたいな気軽さで、さ」
「……」
心当たりがありすぎる。高位の冒険者連中は、どいつもこいつも、目的の為には命をかなぐり捨てる覚悟で、死線を際どく潜り抜け、そして踏破する化け物どもだ。……こいつは、そういった行いに対して忌避感が残る程度には、常識に染まりきらなかったんだろう。
「それでも、本人にとって大事なものだけは最後まで捨てないから、自我が崩壊することは珍しいんだ。だけど、どうでもいいもの…… 人間性はどんどん失くなっていって、最後には大事だったはずのものも、球人の曖昧な形すらも全部忘れて、剣だけを残して消えちゃうんだよ」
必要性だけを見て、要らないと感じたものを捨てるうちに、いつしか大事なものも分からなくなる、ということか。何を馬鹿な、と一笑する気にはとてもならない。自己同一性の構築に、要らない要素など本質的には存在しない。
「この世界の再発生が、どういう仕組みのものなのかは分からないけど、きっと代償はあると思うんだ。心当たりがあるなら、それを憶えておいて。……要らない心配だったら、そのほうが良いんだけどね」
「……あぁ、肝に銘じとく。だが、なんでそれを今、俺にだけ話すんだ」
トレイシー・サークスは笑って言った。どことなく悲しそうに。
「ナズナはきっと、恐れを知っても止まれないからさ。ちゃんと止めてくれる人がいるんだったら、ナズナ自身はなんにも怖がらず、ただ憧れに向かって好きに走ってる方が幸せなんだよ。たぶんね」
その呟きは、恐れを知ってもなお止まれず、独走し続けたものの言葉なのだろう。こいつも中々難儀なやつだな。同情とかはしてやらんが。
「それもお前の直感か? んで、俺に姐さんを止める役を押し付けようってことかよ」
「うん、そういうこと。兄さん、ナズナのことが好きなんだろ?」
「ぐっ……。……否定はしねえよ」
トレイシー・サークスはくすくすと笑い、慈しむように、実感のこもった声で話した。
「大事なものが手元にあって、それを失くしたくないんなら、大事に守ってあげるしかないのさあ。失くして後悔するのも、縛り付けて悲しませるのも嫌だったら、その分いっぱい頑張らないとね?」
「……知ったふうな口聞きやがって」
見透かされているのが気に入らないので、減らず口を叩いておく。トレイシー・サークスは意にも介していないようだが。
「そりゃあ、そうさ。人生の大先輩だからねえ。後悔の数なら負けてないと思うよ。……それじゃ、おやすみ。ザック・バーグラー君」
……こいつ、俺より年上なのか? 全然そんな感じしねえけど。