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第二話

 ベアトリクスは拾った少年を屋敷に連れて帰った。


(背丈と重さから推測するに、おそらく十歳前後かしら)


 少年は泥や埃でひどく汚れていたため、ひとまず濡れた布で身体を拭いて綺麗にしてあげた。

 状況の変化に気が付いたのか、少年は薄く目を開けた。


「あっ、気が付きましたわね! 今、お食事を持ってきますからね」

「いらない……」


 衰弱しているにもかかわらず、少年は皮の剥けた唇をぎゅっと噛みしめた。


「何も心配はいりませんわ。わたくしはこう見えて伯爵令嬢ですから、怪しい者ではありません。あなたのような子供からお金を取ろうとか、恩を着せようとか、そういうつもりは一切ございませんわ」


 よく孤児院を訪問しているベアトリクスは、辛い思いをしてきた少々たちの心情を少しは理解しているつもりでいた。様々な事情で大人不信になっている子供に対しては、まずは自分は無害であること、そして打算などないことを伝えて安心してもらうのが良いと考えた。


「先ほどからお腹が鳴っていましたもの。空腹なのでしょう?」


 昼食用に作り置きしているパンとスープ、チーズを取りに厨房へ急ぐ。この屋敷で働きたいというメイドはいないため、彼女は身の回りのことはひとりでできるようになっていた。なお、厨房は引火したら危ないという理由から、屋敷内で唯一ゴミが積まれていない部屋だ。


「はい、持ってきましたわよ」


 パンを口元に持っていくが、少年は強情で口を固く閉ざしている。

 けれども彼はひどく痩せていて、栄養失調なのは明らかだ。意地を張っている場合ではない。

 仕方がないのでベアトリクスはパンを小さくちぎって彼の口に押し込む。そして鼻の下と顎を持って上下に動かし、しっかりと咀嚼させる。水分も足りていないだろうからと口からこぼれるくらいスープを流し込み、むせる様子を見てああ熱かったかしらと慌てて顔に水を浴びせた。


「――おい! 何してんだ! 死ぬぞ!!」


 ぐったりしていたのが嘘のように、少年は勢いよく跳ね起きた。


「あら、ごめんなさい。父様と母様によると、わたくしには元来、少々大雑把なところがあるみたいなの」

「少々!? 喉に何か詰まったと思ったら、いきなり熱いもんぶち込みやがって。おまけに水を浴びせたのに、少々っていうのはおかしいだろ」


(ずいぶんと口の悪い子ね。やっぱり、あまりいい環境にいなかったのだわ)


 苦い顔をした少年は自分の喉に手を当てる。すると彼の小さな手から白く淡い光が広がり、穏やかに喉に吸い込まれていった。


「……もしかして、治癒魔法かしら?」

「ああ。絶対に火傷してるからな」


 グラディウス王国には魔法が存在するけれど、己の肉体的強さを重視する国柄ゆえ、魔法は軽視されていると言ってもいい。

 だから魔法を極めようとする者はほとんどいないし、平民の、しかも捨てられるような少年が、治癒魔法のような高度な魔法を使えるなんてありえないことだ。


(この子は一体何者なの……?)


 幼いながら、清潔になった少年は素晴らしく美しかった。漆黒の艶々とした髪に透明度の高い美しい紫の瞳。立ち居振る舞いもどこか品があり堂々としている。


「それで、おまえは誰だ? 俺はどうしてここに……」


 手当てを終えた少年が周囲に目をやるが、すぐにぎょっとした表情を浮かべた。


「え……? なんだよ、ここ……」

「わたくしの屋敷よ。少々散らかっているけれどね」

「し、少々じゃないだろ、これ!」


 二人がいるのは恐らく玄関ホールであった広い場所だ。高い天井の開放的な空間を生かしてうず高くゴミ袋が積み上げられている。ゴミ袋の間から飛び出しているのは、拾ってきた椅子の足であるとか壊れた剣の鞘だ。

 光が入らないため薄暗い。積みあがるゴミ袋はおどろおどろしく、魔物のようにも見えた。

 この世の終わりのような顔をした少年はがたがたと震えだす。


「き、汚い……。何なんだよ一体……。お、俺、もう行くわ。じゃあな」


 よろりと立ち上がり力の抜けた身体で歩き出すが、ゴミ袋につまずいて無様に転んだ。


「って……。ちくしょう! 出口はどこだ!?」

「でもあなた。行く当てはあるのかしら? ないから倒れていたんじゃなくって?」


 彼はびくりと身体を震わせた。沈黙が流れたあと、消えそうな声で呟く。


「俺は、生きていたくないんだ。生きていたって意味がない。……そもそもおまえには関係のないことだ。俺に構うな」


 俯いた少年の横顔には何の色も浮かんでいない。感情らしい感情は全て抜け落ちていて、虚ろな目をしていた。


(まだ小さいのに、こんな顔をするなんて。よほどひどい扱いを受けてきたに違いないわ)


 胸が締め付けられるベアトリクス。子供好きな彼女は黙っていることなどできなかった。目の前の少年の言動は真剣そのもので、孤児院に送ってもすぐに逃げ出してまた行き倒れてしまうだろうと思った。


「……ねえ。あなた、お名前は?」

「教える筋合いはない」

「いいから! また熱いスープを飲まされたいのかしら?」

「……ルシファー」


(あら。第四王子様と同じお名前なんてね!)


 ベアトリクスは、かつて自分に呪いをかけた王子のことを思い出しながらも、目の前の少年がまさか本人だとは思わない。なぜならルシファー王子は二十歳を超えているはずで、この子とは一回りほど年が違う。


 仮にルシファーが本来の姿であっても、ベアトリクスは気が付けないだろう。彼女は男性の容貌というものに全く興味がなく、はっきりと姿形を想起できる男性は父と兄しかいないからだ。そもそもルシファー王子は国一番の魔法使いとして戦地や訓練場にいることが多かったため、社交の場に出てくることは稀だった。よって、正直言って王族の顔など覚えていないのである。


「ルシファー。わたくしと暮らしましょう。ちょうど人手がほしかったところなの」

「は、はぁ!? おまえ、なに言って」

「きちんと働いてくれればお給金も出しますわ。寝食は保証されますし、悪い話ではないでしょう?」

「だから! 俺は別にそういうのいいんだって。余計なお世話なんだよ」

「今まで大変だったわね。生きていることが辛いと思う気持ちは否定しないわ。……でもね、一回だけわたくしを信じてもらえないかしら。わたくしも、とある呪いを受けて両親に見放されたの。でも、こうして楽しく生きているわ。わたくしにあなたの幸せを探す手伝いをさせてちょうだい」


 そこまで言われて、ルシファーははっと気が付いた。


(呪いを受けた? この令嬢、もしかしてブルグント伯爵令嬢か)


 ここで初めてルシファーは、目の前の令嬢が数年前に呪いを当ててしまった令嬢だと気が付く。当時の自分は自暴自棄がピークに達していて、とある晩の舞踏会で感情と魔法を暴走させてしまったのだ。運の悪いひとりの令嬢に当たってしまったということは聞いていた。


(俺の呪いのせいで親に見放されたのか。それで、こんな屋敷にひとりで……)


 ルシファーの中に、ほんの少しだけ申し訳ないという気持ちが生まれた。

 そして、しばらく考えたのち彼は結論を出した。


「……わかった。おまえと暮らす」

「ありがとう!」


(こいつは俺のせいでこんな目に遭っているからな。死ぬ前に責任はとらないと。恨まれたままでは気分が悪い)


(うふふ。よかったわ。この子に少しでも生きる楽しみを感じてもらわないとね!)


 ――こうしてふたりの共同生活が始まったのであった。


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[一言] ルシファー……アポトキシンでも飲みました?(;'∀')
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