表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

私が剣を辞める理由

作者: もみ

 この街で一番裕福な家に生まれた。

 そんな私が剣を振るようになったのは、きっと偶然ではなかったのだと思う。

 父は商人をしている。元は小さな薬屋を営んでいたが、ある時見つけた薬草の効きが良いということで、街の外から多くの人が買いに訪れるようになった。それから暫くして、父は店を知人に任せ、得た金で商売を初めたらしい。

 私は商人になってからの父の姿しか知らない。

 幸い、父は商売の才能があったらしく、瞬く間に取引の相手は増え、自分の名前がついた商館を持つまでになった。

 私には兄弟がいない。母は私が小さい頃に亡くなった。私は幼い頃から商館を継ぐように言われてきたし、私自身そのことに何の疑問も持たなかった。

 ――父の倉庫に忍び込み、初めて短剣を手にしたあの日までは。

「失礼致します」

 部屋の扉を叩く音が聞こえる。

 どうぞ、と私が返事をすると、声の主は私の部屋の扉を開けて跪いた。

「お嬢様、夕食の準備が整いました」

「お父様は?」

「隣国の商会に向かわれております」

 彼女はこの家に住み込みで働いている使用人だ。名はカナタという。

「そう……」

 私はカナタが夕食の時間を告げに来るたびに、父の所在を尋ねていた。父はいつも仕事で、家を留守にすることが多い。最後に父とテーブルを囲んだのはいつだっただろうか。もう半年は経っているように思える。

 私は、父のことが好きでも嫌いでもなかった。

 父は、女である私が剣を振ることを、良く思ってはいないのだと思う。いや、そればかりか母が産んだのが女子ではなく男子であれば、とすら思っているのかも知れない。

 それでも、毎晩のように父の所在を確かめるのは、きっと私がまだ一人の娘として親に愛されることを諦めていないからだ。

「ねえ、カナタ」

「はい、如何されましたか」

 私が声をかけると、やはり一人の使用人であるカナタは、開いた扉の前で顔も上げずに返事をする。

 私がベッドの縁に腰かけたまま手招きすると、彼女は一礼してから部屋に入り、私の前に跪いた。

「カナタ、こちらにいらっしゃい」

 私は自分が座るすぐ隣を左手で軽く叩いた。

「ベッドが汚れてしまいます」

「汚れるものですか。さあ」

「……承知致しました」

 カナタはおそるおそるといった様子で、私の側に腰掛けた。

「ねえカナタ」

「何でしょうか」

「昔話を聞いてくれないかしら」

「構いませんが、スープが冷めてしまいます」

「たまには冷えたスープも悪くないでしょう?」

 私は隣に座るカナタの方を向き直りながら言った。カナタは少しだけ困ったような表情をした。

「……お嬢様がそう仰るなら」

 何かを察したのかカナタはそう言いながら立ち上がり、部屋の扉を閉め鍵をかける。そしてベッドの縁に座り直すと、私の目をじっと見た。カナタの顔をこんなに近くで見るのは、初めてかも知れない。この子はこんなに綺麗な目をしていたのか、と少し驚いた。

「秘密の話よ」

 カナタが頷く。壁にかけた時計の鐘が夕暮れ時を報せる。その音を合図に、私は語り始めた。

「私が初めて剣に触れたのは、まだ私が九つの時よ」



 私が初めて剣に触れたのは、私がまだ九つの時だった。

 よく冷える日だった。帰りが遅い父との夕食までの時間が退屈で、一人で家を出た。

 一人で外出するのは初めてではなかった。父の帰りが遅い時、私はこうして時々一人で家の外へ出た。

 家を出ると直ぐに、私は街の外れにある洋菓子屋に向かう。そこで売られている、金色の飴が私は好きだった。今思えば砂糖を煮詰めただけの簡単な菓子に過ぎないが、当時の私にはそれがどうしようもなく特別に思えた。

 私は次第に駆け足になる。ポケットに入れた銅貨がじゃらりと音を立てた。

 私はあくまで一人で外に出てはいけない、ということになっていた。ただ、そんな私に対し、使用人を通して小遣いをくれていたのは、他でもない父であった。きっと、私の小さな冒険に気がついていたのかも知れない。

「おばさん、飴を二つくださいな」

 私がそう言うと、洋菓子屋の女主人は飴を丁寧に紙で包んでくれた。それと交換で、私は持っていた銅貨を手渡す。

 一つは今食べる分。そしてもう一つは、家に帰ってから食べる分だ。

 私は飴を買った後、きまって小川のほとりに向かう。美しく澄んだ川という訳ではなかったが、大勢の魚たちがそこに住んでいた。私はそれらを眺めながら飴を食べるのが好きだった。

 私は芝の上に腰を下ろし、飴の包み紙を開ける。

 ――その時だった。

 遠くで、誰かの叫び声が聞こえた。

 包み紙を開けようとした手を止め、辺りを見回す。誰もいない。が、先程聞こえた声は、もしかしたらそう遠くではないかも知れない。

 また、声が聞こえた。やはりそう遠くではない。すぐ近くだ。月明かりを頼りに、周囲を見回す。すると、川の上流の方で、一人、いや二人の人影が揉み合っているのが見えた。私はもっとよく見ようと近寄る。

「嫌! 離して!!」

 今度ははっきりと聞こえた。少年の声だ。

「大人しくしろ、叫んでも誰も来ねえよ」

 続けて、野太い男の声。はっきりとは見えないが、男が少年を連れ去ろうとしていると言うことははっきりと分かった。

 私は目を逸らした。使用人から聞いたことがあった。奴隷として売るために、子供を攫う人間がいると。あの少年も、きっと明日の夜には他所の国に売られてゆくのだろう。それが良いことなのか悪い事なのか、その時の私にはまだ分からなかった。ただ、自分の今の裕福な生活が、奴隷制のお陰で成り立っているということくらいは理解していた。

「助けて!」

 今度は、はっきりと聞こえた。私は振り返る。

 少年は、私の存在に気がついていた。

 その上で、私に助けを求めたのだ。

 私にはどうしようもできなかった。私には力も武器も知恵もなかった。私はその場にうずくまり、耳を塞ぐ。

 絶えず私のことを呼ぶ、少年の声が聞こえないように。

 結局、男は私には気がつかなかった。

 私は家に向かって駆けた。立ち止まると、今しがた聞いた少年の声が蘇ってくるように感じて。

 あの少年はこれからどうなってしまうのだろうか。きっと彼にも両親や兄弟がいるに違いない。翌朝、彼の両親はいつまで経っても帰らない息子のことを心配して、探し回るに違いない。「誰か、うちの子を知りませんか」と。だが、彼が見つかることは決してない。彼はすでに、喉を焼かれて他所の国に売り飛ばされてしまっているのだから。

 私もまた、彼の両親に息子の行方を聞かれるかも知れない。街で一番裕福な家の生まれで、息子と歳が近いならばあるいは、と。その時、私はなんと答えれば良いだろう。目の前で連れ去られる彼を見殺しにした私は……。

 私が家に辿り着いた時、父は既に帰っていた。何処に行っていたのだ、もう飯は先に食べてしまったぞ、と言う父に私は何も答えず、自室へ向かった。

 私は扉に鍵をかけ、ベッドにうずくまり、足下にあった毛布を手繰り寄せる。

 紙に包まれたままの飴が、ポケットから落ちて転がった。

 

 翌朝、私は気を紛らわせるように父の商館に出かけた。

 商館は家のすぐそばにあった。川辺へ遊びに行くと言えば家の者は皆渋る(少なくとも表面上は、である)が、商館に行くと言えば簡単に外出を許してもらえたし、いくらかの小遣いを貰えることさえあった。

 私は肩から提げる小さな鞄に小遣いをしまい、落ちた飴を二つともポケットに入れて家を後にした。

 商館には多くの商品が並んでいる。宝石や服。高級そうな果物。使い方も分からないような武器や防具。さらには生きた動物までもが取引されていた。

 この全てを父が管理しているわけではないにしても、商売を仕切っているのは間違いなく父であった。まだ自分で商売の一つもしたことがない自分でもそれがどれほど困難かは想像に易いので、そのことは素直に尊敬している。と同時に、いつか自分が跡を継ぐということを思うと、目が回りもした。

 私は、商館に流れるこの独特の空気が好きだった。

 よく言えば賑賑しいとも言えるが、悪く言うとそれは混沌である。ただ目の前の利益のために動く人ばかりで、他人のこと、そして自分自身のことでさえも無関心。

 それは私に対しても同じだった。いくら商館の娘だといって、そんなことは銅貨一枚にもならない。父が、自分の娘に少し良くされた程度で贔屓をするような人間ではないということは、この場にいる誰もがよく知っていた。

 ただ、私にはこの場所で行われることで、どうしても好きではないことが一つだけあった。それは、

「只今より、本日の”舞台”を開催させて頂きます!!!」

 ”舞台”と言う名の、奴隷の虐殺だ。

 毎日、奴隷の一人が連れて来られ、檻の中に入れられる。幼い子供、もういくらもしないうちに寿命尽きるであろう老人、赤子を身篭もった婦人。その誰もが、今から起こる事を既に知らされていた。

 ある者は泣き叫び、ある者は檻をこじ開けようと抵抗し、そしてまたある者は何もせずただ呆然としていた。そのどれもが、見物客にとっては一つの見世物に過ぎない。そして、見物客の興奮が高まったところで、檻の中に腹を空かせた獣が入れられる。

 毎日、大勢の見物客が集まった。勿論、金を払ってである。

 私にはそれが解らなかった。金持ちにとってはそれがはした金であることも、奴隷がいなくては私たちの生活が成り行かないことも理解していた。だが、ただ泣き叫ぶ彼らを弄び殺すことに、一体何の意味があると言うのか。

 私は時々、見物客に混じってこの舞台を見に来ていた。楽しい訳ではない。だが、初めてこの光景を目にした時、そして父が主催していると知った時から、私にはそれを見届ける義務があると思った。

 この舞台が悲惨なものであると思えることを確認するために。

 この舞台が楽しいなどと感じないことを確認するために。

 悲鳴が聞こえた。私と同じくらいの歳の子だ。私は恐る恐る檻に目をやる。

 果たして、そこに居たのは、私が昨日見た少年であった。

 どうして。こんな近くで攫った子を見世物にすれば、すぐに足が着くではないか。そう思った直後、私は気づいた。この少年は攫われたのではない。親に売られたのだ。

 助けたいと思った。名も知らぬあの少年を。

 たくさんの人が殺されるところを見てきた。あの少年と同じくらいの歳の子だっていた。今更あの少年だけを助けたいと思うのは、足下の蜘蛛を助けた罪人と同じくらい滑稽なことかも知れない。それでも、私は目の前で攫われたあの子のことが――いや、そんなのは詭弁だ。ただ、同じ背丈の子供に情が湧いた。それだけだ。

 私は考えた。どうすればあの子を助けられる? 檻の中に獣が入れられるまで、それまでの時間で私に出来ることは何だ。

 あの子を連れ出すしかない。檻の鍵は看守が同じものを持っていた筈だ。私は人を掻き分け走る。どこへ行けばいい? そうだ、父の倉庫へ行こう。鍵はかかっているが、私一人なら窓から忍び込める。そこで何か武器になるものを持って、看守を脅せばいい。

 倉庫に辿り着く。それはまるで私が来るのを知っていたかのように、いつもは閉まっている筈の扉が今日に限っては何故か開いていた。

 私は躊躇いなく倉庫に入り、中を見回す。

 私でも扱えるモノ。

 懐に隠して相手に近付けるモノ。

 ナイフはないだろうか。

 私は探すが、見つからない。

 このままでは時間がない。

 その時、私は見つける。懐に入れられるくらいの、小さな短剣。これしかない。私は迷わずそれを懐に入れる。

 私は走る。

 ”舞台”に戻ろうと急ぐ。

 今この瞬間にだって、あの少年は獣の餌になってしまうかも知れない。見物客の歓声が聞こえる。もう時間がない。人混みをすり抜け、舞台裏に回る。看守がいた。彼はまだ私に気がついていない。私はそのまま短剣を鞘から引き抜き――

 その時、鞘が左手から滑り落ちた。

 落下音。

 振り返る看守。

 気づかれた。

 私はどうしたらいい?

 どうしたら鍵を奪える?

 どうしたらあの少年を助けられる?

 私は――

 看守の腹に、短剣を突き刺した。

 鮮血が溢れる。返り血が私の靴を、服を、頬を濡らした。私は膝から崩れ落ちた看守のポケットを弄り、鍵を見つける。そして檻へと向かい、鍵を開けた。

「こっちよ!」

 私は少年に向かって叫んだ。観客のうちの一人が私を指差し、何かを叫んだ。巻き起こる怒号。構わない、この距離なら顔ははっきりとは見えていないはずだ。

 私は少年の手を引き、走った。血まみれの私を、周囲の人は避ける。これからどうするかなんて考えずに。私は走った。


 その後すぐ、私は家の使用人達に捕らえられた。

 間際、少年だけは捕まらないよう逃した。もう大丈夫だから、後のことは私に任せなさいと言って。

 私は父の部屋に呼ばれた。看守を刺しただろうと言われた。

 私はしらを切った。その服についた血はなんだ、と聞かれた。

 転んだのよ、と我ながら適当なことを答えた。

 父の追求は止まなかった。だから、私は言ってやった。

 私が殺しをしたなんて知れたら、誰が商館を継ぐのでしょうね、と。

 父は苦いものを食ったような顔をして黙り込み、そして暫くして、もういい、とだけ言うと部屋に戻っていった。

 その間、私はというと、あの少年は家に帰れただろうか。少年の両親は彼を見て泣くのだろうか。それとも、笑顔で迎えるだろうか。そんなことばかりを考えていた。 

 

 

「今夜は冷えるわね」

 私はベッドの縁から立ち上がり、窓を閉める。カナタが憂いを含んだ目で、私のことを見た。

「だから、決めたの。これから先、きっとまた同じようなことがあるかも知れない。全ての人を守ることはできない。ただ、守りたいと思った人を守れるように。――他の誰かを犠牲にしなくても、救えるような力を。だから、私は剣を握るの」

 あれから毎日、剣の稽古を欠かしたことはなかった。誰よりも強くなろうと思った。

「それが、お嬢様が剣術をされる理由なのですね」

 カナタが言った。私は微笑んだ。

「そうよ」


 私が剣を振るのは、かつて私が殺めてしまった罪のない人間への罪滅ぼしだ。

 それが私の理由。

 だから、剣を辞める理由なんてない。

 そしてきっと、この先ずっと、それが見つかることはないのだと思う。

 

 

    *    *    *

 

 

 女の奴隷は娼婦にされる。だから、少年の格好で私は売られた。

 私はこの街で一番貧しい家に生まれた。

 けど、それはきっと偶然ではなかったのだと思う。

 貧しいながらも、私はそれなりに幸せであった。両親と幼い弟の四人家族。辛いことはたくさんあった。それでも、私は自分の境遇が不幸だとは思わなかった。

 だがある時、そんな日常は何の前触れも無く終わりを迎える。

 働き手である父が、体を壊したのだ。

 薬を買うのにも、医者に診て貰うのにも金がいる。だが、この家にそんな金がある筈もないのである。

 しかし、私や母の内職で得られる金は、一人の病人を抱えた四人家族が生き永らえるには、あまりにも少なすぎた。このまま父の体が治らなければ、一家揃って飢え死にしてしまうのも時間の問題である。

 もちろん、幼い弟も。

 私は、奴隷として売られることを自ら望んだ。両親は私を止めた。優しい人達だと思う。母は、自分が代わりにと言った。だが、私の意志は硬かった。弟のことをよろしく頼むと言って、説得した。

 私を引き取るための人が来るはずの日の朝、母は私に弟の服を着せた。男の奴隷は見世物にされ殺される。女の奴隷は娼婦にされる。それはきっと、母なりの優しさだったのだと思う。

「今夜は冷えるわね」

 そう言ってお嬢様――私の雇い主は立ち上がり、窓を閉めた。

「だから、決めたの。これから先、きっとまた同じようなことがあるかも知れない。全ての人を守ることはできない。ただ、守りたいと思った人を守れるように。他の誰かを犠牲にしなくても、救えるような力を。だから、私は剣を握るの」

「それが、お嬢様が剣術をされる理由なのですね」

 私は言った。貴女は微笑んだ。

「そうよ」

 お嬢様は、剣の稽古を毎日欠かすことはなかった。雨が降った日も雪が舞った日も。そして、私が初めてここを訪れた日も。

 私は目が合ってすぐに、貴女が貴女であることに気がついた。けれども、貴女はそうではなかった。当然だ。今の私はお嬢様にとって、数多くいる使用人のうちの一人に過ぎないのだから。

 

『初めまして。今日からよろしくね。あなたは……東洋の生まれなのかしら』

 私の外見の何が東洋人だと思わせたのかは分からない。ただ、私がかつてお嬢様に救われた子であると悟られずに済むのは、私にとって都合が良かった。

『はい。名は、カナタと申します』

 その名は、かつて本の中で知った東洋人の少年の名であった。

 

 私は剣の稽古をするお嬢様に、毎日欠かさず茶を用意することに決めた。

 剣を振る貴女の姿は、美しかった。

 私は望んでここに来た。貴女に命を救われた日から、ずっとそうすることを決めていた。

 あの日、窮屈な弟の服を着た私は、勇気を振り絞り家を出た。

 けれど、奴隷商の男に手を引かれている時、私はようやく気がついた。

 私はもうすぐ死ぬのだと。

 私が生かした両親とも弟とも、もう二度と会うことはないのだと。

 その時、私は自分の内側から恐怖が湧くのを感じた。

 枯れてしまった勇気の代わりに、涙が両目から溢れ出た。

 私は助けを求めてしまった。そして、優しい貴女は、そんな愚かな私を助けた。

 お嬢様は私を逃す時、あの短剣を私に手渡した。そして、両方の手で持ちきれないほどの銅貨と飴を。私はそれを一つも落とすまいと握りしめて家に帰った。次の日、私は隣街から腕の良い医者を呼んだ。

「でもね」

 私の隣に座る貴女が、私の目をじっと見る。

「あの日から夢を見るの。私が剣で人を殺す夢を。私に刺された人は苦しみながら死んでいく。だけど、いつも顔だけは何かに隠れて見えないの。私は、あの人がどんな顔をしていたのか思い出せない。どんな表情をして死んでいったのかすらも覚えていない。私って酷い人間だと思わない?」

 ああ、どうしてそんなに悲しそうな顔をするのですか。それが貴女の罪であると言うのなら、それで救われた私だって罪人であるに違いない。もし、もし一人の従者に過ぎない私に許されるのならば、貴女と共に罪を背負いたい。強くなろうとする貴女を支えたい。私は、自分自身でない誰かのために剣を振る貴女のことが――

 私は隣に座る貴女を抱きしめる。

 これ以上ないほど、強く。

「……カナタ、あなたは優しいのね」

 お嬢様が私の髪に触れる。心地よかった。

「カナタ……ねえカナタ、どうして泣いているの?」


 私がこの家に仕えるのは、私自身が背負った罪への償いだ。

 そしてもう一つは、貴女の剣を支えたいという、私の傲慢。

 それでも、貴女が貴女のままでいてくれる限り、いつまでも私は貴女のそばにいたいと思う。

 だから、どうか。

 どうか貴女が剣を辞める理由が、いつまでも見つかりませんように。

 

 

 (了)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ