閑話 人気店の最後の夜
これで最後になるかしら。
アンナはそんな事を考えながら、店の看板をしまった。
そして用意していた張り紙をドアに貼った。
『本日をもって「女神印のキャンディ珈琲一号店」は閉店いたします。長い間ご愛顧頂きありがとうございました。』
テーブルに座って店の中を見回してみると壁に飾ってある絵が目に入った。
アンナのお気に入りの絵はこの店の創業者達を描いた一枚だった。
後に夫婦になるカップルを中心に少年騎士とエルフの女性そして二人の少女がいた。
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森のはずれに小さな喫茶店がある。
創業は今から1000年以上も前だという、この世界最古の喫茶店だ。
森には小さな村があったが、その規模は1000年前からさほど変わっていない。
村の役目は森の管理だが、森は隣の大都市オームの魔法学校の所有物だった。
生徒達は森で魔法薬や魔獣のことを学び、村では都会では経験できない少し不便な生活を体験する事ができた。
喫茶店はそんな生徒達の憧れの場所だった。
喫茶店の創業者は魔法神の加護を受けた初めての魔法使いでこの世に魔法を広めた偉人と言われる人物だ。
後に祝福を受けることになるキャンディとルーカスの2人は魔法神と共に様々な魔道具を作り、その初期の魔道具は今でもこの店で使われているという。
魔法を学ぶ者にとっては建物全てが歴史的価値のあるものなのだ。
さらに噂では今では作る事ができない旧世界の魔道具も置いてあると言う。
学生たちにとってこのミステリアスな喫茶店はそれだけでも行く価値のある憧れの場所なのだった。
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アンナは棚に目を向けた。
家庭用のドリッパーやエスプレッソマシンと一緒に二つのポットとピッチャーが置いてある。
ポットとピッチャーはこの店にずっとあるものだが、客の誰もが使っているところを見た事がなかった。
「最後だし、久しぶりに淹れてみようかしらね。」
アンナは棚からポットとピッチャーを取り出すとテーブルに置いた。
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この店の名は『女神印のキャンディ珈琲店』。
今では世界中に支店を持つその一号店だ。
この店の立ち上げには二人の女神が関係していると言われている。
魔法神エミリーはコーヒーの普及に積極的だった事が知られており、女神印の女神とは一般的には魔法神エミリーを指しているというのが魔法使いの常識だった。
しかし一号店に限ってはもう一人の女神、黒闇天カーララートリーを指しているというのも有名な話だった。
カーララートリーを女神とする者にとってこの喫茶店は特別な意味を持つ。
女神カーララートリーと 騎士ライアンダールマの物語は有名だ。
物語ではライアンが女神カーラに美味しいスイーツを食べさせるため、世界を旅し、様々な試練に打ち勝った末、遂にバニラアイスクリームを見つけることになっている。
ライアンが何故、美味しいスイーツを見つける羽目になっているかは諸説ある。
ライアンがカーラにベタ惚れで振り向いてもらうためだったり、わがままなカーラの気まぐれだったり、カーラの親友のエミリーのために優しい二人が協力した説など様々だ。
いずれにせよ、この話は二人のファーストキスのエピソードとして有名なのだ。
何故女神印と関係があるかと聞かれれば、メニューを見ると推察できるだろう。
この一号店でのみバニラアイスクリームは『女神のキス』という名で載っているのだから。
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「最近はずいぶんさみしくなっていたものね。」
カップを五つ用意しながらアンナは呟いた。
人気のあった喫茶店も今は活気がなくなっていた。来店するのは村の人と森に住むエルフだけになっていて、生徒達はここ3年ほど来てはいなかった。
学生が来ないのは魔法学校の活動が制限されているからだった。
5年ほど前から魔獣が凶暴化しているらしく、魔獣のいる森への入場は制限されていた。
もっとも規則破りは学生の特権だ。
守らない生徒は何人もいたのだが・・・
「賑やかだった頃が懐かしいわ。」
アンナがこの店を継いだのは彼女が二十歳の時だった。
アンナに姉と兄がいたがこの二人は魔法の力が強く、魔法学校を卒業後、姉は魔法省に就職し、兄は冒険者(本人は研究者と言っている)になり、家を出て行った。
自動的にアンナは喫茶店を継ぐことになった。
喫茶店は人気スポットだったので入店には予約が必要なほどだった。
子供の頃から手伝っていた自分の家だ。家業を継ぐ事は当たり前で誇らしくもあった。
それから18年が経っていた。
アンナが魔法学校の同級生と結婚すると、両親は店を完全にアンナに任せて村に引っ越していった。今年で16才になる娘は12才から全寮制の魔法学校に通っている。
息子も12才になり今年から魔法学校の寮に入った。
アンナも通ったオームの魔法学校だ。
旦那は魔法力が高かったため、現在はこの異常事態の調査の為村を出ていた。
「まったくこんな日が来るとは思いもしなかったわよ。」
言いながらポットとピッチャーに手の平を当てていく。
ポットの口から湯気が出て、ピッチャーはミルクでいっぱいになった。
「さてと。」
ガラスケースに入っていたケーキの乗った皿を取り出すと並べていく。
並べ終わると次にポットのコーヒーをカップに注いだ。
コーヒーは四つで一つはカフェオレだった。
「準備できたわ。」
アンナが言うと同時に入り口のドアが開いた。
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キャンディ・スミスはミラー家に嫁ぎ、ルーカスと共にミラー家の礎を築いた。
ルーカス夫婦は魔法神エミリーを祀ってある『魔法の森』を守るためこの地に村を作り発展させてきた。
二人の子供達も両親と同じように世界中を旅し、魔法と魔法神を広めてきた。
やがて村は町になり、今では立派な都市になっている。
『女神印のキャンディ珈琲一号店』は『魔法の森』から離れた『エルフの森』の中にある。
喫茶店は元々はコーヒーの研究所だったらしい。
魔法神エミリーは自分の名と同じくらい情熱的にコーヒーの普及に積極的だったが、この情熱に黒闇天カーララートリーやエルフのリーゼ・アポセカリー・レジーナシルバが強く賛同してキャンディを中心に活動してきたのが始まりという。
この研究所がエルフや村人にその研究成果を発表するようになり、リクエストに応えるうちに喫茶店となったと言われている。
この喫茶店はその後代々スミス家が受け継いできた。キャンディの娘がスミス家を継いだのでスミス家もミラー家同様、魔法神の加護を持つ特別な家になっていた。
喫茶店のある森はかつて『魔石の森』と呼ばれていた。
今では『エルフの森』と呼ばれているこの森にはゲートがあり、エルフの村に行くにはゲートをくぐる必要があった。
ゲートは人間が簡単に侵入できないようにする防御魔法として存在していて今でも機能している。
ゲートは元々は森の村のダールマ家が村長として管理していたが、ある時ダールマ家の娘がスミス家に嫁ぎ親戚関係になったため、ゲートの管理もいつしか店主の仕事になっていた。
喫茶店はゲートのすぐ側にあったので当然といえた。娘がゲートの管理のため村から喫茶店に通っているうちに恋に落ちたという。一説には美味しいお菓子のせいだという話もあるがそれは誰にもわからない。
ダールマ家は黒闇天カーララートリーとの縁が深い家系である。その為スミス家には稀に魔法神と黒闇天の二つの加護を持って生まれるものがいた。
アンナはまさにその稀な一人だった。
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ドアが開くと三人の女性と一人の青年が入ってきた。
「久しぶりね、アンナ。元気そうで何よりだわ。」
先頭の少女が声をかける。
「はい、エミリー様。森の入場制限以来ですから三年ぶりになります。」
「アンナ!紹介するわ!私の旦那、ライアンよ!話した通りいい男でしょう?」
絵に描かれていた少年騎士は立派な青年の姿をしていた。カーラもその姿に釣り合うように美しい女性になっている。
「はじめまして。ライアン様。私が現在の店主アンナ・スミスです。この店にお越しいただけたことを光栄に思います。」
「はじめまして、アンナ。真心の神ライアンです。この店のことはカーラから聞いていました。創業から関わってきた者としてこの訪問は私にとっても喜ばしいことです。」
「もったいなお言葉です。」
アンナは恐縮した。
「さあさあ、せっかく用意してもらったコーヒーが冷めてしまいますよ。席について美味しいコーヒーとケーキを頂きましょう!」
リーに促されてみんな席についた。
「それにしても、ライアン様はてっきり戦士や騎士の神様になると思ってましたのに。」
アンナがライアンに尋ねた。
「カーラにはお菓子の神になるように言われたんですよ。」
ライアンが困ったようにカーラを見ながら答えた。
「まあ、カーラ様!こんなイケメンのお菓子の神様がいたら女性はみんな虜になってしまいますよ!」
「あらカーラ、残念だったわね?ライアンがお菓子の神様になってたら、あっという間に信徒が増えて、すぐに一人立ちできたのにね。あなた神の教育なんて大変大変って言ってたものね。」
エミリーはそういうと名物のザッハトルテを口に入れた。
「ば、馬鹿なの?そんな気持ちでなって欲しかったんじゃないわ!」
カーラは真っ赤な顔で怒っている。エミリーとリーはニヤニヤしてそんなカーラを見ていた。
カーラの気持ちはアンナだってわかる。カーラはずっと一緒に居たかったのだ。1000年も会えなかったのだから・・・
「カーラ様、そんなに怒っては美人が台無しですよ?ライアン様も困っておいでです。」
「カーラ、アンナのいう通りだよ?それじゃあ、綺麗な顔が見えないよ。さあ、久しぶりに二人でアイスクリームを食べよう!」
ライアンのいう通り、カーラとライアンのお皿にはバニラアイスが乗っている。
「バニラアイスは私の大好物なのに・・・とんだ引き立て役ね、アンナ!」
仲良くアイスを食べている姿を見ながらエミリーはアンナに文句を言った。
「エミリー様にももちろん特別なバニラアイスを用意していますよ。」
アンナはにっこり笑ってそう言った。
「アンナ?そういえばあなたお店閉めるんでしょう?どうして?」
「カーラ様?お館様に聞いていないのですか?」
「え?リー姉さん、イワナガ様は何か言ってたかしら?」
「カーラ様、この店は今起こっている魔獣の凶暴化を調べる拠点にするんです。」
「それは知っているわ!でもわざわざ辞めなくてもいいんじゃない?ここのファンは多いんだから。」
「あなた、大事なところを聞いていなかったのね?この場所は他のどの場所より情報が集まるのよ!それはスミス家が魔法神、黒闇天、イワナガ様と近い位置にいるからでしょ?物理的にも精神的にもね。一番遠い私の祠だってイワナガ様の館のゲートからすぐに行けるのよ!うっかり情報が漏れないようにお店を閉めてもらうのよ!わかった?」
「エミリー、あんた少し怒りすぎよ。秘密基地になるならアンナは変わらずここにいるんでしょう?」
「はい、ここの管理者として変わらずいます。」
「じゃあ、アンナのコーヒーとケーキは楽しめるのね、安心したわ!」
「ちょっと、遊びじゃないのよ!ライアンも言ってやってちょうだい!」
「あんた、本当に怒りすぎよ?最近またマスターと連絡が取れてないからイライラしてるんじゃない?私達を見習いなさいよ、エミリーさん?」
カーラはニヤリと笑ってさっきのお返しとばかりにエミリーを見た。
「むむむ、カーラ、あなたちょっと大人っぽくなったからって・・・」
「カーラもエミリー様もこれくらいにしましょう。魔法を使って世界に混乱を起こすなど見逃すわけにはいきませんからね。この仕事は私にとって神としての初仕事です。ここを拠点にしっかりを作戦を練っていきましょう!」
「ライアン、なかなかいい事をいうではないか!さすが真心の神だ!これは毎日会議をする必要がありますね、みなさん!」
「そうですね!リー姉さん!いい考えです!エミリーもそう思うわよね!」
「ま、まあ、私も賛成よ、まだ敵のことを何も知らないのだから、早く動かないといけないわね!」
「もしかして本当に毎日来るってことですか?せっかく休めると思っていたのに・・・」
アンナはウンザリしたような言葉を呟いていたが、本心は全く逆だった。
物語のような冒険に参加できるのだ。
子供の頃から憧れていた魔法使いの大冒険!
アンナの心は少女のように輝いていた。
ライアンは少女のように輝く笑顔を見せるアンナを見ながら神になって良かったと思うのだった。




