稀覯本の正体と既視感
仕方なく部屋に戻ったティアだが、悩んだり落ち込んだりする時間が「もったいない」と感じた。とにかく今出来る事をやろうと思い、王宮図書館から持ち出した稀覯本の結界を解くことにした。
幼いころに見たときは美しい装丁の豪華な本に見えただけだった。しかし、いま手にしてみると魔力を帯びていて複雑な術がかけられているのがわかる。
本を手にと取ると王都を思い出す。脱出してきたばかりなのに、随分昔のことのような気がする。イザークは無事だと言っていたが、図書館の人々は今頃どうしているだろう。華やかだった王都はいまだ荒れているのだろうか。ティアは思いを馳せた。
幸い稀覯本にかけられた結界は、手間はかかるが彼女の手に負えないものではなさそうだ。ティアはじっくりと取り組むことにした。
それは、幾重にも張ってあって複雑なものだった。しかし、慎重に粘り強く取り組んでいくと、王家の伝説が書いてあったその本は、徐々にその正体を現していった。煌びやかな装丁に変化はないが本を開きページを繰っていくと美しい絵や文字が、次から次へと術式に変化していった。
その正体は呪解を記した古い魔術書だった。恨みを買うことの多い王家だからこそ、大切に保管されていたのだろう。
しかし、この本は長らく保管されたままでその真価は発揮されていないようだった。彼女はカエルムの魔導知識で本をひも解くことに成功した。カルディアの魔導もかなり進んでいるが、攻撃魔法に特化しているところがある。果たして今の王家にこの術を解き、書かれている術式を使いこなせる知識を持った者がいるのだろうか。
カルディアとカエルムでは魔導体系は随分違う。攻撃魔法に重きを置いたために結界や呪解などの知識は廃れてしまったのだろう。それとも今まで必要なかったということなのだろうか。いずれにしてもこの書物はとても貴重な物には変わりがない。
ティアは時間をかけてしっかりと本を読みこんでいった。複雑な術式だったが、カエルムで教わった神聖魔法の知識を駆使して読み解くことに成功した。有事のときにこの本をもって行けるとは限らないので、引き続きティアは術式の暗記を始めた。
気が付くと一日が終わっていた。集中するあまり、食事も忘れ、アルフォンスや侍女達に心配をかけてしまった。
これで後は、呪いをかけられた場所さえわかれば、カミーユからもらったアミュレットの力を借りて呪いを解くことは可能となった。その場所はイザークに聞くしかなかった。
呪いが解ければ、何回も繰り返す悲惨な死から解放される。しかし、ティアは自分が呪われた場所を思い出せないことに引っ掛かりを感じていた。またイザークが、その場所を知っているというのが不思議だった。何かとても大切なことを忘れている気がして、もどかしい。
失うのが身を切られるほど辛く感じる大切な宝物を失くしてしまったから、なかったことにしてしまった。そんな感じがしていた。
次の朝も戦況は変わらないようだった。同じ城にいるのに、イザークは忙しく、ティアは大人しく部屋にいるせいか、二人が会うことはなかった。ティアは首からかけた紐にぶら下がる透明な石をそっと握った。それはイザークと二つに分けたものだ。彼の存在を感じ取ることができる。声が聞ければいいのにと、ふと思った。
部屋にいても落ちつかないので、何かできることはないかと立ち上がった。戦闘の手伝いをするのは論外なので、立ち働く人たちの邪魔にならないようにそっと厨房を伺った。裏方ならきっと大丈夫なはずとティアは考えた。
自分が料理ができないのは自覚済みだった。何か他にできることはないかと探していた。すると家令のアルフォンスがティアのその様子に気が付いた。
「ティア様、おなかがすいたのですか?」
ティアは恥ずかしくて、真っ赤になった。頭をぶんぶんと横に振る。ここの城の者は彼女が最初に「ティアと呼んでください」と言ったので、皆そう呼ぶ。カルディアの貴族ではない彼女にウィンクルムの名はもう無い。
「違います。何かお手伝いしようかと思ったんです」
「大丈夫ですよ。あなたはのんびりしていてください。主人の大事なお客様なのですから」
と言ってアルフォンスはにっこりと感じの良い笑みを浮かべた。お客様扱いなど申し訳ないとティアは慌てた。そのとき彼女は思いついた。
「あの、私、水汲みします!」
アルフォンスは彼女の細腕をみてまさかと思った。重労働には不釣り合い過ぎた。
「ええと……。一見、簡単に見えますが、井戸で水を汲むのはこつが入りますよ?それに重いですし」
「任せてください。井戸の水汲みは半年間やってきて慣れています」
彼女が元高位貴族のご令嬢とイザークから聞いていたので、その言葉に驚いた。
「井戸はどこですか?」
返答も待たずに、目を輝かせながら、すでに水桶を抱きしめている。勢いに押されてアルフォンスは井戸の場所を教えてしまった。
「そこの勝手口をでて小道を真っ直ぐ行って、突きあたりを右に折れたところにあります」
ティアは喜んで、広い厨房を通り抜け勝手口へ向かった。アルフォンスはそんな彼女を微笑ましく見送ってしまった。ティアはとても品がいい。それに彼はこれほど美しい娘は見たことがなった。しかし、その完璧に整った顔に冷たさは欠片もなかった。
気品のある立ち姿からして、本来ならば会ったばかりで気さくに話せる立場の相手ではないはずなのに不思議と親しみを感じる。笑顔に人の心を溶かすような温かみがあった。
まるで昔から見知っていたように。
そう意識した瞬間。
勝手口から出て行く彼女の姿がぶれ始めた。
これは、前にも見た光景……。




