王都の片隅で
夕刻、ティアは王都アイアースの片隅の安宿がひしめく地区にいた。
地味な旅装に身を包んだティアと同じく旅装姿の男性が二人いた。
「ここで大丈夫ですので、どうぞお帰りください」
ティアはにっこりと微笑み、もう何度目かのセリフを口にする。
「いえ、きちんとお迎えの方にお引き渡すようにとシーリー様から申し付けられておりますので」
折り目正しく答える。
彼らのおかげで、なんの冒険もなくあっさりとウィンクルム家をでてきたのだが、ぞろぞろと待ち合わせの場所まで行くわけにはいかない。シーリーはどこまで過保護なのだろうと思った。
そんな彼も今朝、領地へ向けて立っていった。
雑踏の中一人の男が現れる。
「迎えだ。お引き取り願おうか」
ほんの数日離れていただけなのにティアは懐かしい声を聴いたような気がした。漆黒の髪を持ち、黒いマントを身にまとう背の高い男性。
彼がすぐそばにいることはわかっていた。聖都カエルムで半分に分けた水晶のように煌めくお守りが互いの居場所と安否を知らせる。ティアは首から下げたそれをそっと握りしめた。その気になればいつでも会える。彼に手を振り微笑んだ。
宿屋の食堂は、酔っ払いや旅人たちで込み合っていた。薄暗い店の中、カウンターに何とか二人分の席をとった。ティアはイザークの左隣に座った。
「少し会わない間に随分偉くなったようだな。護衛を引き連れて歩くとは」
呆れたような口調。さすがに鈍いティアでもこれは皮肉だとわかる。
「う~ん。脱走失敗しちゃったんです」
ティアがもじもじしながら面目なさそうに言う。
「お前の兄上殿が味方じゃなければ、どうするつもりだったんだ?だから迎えに行くといったんだ」
「もちろん力押しで」とは言えなかった。ティアは、もう学習した。イザークが彼女を「お前」呼ばわりするときは呆れているときか、イラついている時だ。今はおそらく後者だ。
「あっ!そうそう、兄からお手紙を預かってきました」
ティアは、慌てて話題をそらす。もぞもぞと袋から封書を取り出す。封蝋には剣に盾、ユリをあしらったウィンクルム家の印璽が入っていた。
イザークは丁寧に開封するとその場で読み始めた。ティアは何が書いているのか気になってしょうがなかったのでちらっとのぞいた。「行儀が悪い」とイザークに軽くおでこをはじかれた。
読み終えると彼の手の中で手紙は燃え上がることなく、あっという間に灰になった。いつもながら見事な火魔法の制御だ。
「概ね、了承した。最後の願いは時期尚早だ」
イザークがつぶやくと彼の右隣に座っていた男が「御意」と言って、すっと立ち上がった。
「!」
ティアは目を見張った。兄の密偵が客を装いそばに潜んでいたとは気づかなかった。男はあっという間に店から消えた。常に周りを警戒する。彼はそんな生活を普段から送っていて疲れないのかなとティアは思った。
イザークはシーリーがやっていたように、軽く指を立て風魔法を発動させた。これで声を張らない限り、内緒話程度なら話し声が他の人間に届くことはない。
さっそく気になることを質問した。
「手紙には何と?兄とはもともと知り合いなんですか?」
ティアはイザークの正体をはっきりとは知らないのに、兄は知っているようだ。とても不躾な質問だとわかっていたが、気になってしょうがない。
「大人の事情だ。君は知らなくていい」
清々しいくらいバッサリと切り捨てられた。ティアは何も教えてもらえないことが不服だったが、また彼が「君」と言ってくれたことで機嫌をよくした。認められているような気がするのだ。
イザークが店員を呼び、勝手に注文をとる。
「紅茶と、彼女にはホットミルクを」
やはり、子供扱いされているようだ。しかし、それが彼女の好物であるのも事実だし、今ちょうど飲みたかった。ティアはハチミツや砂糖を入れて甘くして飲むのが好きだ。ホットミルクが来るとちびちびと飲みながら、ぽつりぽつりとイザークに実家での出来事を話した。
父が渡さなかったアミュレットの話も。口を挟むことなく、先を促すことなく、そして同情することもなく、ただ聞いてくれた。
彼の秀麗な顔にはたいてい表情がなく、ぶっきらぼうなところがあるのに、そばいると妙に気持ちが落ち着いて、不思議と心を開いてしまう。
ティアはやはりシーリーが心配で、手紙の件をもう一度切り出してみた。
「兄の手紙の最後の願いって何ですか?」
恐る恐る聞いてみる。イザークの瞳に一瞬だけ複雑な光が浮かんだ。
「彼が家督を継ぎ次第、ウィンクルム家に君を返してくれと言ってきた」
落ちついた静かな声音。意外とあっさり教えてくれた。
「それについて、何か言われなかったか?」
重ねて聞かれる。
「何かって?ああ、そういえば」
ティアは思いあたって、はたと手を打った。彼女は呪いを解くことで頭がいっぱいだったので、すっかり忘れていた。
「自分にも責任があるから、悪いようにはしないと言っていました。多分、兄は私の為に持参金をたくさん積んで、旦那様を募集するつもりなのでしょう。もう貴族はこりごりなのに」
ティアは困ったようにため息をつき、眉尻を下げた。
「シーリーとは血を分けた兄妹ではないのだろ」
「はい?いとこだから血のつながりはありますよ」
ティアは首をかしげる。
「彼が責任を取るということか……」
イザークは考え込むように、続く言葉を飲み込んだ。
彼女の家の事情は把握していた。ウインクルムの銀髪とアメジスト色の瞳の組み合わせは直系でなければ、発現しない。他家から嫁いだエカテリーナからは生まれない形質だ。おそらくティアは父エドガーとそのいとこにあたる女性との間にできた子供だ。
それもティアが実家で忌み子扱いされた原因の一つとなったのだろう。そうやって、ウィンクルム家は血の濃さを調整し、血統を守ってきた。知っていたとしても、部外者が口にすべきことではい。
しかし、おそらくシーリーにその意図はない。彼はただ彼女を……。
当然、母親からは兄妹ともに疎まれたであろう。血を分けた自分の子供達ではないのだから。その上、二人はよく似た色合いで見目麗しく優秀だ。
家の中で孤立する二人が、心を通わせたことは容易に想像がつく。
「私の母は正妻ではなかったので、子供のころ一番気を許せたのは兄なんです」
ティアのさりげない口調に、イザークは思いがけなく沸騰してくる感情を、心の奥底に沈めた。
「無理に話すことはない。……味方がいたんだな」
声が掠れた。慰めになるような言葉はなく、彼は一度目を閉じると、静かに言葉をついだ。
「さっき、彼を知っているのかと聞いていたな。
一つ言えるのは、シーリーは君が断罪されたと知ったとき、必死で無実の証拠を探していた」
*****
エドガーは前々から、シーリーの両親に彼を養子に出してくれと打診していた。ウィンクルム家特有の艶やかな銀髪に優れた容姿、強い魔力に優秀な頭脳をもった親戚の子供。
エカテリーナから生まれてくる子供には何の期待もできない。彼の両親が事故で急死すると嬉々として引き取った。
*****
ティアは、シーリーが王都にあるウィンクルムの屋敷に来た日を思い出す。
両親を事故で失った彼は、花々の香り立つ初夏の庭で、ひとり膝を抱えて悲しみと孤独に耐えていた。さらさらと柔らかな風に揺れる自分と同じ銀糸の髪。今日から兄になる少年。
ーーーそのとき私はなんて声をかけたのだろう。大き過ぎる悲しみに、少しでも寄り添えたのだろうか。
あの頃、孤独な二人の距離は近かったような気がする。
でも、気が付いたら、いつの頃からか、大きな溝が開いていた。
二度と歩み寄ることはないと思っていたのに。
ティアは星降る夜、王都の片隅で兄の無事を祈った。




