ご令嬢、いよいよ脱走です!
屋敷が寝静まった頃を見計らってティアは、脱走の準備を始めた。
やはりここは手順が少なくシンプルが一番なので、ドレスのまま逃亡することにした。
ティアは、まず彼女の部屋の前に立って寝ずの番をしている従僕に、眠り草のエキスを混ぜたお茶をふるまった。魔法を使った方が早いのだが、彼はきちんと護符を身に着けていた。すっかり気持ちよさそうに眠っている従僕に「ごめんなさい」と手を合わせる。
そこから先は、玄関で大きな音を立てて反対側へ逃げ、1階のサロンのテラスから抜け出すという計画だ。
ティアは、玄関フロアから少し離れた物陰から風魔法を放った。狙ったのはお飾りの大きな壺だ。
父エドガーが一番のお気に入りなのでティアはノリノリで魔法を発動させた。つい力が入ってしまったせいか陶器のツボは景気の良い音をさせて砕け散った。ティアは脱兎のごとく逃げる。あっという間に使用人や私設兵が集まってきた。
彼女はカエルムで鍛えたせいか令嬢のわりに足が速く、結界を張っているので、間違って使用人とすれ違ってもティアと認識するものはいないだろう。
彼女は音をたてないようにサロンへ駆け込んだ。堂々とわきに抱えてきたマントを羽織るとテラスへ続くガラス戸を開けた。そう、堂々としていれば多少おかしなことをしてもバレないものだ。
さあ、逃げだそうとした瞬間。首根っこを掴まれた。
「ひゃい!?」
「ティアラ!」
恐る恐る振り返ると、どう見ても激怒しているシーリーだった。早く首根っこを放してほしい。ティアはジタバタした。
そうこうしているうちに使用達の誰何とこちらにかけてくる物々しい音がする。シーリーは手早くティアのマントを脱がし、ソファーに座らせ、サロンに明かりをともすとお茶の用意をし始めた。
しばらくして、サロンにやってきた使用人に何食わぬ顔で対応した。ティアはその様子をどぎまぎしながら見ていた。いざとなったら強行突破をしようと考えていたが、シーリーに見つかってはそれも無理のようだ。というかシーリーの鉄面皮ぶりに驚いた。
ティアが実家にいたころは、もう少し人間味があったような気がした。
二人はお茶を挟んで相対した。
「この屋敷から逃げるのは止めない。だが、今夜はやめてくれ」
「へ?」
シーリーはティアが逃げ出しても構わないようだ。第二王子に差し出さなくてもいいのだろうか?
もちろん、差し出されたとしてもティア全力で逃げる気満々だ。
「いいのですか?でも、今日騒ぎを起こしてしまったから、明日は抜け出しにくいです」
ティアがちょっと困ったように言う。
「それは大丈夫だ。私にも父上とは別に子飼いの使用人や影もいる。お前のことは彼らに頼もう」
そういうと彼は懐からアミュレットを取り出した。手の平にすっぽり収まるサイズの白い石だった。
「これを身に着けて」
ティアの手に握らせた。
「アミュレット…ですよね?」
「ああ、お前が王宮に上がるとき身に着けるはずのものだった。昨夜、父上から取り返した」
ティアは兄の言葉に胸が熱くなった。
「だから、今日お前に逃亡されるのはまずい」
合点がいった。父エドガーにシーリーが手引きしたように見えてしまうからだ。
ティアは頷いた。
「だから、私が明日、領地へ立った後で。いいな」
そういうと彼はお茶を一口飲んだ。
「この国へ、入った目的は?」
この質問にティアは言いよどんだ。シーリーをどこまで信用していいのか分からない。
しかし、ごまかしの利く相手ではない。ティアは腹をくくった。
「呪いを解くためです」
「呪い?魅了のことか?それならもう……」
「それだけではなく。もっと質の悪いものをかけられてしまいました」
時間もないので、今までの経緯をかいつまんで話した。兄に呪いをどこでかけられたのかと聞かれたが、ティアにはその記憶がないので答えられなかった。
シーリーはそれほど強い呪いをかけるのならば、大掛かりな儀式やいけにえが必要なはずだから、かけられた本人が覚えていないのは腑に落ちないと言った。そういわれても覚えていないので、ティアには答えようがなかった。ティアにわかっているのは、王宮にヒントがあるという事だけだった。
今回の二人だけのお茶会は、用件だけ話して短時間で終了した。
いつも通り部屋へ連行…ではなく送ってもらった。
別れ際、ティアはシーリーを引き留めた。
「お兄様これからどうするつもりです?」
「どうするつもりも何も家督を簒奪する予定だ」
というとシーリーは静かに微笑んだ。彼は本気だ。ティアはアミュレットを父から、取り返したことでシーリーの立場が微妙になったのではないかと心が痛んだ。
「ティア、その暁には、家に帰ってくるといい」
シーリーは力強く言った。気持ちは嬉しいが、ティアは逡巡した。あまり居心地の良い家ではなかった。それにもう貴族である必要はない。
「心配ない。きっちり掃除はしておく」
シーリーはティアに誓うようにいった。
(お兄様、お掃除って何をどこまでですか?)
怖いので聞くのはやめにしておいた。
「お兄様、私が帰ってきても、ただの厄介者ですよ?嫁にはだせないですしね」
にっこりと笑いながらティアが言った。彼女はもうウィンクルム家にとって良い駒ではない。
「そのことに関しては私にも責任がある。悪いようにはしない」
シーリーがしっかりとティアの目を見つめて言う。持参金をたくさん積んで結婚相手を募るだろうか?
ティアは首を傾げた。
その時、シーリーが部屋の奥に目を止め固まった。
「お兄様、どうかされました?」
ティアがちょこんと首をかしげる。
「ティアラ、お前の部屋で毛布をかぶって転がっているものは何?」
ティアはお茶で眠らせた従僕を部屋に寝かせていた。ついでに風邪をひくと困るので毛布を掛けておいた。
「この方は、逃げるのに邪魔だったので眠らせました」
「そういうことを聞いているんじゃない。なぜお前の部屋にいる?」
シーリーが若干イラっとしているようだ。
「えっと、お仕事ご苦労様と眠り薬の入ったお茶を進めました。あの、私が悪いので罰とか与えないでくださいね?」
ティアが慌てて使用人を擁護する。
「ティアラ、それはおかしい。どうしてこの男は、お茶に誘われたからといって、お前の部屋にのこのこ入る?」
言い終わらないうちにシーリーは使用人を部屋の外にたたき出していた。




