晩餐へのお誘い
侯爵家の跡取りであるシーリーは、2階の廊下の窓から馬車の到着を待っていた。その馬車から、ティアと一緒に出てきた人物に驚いた。しかも彼はティアに最敬礼をした。いったい、あのお方はどういうつもりなのだろう?
誰も出迎えないウィンクルム家の者が、見守っていることを意識してか?
それともティアラに……?
いずれにしろ彼女を丁重に扱わなければならいということだ。
ティアが堂々と邸に入ってくる。どうやら、貴族としての矜持を取り戻したようだ。
ティアが邸に入ると使用人が二人ほどいた。二人とも見知ったものではない。当然家族は誰も出迎えない。今に始まったことではないが、実家がとてもよそよそしい。客間に案内された。どうやらティアの自室はもうないらしい。
あまりおなかは空いていなかったが、簡単な食事を運んでもらった。ティアはサンドイッチを少しとお茶を口にした。これからのことを考えると少しでも体力をつけておきたい。
早くひとりになりたいのだが、侍女がいる。ゆっくりと湯あみをしたいのだが、侍女が手伝うと言う。すっかり一人でやることに慣れていたので気恥ずかしかった。アミュレットはこっそり隠しておいた。「もう、休みます」というと、やっと出て行った。
父である侯爵の命で、見張りをするように言われているのだろう。屋敷内にいると視線を感じる。警備も一年前より念入りになったようだ。さすがやり手ごり押しのウィクルム侯爵。相変わらず、政敵も多いようだ。
ティアラはベッドに突っ伏した。ふかふかで気持ちよい。枕を抱えて、ちょっとゴロゴロと転がってみた。意外と楽しくてその動きが止まらなくなる。こんな広いベッドは久しぶりである。なぜここにいるときは中央にちょこんと寝るだけで楽しまなかったのだろう。
こんなところ侍女に見られたら大変だが、すっかり、自由な生活が身についてしまったティアラは最高級の寝心地のベッドを堪能した。伸びをして、馬車に長時間揺られて強張った体を解すとやっとホッとした。
……ああ~かたっくるしくて、やってられない。ベッドは快適だけれど、貴族籍はもうイリマセンヨ?
幸いこの一年で、精霊魔法やアミュレット、ポーション作りなどティアは自身の魔導知識を増やすことで、手に職をつけた。追われてさえいなければ。誰の手も煩わせずにひっそりと一人静かに、生きることができる。そうだ、これが終わったら、手づくりのアミュレットを売ってどこかで静かに暮らそう。
気が張っていたせいか、眠気がすぐに訪れた。ティアはメアリーから贈られた手のひらサイズのウサギのぬいぐるみを握って眠りについた。
*****
次の日、朝も昼も家族と顔を合わせることはなく、部屋で静かに一人食事をとった。相変わらず侍女に張り付かれていて、邸の中でさえ自由に行動できない。図書室くらい行きたいのだけれど。
「なにか欲しい本があればおっしゃってください、私がとって参ります」
「いえ、結構よ」
どうやら、勝手に邸をうろついて人目については困るらしい。ティアが戻っていることは王宮でも一部の者しか知らない。
ティアは父がよくこのような危ない橋を渡ったものだと思う。王宮内はティアがいた頃よりも、だいぶ分裂を深めているようだ。
本来なら、父や兄に挨拶に行く頃だが、今のところ部屋で足止めを食っている。そろそろこれは幽閉ではないか?と考えだした頃、兄のシーリーが部屋へ訪れた。
ティアは暇に飽かせて久しぶりに刺繍をしていた。
「ティアラ、今夜は家族で夕食をとろう」
ティアは、(私は、またこの家の家族に復帰したのですか?)という問いを飲み込んだ。
「それから、マチルドが来ている。今日の晩餐に参加する」
「マチルドお姉様は、アボット家に嫁いだのではないのですか?」
ティアは侯爵令嬢モードで仮面を被っているので、辛うじて無表情を保った。マチルドはティアの天敵だ。彼女はすぐに感情のままに喚くので何が何だかわからない。理屈がなく、常に不条理だ。
さらに言えば、兄のシーリーも苦手だ。ティアとは色彩も面差しも似ているが、無表情で腹の底では何を考えているのか見当もつかない。それに家にいた頃、時々ティアに内政や政治問題について議論を吹っかけてくることがあった。
カルディアでは普通、殿方はレディにそのような事はしない。まるで試されているようでいるで嫌だったし、よく困惑させられた。ちょっと面倒くさいところがある。
シーリーはティアが魔導学院へ行くことを唯一後押ししてくれた。彼がいなければ入学はかなわなかっただろう。学院に入るにあたってアドバイスをくれたこともある。しかし、彼は基本損得で動く。能力のない者、失敗した者は躊躇なく切り捨てる。やはり苦手だ。
今回ティアを家に受け入れたのは、父の意向か兄の意向かはわからない。
私を受け入れることに、この家にどのようなメリットがあるのだろう?そう考えずにはいられない。あっという間にティアは貴族的な思考を取り戻した。
メアリーを巻き込まなくてよかった。
兄の声に思索から覚める。
「マチルドは母上が呼んだ。とんだ情報漏洩だな。粗相のないように。お前が、今までどのような生活を送って来たのか知らないが、貴族令嬢らしく振舞うんだな」
その言葉に、何かここに着いてから下品な真似をしただろうかと慌てそうになったが、これが貴族的な言い回し、皮肉だと気が付いた。
危うく額面通りに受け取って、あたふたしてしまうところだった。随分と貴族令嬢の仮面も脆くなったなったようだ。
「はい、重々承知致しております」
取り澄ましてティアが返事した。しかし、すぐに出て行くと思った兄が、部屋にまだいる。何の用だろう、まだ言いたいことがあるのだろうかと訝しんだ。
この兄は冷たいが、取り立てて人をいびったり、非難するタイプではない。そういうことを時間の無駄と考えている。
「ときにティアラ、今の王宮の状況は知っているのか?」
なんだろう?何かのテストだろうか?一年ぶりに会ってそうそう何か議論を吹っかけられるのだろうか。
「いいえ、存じません。私、外国にいましたのよ」
その言葉に頷くと兄は出て行った。
まったく……
やっと行ったと気が緩み、ティアは枕を抱いて布団に突っ伏しようとしたところでハタと気が付いた。
部屋には、まだ侍女がいた。ティアは大きな枕を抱いたまま固まってしまった。




