嘆きの尖塔
ヨークス王国とカルディア王国の国境にある長閑な村には三ヶ月ほど前から嘆きの尖塔と恐怖される修道院がある。
メラニア女子修道院は村の小高い丘に立っていて修道院長のヒルデガルドはペトラルカ村で大変人望があった。
しかし、三ヶ月ほど前から風の強い夜や嵐の夜に尖塔から陰惨たる泣き声が風下の村に漏れ聞こえるようになった。
その気味の悪い嘆きは修道院に良くない噂をもたらした。村では修道院の中で折檻が行なわれている、どこかの貴族が幽閉されている、または修道女の不信心から呪われているだのと口さがないものたちが噂し始めた。
修道院の出入りの業者や村人が何事かと聞いても修道女も院長のヒルデガルドも事情を知っていそうな村長さえも微妙な表情をするばかり。全く情報を得られない。
かくして、しびれをきらした信心深い信者が集まり、昼夜を問わず祈りがささげられた。
麗らかな日差しのなか修道院内の質素な院長室では紅茶を飲みながら、二人の修道女が額を合わせている。
「ヒルデガルド様、まったく、アレにもこまったものですねえ」
「これシスター マイアーナ、アレなどといってはいけません」
慈悲深いと評判のヒルデガルドは副院長をたしなめた。
しかし、「アレ」の本名は秘匿しなければならない。
だから結局あれは「アレ」、実際はヒルデガルドにとっても彼女は頭痛の種であった。
助成金を餌にあるやんごとなき身分の方から押し付けれられてしまったどこぞのご令嬢。
最初、連れてこられたときは人目を避け身分を隠すため襤褸をきていて、まるで魂が抜けたように目はうつろで口を閉ざしていた。これなら手がかからないとほっとしつつも同情したものだ。しかしそれもつかの間。
嘆きが始まった。
華奢なご令嬢に毎晩泣き伏す体力があるとは思ってもみなかった。
しかもこちらは客人として迎えようと思ったのにも関わらず、初日に彼女はいきなり尖塔に駆け上って小部屋に閉じこもってしまった。
それ以降世話係のメアリーが運ぶ食事をわずかに口にするのみ、さるご令嬢の祈り嘆き泣く日々が始まった。
わめき始めないだけでもマシかも、と最近は考えるようにしているヒルデガルドであった。
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三ヶ月まえにさるご令嬢の世話係に任命されたメアリーは今日何度目かのため息をついた。
石造りの尖塔へ続くらせん階段は壁際にそっている。灯りとりの窓からわずかに差す日の光、昼でもなお薄暗く、階段を上る彼女の足音が響く。
夜はなお不気味な場所だ。しかもかなり古いのでかび臭い。なぜこのような場所に娘一人で閉じこもることが出来るのか彼女は理解に苦しむ。
普通に怖い。
目下の悩みはあの嘆き姫をどうやって小部屋から引きずり出すかである。「嘆き姫」とは修道女たちがつけた娘のあだ名である。
朝の祈りを終えて朝食をとりに食堂へ行くと院長のヒルデガルドがきた。
「メアリー、あの例のご令嬢の身繕いをしてもらえないかしら」
「はい?」
「つまり、湯あみでもさせてやってほしいの。ずっと閉じこもりぱなしでしょ」
メアリーは驚愕した。彼女の名を知らず、さらに顔も知らない。
薄汚れてもつれた銀糸の髪にいつも顔は隠れ、うつむいている。
枝のようにやせ細ってしまった手足。発作のように突然始まる鬼気迫る嘆き。無害だとは思っているが、はっきりいって怖い。
そして三ヶ月閉じこもりっぱなしの彼女はおそらくとても汚れている。呼びかけに答える声は常に弱々しい。ぼろきれになってしまったあの娘を部屋から引っ張り出すことは果たして可能なのだろうか。
「それなら大丈夫よ。大事な方の使者がくると伝えてあげて。喜んで部屋から飛び出してくるわよ」
「はあ?」
メアリーはヒルデガルドの言葉に半信半疑だった。
しかし部屋に入って使者が来ることを伝えると彼女は顔を上げた。
その顔は白く青ざめて目は涙ではらしていたが、それでもなお美しかった。
彼女の光を取り戻した紫の色の瞳は美しかった。
やせこけたからだを引きずるように部屋からでてきてメアリーに丁寧にこれまでの礼をのべた。
世話をしてくれてありがとうと。
その所作は優雅で貴族のご令嬢にしか見えない。いったい彼女は何者か。
「あのお名前をうかがっても?」
メアリーが聞いてみると彼女は一瞬言葉に詰まったあと
「・・・ティアと、ただのティアとお呼びください」
と答えた。
「ただのティア」って何?とメアリーは思ったがそのことは口に出さなかった。
それよりも彼女の階段を降りる足取りの危なっかしいこと。栄養失調でふらついているのにまるで浮かれているようだ。
嘆き女、解せぬ。
メアリーは心配になり、彼女に手を貸そうとした。
そのとき、彼女がみごとに足を踏み外した。
「いやーー!ティア様ーーー!」
メアリーの叫びもむなしくティア様なるご令嬢はらせん階段を転げ落ちていった。




