第3話 死が二人を分かつまで
「ごめん。」
それしか言えない機械となってでも、彼女の許しを得たい。
「だから、もういいってば。」
「ごめん。」
肩を掴まれ、揺らされる。視界が天を向き、月が綺麗だな、なんて思ったり。
「も、う、い、い、って、言ってるでしょ!」
スタッカートを効かせた彼女の言葉が心に沁みる。
いい加減、いつもの様に振る舞おう。なんと言っても、ここは戦場なのだから。
「ぎゅー。」
声に出す。60歳のおじさんが、こんな声を出しながら抱きついて来たら、どうだろう。
少なくとも吐き気を催す事は確定だろう。
「ようやく調子が戻ってきたのね。はい、ぎゅー。」
だというのに、まるで母親の様に、俺の調子に合わせてくれる。
「バブみって、こういうことか。」
「はいはい、哲学用語禁止。難しいことは後回し。」
いや、一昔前の流行り言葉なのだが。
彼女の身体に閉じ込められてから、数日が経った。
解放されたのは、ここだ。見渡す限り、目の前の木と、俺が腰掛けている岩以外何も無い草原。
つまり、戦場のど真ん中に来てからだ。
「美少女の身体に閉じ込められるって、よく考えたらご褒美じゃない?」
「おかえり。クズ男完全復活だね!」
「どういう意味だよ!誰だって美少女の中に入りたいだろ!」
彼女は、出会った日の様に、嘔吐するふりをした。
「ところで、これからどうする?ここ、戦場だぜ?間違い無く死ぬだろ?」
かつて毎夜笑い合ったように、軽い口調で話せる幸せ。
「うん。レイト様はここから北東の激戦区に居るみたいだし、私たちもそこを目指しましょう。」
俺が言わんとしている意図は全く伝わらず、爽やかに自殺宣言をするカレン。
「いや、俺は“いのちをだいじに”って言ってるんだよ。」
「命あってのものだね?」
「そう、命あっての物種。」
「え?命あっての、ものだね?それとも命あってのもの、だね?」
「どっちでもいいわ!」
久しぶりに話して、二人ともまるで酔っ払いのように盛り上がる。
「あはは!本当にクズ男だー!」
彼女は、俺の腕に絡みつき、年相応の少女の様に振る舞った。
俺が自殺を考える程反省していた間、彼女も彼女なりに思う所があったのだろう。
「いや、そうじゃなくて、とりあえず生きて帰ろうって話だよ!」
「はは、ごめん。確かに、せっかく生きてるんだから幸せにならなきゃね。幸福追求拳だっけ?」
「お、よく覚えているな。憲法の話。」
「でも、クズ男は使えないんでしょ?その拳法。」
珍妙な構えから、拳を繰り出すジェスチャー。
「ああ、同音異義語・・・。」
結局その日は一睡もせず、無駄な雑談を積み重ねた。
俺達は、ずっとこうしたかったんだ。溜まっていたのだろう、いろいろと。
人間とは何と愚かな生き物なのだろう。
「今日からは”笑う門には福来たる”にしよう。」
呟く。
気づいていたんだ、彼女からたくさん学んだ事を。成長した事を。
「はい、リンゴの飴あげる。あと三個しかないから噛むの禁止ね。」
ただ、その量が多すぎて、オーバードーズしただけ。
「カレンも、同じなんだろ?」
「うん、そうだよ。で、何の話?」
「ずっと一人だったから、違う価値観を受け入れられなかったんだろ?」
「・・・うん。」
口の中に広がる甘酸っぱさ。恋とは、こんな味なのだろうか。
夜明けが近い。俺たちは、太陽がアラームとなってくれる事を期待し、地面に寝転んだ。
「俺、逃げてたよ。実体化しなかったのは、本当は醜い自分を忘れたかったからだ。」
三日月が綺麗な夜。その光に照らされた俺も、きっと醜いのだろう。
「知ってる。だって、正体隠してるのに、全然上手く立ち回れてないもん。」
その通りだ。言い返せない。
「言い訳ばっかりの人生、嫌になるよ。」
「そう?そのおかげで、私と仲良しなのかも。」
「どういうことだよ?」
「その欠点を支えられるって自信が、私にはあるから。」
カレンが俺の手を取る。自然と、見つめて合ってしまう。
月よりよっぽど美しい、彼女の太陽のような瞳から、一ミリも視線を反らせなくなる。
風が吹く。オレンジの束が、美しい花のように揺れる
いつまで、俺たちは見つめ合っているのだろう。
年甲斐も無く、本当に好き合っていると勘違いしてしまいそうになる。
理性が崩壊する。彼女の肩を利き手で抱き寄せ、唇に吸い寄せられる。
「あ・・・、まって。」
彼女の左手が、俺の胸を優しく押す。
「ごめん。」
興が醒めた。いや、犯罪者にならずに済んだ。危うく合意なき接吻をするところだった。
勘違いは良くない。こんな老人が、こんなに良い娘に好かれるわけがない。
「待って、泣かないでっ。」
頬を伝う液体は、いつだって思うように隠れてくれない。
「別に泣いてなんか、んむ!」
頭を思い切り引き寄せられる。当然、唇を塞がれる。
「んむむ!むむむ!」
苦しい。嬉しいんだけど、本当に苦しい。
いや、力ずくで離れればいいのだけど、プライドがそれを許さない。
彼女に恥をかかせるくらいなら死んだ方がましだ、などといつものように病的な自尊心に行動を制限されていると、あっという間に意識が遠のいていった。
「やっと起きたか、二人とも。ほら、朝だぞ。」
目を開けると、眩しい光に・・・レイト様か。え、レイト様?
「レイト様の・・・声?なんで?」
寝起きのかすれた声でカレンが呟く。
何かおかしい。普段凜々しいはずの彼女が、なぜかモジモジしている。
「えーとな、うう、こういう時”昨晩はお楽しみでしたね”とでも言えばいいのか?」
カレンの方に視線を落とす。お、まつげ長いな。しかも、驚くべき事に、俺の右手が彼女の服の中に入っている。幸いにも背中側だが。
「あー、ファーストキス、良かったぞ。」
言うに事欠いて、とんでもないことを口走った気がする。
カレンは無表情になり、粛々と立ち上がる。
「レイト様、違うんです。説明します。」
「お、おう。」
ひとしきり騒動が収まると、レイト軍の陣に案内してもらった。
「何から何までありがとうございます。」
優しい彼女の事だから、しばらく俺たちをかくまって、戦が沈静化したら町に帰してくれるのだろう。
「ああ。ところであなたは誰なんだ?」
口があんぐりと空いた。そうだった、俺は彼女と初対面なのだ。
「クズ男って言いまして、カレンとは真剣にお付き合いしています。」
「その歳で?いや、偏見は良くないな、すまん。」
この時代の人間にしては、あまりにも柔軟な価値観を持つ彼女に尊敬を禁じ得ない。
現代でも年の差の恋愛は白い目で見られるというのに。
「ここから南にしばらく歩くと、イズミという町がある。戦が激化する前にそこへ避難した方が良い。」
陣で剣と食料を貰うと、俺たちはレイト様の助言通り、イズミ町を目指した。
「足、疲れた。実体化やめよっと。」
「あぁん?」
「冗談だよ。」
道はそれほど険しくなく、軽口をたたける位には余裕がある。右手には林、左手の遙か遠くには大きな山がある。
「まさか、人生初の冒険が避難とはな。」
「うん。でも楽しいね。」
それには同意せざるを得ない。
長い道を踏破すると、ようやく町らしき建物群が見えてきた。
「クズ男、着いたらさっそく酒場に行こう。」
「ああ、飲まなきゃやってられない。」
だが、その計画は虚しくも潰える。
町からは聞こえるのは活気のある市場の声ではない。悲鳴だ。
「帝国の奴ら・・・こんな町まで襲って!」
「やってくれたな・・・糞が。」
彼女が心配そうに俺を見つめる。
「あのさ・・・、また喧嘩になるの嫌だけど、私!」
不安げな彼女は、とても可愛らしく肩を丸めていた。
「心配すんな!俺たちの手で救える命なら、救わないなんて選択をする気は無いぜ!」
彼女の下まぶたが上がり、露骨に嬉しそうな顔をする。
「そうだよね!よし、背中は任せた!」
俺たちは町まで走り出した。
町の入り口に着くと、血だらけの門番が状況を説明してくれた。
「モンスターサモナーです。あいつは一人で皆殺しにする気です!」
名前から察するに、モンスターを召喚する魔術の使い手か。
直観だが、個別のモンスターを相手にせず、術者を倒せば全て解決する気がする。
「わかった、術者はどこに?」
「回復の泉の方に向かいました。まっすぐ奥です!」
門をくぐると、さっそくオオカミのモンスターが飛びついてきた。
「うわ!」
驚いた俺は実体化を解き、回避する。運良く背後をとった。
この機を逃すわけが無い。再び実体化し、炎の下級魔術を発動する。
「燃え尽きろ!バーニングウィップ!」
炎が鞭のようにしなると、モンスターの腹に絡みつき、きつく締め上げる。
まだ生きているが、トドメを刺している暇は無い。先を急ごう。
「クズ男!急ぎましょう!」
血の臭いが町中に充満している。ふと視界に倒れた人間が映った。うめき声をあげのそのそと動く様は、まるでゾンビのようだ。
「これだから戦争は嫌なんだ!」
しばらく進むと、その先に黒い服を着た人間が立っていた。
「あれ!術者じゃない?」
「貴様らは・・・しょうがない、奥の手だ!アルティメットサモン!」
黒いローブに包まれた男の周りに巨大な魔法陣が敷かれてく。
俺たちが知っている魔術の何倍も早くそれは完成し、巨大なイノシシが形成された。
グォォォォォ、というケモノの叫び。
音圧により本能的に恐怖を感じ、背中が浮遊した感覚に襲われる。
だが、迷わない。俺には一つの答えしか無いのだから。
「カレン、がんばって逃げ回ってくれ!面白いモノを見せてやるから!」
実体化を解き、彼女の中へ隠れる。
「ファイヤーカノン!」
この町の警察らしき人物が、魔術をイノシシへ放つ。
だが、強力な魔術耐性から、それをものともせず突進し、ついに魔術師は餌食となった。
「こんなの、どうやって時間を稼げば!」
「隠れろ!」
俺の声に素早く反応し、カレンは壊れた家の壁を遮蔽物として利用した。
「無駄だ!どんなに逃げ回ろうが時間の問題だ!」
とか言いつつ、しばらく奴は見つけられないでいた。
「無駄なんだよ!」
しびれを切らした奴は、イノシシに手当たり次第破壊活動をさせる。
「それは、どうかな。」
動きが止まる。ローブの中の瞳には恐怖が映っていた。
「誰だ!」
「お前を倒す者だ・・・なーんて、一度言ってみたかったんだよね!」
準備が完了した俺は、セリフと共に実体化をした。
瞬間、辺りに展開される光輝く図形。
ただでさえ大きな上級魔法の魔法陣。その10倍はある巨大なそれは、さながらミステリーサークルのようだった。
「何だ・・・何だこれはぁ!!」
「良いリアクションをありがとう。やられ役は君のようでなくてはな。」
「あの技を・・・上級魔法で!」
カレンは俺の考えを完全に理解しているようだ。
文字通り斜に構えた俺は、右手で指を鳴らし、右のまぶたでウインク。
「では、さようなら。」
巨大な魔法陣は、その輝きを増し、町全体が暗くなったように見える。
「リスキー・・・・キャストォォォォ!!!」
その瞬間、辺り一帯は色を失ったかのように、時が止まったかのように、その爆炎に等しく包み込まれた。
正直町中で使うのはリスキーだったかな、と後に反省したのは内緒である。
町を救った英雄になって一番良かった事はなんだろう。
「酒場がタダになったことじゃない?」
「俺は逆に申し訳無くて行きづらいんだけど。」
「ふーん。そんなに気を遣ってるのに、よくハゲないね。」
この町はイズミ町というだけあって、泉がある。
なんでも、入るとアンチエイジング効果があるとか。
「ええ、ありますよ。回復の泉のことでしょ?」
「そうなのか?」
昼間から飲んでいる若者たちは、親切にべらべらと情報を提供してくれた。
「でも、おじさんは辞めといた方がいいよ。なんでも、神を天使に、天使を精霊に、精霊を人間に、人間を猿に格下げするんだとか。」
「猿に成った奴、いるの?」
「いないよ。でも、おじさんは普通の人間になっちゃうかもね。」
そんな話を知ってか知らずか、カレンは脳天気。
「いいんじゃない。ダメ元で入ってみたら?」
「わかった、でも何かあったときの為に立ち会ってくれよ。」
彼女は浮かない顔をした。
「・・・ええ、もちろん。」
カレンがいる以上、もはや自分の醜さなどどうでも良い。回復の泉など何の興味も無い。
じゃあ何の為に泉に入るか。決まっている。サプライズだ。
内緒で向かった先は宝石店。
散々店長に相談した結果、謝礼金の全てをつぎ込み、高級ペアリングを購入した。
そして、意を決して泉へカレンを呼び出す。
「これが最後になるのかな?契約が切れるの?」
後ろに手を組み、明らかに不安そうなカレン。
「実は、プレゼントがあるんだ。」
「え・・・本当?」
「ああ、良い思い出があれば、別れの悲しみと相殺されるだろ?」
彼女は今にも泣き出しそうに、目を潤ませた。
うーん、可愛い。これが共感性の欠如というやつか。本来なら「可愛そう」という感情を抱くべきだ。
さて、プロポーズだ!俺は彼女の前で跪く。
そしてジャケットの内ポケットに手を入れた。
「スキあり!てやっ!」
緑色に光った彼女の足から繰り出されるローキックは、勢い良く腰にヒット。
俺は泉へと突き落とされた。
まずい、本当に契約が切れてしまう。行かないでくれ!
「カレン!俺はお前が!」
言葉を続ける前に、彼女が泉に飛び込んだしぶきで、口が水で塞がれる。
「ふふ、私を騙そうなんて、なめられたものよ!」
彼女が不敵に微笑む。
「どういうことだよ。」
「ここ、ただの温泉。わかる?」
ああ、そうか。町中のみんなが彼女に協力してたのか。つまり、騙されたのは俺だ。
「それで、プレゼントって?」
にやにやするなよ。腹が立つ。
「俺は死ぬほど嫌いなんだけどな。そういうの。」
「知ってる。」
ようやく懐から右手を出し、その小箱の中身を取り出す。
水に濡れているというのに、身体が熱い。きっと温泉だからだ。
「準備はいい?」
「いつでも。」
水に濡れた彼女の手は、やはり美しい。
それに見合うモノであるか心配だけれど、独占欲が勝った。
「どう、かな。」
左手を見ると、彼女は笑い出した。
「あはは、馬鹿じゃないの。こんなの買って、明日からどうやって生活するつもりだったの?」
「君のいない生活なんて考えられなかったから。」
「お互い様でしょ。」
「違うよ。君は若い。他に道がいっぱいある。」
彼女は首を振る。
「いつまで老人のふりをしているの?こんな馬鹿なこと、若者だってしない。」
「はは、それもそうだな。」
濡れた二人は、おでこをくっつけて、社交ダンスのような動きで踊り始めた。
いつまでも、本能の赴くままに。
春が来た。二人の指を重ねて。少女は愛される喜びを知る。
老人は少年のように無邪気に振る舞う。たとえそれが滑稽であっても、誰に笑われても。
約束は守られたのだから。
何一つ解決していないというのに、まるで彼らを祝福しているかのように春が訪れる。