第2話 ブーケトスは誰が為に
「ペンギンは鳥類で、残念な環境のせいで飛べなくなった。で、クズ男は飛び方を思い出したペンギンだって言いたいの?」
「ああ。それに、飛び方を覚えたのか思い出したのか、その違いは主観にしか無いんだよ。つまりはただの思い込み、認知の歪みなのさ。」
自分を動物に例えると、という、退屈な窓ふきと対になる他愛ない雑談テーマ。
この屋敷に来て、手際が悪すぎるという問題を残しつつも、仕事を一通り出来るようになった俺たちは、まるで倦怠期のカップルのように毎日だらだら話し続けている。
「そうなんだ。哲学的だね。」
結局、俺の存在は隠すことにした。なので、必然的に日中は彼女の中に潜んでいる。
この時代の人間には想像もつかないだろうが、情報は力だ。
つまり、存在を認知されないで、一方的に敵を知ることができるというのは、一言で言うとチート能力である。
わざわざ実体化し、「私はカレンの精霊です。」などと自己紹介するメリットは何一つ無いのだ。
「独り言?口を動かす前に手を動かしなさい!」
背中からいつものように醜い音が。屋敷のメイド長をしている声の主は、まさに「ガミガミ」という擬音の化身である。
「はい!すみません!」
恐縮するカレンは、人一倍手を早めた。
「まったく、カレンもそろそろキレていいんだぞ。」
「子供じゃないんだからこれくらい我慢しなさい。」
カレン・・・不幸はかくも人を老けさせるんだな。
だが、実体験として、老いは幸せに繋がっていない事を俺は知っている。
「実際、まだ子供だろ、幼児体型。それに、俺の女が侮辱されて黙ってられるかよ。」
「クズ男はわがままね。それに、私の事が好きなら、もう少し好かれる努力をしなさいよ。」
悪態をつきながらも、表情が明るくなる。こんな魅力的な仕草を見たら、彼女に夢中になる理由が誰でもわかるだろうに。
彼女の問題は、猫かぶり、というよりは自己肯定感の低さにある。つまり、周りに好かれたいというよりは、自分は好かれるに値しないという思い込みが病理なのだ。
そんな歪みを、俺は愛してしまったのだ。そして、愛は賢人をも愚かにする。
「約束、言い出したのはカレンだからな。」
「え?」
会話で注意を逸らした隙に身体を乗っ取る。
元より彼女の中に居るので、外から入るのと違い、一瞬で完了する。
汚らしい手元のぞうきんを窓際に置き、テーブルを拭いているメイド長の後ろ姿へ歩み寄る。
がつんと言ってやる。
「質問です。他のメイドは雑談しながら仕事していますが、なぜ私の独り言は駄目なのですか?」
後ろで束ねた髪を翻し、それと同じ黒の瞳で俺を見下すと、音程がほとんど上下しない無感情な声で説教を始めた。
「言い訳をするほど、あなたは偉いの?」
「レイト様から見たら、私たちは対等かと。」
彼女の目が一瞬鋭くなる。煽り耐性は低いようだ。
「恩を受けておいて、文句まで言うつもり?」
「それはあなたの言葉ですよね?レイト様ではなく。」
眉がびくんと一瞬だけつり上がった。二言で沸点に達したのか?この瞬間湯沸かし器め。
「私はレイト様に長年仕えてるの。」
低く、小さい声。そして火山は噴火する。
「この屋敷は私がレイト様に代わってお守りしているの!私の言葉はレイト様の言葉と思いなさい!」
「そういうことですね。承知いたしました。では仕事に戻ります。」
話を切り上げ、踵を返し、急ぎ足で部屋を出る。権威主義者に平等を説くほど暇ではない。
「メイド長、話は聞かせてもらった。カレンをいじめているそうだな。なぜだ?」
やり方は前回と同じ。頼れるのはレイト様だけなので、解決法は必然的に「泣きつく」である。
「反省しております。でも、私はレイト様の力に少しでもなりたくて!」
「ならば、次からは仲良くな。」
「っ・・・はい。」
唇を噛み、悔しそうにするメイド長。
今回はこれで良いが、何もかもレイト様頼りでは将来的に積みそうだな。
一刻も早く魔術を身につけねば。
「クズ男、またレイト様に迷惑かけたの?」
いつの間にか、俺の中のカレンが目を醒まし、呆れ声。
「幸福追求権も人権なんだぞ。当然の権利を行使したまでだ。」
「それ、前も言ったけど、私にはわがままにしか聞こえない。」
まあ、この時代の平民からしたら贅沢な屁理屈だろうな。
「で、奴の顔を見た感想は?」
さあ、存分に幸せを味わってくれ。
「まあ、悪くは無いかもね・・・って違う!」
「ちっ、惜しいな。もう少しで墜ちたのに。」
「闇墜ちさせようとしないでよ!」
俺の色に染めてやるぞ、ぐふふ。
メイド長が部屋から出て、二人きりになった。
最近、レイト様は忙しいようで、ここ数週間はほとんど家へ帰っていない。
せっかく良いアイデアが思いついたのに、今日まで実行が遅れた原因である。
「レイト様、魔術を学ぶために学校へ行きたいのです。そして、私のような少女をこの手で救いたい。」
ありきたりな志望動機だが、実体験が伴っているので説得力はあるだろう。
「そうか、もうやりたいことが見つかったのか・・・ふふ、少し安心したぞ。」
あっさりと認められた。レイト様は変な男に騙されるタイプだろうな。いや、俺の面接力がずば抜けているのか。
まぁともあれ、これで魔術を学べる。
一週間前、俺たちは仕事を終えると、いつものように部屋でだらだらと雑談していた。
カレンがカーテンを閉めると、俺は実体化し、彼女とベッドに座る。
「そうそう、魔術師はね、戦争では主力なの。」
「じゃあ、なんで剣を持った騎士が現役なんだ?詠唱時間が長い?魔力切れ?」
現代人の俺は当然、ゲームの知識しかない。
「魔術って難しいんだよ。学校卒業しても、魔術師になれるのは一握りなんだから。」
日本の義務教育における英語みたいだな。
「逆に言うと希少性があるのか、狙い目だな。」
「き?なんて?」
「難しい事ほど価値が高いっていう意味。」
名医の執刀もドラッグストアで薬を売るのも、人々の健康に資する仕事だ。しかし、前者には億の値がつき、後者は最低賃金だ。彼女によると、魔術も前者に含まれるだろう。
「でも、私にできる?」
子供なんだから、「やってみたい!」で良いのに。心も年の差か。年下は俺の方だけど。
「やらない手は無いだろう。それに、俺に任せた方が人生上手く行ってきただろ?」
ぐぬぬ、と整った目鼻を顔の中央に寄せ、可愛さという麻薬で俺を酔わせる。
「言い返せないのが悔しいっ・・・・!」
登校初日。カレンが歩く校舎までの道は、パステルカラーで描かれたようにのどかで、枯れ木の隙間をコウモリが飛ぶ、いかにもな魔術学校のそれとはまるで違っていた。
「普通の学校だな。」
「どういうのを想像してたの?」
「うーん・・・ハロウィン?」
「何それ?」
現代文化のうんちくをたれていると、あっという間に教室の席へとたどり着いた。
生徒は全5クラスそれぞれに20名ほど。
ガイダンスによると、テストの成績が良ければ、飛び級して士官学校に行くことができるらしい。
授業は座学と、実技、それに教養科目。3:2:1ぐらいの比率で行われる。
学生生活、カレンは同年代との交流を楽しみ、俺は魔術の魅力に没頭した。
そんな、屋敷と学校の行き来を3ヶ月ほど繰り返し、本日は初のテストだ。
「では、下級魔術Ⅰの試験を始めます。杖を構えて!始め!」
実技のテストなんて人生初めてだ。俺はカレンの身体を乗っ取り、炎の魔術を詠唱し、魔法陣を描いた。
余裕過ぎてあくびが出る。競争相手は思春期のガキ。しかも、カレンの中でひたすら勉強していた俺は、教科書はおろか、図書館にある魔術書すら読破済みだ。
「焼き尽くせぇ!リスキーキャストォォォ!」
幼少期に憧れたヒーローのように技名を叫び、魔術を行使する。
俺の起こした爆炎は、あまりに強力で、風圧でドライアイになりそうなほどだった。
「ふふん。決まったぜ。」
周りの生徒は目を丸くし、試験官の先生はあごが外れたようにあんぐりとしていた。
筆者に感謝だな。あれを町の図書館で見つけた偶然にも。
「下級魔術の応用」という、上級魔術偏重の魔術師業界に異を唱えた本がある。
いわく、「下級魔術を制するもの、決闘を制す」のだとか。
発動までに長い詠唱時間が必要な上級魔術よりも、即座に反撃出来るので実践向きである、という理屈を端的に表した格言。
これにひどく影響された俺は「リスキーキャスト」を産みだした。
本来必要な分の200倍の魔力量で、強烈な下級魔術を放つ奥義。
余分に積み上げる詠唱と魔法陣はモジュール化しているため、いつでも発動可能であり、威力と取り回しの両立に成功しているのがキモである。
「ぜぇ・・・ぜぇ・・・」
まぁ、その分消耗も激しいのだけれど。技名通り、危険な詠唱というわけだ。
このテストで飛び抜けた成績を勝ち取った俺たちは、在校期間半年足らずで士官学校へと飛び級した。
この時、俺は全能感に満ちていた。魔術に、レイト様への恩返しにと、日々を二人で、子供のように夢中で追いかけて。
だが、あの日から、俺たちの関係に亀裂が入った。いや、元々あった「ヒビ」に気が付いたのだ。露わになったそれは、あっさりとくさびを受け入れ、ついには崩壊した。
「悪かった・・・あああ、助けてくれぇぇぇ。もう学園で麻薬なんて売らないからぁぁぁ!」
道路にへたりこみ、少女の殺気に怯える男。彼は同級生だ。
「死ね。お前に選択肢は無い。」
結末を正直に教えてやるのは、最後の哀れみだ。
「待って、殺す必要は無いんじゃない?」
中に居るカレンが苦言を呈す。
「カレン、学園で不埒な事があったら、全部学長のレイト様に責任が押しつけられるんだぞ。」
だから、念のため殺すべきなのだ。
「でも・・・。」
今日に限って強情なカレンにひどくいらついた。
「父親を殺した女が今更何を言ってるんだよ。」
つい口を滑らせてしまう。
「それは私じゃない!」
「そうだな!お前はそれを望んでいるだけで、何もしてこなかったな!」
顔が熱い、自分が感情的になっている事すら認識できないほどに。
「望んでなんか・・・。」
「下手に言い繕うな。くだらん。」
この時の俺は、なんというか、必死に生きていて、他人の意見など聞ける状況では無かった。
「俺はできる。世界一大切なお前の為だったら悪魔に成れる。」
「じゃあ・・・。」
彼女が言葉を紡ぐ前に、肉体強化魔術により緑色に光った左足で、奴の頭を蹴り飛ばし、首から上を消した。
「いや、レイト様の為にこいつは殺した。」
「っ・・・、なんて、ことを。」
それから、仲良く探偵ごっこをしていた頃が想像できなくなるほど、俺たちは口をきかなくなった。
そんな、ある日の事だ。
座右の銘を「泣きっ面に蜂」と決めたのはいつだったか。
ともかく、60歳までその言葉を肝に銘じ続けた。
だが、人間というのは愚かな生き物で、そんな大事な事すらあっけなく忘れてしまう。
こんな精霊みたいな暮らしを続けていると忘れそうになるが、俺もその内の一人だ。
「ああ、行ってくるよ。屋敷を頼む。」
メイド達はお通夜ムードだ。あるものは号泣し、ある者は現実を受け入れられず、退室した。
「戦争って・・・帝国と?勝てるわけが・・・。」
呆然とするカレンが呟く。
「だからこそ、行かねばならんのだ。騎士の誓いを果たす時が来たんだ。」
彼女はいつものように毅然と、凜々しい顔を崩さなかった。
これ程誇り高い人間に説得は無意味だ。その高潔さを穢さないよう、俺は口をつぐんだ。
その日の夜、カレンが「久々に話しましょう」と誘ってきたため、実体化してベッドに座る。
「距離、遠くないか?」
いつも隣に座っていた彼女は、イスに浅く腰掛けた。
「ねえ、戦争、私たちも行きましょう。」
真剣な眼差しとは対照的な、あまりにも頓珍漢な提案に驚き、思わず質問を投げつける。
「何の為に?」
「決まってるじゃない!命をかけてレイト様を守るの!」
ため息をつき、頭をかかえてしまう。
「はぁ・・・俺たちって、戦場で役に立てるの?」
「見殺しにするなんて、ありえないじゃない!」
強情な彼女。内容はともかく、自分の意見をしっかり言うなんて、まるで俺みたいじゃないか。
「日々成長しているな、カレンは。偉いぞ。」
頭をなでようと立ち上がり、頭へ手を伸ばすと、パチンとはじかれた。
彼女は言葉を続ける。
「ねえ、クズ男。大切な人の為なら、悪魔に成るんだよね?」
「ああ。」
「だったら!レイト様を守ってよ!」
渾身の叫び。彼女の音圧が身体に響く。
「いや、無理だから。レイト様自身が望んでないし。」
「私だって!父を殺してなんて望んでなかった!」
また蒸し返すのか。本題とは関係無いので無視しよう。
「俺たちは優秀な魔術師だけどさ、一人で戦況を覆す程の大魔術師ではないんだよ。」
俺の言葉にうつむく彼女は、まるで自分の心を守るかのように、祈りを捧げるかのように、堅く手を組んでいた。
「何もかも計画通り、自分さえ良ければそれで良いの?」
「まあ、究極的にはそうだろうね。他人なんて、所詮駒だよ。」
「そう・・・じゃあ、最後にその言葉をあなたから学ぶことにする。戦場で会いましょう。」
呟く。瞬間、俺の実体化は解かれた。あまりにも一瞬だったため、声すら出せなかった。
「どういう事だよ。」
俺は身体のコントロールを奪おうとした。だが、まるで効かない。
次に、実体化して逃げようとするも、全く出られる気配が無い。
「どういう、事だよ・・・。」
こうして俺は、彼女の身体に閉じ込められた。
それからは、夜通し旅支度をするカレンを、その気持ちをひたすら考えた。
答えは出ない。苦手なのだから当然だ。恋で盲目になり、少しの間忘れていただけ。
そう、俺が社会に馴染めなかった理由はこれだ。
正直で理性的。裏を返すと、遠慮が無く、共感性が欠如しているクズ男。
今まで何をやってきたんだろう。何の為に生きてきたのだろう。
60年間、何一つ成長してこなかったツケで、最愛の人を失うなんて。
「はは、あははは。ははは、はははは。」
嗤った。嗤うしかない。醜いね、まったく。
俺なんて、後悔の海に溺れて死んでしまえば良い。
朝になり、昨日と変わらないはずの空を見上げる少女。
見納めとばかりに、背伸びをし、その勢いで草むらの毛布へと倒れ込み、太陽と向かい合う。
風が吹く、笑い合ったあの日々が嘘のように。戦場の陽光は不気味なほど眩しく。
少女は大切なものを守る為、地獄に咲く花となる。
老人の、命を賭した戦いが今、始まろうとしていた。