耳穴探検隊
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ううむ、最近どうも耳の聞こえが悪い気がする……耳掃除、久しくやっていないからなあ。
君はどう? 耳掃除に限った話じゃないけど、自分の身体のメンテナンス、定期的にちゃんとやってる?
僕はぶっちゃけた話、付け焼き刃大好き人間さ。歯医者に行く直前だけ、普段は手を抜いている歯磨きを、ものすごく時間をかけて丁寧に行う。体力テストがある直前になって、記録のために柔軟運動を始めたりする……こんな朝漬け、一夜漬けをしょっちゅう繰り返している、漬物づくりの達人が、世の中にはたくさんいるんじゃあないかい?
けれども、短期間による極端な「漬け」というのは、どこかしらで思わぬツケを払うことになりかねない。それどころか「漬ける」ことにさえ、問題があるケースも存在するらしい。
少し前に、耳掃除に関するこんな話を聞いたことがあるんだ。注意を促すために、君にも話をしておこうか。
小さい頃、親とかにひざまくらをされて、耳掃除をしてもらった経験がある人は、それなりに多いんじゃないかな?
この耳掃除。行う人の力量にもよるんだろうけど、油断をすると痛い思いをするはめになる。耳の穴っていうのは、骨の上にかぶさっている皮膚が、かなり薄い箇所らしいんだ。ちょっと強く刺激されただけで、傷になったり、炎症を起こしたりと、デリケートな面も多い。
にも関わらず、他人にしてあげる耳掃除は、好意的な特別な所作であると認識されているケースが多い。創作でも、カップルで耳掃除をしてあげるシーンが、コミュニケーションの時間として、見受けられることがある。
なぜなのか。一説によると、耳の中には内臓の働きに関わる、「迷走神経」というものが走っており、そこを刺激されると、気持ちよさが駆け巡るのだとか。
相手に耳掃除をしながら会話していて、いざ大事な告白をしたところ、掃除をしてあげていた相手が、すでに眠ってしまっていて、言葉を聞いてくれていなかった……というのは、お約束。
これも迷走神経の反射によるものと考えると、さほどおかしい話ではないんだ。それだけ、耳というものがとても重要な器官であることが、分かる事例なんじゃないかと思う。
彼もまた小さい頃、母親に膝枕をされながら、耳掃除をしてもらっていた。
母親は掃除が上手い。がさり、ごそりと耳の中で垢が音を立て、こそぎ取られていく感覚。それを阻害するだろう、わずかな痛みも感じさせないところが、職人芸を感じさせた。
彼は掃除をしてもらう時、いつも母親の太もも部分には、枕代わりの厚いタオルが置かれて、それに頭を預けている。
先ほども話した眠気。ついよだれさえも垂らして眠ってしまうほどの、さりげない心地良さ。いささかも乱れず、耳の中をかき回す耳かき棒の感触は、どこか規則正しく繰り返される、潮騒かと思える錯覚さえした。
ただ、それが彼にとっての女性観にも大きな影響を与えてしまったらしい。
――付き合うにしても、一緒になるにしても、耳掃除が上手い人がいい。
そう公言してはばからなくなった彼だが、たいていの人には奇異なものを見るような目をされたとか。
あんなに気持ちいいものを、どうして変なことのように思われなきゃいけないんだ? 彼の疑問は尽きず、中学校に上がってからも、月に二回は母親の行う耳掃除にはまっていたのだとか。
そんなある日。彼は学校の健康診断で、聴力に異常があるという結果を受け取った。
検査項目の一覧には、両耳に「1000」という数字が書かれている。保健の先生に尋ねたところ、「1000ヘルツの音の聞こえが悪い」という意味で、後日、耳鼻科で診てもらった方がいいとのこと。
彼としては、納得のいかないことだった。普段の会話や生活の中で、音を聞き洩らしたことはないし、母親からの耳掃除もずっと続けている。
この結果は、自分たちに対してケンカを売られたような気がして、彼は内心、かなり腹を立てたようだ。他の友達は、そろって異常がなかったらしく、診断後によくある話題のひとつ、「お前、どうだった〜」にも参加しづらい。
みんなができていることが、自分にはできていない。そのことが何よりも、彼の胸中のむかつきを揺さぶり続けたらしい。
この屈辱を晴らすべく、彼は翌日にも耳鼻科に向かう決意を固める。
けれども、そのための万全体制を整えることができるであろう母親は、用事のために今日と明日、家を空けることになっていた。
父親は夜遅くに帰ってくるが、これまで耳掃除をしてもらった覚えはない。信用できない。
仮にしてもらったところで、そもそも女性のものでない膝枕が、一体どれほどの意味を持つのか。彼には甚だ疑問だった。
自分でやるしかない。そう思った彼は、初めて一人で耳掃除をすることにしたんだ。
母親がいつも使っている耳かき棒を探した彼だが、どうしたことか、家の中をひっかき回しても見つけることはできなかった。ならば、と綿棒を探してみたが、これも空振り。やむなくドラッグストアへ走り、お徳用サイズの綿棒を買ってきたんだ。
そして風呂上り。自分の部屋であぐらをかきながら、綿棒の先も水で湿らせて、恐る恐る自分の右耳の穴へ、手探りで潜り込ませていく……。
ごそり、ごそりという感触と共に、彼の綿棒の先は耳の入り口を、慎重になでていく。
耳掃除の痛さは、伝聞でしか知らない。中には思わず叫びたくなってしまうほど、鋭い痛みが頭の中へ突き抜ける、と表現した人もいた。
けれども、こんな表面的な掃除で満足するわけにもいかない。母親にしてもらっているという点を伏せても、月に二回という耳掃除の頻度は、クラスの中でもトップクラスの多さだった。
その自分が、聴力異常というレッテルを貼られたんだ。この侮辱を、ひょうひょうと受け流せるほど、悟りを開いちゃいない。徹底的に叩くつもりだ。
彼の綿棒は入り口の浅い部分の探索を終え、いよいよ深部へとその穂先を向ける。人から聞くに、そこは快楽をもたらす宝庫であると共に、耐えがたい痛みをもたらす魔窟でもあるという。
これまでは、すべて母親任せだ。道案内から採掘まで、彼女が調整し、いささかも苦痛を感じさせることはなかった。
――自分にできるのか?
綿棒をつまむ指に、思わず力が入る。慎重に、慎重に歩を進めながらも、どこか耳の壁に触れることを恐れている自分がいた。
――やれ。こすれ。そのまま鼓膜まで届かせる気か。意味ないだろ、それじゃ。
脳裏にささやく声。
綿棒の先を止める。どれくらいの空間が広がっているかは、分からない。目視できない。
手探り、いや穂先探りだ。宝でも痛みでも、触らなかったら見えぬまま。進んできた意味さえ無くす。
ごり。先端が耳の皮を滑り、骨にこすって音を立てる。
同時に、脳内へと走ったもの。それは、こそばゆさだった。母親がしてくれるものと同じか、それ以上だ。思わず、顔の筋肉が緩み始めるのを感じる。
――これだ。こいつを待っていた。
彼は空いた左手で、もう一本綿棒をつまみ出し、ためらうことなく左耳へ。先ほどまでの、おっかなびっくりな歩みはどこへやら。一気に耳中へと突っ込んだ彼の綿棒は、両手が先導するままに、耳の壁を丹念に刺激し始める。
母親の時、片方ずつ味わった気持ちよさの二倍。それを覚え、手を止めるなどということはできない……。
はっと、無意識に目を開いた彼。いつの間にか、眠ってしまっていたんだ。今まで、母親の膝の上で経験していたのと同じだ。
だが、異なる点もある。寝ている間に手放して、床に転がってしまったであろう、一対の綿棒。その穂先がほとんどなくなっていた上に、残った部分から柄の中ほどにかけて、赤いものに染まっている。
まずい事態なのは、すぐに分かった。最悪、穂先が耳の中に取り残されているかも知れない。
彼は、プールで耳に水が入ってしまった時のように、耳を下にして、とんとんと軽く飛んだけれど、何も出てこない。血も乾いてしまったのか、一滴も出てこない有様だった。
さすがにもう一度、綿棒を突っ込めるほどの度胸はない。さりとて、誰かに相談するのも恥ずかしい。
どうにか助けてほしいような。それでいて、何事もなく終わって欲しいような。
彼は悶々としながら、ゴミ箱に綿棒を放り込み、明日を待ち受けたんだ。
翌日。耳鼻科行きは、彼の心配に反して、問題なく終わった。
聴力も問題ないと判断され、念のため機械による耳垢の吸引も行われたが、診てくれた先生からは、特に言うことはない、とのことだった。
その日から、彼は耳掃除をしていない。母親に頼むこともなくなってしまったとのことだ。
不思議と母親は、あれほど定期的に耳掃除をねだっていた息子の変わりようを、特にとがめることなく、自分から話を振ることも一切しないのだそうだ。