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下校前、ベアトリクスは手紙の主に返事をするために、校舎裏へと来ていた。
そこにいたのは他のクラスの男子。いかにも自分はモテるんだぞオーラを放つ、自意識過剰の勘違いナルシスト童貞野郎である。
「おぉ~待っていましたよ~我が愛しのプリンセス~」
「……この手紙はあなたが?」
「イェース! どうぞ我が愛しのマァイプリンセェ~ス、わたくしめと甘い口付けを~」
内心でドン引きしているベアトリクスは、舌打ちが出ないようにと必死である。
しかし実年齢非公開のベアトリクスにとって、この程度のお子様など取るに足らない相手。
「よろしいでしょう」
「おぉ~センキュ~マァイプリンセェ~ッス」
「ではこれからあなた様の家柄を調査させていただきます」
「……え、家柄?」
素に戻る童貞野郎。
「わたくしとお付き合いするという事は、それなりの覚悟と用意があるのでしょう? まずは破談保証金として前金3千万円をお支払い下さい。この3千万円は婚姻式や結婚式などで使用されるものですので、必ずお支払い下さいませ。それから家柄ですが、そちらのご両親様は外交官でしょうか? それとも大企業の社長様や会長様でしょうか? わたくしとしましては将来有望ならば重役でも構わないのですが、なにせ我がスタールビー家は家柄を重視しますので、妥協は許されないとお思い下さい。それからあなた様の将来をお聞き致します。まだ15歳とはいえ、わたくしども特権階級ともなれば既に将来が決まっているのが当然ですし、だからこそあなた様という商品にわたくしという対価を支払う価値が出るのですから。それから――」
「あの! ……す、すみませんでしたっ!!」
顔面蒼白の童貞野郎は逃げ出した。
そしてそれを見送り笑うベアトリクス。
「ふふっ。普通こうなりますよね」
しっかりと堪能した後は、足早に真幸の下へと向かう。
ちなみにこの時、ベアトリクスは一切嘘をついていない。
一方悠児は体育館裏。
そこには到着時は誰もいなかったが、すぐに前後をよろしくない先輩方に囲まれる。
「へっへっへっ、入学早々コクられるとでも思ってたか?」
「ざぁんねん! きっへへ!」
「コクはコクでも、酷な事にはなるだろうけどな! んぎゃはは!」
「…………」
(前に2人、でかいのと小さいの。後ろにも2人、変な動きと喋らない奴)
しかし悠児には一切焦りなどない。
「いや、普通に気付いてたっすよ? だってこの字、どう見ても男の字ですもん」
手紙を先輩方に返す悠児。
素直に受け取ったでかい先輩はその字を見て、隣にいる小さいのを真上からグーで殴った。
「ぃってー! なにすんだよ!」
「なにじゃねーよ! 女の子の字で書けっつったろうが! こんなガタガタな字書く女の子がいるかって!」
「……可愛くね?」「ねーよ!!」
盛大なコントを見せられている悠児は、もう帰りたい。
「んじゃ自分そろそろ帰るんで。おつかれっした」
「「「おつかれー」」」
「ってそうじゃねーよ!」
「まだなんかあるんすか?」
「始まってすらいねーよ!」
リーダー格のツッコミが冴え渡り、声が大きいせいでとっくに教師たちの耳に入っているのだが、ここの5人はまだ誰も気付いていない。
「大体な、なんだお前? 中学の時俺らがいなくなった途端番長気取ってたらしいじゃねーか」
「自分からそうした覚えはないっすよ? 全部あっちから来たから、全部お帰り願っただけです」
「それでも南中のと殴り合いしたってのは聞いてるぞ」
「あれはあっちが悪い。俺の友達盾に取ったんで。っつーか先輩、マジ帰っていいっすか? その友達待たせてるんすよ」
「おい、何やってる!」
「やっべ!? 幸多だ! 逃げろ!」
声をかけてきた教師は、何を隠そう真幸の父、一弘。
先輩4人は脱兎の如く逃げ出し、悠児だけが残された。
「やっぱり悠児君か。君も中々の不幸体質だね」
「こんだけでかいと目立っちゃいますからね。あの先輩方は?」
「残念ながら私の生徒。ハルにナツにアキにペポ」
「ペっ……ペポ……あはは!」
フユとは来ずに、何故かペポ。その事に大笑いする悠児を見て一弘は問題はないと判断し、悠児を解放した。
余談だが、小さい先輩がペポである。
その頃、悠児を待っている2人は、ベアトリクスの身体能力の話になっていた。
「へえ。やっぱり加護ってあるんですね」
「ええ。わたくしはまるで狙い澄ましたかのように全ての加護を受けておりまして、そのためにこの世界に来てもなお、このように高い身体能力を保持しているのです」
「……幸運の加護も?」
「そうです。とはいえわたくしはマサユキとは関係ありませんけれども」
ひそかにほっとする真幸。しかしベアトリクスには気付かれている。
そこへ悠児が帰ってきた。
「おーいお待たせー」
「おっ。どうだった?」
「4人から告白された」
「「おおー!」」
「あ、でも別の意味でなんでしょ?」
「まーなー。ベアさんにも分かるように言えば、先輩にマウンティングされたって感じ」
「ああ、なるほど。……ところでわたくしは熊ではありませんけど?」
「ダメっすか?」
「せめてもう少し可愛い呼び名にして頂きたいのですけど。ともかく、帰りましょうか」
拒絶するほどでもないと思い、話を長引かせずに終わらせるベアトリクス。
あっさりとした反応なので、2人にも負担にはならない。
下校中に起こる不幸には真幸も悠児も慣れたもので、顔色ひとつ変えない。
カラスに襲われても振り払うだけ、信号無視のバイクに轢かれそうになってもそれ自体を無視するだけ、空から新鮮なカレイが降ってきても野良猫のエサにするだけなど。
あまりの反応のなさに、自分がおかしいのかと疑心暗鬼にすらなるベアトリクス。
「あ、こんな所にパン屋あったんだ」
真幸が目に止めたのは、4階建てマンションの1階部分に入居している、至って普通の町のパン屋さん。
フランチャイズではなく個人経営である。
「買い食いしてっか?」
「ん~……ベアトリクスさんはどうします?」
「興味はあります」
「んじゃ決定な」
悠児の少々強引な提案に乗り、3人でパンを買う事に。
店内は焼きたてパンの芳ばしい匂いに満たされており、その種類も豊富。
店主はまだ若い女性で、赤ん坊をおんぶしながらレジを打っている。
「他の連中も買いに来てるんだな」
「学校から近いからね。……さ~って何買おうっかな~?」
真幸はその不幸体質から、アンパンにあんこが入っていないという事がよくあるので、自然と中身の見える種類へと目線が動く。
と、悠児が真幸をつつき、目で指示。
そこには普段の機嫌が悪そうな表情が一転し、目をキラキラさせ、今にもヨダレが垂れそうなベアトリクスの姿が。
(そういえばお祝いもしてないなぁ)
「ベアトリクスさん、好きなのどうぞ」
「……い、いえ。ここは我慢」「僕のおごりです」「頂きます!」
あっさりと篭絡に成功。
その後ろでは腹を抱えて笑う悠児。
購入したのは、真幸がタマゴサンド、ベアトリクスがクロワッサン、悠児がクリームパン。
「やっぱり真幸は中身が見えるの買ったか」
「アンパンにあんこが入ってなかった時の絶望感はすごいからね……って殻入ってた」
「あっはっはっ! んでベアさんはどうよ?」
ベアトリクスは一口食べるごとに泣き出しそうなほどの笑顔を見せて、一心不乱に食べている。
それを見て、また男2人がヒソヒソ。
「なあ、ベアさんちゃんと食ってんのか?」
「馬小屋にパンとスープだけの生活を覚悟してたらしいけど、それとはリアクションが違うよね」
「むしろ振り切ってる感じだよ……ってバレた!」
「チッ。わたくしの世界のパンは、このような柔らかく味わい深いものではないのです。このような…………マサユキ、もう1個お願い致します」
食べ終わった途端におかわりの要求。これには2人とも大笑いで、ベアトリクスは表情が普段どおり機嫌悪いものへと戻る事に。
それでももう1個買ってくれは、また笑顔になった。
「そいや真幸はパン作れるのか?」
「パンは作れるけどパンツはあげないよ」
「そかそか」
何事もなく流す悠児。ベアトリクスもこれは流していいネタなのだと考え、スルーした。
「マサユキは料理がお得意なのですね。何でも作れるのですか?」
「何でもかは分からないけど、アジの三枚おろしとか大根のかつら剥きとか、あとティラミスとかブッシュドノエルとかなら作った事ある」
「……これは聞き方を変えましょう」
「んだな。逆にこれは作れねーぞってのは?」
「ふぐ刺しは免許持ってないから無理」
ペアトリクスと悠児とで顔を見合わせ呆れた。
しかし真幸が淡白な反応をしたのには理由がある。
「……ん? なんだこの霧?」
「チッ、このような場所で来るとは」
「どうするんですか?」
「方法はあります」
カバンを真幸に押し付けたベアトリクスは、パチンと指を一回鳴らし、詠唱を行う。
「リヴェーラ・ラ・バタールカンポ!」
詠唱呪文が光の文字となって浮かび、最後にもう一度指を鳴らすと文字が地面へと吸い込まれる。
すると次にはベアトリクスを中心として空気の波紋が浮かび、波紋が広がると同時に足元から街の景色か変わって行き、気付けばそこは石畳の広大な闘技場と化した。
「サンギ・エン・キラーソ」
ベアトリクスは立て続けに別の魔術を発動。
両手を広げると光文字が輝く布となりベアトリクスを包み、光が弾ければ鎧姿へと変身が完了。すぐさま剣を抜き、戦闘態勢を整える。
唖然とする真幸と悠児。しかし時は止まらず、以前と同様に黒い霧が円形に集合し空間に穴を開け、人の背丈ほどもある巨大な漆黒の狼が姿を現した。
「ブラックハウンドとは、中々の飛ばし具合です事。マサユキ、ユージ。しっかりお逃げなさい!」
「もう逃げてるよー!」
「……ふふっ、ですよね」
こんな状況でも冷静な真幸は、悠児の腕を掴み石畳の闘技場から脱出済みなのだ。
一方の悠児はさすがにこのような状況には頭が追いついておらず、ただ目の前の光景を傍観するだけになっている。
しかしおかげでベアトリクスから過度な緊張が抜けた。
「グルル……キサマ、ナニモノ……」
「名乗るほどの者ではありません。そちらは魔王ベータの手の者でしょうか?」
「ナラバ、ドウスル」
「倒します」
両者構え、先に動いたのはベアトリクス。正しくは一歩も動かず、相手からの攻撃に反応する、カウンター攻撃の体制を整えたのだ。
ブラックハウンドも攻撃を開始。人の背丈ほどもある巨体だが、その重量を感じさせない軽快な足取りでベアトリクスの周囲を走り回る。
これにベアトリクスは、いつもの癖で舌打ち。
「チッ」
「フンッ、クチホドニモナイ。コレデオワリダ!」
ベアトリクスの背後で進路を変え大きく跳び、ブラックハウンドご自慢の爪攻撃がベアトリクスを襲う!
一方その頃、真幸と悠児は、この光景を妙に冷静な視点で見つめていた。
「ベアさん……可愛いってよか格好いいな。しかも下乳エロい」
「お姫様抱っこされた時、あれで死にそうになった」
「ん? ……えっ、下乳にキスしたって事か!?」
「形的にはそうなっちゃう」
「………………死ねッ!」
「ひどい」
悠児の渾身の一言が真幸に刺さる。
「あ、倒した」
「えっ! あぁ~なんだよ! 一番いい所見そびれたじゃねーか、ちくしょ~……」
悠児が視線を戻せば、ブラックハウンドは消滅し、ベアトリクスも着替え魔法を唱え終わり、制服姿になってした。
ゾンビのように両手をだらりと下げ悔しがる悠児。その姿は着替え終わったベアトリクスが思わず笑ってしまうほど。
そしてベアトリクスの着替えを合図として、目の前の闘技場がまるで砂の絵であったかのように崩れ、日常の風景へと戻った。
「お疲れ様? です。怪我ないですか?」
「それはわたくしの台詞ではなくて? まあ確かにブラックハウンドとは少々驚きましたけれども、あの程度ならばわたくしにかすり傷ひとつ付ける事はかないませんので」
そして下校を再開する3人。
「んでベアさん、色々聞きたいんだけど、聞いてもいいもんなのか?」
「全く構いません。まず石畳の闘技場ですが、あれは言わば魔術で呼び出したバトルフィールドです。わたくしが詠唱を開始した瞬間から世界の時間は停止し、本来ならばわたくしだけなのですが、今回は不幸にも近くに居たマサユキとユージを巻き込んでしまい、そしてわたくしたちとあの魔物だけが、あの場で行動可能なのです」
「あっ、だから誰にも気付かれてないんだ」
「ええ。なので今後はあのようなバトルフィールドを発生させ、魔物を退治させて頂きます」
「「お願いします」」
何故か真幸と悠児の声が揃った。
「んじゃ、あいつって何なんだ? 強いのか?」
「あれはブラックハウンド。強い事は強いですが、わたくしの敵ではありません」
「「おおー」」
自信満々なベアトリクスに、2人は思わず拍手。さすがのベアトリクスも少し照れる。
「ああ、この際なので覚えておいて頂きたい事があります。わたくしの剣術は守護を目的としたものですので、遠慮せずわたくしを盾としてお使い下さいませ。わたくし自身、そちらのほうが何かと動きやすいのです」
「……僕は、女の子を盾には使いたくありません。けれど襲われた2回は結果的にそうなってしまったし、それが結果的にベアトリクスさんのためになっているのであれば、受け入れます」
その言葉に、思わず真幸の顔を睨むように見つめてしまうベアトリクス。
ベアトリクスの中にあるイメージでは、真幸はこれに躊躇せず『はい』と答えるはずだし、真幸も言っていたように、過去2度の襲撃では真幸はベアトリクスを置いて逃げているからだ。
「あーベアさん、あのな? これは小坊の頃からダチの俺が断言するんだが、不幸の最中に真幸が選ぶのは、いつも結果的に最良の手なんだよ。だから今回真幸が俺を引っ張って逃げたのだって、ベアさんが動きやすくなるっていう最良の手だった」
「悠児、偶然だって」
「だとしてもだ。それからもうひとつ。こいつこれでも刑事の息子なんだわ。自分のために他人を蹴落とせるような人間じゃねーの」
そう言いながら、真幸の頭を鷲掴みにする悠児。真幸からは諦めにも似た溜め息が漏れる。
「……そうでしたね。失礼致しました」
「ベアトリクスさんが謝る事じゃないですよ。ただ僕の中では、ベアトリクスさんもひとりの女の子だっていうだけですから」
「分かりました」
(……ひとりの女の子……初めて言われました。ふふっ)
悠児に一言もらったのを反省しつつも、真幸の言葉に内心とても喜ぶベアトリクス。
そして話のテンポは戻り、悠児から別の質問が出る。
「っつーか、あの服装だよ。あれ結構……な……」
悠児は気付いた。ベアトリクスの視線が、ただ機嫌悪そうに見えるだけではなく、本気で機嫌悪いものになっている事に。
当然ながら真幸もそれには気付いており、3人の間には数秒前までとは正反対の、ピリピリとした空気が流れる。
だがその空気を変えたのは、当のベアトリクス。
「なんでしょうか?」
「い、いやぁ……」
蔑んだ目で悠児に睨みを利かせるものの、思春期の男子が胸と腰のラインが出る白いインナーという服装に目を奪われる事は分かっている。なのでベアトリクスとしては、このような感想が飛んでくる事も想定の範囲内であり、揃って目線を外して気まずい雰囲気を作る2人の様子を、内心面白がってもいる。
「おや、もしやわたくしを、そのような目線で見ておられたのですか? おやおや~」
「なんというか、えっと……真幸パス!」
「ここで!? 最悪のタイミングじゃん。不幸だー」
結局その話が進む事はなく、駅の自動改札機に真幸が挟まり笑いが起きて、この話題は終わった。
ベアトリクスの化けの皮が剥がれ始めます。