閑話 頑張る大人
直接本編とは関係のない、例えば周りの人たちの話とか、設定だけをダラダラ書き連ねるとか、そんな話を閑話としてたまーに挟みたいと思っています。
まずは入学式当日の、大人たちの行動をどうぞ。
県立H市西高等学校、通称西高。
1クラス30人として1年6クラスまである、H市では最も大きな高校。
成績は県内真ん中。制服の人気も真ん中。規模を除けばどこを取っても平均ど真ん中の、至って普通の公立高校である。
唯一他校と違うのは、幸多真幸が入学するという事と、そして校長以下全職員が幸多真幸を知っているという事。
「ついにやってきましたね……。規格外の不幸体質を持ち、その不幸は我々の常識を逸脱し、物理法則すらも捻じ曲げる。そうですね? 幸多一弘先生……」
「はい。校長先生」
この日は入学式。
生徒たちが登校してくる30分ほど前に、教職員たちは全員が、とある教室に集まっていた。
1年F組。幸多真幸が入る教室である。
「我々教職員の願いとは何か。成績の向上、上位大学入学者の輩出、親御さんの満足……。否。確かにこれらは正しい。しかし否。我々教職員の本当の願いとは、生徒たちが笑顔で学校生活を送る事です。もちろんその中には、”あの”幸多真幸君も含まれます」
「校長先生。私は信じません」
「柳先生……」
「私は、私の受け持つ生徒たちが不幸になるなんて、絶対に信じません。何故ならば、私が、生徒たちにダルマ先生と慕われる私が、不幸だなどと思わせないからです」
髪の毛の衰退など物ともせず、幸多真幸の担任教師、柳の瞳は使命感に燃えている。
「……我が県立H市西高等学校教職員諸君。この私が、これからの3年間が、我々の人生の中で、最も輝くものであると約束しましょう。何故ならば、我々の持つ教職員の魂が輝き燃え滾るからです。彼は我々を選んだ。ならば我々は、その期待に応える。彼の不幸に我々は何が出来るのか。考えましょう。抗いましょう。守りましょう。そして生徒たちと共に、笑顔を作り上げましょう」
「「「はい!」」」
「我々に負けは許されません。先生の負けは、即ち生徒たちの負けなのですから」
「笑顔を」「笑顔を」「笑顔を」
「最後に真幸の父親として、私からひとつ皆さんにお願いがあります。どうか幸多真幸を、特別扱いしないで下さい。それは暗にあの子を化け物だと言っているのと同じですし、あの子はそれにすぐ気付き、傷付きます」
「大丈夫です」「教師からすれば、みんな生徒ですからね」「そうそう。みんな同じです」
「……ありがとうございます」
県立H市西高等学校教職員たちの覚悟は決まった。
一方その頃、H市東警察署。
東と言いつつ町のほぼ中央にあり、H市の東半分全てが管轄。
また西警察署および北警察署との連携の際に本部が置かれる事も多く、実質的にH市全域が管轄と言っても差し支えない規模を誇る。
そんな東警察署の会議室には、H市の各警察署長、副署長など、多くの幹部や課長クラスが集められていた。
この物々しい会議の陣頭指揮として、東警察署長の訓辞が始まった。
「諸君、私は平和が好きだ。諸君、我々は警官だ。諸君、我々には平和を守る義務がある。諸君も良く知っているだろう、幸多真幸君を。本日より彼が西高に入学する。今までは我々東の者が対処に当たっていた事案が、西へと動くのだ。彼の不幸を呼び込む体質は、まさに前虎後狼。よどみなく次々と襲い掛かる様々な不幸を一身に背負っている。……諸君、我々は勘違いしてはいけない。彼に非はないのだ。彼はこの世に生を受けてから一度も、法を破った事がないのだから。諸君、我々は思い上がってはいけない。彼を想う正義の心は素晴らしい。だが我々には限界があり、彼の不幸はその限界を易々と飛び越えてしまうからだ。……諸君、我々警察官が、不幸な少年1人を助けられなくてどうする。諸君、今こそ我々の警察魂を見せ付ける時なのだ。東も西も北もなく、全ての”お巡りさん”の手を繋ぎ、魂を繋ぎ、たった1人の不幸な少年を助ける時なのだ。……諸君! 私は信じている。必ずや彼を助ける事が出来ると。では諸君、彼をどう助けるのか、会議を始めよう」
気合の入る西と北の警官たち。一方東の警官たちは毎年度似たような訓辞を聞かされているので、耳にたこが出来ている。
「ではこれより幸多真幸により引き起こされた過去の実例を挙げます。ですが先に私の自己紹介を。私は幸多みゆき。階級は警部補で、幸多真幸の母親です」
これを知らない他の署員はざわつき、北署の若い刑事が手を挙げた。
「失礼ながら、息子さんの事をこう扱うのは、母親としてどうなんですか?」
「お答えいたします。母親だからこそです」
「まっ、お前さんも親になりゃ分かるよ」
みゆきは一切顔色を変えず、また内心でも動揺せずに言ってのける。
それを聞き、若者の相棒と思われる壮年の刑事が笑って答え、親である警官たちは皆頷いた。
そしてみゆきの口から挙げられる数々の実例。
アンパンにあんこが入っていなかったという可愛いものから、突然の看板の落下、エレベーターの原因不明の故障、トラックのタイヤが外れて飛んでくる、コンビニで買い物中に市営バスが突っ込む、遮断機が故障して列車と接触しかける、車のタイヤに挟まっていた小石が飛んできて、ショーウィンドウを割ってガラスまみれになる等々。
「これらは確率的には私たちでも遭遇しうる事故ですが、中には窓からガラス部分だけが抜けて落下してくる、空から鮭が1本丸ごと降ってくるというというような、何者かの超常的な力が加わっているとしか思えないものや、掃除中に水の入ったバケツが突然爆発する、50キロ以上ある岩が飛んでくるといった物理法則に反するような事例もあります。また人間の認識から”消える”という事もありますので、尾行の際には細心の注意を払うようお願いします」
東署の警官からは「あったあった」と半ば懐かしむような声も聞かれるが、西署と北署の警官たちは、顔面蒼白にならざるを得ない。
「あの、その落ちてきた鮭というのは?」
「新鮮な鮭でしたので、後でスタッフが美味しくいただきました」
「美味しく……」
「イクラ付きでした」
「「「イクラ付き!」」」
何人かの刑事が色めき立つが、その全員が高血圧に悩まされていそうな体格を持っている。
冷静な刑事たちは、彼らに構う事無く話を進めた。
「では次に西署より、特例『マルエム案件』における西署および北署と東署との連携の確認です。『マルエム案件』と疑われるものについては、これの全てを市内全警官にて通報確認する事とし、また当面の間は経験の豊富な東署で情報の精査および指令の発信を行う事とします」
「北署は主にバックアップ要員と思われますが、管轄の明確な区別を取り払い、状況に応じて臨機応変な対処を行います」
「東署からですが、案件については基本的に前兆がありません。しかし様々な要因によって起こりうる事象は絞る事が可能です。例えば行動パターンの把握は、過去において落下物による事故の抑止に一定の効果を挙げています。また他の事件事故から連鎖的にマルエム案件への発展も見受けられますので、こちらにおいても安全の徹底と早期解決および迅速な撤収を心がけてください」
その後も会議は進められ、西警察署の署長が〆の音頭を取る。
「皆さん、私たちはこれより、このような常識を逸脱した事象に対処しなければいけません。そのためにはまず、我々の持つ常識を捨て、管轄のプライドを捨てましょう」
ゆったりとした口調の西署長。しかし次には、本気の鼓舞が響き渡る。
「……たった1人の男子高校生を救えない者が! どうしてこの町の安全を守れるのか!? 彼の運命に見せ付けましょう! 私たちが、警察官だと!!」
「「「はい!」」」
解散前に、幸多みゆきから母親としてのお願い。
「最後に真幸の母として、皆様にお願いがあります。……どうか、あの子には普通に接してあげてください。普段どおり、何事もなく。それがあの子にとっての一番の救いです。どうか、お願いします……」
ゆっくりと、しかし深々と頭を下げるみゆきに、周囲からは拍手が。
会議は終わりを迎え、そしてH市の警察官全員が、覚悟を決めた。
先陣は西高教職員。
西駅から学校までのおよそ1.5キロに、今日は出番のない2年3年教師のうち体力のある3人を500メートルごとに配置、真幸を後方から尾行する作戦に出た。
しかしこういう事に慣れていない教師は見事に出鼻を挫かれる。真幸は一般生徒の1時間も前の列車に乗り登校するので、既に西駅から500メートル以上まで通過済みなのだ。
待てど暮らせど来ない真幸。業を煮やした西駅正面待機の教師が父一弘に連絡を取り、GPSで場所を確認して、ようやく自身が行き違いになっていた事を知る。
だがそこまでの道にはヒントが転がっていた。工事現場の作業員は、出場したダンプが人を轢きそうになったという話をしていたし、アパートの住人は鉢が割れたと嘆きながら歩道を掃いていたのだ。
真幸の家族ならば充分なヒントだが、真幸初心者の教師には荷が重い。
そんな中、グループチャットを通じて一弘から配信された真幸説明書に、教師たちは絶望を覚える。
『真幸の不幸は人間の感覚を騙し、目の前に居ても認識できなくさせます』
あれだけ気合を入れ、また同僚として昔からその話を聞いてきた。しかしいざ自分がその現象と対峙してみれば、守るどころか見つける事すら満足にできない。
その事に教師たちは、自身が何と対峙しているのかという現実を、改めて突きつけられてしまう。
学校までの1.5キロを走る教師。しかしその足はよろよろと止まってしまい、荒い息と共に絶望感が押し寄せ、打ちひしがれるしかない。
その時、まさに見計らったかのようなタイミングでスマホが震え、グループチャットに校長先生からの言葉が表示された。
『我々に負けは許されません』
厳しい一言。しかし教師の脳内には確かに校長先生の声で響き、まるで気付け薬かのように、彼の足に足に再び活力を与える。
一方、中間地点の教師は学校に最も近い教師と合流し、学校へと歩を進めていた。
それはつまり、3人の教師全員が真幸を見逃したという事。
「これが才能ではないというのが恐ろしい」
「才能であったのならば、引く手数多になるでしょうね。是非バスケ部に欲しいですよ」
「我が演劇部にだって欲しい人材だ。そこにいるのに観衆に認識されないなど、黒子として最強だ」
現実に打ちひしがれうなだれる教師2人は、後ろから来た3人目と合流し、真新しい制服を着た生徒たちに混ざりながら学校前の右カーブへとやってきた。
その時だった。数秒前に3人を追い抜いた、荷台に緑のシートを被せたトラック。少々オーバースピードのそのトラックの荷台から雨水があふれ、男子学生を直撃。そこで初めて、その場所に男子学生が居たと認識する教師。
「……み、見えてました?」
「いや、見えてなかった……」
「つまりあの子が……」
ずぶ濡れになりながらも、何事もなかったかのように歩き出す男子学生。
教師3人は自身の感覚を信じきれなくなり、恐怖に足がすくむのみだった。
一方その様子を4階にある3年生の教室から眺めていた一弘は大きく溜め息をつき、無事に登校した事だけを喜び、隣で見ていた1年Fクラス担任の柳先生は、それでもその不幸を信じないと固く心に誓う。
「では行きましょうか。きっと真幸は鈴木悠児君に連れられて保健室を探すでしょうから」
「さすがは父親ですね、驚きの冷静さです。再確認ですが、彼はこの事を知らないし、我々も普段どおりに接する。ですよね?」
「はい。後はお願いします」
「任せてください。彼は私の生徒なのですから」
教室を出た2人の教師。一弘は北階段から体育館へ、柳先生は南階段から教室へと向かう。
そしてその頃、校長先生は東警察署長へと電話を入れていた。
「私です。幸多真幸君は無事に登校致しました」
「良かったです。では下校はこちらが受け持ちますよ。そうだ、たまには飲もうじゃありませんか。兄さん」
「君から誘われるのは初めてだ。よろしい、彼について聞かせて頂きましょう。弟よ」
補足情報だが、西高の校長と東署の署長は、兄弟である。
そして下校時間。
西署の警察官たちには緊張が走っていた。
見当たり捜査と呼ばれる、街頭に立ち顔の記憶だけで犯人を探す手法。そのプロが男子高校生1人をまさかの失尾。
教師はグループチャットを使ったが、警察はそれを小型イヤホンマイクを使った電話で済ませる。
『すみません、一瞬目を離した隙にいなくなりました。幸多刑事の仰っていた”消える”という意味が分かりました』
その言葉をパソコンの音声チャット越しに聞いていた母みゆきは、至極冷静な口調で彼へと指示を出した。
『走らず、周囲と同じ速度で西駅へと移動してください。物品の落下事故が発生した場合、その周囲に必ずいます。人を見るのではなく、息づかいを感じて認識してください。一度認識が戻ればまた尾行できます』
『……もはや警察犬の領分ですね。分かりました、対応してみます』
捜査員はグレーのスーツに黒革のカバンを持ちサラリーマンに変装し尾行していた。カバンにはカメラを忍ばせてあり、このカメラは持ち帰り後に映像を確認し、今後の対策に役立てるためのものだ。
しかしそれがいきなり失敗に終わるとは思わず、西署の署員は皆危機感を煽られている。
その中で至極冷静な、まるで凪のようなみゆきの指示は、図らずも西署員たちの動揺を抑える事にも寄与した。
『落下事故発生。……あっ、マルタイ発見。追尾再開します』
『了解。事故は別働隊に当たらせるので、そちらは一瞬たりとも目を離さないように』
捜査員は瞬きすらも両目ではしないようにして、魂を燃やし尾行する。
そして西駅が見えてきた、その時だった。
狭い路地から突然飛び出してきた商用バン。すると次には真幸は防御姿勢を取っており、さらにはよく分からない金髪美人が突如現れ暴走車を片足で止めてしまう。
訳が分からない。
訳が分からないが、あの車を止めなければいけないのだけは分かる。
捜査員が我に返ったのは、自らの足が一歩前に出てからだった。彼は警察官として無意識に行動を開始していたのだ。
そして彼は全開になっている運転席の窓へと半身を滑り込ませ、エンジンキーを無理矢理抜いて車を止める事に成功。
しかしほっと息をついた彼が次に見たのは、フロントウインドウ越しにターゲットがさらわれる光景。女性が男子高校生をお姫様抱っこして、止めた車を軽々飛び越えて路地へと消える一瞬の光景を、彼は驚きと共に呆然と見ているしかなかった。
一方東署刑事課では真幸に関連した事案、『マルエム案件』と思われる通報および報告が続々と寄せられていた。
西署と北署にも同時に発信される放送を聴きつつ、いつでも動ける状態にある東署。西高をスタートし徐々に西駅へと移動する通報は、東署の刑事にとっては”真幸が無事な証拠”そのものである。
しかしここで、東署の刑事たちですらも困惑する通報が飛び込んできた。
『西署管内西駅前で、マルエム案件と思われる誘拐事件発生。犯人は金髪の女性で……本当なの? んんっ、女性は鎧を着用していたとの目撃報告が多数』
普段は淡々と読み上げる女性担当官も動揺する通報内容、鎧を着た金髪の女性が真幸を誘拐。
過去、真幸が誘拐された事は1度だけある。しかしそれは酔ったお年寄りが自分の孫と見間違えた事によるもので、翌日には酔いの醒めた犯人が自首し、解決した。
しかし今回はあまりにも突拍子もない事態。母みゆきも文字通り頭を抱えてしまう。
「先輩、どうします?」
「……んー、さすがに私も訳が分からない。けど、あの子だったら必ず何かしらのヒントを残す。私たちはそれを丁寧に拾い上げるだけ」
「さすがは母親、冷静ですね」
「あの子の不幸って、ああ見えて正直だから。きっと今頃は人目につかない場所で誘拐犯と押し問答してるんじゃないかな? そしてその声で通報が入れば、こっちのもの」
そしてしばらく。みゆきの予想は当たる事になる。
『西署管内西町16丁目の工事現場で、女性が高校生と口論しているとの通報。女性は金髪で長い刃物を所持、高校生は小柄な男子で西高の制服。マルエム案件と思われます』
「先輩の予想大当たりー」
「金髪美女がテロリストじゃなければいいんだけどね。ところでみづき、書類整理終わったの?」
「あ~……」
目を逸らし、苦い顔で自分のデスクへと戻るみゆきの後輩女性刑事、みづき。
2人は同じ女性で名前が1文字違いなのでコンビを組まされており、その仲はすこぶる良好。
そして更にしばらくすれば、ようやくみゆきが一息つける放送が入った。
『西署管内で発生した誘拐事件の続報です。対象の女性は協力的な態度で任意同行に応じ、現在東署へと移送中です』
みゆきがほっとすると、同僚の刑事たちに別の課の警官たちもほっとして、東署は安堵に包まれる。
相棒のみづきも休憩室でコーヒーを入れ、みゆきへと持ってきた。しかしみづきはすぐに気付いた。みゆきが未だに警戒を解いていない事に。それはこの先ある取調べを自分がやるという意思表示であり、何としてでも我が子を守るという、母親の強い覚悟の表れでもある。
みづきの入れたコーヒーに軽く口を付けたあと、みゆきは西高にいる夫一弘へと電話をかけた。その内容は今回の報告。
『誘拐事件か。これで2度目だね』
『そうだけど、今回は異質。あの子の不幸は何でもありだけど、さすがに鎧を着た金髪美女はやり過ぎだよ……』
『可愛いのかい?』
『おい私の旦那、鉛玉をお見舞いするぞ?』『はっはっはっ』
『でもねー、真幸の話ではその女性はあの子を助けたらしい。どうやって取り調べをするべきか、本当に頭痛いよー……』
『よしよしナデナデ。肝心なのは、助けるためというのが、どの意味を示しているかだよね。まさか未来から来た娘だったりして』
『あり得るからやめて。……あ、来た』
『頑張ってね。それじゃあいつもどおり事務的に』
『事務的にね。はい。それでは失礼します』
そしてみゆきは、平静を装い目線を真幸へと向ける。
「おまたせ。やっぱり来たんだー」
しかしこの瞬間、みゆきは心底驚いていた。
普段どんな場面でも、例えそれが寝ている時ですらも真幸の中に張り巡らされている、ピアノ線のように頑丈な緊張と警戒の糸が、今は全くないのだ。
(うっそ……まさかこの女性のせい……?)
「――で構いません」
(あ、名前聞いてなかった)
「はい初めまして。私は真幸の母で、幸多みゆきです」
こうして西高入学式当日、大人たちは色々な意味で玉砕を果たしたのだ。