キャンパスライフ
脳内世界に来てから、もう三百五十二日目である。
約一年か……あっという間だったな。
とはいえ、まだ六百四十八日残っているわけで……。
先は長いのだ。まだ延々と続く。
「明日からは何するの?」
俺の自宅の自室で、Tシャツとショートパンツ姿で
テレビゲームをしている美射に訊ねる。
俺はジャージにTシャツだ。
クーラーの入った部屋の外では、蝉が鳴いている。
美射曰く、今日は「夏休みに彼氏の家でまったり」というデートプランらしい。
まだ彼氏になったつもりはないんだが、お世話になりっぱなしなので
とくに不満も言わずに従っている。
重力が1Gのデートプランは久しぶりなのでホッとしているということもある。
「そうだなー。この世界の文字覚えようか。
ついでに雑学を色々と教えるよ」
「そろそろいいかもな。字読めないのが、結構気になってた」
「アイスとかいる?下の冷蔵庫から何かとってくるわ」
「他にお菓子とかもあったら、貰っていい?」
と美射はそう言った後に、感動した顔をして
「くぅー!!こういう何気ない瞬間を私はずっと待ってたの!!」
とガッツポーズする。俺は苦笑しながら
一階の冷蔵庫から、あるだけのお菓子を取って、もってきた。
皿にお菓子を出しながら、さりげなく美射に訊ねる。
「お前色々知ってるだろ?もう、この世界相当長いの?」
「どうだろ。もう忘れたなー。リアル世界で、リングリングちゃんに合ったら聞いてみて」
「また眠龍か。よっぽど美射のこと知ってるんだな」
「嫉妬した?ねぇ、嫉妬した?してくれると嬉しいなー」
コントローラーを放り出した美射は振り向いて、嬉しそうに俺の顔を覗き込む。
「してねぇ。むしろ、眠龍にもっと興味が沸いたわ」
「あ。それは私が嫉妬するかも。ぶー」
美射は、頬っぺたを膨らませて、再びコントローラーを握る。
俺は寝転びながら、美射の達者なゲームプレイを見て
お菓子をかじる。
「ここなら、いくら食べても太らないからいいよねー」
「まぁな。俺は中学までの部活での、筋肉の貯金まだあるから、
リアル世界でも全然太らんかったけどな」
「いいなぁ。私、文化系一筋だったからなー。
中学のときに但馬の応援の時だけ、一人チア部だったけどね」
「あれさ、勝手にコスチューム用意してやってただけだろ」
「そそ。他の女子の目がきつかったなー。まぁ、どうせ但馬いなかったらボッチだし」
「そう?お前結構、周りと上手くやってるように見えたけどな」
俺の目から見ても、鏡歌以外の女子とは、わりと問題なくやっている印象だった。
「何とか取り繕ってただけだよ。浮いてた浮いてた」
「そうかぁ」
本人以外には分からない苦労があるんだな。
「明日からの字の学習はどんな感じ?」
「現代の文字は当たり前として、
古代文字や竜言語、失われた原人たちの言葉や、
神々の使っていた伝達手段まで言語の発音も含めて、全部覚えてもらうよー」
「……それ、俺で大丈夫?」
頭の出来の悪さは、わりと自信がある。
「脳内世界だからね。長期記憶の中に直接叩き込むわよ」
レースゲームで激しいドリフトをかけながら
美射はニッコリと微笑む。
「……お、おう」
何となく不安に思いながら、俺は頷いた。
まぁ、不安に思うのはいつものことで、何度も乗り越えてきたから
今回も美射や俺を信じよう。
そのまま夜中まで、ダラダラと雑談とゲームして
俺の部屋のベッドを美射に譲り、俺は
両親の部屋から布団を借りてきて、床に敷いて寝た。
見慣れた天井を見上げながら目を閉じようとする。
「ねぇ、但馬」
ベッドの上から美射が話しかけてくる。
「何だ。まだ起きてたのか」
「私ね、あなたが居たから、楽しく生きてこれたよ」
「オモッ。しかも、何かの死亡フラグみたいな言い方止めろ」
俺は意外な一言に吹き出してしまう。
「ふふっ。なんかね、言いたくなった」
「寝てくれ。明日からもまだまだ長いだろ。地球に帰ってからもな……」
ボソッと呟いて、布団を被り寝ようとすると
「はいーっ!?もう一回、最後のところもう一回ーっ!!」
美射は飛び起きて、俺に顔を向けてせがむ。
「いやいやいやいや、何でもない。ないって」
「確かに聞いたからね。今ので死亡フラグ吹き飛んだーっ!」
「はよねてくれ。もういいって」
「よし、明日からもビシバシいきますよ」
美射は、喜びながらベッドに戻り、すぐに寝息をたて始める。
俺はホッとして、目を閉じる。
翌朝、準備ができると俺の家は跡形もなく消えうせ、
どこかの古い大学の講堂のようなところに俺は着席していた。
授業風景が見渡せる、高い位置にある最後列である。
見回すと、他にも学生がチラホラいる。皆前列寄りに座っている。
学習意欲は高いようだ。
角を生やした魔族や、おそらく水棲族、マシーナリー、
そして人間も二、三人いる。共通しているのは皆、見た目が若い。
一番下に見える人間の子は、おそらく七、八歳ではないだろうか。
しばらく待っていると、大学帽を被り、長いローブを着た美射が、
分厚い本の束を抱えて、講堂に入ってくる。
「どうもどうも。私、あなた方の講師を務める、リングリングと申します」
ん……?美射じゃなくて、リングリング……?
周囲の学生たちは嬉々とした顔をして、ノートや教科書を開いた。
「苦難に耐え、この階層まで降りてきたあなた方が、欲する知識を与えましょう」
同時に、美射は十倍速くらいの高速で喋り始め、黒板に物凄い勢いで速記しだした。
一瞬戸惑ったが、俺はすぐに美射の講義している内容を
理解できるようになり、聞くだけで流れ込むように知識が脳に刻み付けられていく。
お昼休憩を挟みながら、俺は一日、その謎の大学講堂で高速授業を受け続けた。
授業が終わり、食堂で美射と夕食を食べると
そのまま美射に連れられて、大学の木造の古い宿舎に案内された。
自室に案内されて、ガチャリとカギをあけて入り、すぐに、
美射に色々と疑問に思っていることを訊く。
「いや、望んでいることを勉強できるのは嬉しいんだが……なにここ?」
「抜群に知性がある個体のための大学かな」
「ここも、次元が違う無意識の奥底なの?生徒も各時代からの来訪者?」
「そだね。正確な知識や教養が広まれば、それだけ世界の争いが減るからね。
リングリングちゃんが創ったのよ。そういう"場所"を」
「お前がリングリングじゃないの?」
たしかに、そう名乗っていたが……。
「私は違うよー。但馬がいるから生体イメージと人格を、リングリングちゃんに貸している感じね」
「……難しい話だな。普段の講師はお前じゃないの?」
「そうだね。講師の姿なんて講義内容と比べれば重要なことじゃないから、
ただの影であったり、喋る透明人間のときもあるみたいね」
「そういうのよりは、美射の姿のがマシかな……」
「マシじゃなくて、美射で良かったにしてー」
「わかったわかった。そういうことにします」
「よろしいっ。じゃあ、ここで今日入れて百五十日間、字や言語の学習をしてください」
「ういっす。現実では大学いけないかもしれないから
キャンパスライフを楽しむよ」
「ほらー、また弱気になって可能性を狭めてる。心配しなくても、何でも出来るよ」
と言いながら美射はローブと大学帽を脱ぎだした。
「ちょ、ちょっと待った。何でここで脱ぐの?自分の部屋は?」
「百五十日、ここで同棲生活でしょ?決まってるじゃない」
何となく予想はしていた。そういう展開になるのは仕方ない。
「デートはしばらく無し?」
「そうだよ。夢の大学同棲生活だよ。デートよりいいじゃない?」
ホッとしていいのか、不安に思っていいのかかなり混乱しながら
やはり釘を刺しておく。
「とりあえず、性的なあれは無しでお願いします」
「わかったってー。でも別にしたっていいんだよ?
脳内だから、何やったって赤ちゃんできないよ?」
「いや、そこはリアル世界に戻ってから、人と人として向き合ってからだな……」
「硬いなーせっかくだから、そういう修行をしてもいいと思うけどね」
そう言っている間にも美射は、ローブをすっかり脱いでしまって、
俺は反対を向いて座り、見ないようにする。
「百五十日それー?大変じゃない?」
美射は茶化しながら、クローゼットの中を漁る。
「裸エプロンとかできるなー。どうー?」
「いやいやいやいやいや、普通の格好でお願いします」
「あくまで禁欲的だなー。そゆ但馬も好きだけどね」
美射はショートパンツにエプロンという格好で
丸出しの背中や足を俺に見せながら、キッチンで料理を作り始める。
俺はホッとして、窓から日が暮れて真っ暗な外を眺める。大学の構内の外には街が見える。
「街あるな。あれはハリボテ?」
「いーや。有象無象がちゃんと住んでるよ。無意識の底を棲家にしているような人たちがね」
「……そんなんもいるのか、怖いな」
「話してみると楽しいよ。会話が通じない時も多いけど」
「悪意のある感じじゃないんだな」
「そうだね。暗闇や虚無に引きずり込もうというより、大学ができたから
周りに集まってきて、そこで生活の真似事をしている感じだね」
「この生活や、授業に慣れたら行ってみようか」
「いこいこ。はいっ、孝之さん、野菜炒めできましたよー」
「ありがとう」
俺はご飯を自分でよそってきて、ちゃぶ台で野菜炒めを食べ始めた。
エプロン姿の美射は反対側に座り、それをニコニコしながら見つめる。




