人が進むには
人生には以下略なんてできないけど、それからの一週間は大体同じ感じで流れていった。
僕も、周りも。
しかし、ここで一週間と銘打ったからには一週間と一日後には何か変化があったのだ。それもそれによって唐突に流れが変わった。
それは帰りのホームルームの事だった。正確にいえば、事だったらしい。
僕は昼休みに食べた『ヨーグルトメロンパン』のヨーグルトの部分が腐っていたようで、腹を下して帰りのホームルームには欠席していた。
ヨーグルト自体を、もう少しクリーム状にしてメロンパンのサクサクの部分と合わせれば大ヒットだと思うのだが、いかんせんヨーグルトの方を前面に押し出し過ぎていて、メロンパンのサクサクのところがフニャフニャになっているし、菓子パンの棚に置かれるので冷蔵保存じゃないので腐りやすくて最悪だった。
こんな新商品が、半額になっているのをホイホイ買った僕も僕だが、これは出るとこ出たら勝てるんじゃないだろうか?
おっと、何の話だったっけ?
そうそう、帰りのホームルームでの話だった。
今日のホームルームでは二、三日前から言っていた一週間後に迫った『スポーツ大会』なるイベントでの各自が参加する種目を決めるんだった。
我が校では、毎年新入生歓迎の意味も兼ねて、全学年で五月の中旬頃に様々なスポーツをクラス対抗で競うのだ。三年生や二年生にとっては、ちょうどいい息抜きで、新入生にとっては初めてのイベントをまったり楽しもうなんて感じ………………ではない。
ここが我が校の少しユーモアがあるところで、各種目ごとにちょっとお得な学校内での権利がかかっているのだ。
例えば、バレーボールなら優勝したクラスから、その年のクラスの担当する掃除区域を決める権利が授与されたりする。
これは単に最下位になるとトイレ掃除しか残ってないから、優勝したいというより負けたくないっていうのが本心なのらしい。
他にもサッカーで学食の割引券、バスケなら夏休みの課題十パーセントカット券といった具合だ。
まぁ、どれもこれも伊万里さんの受け売りなんですけど、トイレから帰ると『スポーツ大会』についての詳細を教えてくれて大変助かった。
彼女は本当に情報屋なんじゃないかと思うくらいの便利度です‼
だが、問題はそこではない。問題はその出場選手にある。
今はもうホームルームも終わったので、『スポーツ大会』の選手決めを議題とした内容の黒板の板書は、今日の日直がもう半分近く消しているが、まだ消えていない方の半分にはっきりと書いてあるのだ。
ソフトボール❘安藤、進藤、江藤、小林、笹箱、川藤、佐々木、末松、藤川
何が言いたいかわかるか?
決して藤の字つく奴が多いなとかいうことではない。
……………なぜ、俺の名前がそこにあるんだ?
確かにまだ足に違和感を感じるが、今でも体育とかには適当に流して参加しているので、二、三日前に出たい種目を決めておけと言われた時にはバレーボールとかなら無理に走ったりする場面もないし、丁度いいかなぐらいに考えていたのに、よりによってソフトボール?
男子が選べる種目は四種目、当然複数出たい奴は被ってる奴もいる。でもそれほどスポーツに関心のない奴や苦手な奴は、一つ出ていれば十分に四種目分の参加人数は埋まる。
僕が、勝手にトイレに行っていたので適当に割り振られるのはしょうがない。
でも、よりにもよってソフトボールと言うには合点がいかない。藤の人達にも大人気だったように二、三日前に軽くアンケートを取った時には、サッカーとソフトボールは大人気で参加人数を若干オーバーするほどだった。これは他のプロ競技に比べ、プロサッカーとプロ野球のファン人口を考えればわからなくもないことだ。
ここまで踏まえれば、ならなぜ僕が? という話だろう。
僕が中学の時野球部だったのは誰にも話していない。僕がこの腑に落ちない現状に困惑し、面倒くさい状況に打ち震えていると、事の深刻さが全く分かっていない隣にいた伊万里さんが、それでいて僕の疑問には感づいたようで
「あっ、笹箱君はソフトボールに決まったよ。笹箱君、中学野球部だったんだね。伊勢さんが推薦してたから、みんな満場一致でソフトボールにしといたからねー。みんな勝ちたいしね」
うすうす感づいてはいたが、やはり諸悪の根源は奴か。ここのところ一切話しかけてこないし、話しかけようとしたら、そそくさどこかに行きやがってたが、その次にこの仕打ちか。
だが、僕らならわかるはずだと思っていたんだがな。
これは、冗談や嫌がらせでは済まない。
現に、今も胸のあたりが気持ちの悪い感情で渦巻いていてむかむかする。
教室を見渡しても、もう伊勢はいない。どうする、明日問い詰めるか?
いや、今手当たり次第探すか? でも、問い詰めてどうするんだ。僕は何を言って、何を言わせたいんだ?
僕の考えがまとまらない中、自分の発言で固まってしまった僕を、気遣ってくれる伊万里さんが恐る恐る声を掛けてくれる。
「あの……もしかして嫌だった? 嫌なら鈴原先生に行ったらまだ変更させてくれるんじゃないかな?」
「ハッ‼ それだよ、伊万里さん‼ ありがとう」
そうだよ、今、すべきことは間違いを咎めることじゃなくて、正すことじゃないか。伊万里さんの発言が、僕にとっては青天の霹靂にあたり言葉では伝えきれない感謝の気持ちでいっぱいになる
「ほんとにありがとー。今度、何か奢るからねー」
僕は急いで職員室に向かいながら、もう一度、伊万里さんに手を振って感謝の意を伝えた。
「駄目だ」
面倒くさがりの鈴原先生は、端的に結論を申し上げました。
駄目ならしょうがないなー帰るかー。
「って、何でですか‼ ちょろっと入れ替えてくれればいいじゃないですか」
そんなに難しいことじゃないのに一瞬も逡巡せずに答えたから、こっちもあっさり帰るところだったよ。
「だってなぁ~、お前メンバー入れ替えるとお前と入れ替える奴にも確認とらないといけないしなぁ。今更面倒くせーよぉ」
ついに、本音が出やがったな。
だらしのないしゃべり方が、心の底から面倒なんだろうなと読み取れる。
「それこそ、明日、僕が誰か適当に了解とってきますよ」
「ごめん、それ無理。メンバー表提出が今日の五時までだから」
ちらりと職員室にかかった壁時計を見れば五時まで後十分もなかった。
「なんで、そんなにそれの提出が早いんですか」
僕は、鈴原先生の机の上に置かれた『スポーツ大会』のメンバー表らしきものを見る。
「いや、ほんとはもう少し前から聞いとけって言われてたんだけど、私がだるかったから今日まで聞くのが伸びちゃってさー」
「百パーあんたのせいじゃん‼ それ、そっちの事情なんだから何とかしてくださいよ」
「なんだよぉ~、私を責めるのか? 泣くぞ? そっちだってそっちの事情じゃんかぁ~」
「うっ」
それを言われるときついところだ。トイレに行ってた僕にも非があるし。
「そこを、何とかしてもらえませんかね。僕、実は少し足を怪我してまして、あんまり激しい運動はちょっと」
足の事とか掘り下げられたくないから、あんまり言いたくなかったが、背に腹は代えられない。
だが、怪我の事を出せば、さすがに担任としては代えざるを得ないんじゃないんだろうか。
だが、僕の予想は外れ予想外な答えが若干、本当に若干締まった口調で鈴原先生の口から出てきた。
「知ってるよぉ。それは入学してすぐに伊勢がわざわざ私に教えに来てくれたよ。少し気に掛けてくれってなぁ」
「………………………はっ?」
僕の普段からさほど作動させていない思考回路が、完全に停止する。
今、この人なんて言った? 僕は、何とか頭の中から言葉を絞りだす。
「じゃっ、じゃあ怪我のことを知ってるなら、なんで伊勢が僕を推薦したとき止めてくれなかったんですか」
それが当然の判断じゃないのか?
「推薦した(・・)の(・)が(・)他でも(・・)ない(・・)伊勢だ(・)ぞ(・)ぉ。私はそれに対して何も言うことなんてないよぉ」
「でっ、でも俺の意思は‼」
「これはあまり言うまいと思っていたがなぁ、あいつはお前なんかより、お前のことを考えているよ。あいつがお前に必要と判断したんなら、多分必要なんだよ」
頭の中が熱くなっていく。
「なんだよ、それ、それで俺の怪我が悪化して二度と完治しなくなったらどうしてくれるんですか」
どう考えてもおかしいのは先生と伊勢だ。
それなのに鈴原先生は、入学してから一ヶ月ちょっとの付き合いの中で一番男前な顔をして言うもんだから焦ってしまう。
「そん時は、私が一生面倒見てやるよぉ。それで、ここからは私個人の意見だが、私も色々込み(・・・・)でやった方がいいと思うぞ」
一瞬、女教師に面倒見てもらえる一生ってのもいいかな、なんて考えた自分を殴りたい。
後、たぶん最終的に僕が面倒見る羽目になるだろうし。
さっきから一向に思考回路が復旧しない。
思考回路が停止しているので、僕自身今からどんな行動をするかわからない。気付いたら僕は職員室を飛び出していた。
職員室のドアに手を掛けたとき、鈴原先生の溜息が聞こえた気がした。
溜息つきたいのはこっちだよ、ホントに。
「だから、やりたくてもできないんだって」
僕は、溜息代わりに溜息のような小さな息を吐いてボソッと声を漏らす。
職員室を出た僕は、伊勢を探しに怪我により物理的に重い足を引きずって居る当てもない校内を探し回った。
……なんて展開にはならなかった。
何故なら伊勢は、いつものように小さいくせに、堂々と、仁王立ちで、一年生の下足箱で僕を待ち構えていた。
「まぁ、私を探すなら、まず校内にまだいるか下足箱でも確認するわよね」
伊勢とは思わしくない知的な発言に、僕はたじろぐ。
「もう無視はやめたのか?」
「考えをまとめるための小休止よ」
物は言いようだな。
もう、彼女からは昨日までの僕を避けるための余所余所しさは感じない。何かを吹っ切ったのかもしれない。
「一応、なんであんなことをしたのか聞こうか」
ここまで来て、遠回しに聞く必要なんてないよな。
伊勢は、ふっと中傷するかのように笑う。
「わかんないの?」
「わかるかよ」
もう、こっちは頭の中がぐちゃぐちゃだよ。
「…………あんたさ、今イライラしてんの?」
何だ? その質問。て言うか質問を質問で返すなよ。
「お前の回答次第かもな」
「あんたさ、気付いてないなら言ってあげるけど、とってもイライラして見える」
「だから、それがどうしたんだよ。急にあんなことされたら別に不思議でもないだろ」
俺は今、自分でも自分がどんな風になってるかわかんないから第三者から見てイライラして見えるのならそうなのかもしれない。だけれども、それも今日ここまで受けた僕の仕打ちを考えたら有り得ない感情じゃない。
「じゃあ、あんたは何にイライラしてるの?」
「っつ、そんなの………」
そんなの、……そんなの何だ? 僕は何にイライラしているんだ?
勝手にソフトボールにエントリーしたことが起因しているとしても、その中のどの部分にだ?
僕の意見を、聞かなかったことか?
足の怪我を知っていながらエントリーしたことか?
僕のことをなんでも知っているかのように、振舞われていることか?
諦めた野球に、もう一度関わらせようとしたことか?
もしくは、変更を受理してくれない鈴原先生にか?
それとも、もう野球がしたくてもできない歯がゆさにか?
どれだ? 全部か?
誰にだ? 伊勢? 鈴原先生? 自分? 全員か?
なんで、自分のことが全然わからないんだろう? 今、僕はどんな顔をしているんだ。どんな気持ちなんだ。伊勢や鈴原先生には、僕の何が見えているんだ。
「…………………………そんなの、わかんねぇよ」
足元が急になくなって、大きな穴の中に落ちていく感覚。
去年の夏に怪我の症状を聞かされた時にも味わったあの感覚。
自分のアイデンティティーが失われていくような、手元に何が残っていて、何がなくなったのかが、はっきりと分かっているはずなのに自分の目線は手元にはなく、ひたすら遠くに行ってしまった失くなったもの穴の中から見上げている。
僕は、その場に崩れ落ちた。僕の心情と重なるかのように、床の冷たい感触が膝に広がっていく。
伊勢が一歩、また一歩、こちらに近寄って来る。
やめてくれよ。
今の俺に一体どんな言葉をかけるつもりだよ。まともな神経してる奴なら、今の俺にかける言葉なんてないのはわかるはずだろ。
まともな神経をしていない伊勢が、僕の真横まで来て立ち止まる。
いつもは小さく見下ろしていた彼女が、今度は僕を見下ろす。
「倒れるまで思いっきりやって来な、倒れた時は支えてやんよ」
若干、キメ顔なのが腹の立つポイントだろう。
お前みたいなチビに支え切れるほど僕は軽くない。青春ドラマの見すぎだな。
「ハッ、馬鹿じゃねえのか。俺はそんな雰囲気に流されないぞ。青春ドラマとか大っ嫌いなんだよ」
「元野球部の癖に〜」
伊勢が茶化した口調になる。
シリアスパート終了の合図だ。
僕の体がふっと軽くなる。さっきまで縫い付けられていたんじゃないかと思っていた地面から、僕は立ち上がる。
そして僕は伊勢のもとを逃げるように去っていく。
「…………考えとくよ」
伊勢には、感謝している。
別に、今回が初めてって言うんじゃない。高校に入ってからだって、今回ほどじゃないにしろ、探り探り僕の背中を押してくれることはあった。この前の栄華部の部室での件とかもそうだ。
だけど、背中を押してもらえば貰うほど意固地になって、ボロボロの足で突っ張って、前に進みたがらない僕が出てくる。
「………………なんで怪我しちゃうかな」
僕は、伊勢が完全に見えなくなるまで距離をとった後、誰に言うでもなく、そう呟いた。




