今昔之感
翌朝、伊勢と登校中に会うことはなかった。
別にいつも一緒に登校しているわけではないので、そういうこともちょくちょくあるのだけれど、今日のこの現状が指す意味もわからないほど、僕も馬鹿ではない。
だけれども、この現状がどのくらい続くのかが予測できるほど、頭も良くないのだ。
教室に入ると、普通に伊勢は自分の席に座っていて、友達と談笑していた。ちらりとこちらを見たがすぐに、会話の輪に戻る。
これぐらいの反応は、予想の範囲内なので、特に思うところもないが、強いて言うならやれやれと言った心境だ。
改めて、昨日のことを悔やまざるを得ない。
僕は、やれやれと自分の席に座った。
座ると隣の席の伊万里さんが挨拶をしてきて、僕もそれを業務的に返すと、その後、何言か適当に会話をした気がしたが、よく覚えていない。
その日の授業は、やけに早く終わった。
物理的に早く終わったわけではなく、僕の体内時間が早く流れた。
別に授業中に睡魔の襲撃にあったとかいうわけではないのだが、えらく早かった。
そのくせ今日の授業の内容も、今話している担任の鈴原先生のありがたーいホームルームの内容も、ちっとも頭に入っていなかったりするもんだから困りもんだ。
ホームルームも直ぐに終わり、部活動に行こうと席を立つと伊万里さんに声を掛けられる。
「笹箱君どうしたの? 今日は心ここにあらずって感じだよ」
人を下からのぞき込むような仕草で、僕と目を合わせる伊万里さん。
伊万里さんは女性にしては背の高い方がけれど、その仕草はどこかペットの小動物が飼い主を心配している仕草に似ていた。
「えっ、そうかな? 別に何でもないよ」
本当に僕としては、何もないつもりなのだけれども、隣の席から見た伊万里さん視点には、僕も気付かない何かを感じたのかもしれない。
だとしたら、余計な心配をかけてしまった。
僕は伊万里さんを心配させないために、再度念を押しておく。
「本当に、何もないからね。心配してくれてありがとう」
そんな念押しも虚しく、伊万里さんの顔はさらに曇り、言いづらそうにしながらも、喉元で詰まらせていた言葉を、僕に向けて放つ。
「あのね。なんか、今日は伊勢さんの様子もおかしいんだ。たまに、お互いちらちら見てるし、もしかして、なんかあった?」
…………伊万里さんの評価を、上方修正せざる得ない観察力である。
それでも今それを気取られるわけにはいかないので、会話を放棄し、そそくさと教室を出る作戦へとシフトする。
「いや、ほんとに何でもないからね。あっ、これから部活があるから、これで」
僕の部活は部活で伊万里さんが食いついてくるネタなのだが、今日はそこには反応を見せず、寂しそうな視線で僕を見送るのだった。
いや、本当に伊勢のことに関して思うところなんてないな。
廊下をとぼとぼと歩いていると、壁にぶつかってしまった。
壁のほうに目を向けると、その壁には目が合って、鼻があって、口があって、耳があって、こちらを見下ろしていた。百八十センチは優に超えてそうだ。
「…………よぉ」
その壁は、馴れ馴れしくも話しかけてきた。
「…………」
僕は壁の声には、反応しなかった。
「……久しぶりだな」
その壁は、それでも再度話しかけてくる。
「……そうだな……卒業式以来かな」
今度は、反応する。なんと壁の正体、中学の同級生の秋山勝であった。いっけね、全然気付かなかった。
「…………足は、松葉杖はもう使ってないみたいだけど、歩くくらいなら大丈夫なのか?」
……彼は野球部のころからデリカシーのなさには、定評があった。よく見れば、いやよく見なくても秋山は野球の練習着を着ている。
僕は、自嘲気味に笑う。
「……いきなり、そこから聞くかよ……」
あの伊勢ですら、つい先日までは全く触れなかった話題なのにな。僕の言葉にハッとして己の失言にようやく気付く。
「いっ、いや、すまない。悪気があったわけじゃないんだ。ただ、お前の怪我が気になってって……」
悪気がないのは、こいつの性格を知っている僕もわかっている。でも、そこに触れらては、僕の悪気が出てきてしまう。
「お前には関係ないだろ。それに仮に治ったとしても、もう野球はしねーよ」
なんだろうな。
昨日の伊勢の時は、伊勢が感情的になってたせいか、いまいち、この胸の中にある分類不能な気持ちが湧き上がってきにくかったのだが、今は沸々と音がしそうなほど、何かがこみ上げてくる。
完全に八つ当たりだ。
「お前、途中から入部するのを気にしてるんじゃないのか? そんなの気にするなよ。俺が先輩達にも良く言っとくし、誰にも文句は言わせねーよ」
こいつが僕のことお気に掛けてくれるのは、本来ならありがたがらなくてはならないことなんだろう。でも、図星を指されると、なおさら気分が悪くなって、意固地になって、つらく当たってしまいそうになる。この気持ちは何なんだろうな。
八つ当たりか。
「……お前に何ができんだよ。悪いけど僕急いでるから……」
これ以上こいつと居たら、久々に会ったのにさらに当り散らしてしまいそうだから、僕は適当にその場を後にした。
僕は決して後ろを振り返らなかったが、もしかしたら、秋山の目はさっきの伊万里さんと同じ目をしてたかもしれない。
『映画部』と書かれた栄華部の部室〔ややこしいな〕に行くと、ドアが何気に頑丈そうな金属製のものに変わっていた。
細部もかなり細かい装飾が施されており、なんかライオンのみたいな彫刻ついてますけど大丈夫なんですかね?
ドアノブを回すと鍵がかかっているようだったので、ノックをしてみるとドアの向こうからか細いがよく通る声が返ってきた。
「ドアの横にインターホンがついてるから、それを押してちょうだい」
一瞬、何言ってるんだろうと思ったら、ドアの横には確かに普通のお宅にあるようなインターホンの様なものが設置されていた。
少し躊躇いつつも、人差し指を伸ばしゆっくりとインターホンの中央に取り付けられた丸いボタンを押してみた。
すると『ピンポーン』と予想通りのどこか聞きなれた乾いた音が、部室棟の廊下に響く。
—ガシャン
と先ほどのピンポンダッシュのピンポンの部分にあたる音とは対照的な重厚な音が、ドアから発せられた。多分ドアの鍵の開いた音だろう。
ドアノブに手を掛けると今度はあっさりとドアが開く。
「ごめんなさいね。一応インターホンのカメラで誰か確認しときたかったから」
文字通り開口一番に、深会先輩の声が僕の方に向かってくる。
「すごいドアになってますね。なんか、少し物々しいですし」
昨日の今日で、こんなにすぐに取り付けられるものなんだろうか?
「知り合いの鍵屋に、急いで最高級のものを取り付けさせたわ」
「…………流石の手駒の多さですね」
そんなところまで深会先輩の息のかかった手駒がいるなんてゾッとするな。
「何はともあれ、これでセキュリティーは完璧よ。昨日のようなことはもう起らないわ」
「……そうですね」
こんなことしなくても、もう伊勢は、ここには来ないと思うけどな。
今日の部活動は、これ以上の会話は、ほとんど生まれなかった。
何故なら今日の深会先輩は、いつも以上に読書に熱が入っていたからだ。
手に持っていた本はブックカバーがかかっていたのでわからなかったが、長机に積まれた本の中には ブックカバーがかかってないものもあったので、僕はいくつかに目を落とした。
堀辰雄『風立ちぬ』、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』、ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』、どれも僕でもどこかで聞いたことがある気がする有名な恋愛小説だ。
それぞれの恋愛観は全く共通点はなかった気がするけど。
ちなみに、何となく想像がついている方もおられるだろうがウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』はロリコンの語源となった偉大な書籍である。
他の二冊は友達から聞いたか、ググって聞きかじった程度だが、『ロリータ』は熟読させていただいた。
主人公のヘタレな中年男が、少女趣味で幼女相手に我が魂とか、我が命の光とか言ってたら、読まないわけにはいかないよね‼
夕方、校内外に響き渡る六時を知らせるチャイム。栄華部ではこれが活動終了の合図だったりする。
「深会先輩、チャイムなりましたよ」
深会先輩があんまりにも読書に集中していて、チャイムに気付いてない様だったので、僕は声を掛ける。
深会先輩は僕の声に反応して、本から目を離すと目を細めて窓の外を見る。まだ夕焼けとは言いづらいが、陽はもう大分落ちている。
「えぇ、如何やらそのようね」
深会先輩は、パイプ椅子を引いてスッと立ち上がり、そそくさと帰り支度を済ませる。
因みに読み終わった文庫本たちは、長机に置かれたまんまだ。
今度何か借りてみようかな。
「それじゃあ帰りましょうか」
深会先輩は僕に一緒に帰るように促す。
一緒に帰るといっても深会先輩は正門のところで逆方向の様なので、つまり一緒なのは正門までだ。
部室のドアはオートロックになっており、ドアを閉めた瞬間物々しい施錠された音がする。
ドアの周りをまじまじと見てみると、えらく学校の校舎とは不似合いな機械が取り付けられ
ている。
「指紋認証、声紋認証、虹彩認証よ。その内、笹箱君も登録してあげるから安心してね」
そんなことしないと守れない部室とか、全然安心できないんですけど。
僕はげんなりしつつ、深会先輩と廊下を歩き出すと変な違和感を覚えた。
そして、その違和感の正体にはすぐに気付いた。
深会先輩の歩く速度が昨日までに比べて少し遅いのだ。
これの意味するところは一つしかない。
「あの……深会先輩? 僕は普通に歩く分には大丈夫ですよ」
昨日の話で気を遣わせてしまったのだろう。
「そう? でも階段とかはきついでしょ? 何なら明日から工事を始めさせてエレベーターかエスカレーターを部活棟に設置してもいいのよ」
「……………………………………」
思わず絶句するほど、如何やら深会先輩は僕に過保護のようだった。身内には激甘な人なのかもしれない。何だかんだ言っても三星さんもご褒美もらってるみたいなもんだし。
出来ればその優しさを、伊勢に爪の垢ほどでいいから分け与えてほしい。
「……大丈夫ですよ。自分のことは自分で何とかしますよ」
僕も僕なりに思うところもあるので、少し強がって深会先輩の提案を突っぱねた。
「そう? 本当に遠慮しなくていいのよ? 笹箱君はもう栄華部の一員なのだから、世界の半分を思いのままに牛耳る権限を得たようなものなのよ」
「なんなんですか、その悪の組織みたいなの」
僕は知らない間にそんな闇の組織に入ってたの? 僕はフゥッと溜息をついて心を一旦落ち着ける。
いけない、いけない、昨日や今日がイレギュラーなだけで、本来足の事にはそんなに触れて欲しくはないのだ。
僕は、整った作り笑顔を作る。
整ったと思っているのは、あくまで僕の主観なので深会先輩にはどう見えているかはわからない。
「本当に大丈夫ですからね」
「…………………」
それ以上、深会先輩は何も言わなかった。それが答えなのかもしれない。
その後、足のことについては何も言わなかったが、結局歩く速度はさほど変わらなかった。




