境地告白
その日の放課後。
ドゴン、ドゴン、ドゴン、バリバリ
あっ、これは伊勢が部室のドアを蹴破ろうとしている音です。
木製とは言え、どんな脚力してんだよ。今、少しドアにひびが入りつつあります。
今、入学以来最悪な放課後になりそうな予感です。
「もはやホラーですね」
「普通に器物破損なのだけれど、それから明日からドアは金属製にしないといけないわね」
ついにドアに小さな穴がドアノブの付近に開いて、そこから大きな目がこちらを覗く。
「にゅ~う~ぶ~」
ホラーっすわ。
「茜? 早く来て頂戴。部室の前に不審者がうろついているの」
今回の通報は、正当だと思う。
スッと目が引っ込んだかと思うと、ドアの穴から手が伸びて、内側についている鍵に触れたかと思うとガチャン、鍵が開く。
やばい、やばい、三星さん(けいかん)速くー。
「いい加減、入部させてくれないかしら?」
伊勢の目が、爛々と輝いている。この時、初めて深会先輩が伊勢の目を見て話した。
「………そこまでする理由を教えてもらえないかしら」
その深い二重瞼によって、うっすらと閉じられた瞳が凛と真っ直ぐに一人の人間にふんだんに注がれた。
この瞳を前にし、一切の動揺も見せずに虚言が吐ける人間は、どのくらい存在するのだろう。
伊勢も覚悟を決めたのか、大きな瞳をスッと細める。細めた瞳は深会先輩にではなく、僕へと注がれる。
「…………逃げないため、いや、逃がさないためよ」
伊勢の表情は、真剣そのものだ。
その真意は、僕にははっきりと伝わる。
だが絶対的に、伊勢と過ごした時間が少ない深会先輩では、様々な情報が欠落していて、とてもすべては伝わらないだろう。
「……誰を?」
当然の疑問だが深会先輩には、あらかた答えは見当が付いているというニュアンスが入っているような気がした。
「もちろん、そこにいる馬鹿をよ」
「何から、逃がさないのかしら?」
次に聞いた言葉には、当然情報の欠落から来る疑問だ。
そこは、その点は、この場において、僕と伊勢にしか知りえないことだからだ。
「……必死、躍起、死に物狂い、……一生懸命からよ。こんな自堕落な部活は、そいつのいるべきところじゃない」
「…………は?」
深会先輩が、首を三十度ほど真横に傾げる。
そんなこともお構いなしに伊勢は続ける。
僕からしたら、ここからは聞きたくないところに触れるであろう。
「そいつは中学の時、野球部だったの。
小学校からやっていたわ。
でも、別に特別うまいってわけじゃない。
でも、そいつは野球が好きだった。
それはよく伝わってきた。
野球をやっていた時のそいつは輝いていた。
死ぬほど練習して、どんなにつらくても投げ出さなかった。
何より楽しそうだった。そんな姿に先輩、後輩関係なく一目置いていた。
私なんかつられて小学校から女の子なのに、野球を始めちゃったし、中学じゃ女子は野球できないからソフトをやった。
そして三年生になって、そいつは、キャプテンに選ばれるまでになった。
相変わらず特別うまいわけじゃないし、リーダーシップがあるとかいうわけじゃないんだけど……」
過去の話を、第三者から華々しく語ってもらえるのは、気持ちのいいものだと思っていたが、案外そうでもないらしい。
いや、この話に限るかもしれないが。
伊勢の話を加味してか、深会先輩が割って入る。
「つまり、高校で野球部に入らなかったことが不満なのかしら?」
伊勢は、力なく首を振る。
「そいつ三年の最後のほうに、足を怪我しちゃったの。だから、今は野球はできない」
その言葉に合点がいったとばかりに、深会先輩はこちらを見る。
「だから笹箱君、階段なんかをつらそうに」
「……ただの運動不足ですよ」
……僕はバレバレの嘘をつく。
「でもっ‼」
伊勢の声がワントーン上がる。
顔も興奮して、どこかほんのり赤くなっている気がする。
「一年‼ 一年しっかりとリハビリをすれば、前と変わらないぐらいにまで回復するの‼」
耳が痛い。耳鼻科予約しないとな。
「それなら二年の途中からなら、問題なく野球ができるということかしら?」
別に、深会先輩が悪いわけではないが、その言葉はひどく僕をイライラさせた。
「野球はそうでしょうね。でも、野球部に入るのは無理でしょうね。深会先輩は、うちの高校の野球部の強さって知ってたりしてます?」
ここで、僕はやっとまともに二人の会話に割って入れた。
「えぇ、かなり強いという程度には」
口調を変えたつもりはなかったが、どこか僕の穏やかではない心を読み取ったのか、深会先輩は眉をひそめつつ答えた。
「スポーツの強豪チームで、二年の途中から入って活躍できるなんて、よっぽどの奴だけなんですよ。それこそ、プロクラスの。場合によっては高校でも推薦組以外の入部を認めないとこもありますし、うちの高校は名目上、入部を断ったりしませんけれど、正直言って邪魔くさくてしょうがないと思いますよ」
「……そんな…」
こればかりは、深会先輩も知りえない分野だ。
なんと僕に声を掛けていいのか分からないのだろう。
「気にしないでください。僕は、もう、………野球はしませんから」
なんと情けのない姿なのだろう。
僕は、素直にそう自己評価を下す。
かける声もないだろう。
深会先輩は、代わりに伊勢に問う。
「……笹箱君の事情はよくわかったわ。で? あなたは、結局何がしたいの?」
その問いは、まずいと僕は直感的に思った。今の伊勢は、感情がかなり高ぶっている。図らずとも深会先輩のその言葉はフリ(・・)になりかねない。だけど、気付いた時にはもう遅い。伊勢が一瞬、逡巡したが、次の瞬間には顔の赤みはほんのりどころでは済まなくなり、耳まで真っ赤にして叫んだ。
「私は、そいつの、笹箱敬馬の‼ 頑張っている姿が好きなの‼」
「……いや頑張ってなくても好きなんだけど、そんな姿はらしくなくて」
「また、高校でもそいつの頑張れるものを見つけてあげたくて」
「でっ、でも、あわよくば、また野球をやって欲しい‼」
僕の中のブラックボックスの一つが、あっさり開帳した。
ぐだぐだと、ドラマや漫画なら、もう少し簡潔にまとめるよう注意を受けそうなほど、言葉が溢れだした。
その後、伊勢は、小さくポロッと零れる様に「何言ってるんだろ、無茶苦茶よね」と呟く。それでも、その言葉は確かに僕の耳にも、深会先輩の耳にも届いた。
僕は、この瞬間に返すべき言葉を知らない。
代わりにこの変な間を、深会先輩が埋めてくれる。
しかし、その埋め方はあまりにも荒々しかった。
「じゃあ、あなたがこの部に入ったら、笹箱君と一緒に一生懸命映画でも作って、青春したかったのかしら」
声のトーンに、抑揚が付いているわけではない。
でも、確かにそこには侮蔑の感情がこもっていた。
「…………悪い?」
伊勢が小さく目元を袖でぬぐい、小さく返答する。この距離では、よく見えないのだが少し涙ぐんでいるのかもしれない。
今、伊勢は感情の丈を吐き出して、いっぱい、いっぱいだ。
いつもの様な、反撃する力も残っていない。
それ故に、このタイミングでの口撃は惨たらしい。だけど、そんなことで深会先輩の口撃は止まない。
「悪いわ。
何だかわからないけれど、イライラしてくるの。
それは、あなたのエゴよ。
笹箱君のことなんて一切考えられていない。
笹箱君はもう野球と折り合いをつけたかもしれない。
もう、野球なんて見たくもないかもしれない。
もう、頑張り疲れたのかもしれない。そんなことをあなたは考えたことがある?」
何故だか、深会先輩は言葉の通りイライラして見えた。
だとすれば、何に?
でも、今はそんなことを考えている場合ではない。
深会先輩を止めなくては、伊勢が完膚なきまでに崩れてしまいそうだ。
「深会先輩、その辺で—」
「止めなくていいわよ、笹箱。わかってるから、その女の言ってることは、ある意味においてはすごく正しいってことくらい」
深会先輩が「じゃあ、なんで」と言いたげな目で伊勢を見る。
伊勢は、それに逃げず真っ直ぐに答える。
「でも、自分じゃどうにもできないの‼
そりゃ私だってさんざん考えたわよ‼
笹箱は、ここで一旦休んでもいいのかもしれない。 ただの迷惑になっているかもしれない。
でも‼ これは、好きな人の一番輝いているところが見たいという、私のわがまま‼」
「 それが、恋だから‼」
僕は、多分酷い人間だ。
屑だ。
散々、伊勢のそれとないアピールも適当に受け流し、今ついにはっきりとした形で告白している伊勢に、何の返答もしない。
それに涙ぐんでいる伊勢には悪いが、僕には、その言葉が胸には響かなかった。
どこかで聞いたことのある言葉は、重ねるごとに安くなっていって、胸への響きが悪くなる。
伊勢の言葉は、どこか安い恋愛漫画や小説の言葉にしか聞こえなかった。
悪いとは思うが、怪我をしてからの僕は、自分のこんなに近くで起きていることさえ、どこか他人事のように感じてしまう。
頑張ろうという気持ちはあっても、あまり何も手についてないように思える。
それこそ、どこかで聞いたことのある言葉だが、死んだように生きている。
だけれども、それは僕の話。
僕のリアクションが大半の人と同じとは限らない。なぜなら隣の深会先輩は雷にでも打たれた衝撃が走ったかのように、目を見開いてる。
「……それが、恋?」
呻くように深会先輩は、伊勢のセリフを反復する。
「そう‼」
伊勢が、深会先輩の言葉を強く肯定する。
「我儘言って、相手のことなどお構いなしで、自分のしたいように振る舞うことが?」
それは多大な解釈の間違いだと思うが、
「そう‼」
こら、伊勢のやつ、深会先輩に適当なこと吹き込むなよ。
その人、ちょっと不思議ちゃんなんだから。
そんな伊勢の強い肯定をどう受け取ったのか、さっぱりその表情からは読み取れないが、深会先輩は一つの言葉を紡ぐ。
「…………ありがとう、アマ、勉強になったわ。……でもタイムアップよ」
「はっ⁉」
伊勢が、何か邪悪な気配を感じ取り勢いよく後ろを振り向くと、そこには三星さんが手をグー、パーと開閉しながら待ち構えている………………いつの間にいたんだ?
忍者みたいだな。
そうして、また二人は部室から消えていった。何故か、伊勢は暴れながら三星さんに肩車されていた。大きくなってから肩車されると、高さが凄いことになってシャレにならないくらい怖いよね。




