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長すぎる大人の階段   作者: 痛瀬河 病
第一章 長すぎる大人の階段
13/15

決戦清算

 僕らの一生なんて、宇宙や地球の誕生から比べればまさしく一瞬だろう。ならば、その一生の中の高校一年の一週間なんてあっという間ではないだろう。

 もしくは、今、僕があっという間だと感じているのは、よくある嫌な行事に限ってその前の時間があっという間に感じて、いつの間にか当日になっていたというあの現象だろうか。


 はい、そんなわけでスポーツ大会当日です。


 どれだけ口で覚悟を決めても、内心逃げてはいけないと思っていても、嫌なものは嫌なのだ。

 そんな嫌なソフトボールは昼からのなので、ソフトボール一種目にしか出ない僕は、午前中は他のスポーツをやっている人を冷かしながらグラウンドや体育館をフラフラとするぐらいしかやることはない。

 朝のホームルームで出欠をとらないなら、昼から来たいところだ。

 僕はどうしたものかとグラウンドをフラフラしていると、どこからかなんだか懐かしい音とそれなりの数がいるであろうと分かる歓声がしてくるのに気付いた。

 吸い寄せられるように、その音のする方に向かうとそれは野球部のグラウンドだった。

 うちの高校の野球部のグラウンドは、実際にプロ野球選手や高校野球の公式戦をするような球場のようになっているのではなく、ただ単にうち高校の全体のグラウンドの端に扇形に形をとって試合なんかをする時だけフェンスなんかで区切ったりする。

 という補足説明なんかは、今はどうでもよくて、今そこで何をやっているのかという問題なんだけど、それは一目見ればわかるもので、スポーツ大会の一種目である女子ソフトだった。

 足を運んだ時点で気付いてはいたが、予想通りだったな。

 一般的に学校のこういったイベントで自分の出番ではないときは、どういった行動が多いのだろう? 僕の場合は、適当に近場の知り合いの活躍を見て回ったりする。

 はい! ということで知り合いAの伊勢さんの活躍を見てまいりましょう!


 ーーキィィン


 鋭く澄んだ金属音が、僕の鼓膜に突き刺さる。

 伊勢がセンター前ヒットを打った音だ。元々、伊勢は中学ではソフト部だし、小学校でも野球をしていたのだから、素人たちに混ざってソフトボールをやっていれば、そう驚くべき結果でもないのだが、この結果に僕は素直に嬉しかった。

 勿論、自由にグラウンドを駆け回っている伊勢を羨ましかったり、妬んだりする気持ちが全くないと言ったらウソかもしれない。僕自身には自覚はないけど、心のどこかで思っていないのかと聞かれれば、ないですという自信はない。

 でも、今あそこで活躍している彼女は、誰に与えられた力でもなく自分で掴み取った力で結果を出しているのだ。

 努力が実を結ぶとは限らない。

 でも、それが実を結んで花が咲くときその花は、どんな花にも負けないくらい綺麗なものになるだろう。

 僕は伊勢(あの花)の努力を、長いこと隣で見てきたのだ。それは愛着も湧くってものだ。

 残念ながら伊勢は、ホームに帰ることができず伊勢のチームの攻撃が終わった。

 伊勢が自分のグローブをベンチに取りに戻っているとき、伊勢は僕を含め見物人が多くいる方をきょろきょろと見回していると僕と目が合った。

 どうやら僕を探していたらしい。

 僕を見つけた伊勢は、僕の方に向かって力強くガッツポーズをした。多分先ほどのヒットを自慢したかったのだろう。

 そんな彼女に僕と同じクラスの確かソフト部だった子が、はしゃいで何かまくしたてている。恐らく、勘ではあるがソフト部に勧誘されているのだろう。伊勢はいまだに無所属の帰宅部員だ。僕にも責任の一端があるし、何より先ほどの活躍から見るにまだ腕はそれほど鈍っていない様なのでぜひともソフト部に入ってほしいところだ。

 隣で枯れていった花のことなど忘れて。

 僕はしばらく試合を見た後、静かにその場を去った。




 僕はグラウンドを後にして、次に向かったのは体育館だ。これは別に誰の応援というわけでもない。単純に正午が近づいてきて、暑くなってきたので日陰のある体育館に避難してきただけの話だ。

 体育館では 二面に分け男子と女子のバスケが同時に行われていた。

 だらーっとそれを見ていると、丁度男子の自分のクラスの試合の順番が回ってきた。

 暇つぶしに見てやるかぐらいのスタンスで見ていると、あれよあれよという間にどんどん相手チームに得点を許し点差がついていく。

 相手チームは、バスケ部でも大量投入されているのかと見てみると、そこには知った顔があった。元チームメイトの秋山だ。でかい図体はバスケの方でも生かされているらしく、味方チームとの連携もよくとれていて手がつけられないといった具合だ。

 特にちょっとチャラそうな茶髪のこれまた長身の奴とのコンビネーションは、なかなかで素人同士には見えない。いや、もしかしたら茶髪の方はバスケ部かもしれない。身長は秋山とそう変わらないが秋山に比べ細身である。しかしその分動きが俊敏でつい見とれてしまった。

「工藤君がんばってー‼」

 そんな黄色い声援がコートの中に飛んでいくと、それに応えてひらひらと手を振るのはチャラい茶髪だった。そうか、彼は工藤というのか女子から黄色い声援を浴びた憎たらしい工藤と覚えておこう。

 そして、バスケの試合は秋山のいるチームが大差で勝った。

 つまり、もう、いよいよ、すぐに僕の番になる。




 ソフトボールの会場に行くと、最初に僕は足への負担が最も少ないであろうファーストを守らせてもらえるようチームメイトというかソフトボールに出るクラスメートに話した。

「えっ、笹箱って確か中学んとき野球部じゃなかったっけ? ショートとかセンターじゃなくていいの?」

 藤川は、僕が野球部だったことを知っているらしい。それならば当然の疑問だろう。

「へー、笹箱、野球部だったんだ。期待してるぜ」

 川藤が、適当な感じで声をかけてくる。

 僕が野球部だという情報が段々とチームに広まっていく。このままでは過度な期待をされてしまいそうなので、怪我のことをざっくりと説明してわかってもらった。

 気を使ってくれているのだろうが、周りに変な空気が流れてしまったので、誤魔化すために対戦相手の方を見た。

 そして、見て固まる。

 何故なら、先ほど覚えてたばかりの顔を見たからだ。工藤だ。別に工藤のことはモテるから嫌いが、そこが僕の固まった原因ではない。

 つまり工藤がいるということは、やつのクラスということだ。

 対戦相手の中から一歩こちらに近づいてくる影がある。秋山だ。

 我が高校の野球部のホープで、僕の中学の野球部の四番。いきなり詰んだといえる展開である。

 どこかで見ているかもしれない伊勢には悪いが、十中八九負けたな。

 うんざりしながら秋山の方をもう一度チラッとみると、視線が合い秋山が口パクで「負けないぞ」と言っているのが辛うじで分かった。

 いや、お前が負けないのは当たり前だろうが、と内心毒づくが秋山は気付く様子はない。

 結局、僕は三番ファーストという好打順で試合が始まった。

 僕らの先攻で始まった攻撃は、あっという間に僕の打順に回ってきた。

 もちろん、一番と二番が華麗にヒットを打って出塁したわけではない。その真逆だ。見事に三球三振である。 

 ゆっくりと右打者のバッターボックスに入り、相手投手を見据える。向こうからしたら誰? といったところだろうが、僕からしたら先程散々活躍を目にした相手、工藤だ。

 彼は、眼にも止まらないというのが比喩表現ではないほど速い球を我がチームの一、二に披露して黄色い歓声に答えていた。

「速いだろ? あいつ、小学校の頃ソフトで全国行った投手だからな~。おれも取るので精一杯だわ」

 と、急に話しかけられて声の方に眼をやると、プロテクターをつけて捕手をやっている秋山がいた。

 当然と言えば当然か。あんな剛速球を捕球するのは、野球経験者でも厳しいだろう。

 工藤の球は球速にして百キロそこそこといったところだろうか、これは普通の野球の投手の球速で考えると、小学生でも投げられる子は結構いるだろうが、ソフトとで考えると恐ろしいことになる。

 そもそも、ソフトはマウンドから捕手までの距離が、野球に比べてだいぶ近い。

 で、ここからはサルでもわかると思うのだが、

「ストラーーイク‼」

 審判が、ノリノリでコールする。

 僕は、ピクリとも動けない。

 ソフトのマウンドから繰り出される百キロは、百キロにあらず。体感にして通常の野球に置き換えると百五十キロを超える。つまり、体感だけとはいえプロ野球のトップクラスの速球投手と同じ球速なのだ。

「ストラーーイク‼」

 今度は、何とかバットを振ることに成功するが、そのスイングには力もなく超絶振り遅れていた。

 そもそも、何夢を見ているのだろうか? 足を怪我している人間なら、そもそも足元の踏ん張りが利かずスイングに力なんぞはいるわけもない。

 こんなことをしても怪我をする前のスイングとの違いに愕然とするだけじゃないか、このまま突っ立っていれば、まだ四球の可能性が出てマシかもしれない。

 一、二番の三球三振を見たところそれも望み薄だが、そうこう考えているうちに工藤の手から三球目が放たれる。

「ストラーーイク‼ バッターアウト‼」

 何一つおかしなことはない。予想通りの結果だ。秋山が自分のミットに収まったボールを興味深そうに見て嬉しそうに小声で告げる。

「……かすってたぞ」

 秋山は、言うだけ言って三塁側のベンチに帰っていく。

「……気のせいだろ」

 そう、僕は無様にも三球目のボールに振ってしまった。体が動いたというやつだろうか? 

 ベンチに帰っている相手チームたちの中で一人こちらに少し遠回りしてやってくる影があった。

「秋山の話だと、もう少しすごい奴って話だったんだけど、やっぱ足痛いの?」

 そこにいたのは工藤だった。僕は、少し戸惑いながらも返事をする。

「あいつが話盛ったんだよ。気にすんな。元からこんなもんだ」

 その言葉を聞いた工藤は、どこか残念そうな顔をする。

「なーんだ。そっか、そっか。それだと、この試合の楽しみがなくなっちゃったな」

 勝手に楽しみにされても困るが、これ以上話しかけられても鬱陶しいので、僕は逃げるようにベンチにグローブをとりに行った。

 ファーストを守っていると伊勢と深会先輩を見つけた。伊勢はともかく、深会先輩まで見に来ているとは意外だった。

 伊勢は不機嫌そうな表情でバックネット裏に、深会先輩はファーストベンチ裏つまり僕のチーム方(何で気付かなかったんだ)に無表情で立っていた。

 ファーストとは、他のポジションに比べ、比較的動かなくてもいいポジションだが、この回は特にそうだった。相手の一、二番が簡単に打ち上げたかと思ったら三番の工藤、四番の秋山が二者連続ホームラン、ソフトボールってあんなに飛ぶんだなと感心しているうちに五番がまたも打ち上げチェンジである。なんと驚きの一歩も動いてないのである。

「あっという間に二点差付いたな」

 チームメイトの誰かが言った。

 僕から言わせてもらえば、二点で済んでラッキーだな、である。

 これから、少なくとも二、三イニングに一回あいつらの打席が回ってくる。

 時間の関係上、今日のソフトボールは五イニング制、十点差コールドなのであと二回ぐらいはあれを覚悟しておかなくてはならない。

 つまり、最低でも六点、あの二人の前にランナーを貯めれば、あっという間にコールドである。それ以前に他のやつらを0に抑えられる保証なんてない。

 そして、こちらが点を取れる可能性が皆無とくれば、帰って寝るのが賢い選択だろう。

……なのに、僕の胸の中で何かが熱くなっていく。そして、頭の中ではなんとか勝つ(すべ)はないのかと、意地汚く考え始めていた。

 結局、二回の僕らの攻撃は四球が一つ以外はみんな三球三振であっさり終わった。圧倒的戦力差に皆、やる気をなくし始めていた。

 それが当然の反応だろう。


 二回の相手の攻撃は、ランナーを出しつつも、何とか0に抑えることに成功した。余り動けない僕が守備の際に出来ることと言えば、ランナーが出たときにみんなが混乱しないように、いち早く状況判断をしてチームメイトに声を掛けてあげるくらいなのが、情けないところだ。

 ベンチに帰るときに伊勢と目が合った。

 そこにある彼女の瞳の中にあるものは、僕の考えていたものと幾分違った。

 さすがに、この状況なら負けても仕方がないのだから、もっと悲しい目でもしてくれているのかと思った。

 なのに、あいつときたらこの状況でまだ信じてやがる。野球経験者ならなおさらこの絶望具合が分かるだろうに、まだ信じてやがる。そんだけ信じられたら神様だって戸惑うレベルだ。

 このまま諦めれば、どれだけ楽かわからないだろう。諦めたい、諦めさせてくれ、諦めていいだろう。そんな3段活用したところで、彼女は、伊勢はいつまでも僕の背を押してくるだろう。


 マンガやドラマじゃないのだ。僕の背を押し続けたところで、僕が華麗な復活を遂げたり、この試合に勝ったりすることが約束されているわけじゃない。むしろ、そういった可能性が少ないからこそ、マンガやドラマにして感動を誘うのだ。


 いつもなら……怪我をしてからこれまでの僕なら、ここはクールな振りして、諦めた振りして、覚めた振りして、この胸の熱いものを気付かない振りをしていただろう。


 僕は、それこそが大人の対応だと思っていたのだ。


 だが、そんなものは大人でも何でもない。ただ、ガキが拗ねているだけだ。


 後ろにいるはずの深会先輩は何も言わない。もう、十分すぎるほどの言葉をかけてもらっている。だから、僕は彼女に見せなくてはならない。あなたに出会えたおかげで変われた僕を見せなくてはならない。

「……みんな、ちょっといいか?」

 僕は、チームメイトにある指示を実行してくれないかと頼んだ。




 三回の僕らの攻撃は、今までの二回とは随分違うはずだ。

 一人目の打者が打席に入る。

 黄色い声援を背に工藤が投球を開始する。

 そこに、

「はっ?」

 工藤のそんな声が小さく聞こえた。

「ストラーーイク‼」

 そんな中、球審のノリノリのコールは響き渡る。そう、僕らは華麗にヒットを打ったわけでもない。それどころか、バットにすら当たってない。

 ただ、バント(・・・)の(・)構え(・・)をしてボールが来たら、その構えを元に戻しただけだ。

 二球目もそれを続ける。

「……ボール」

「チッ」

 今度は、工藤の舌打ちが聞こえた。なぜ、ベンチからでも工藤の声が聞こえているかというと、工藤が近づいて(・・・・)きてる(・・・)からである。

 バントダッシュという言葉がある。

 バントの際は状況にもよるがファースト、サード、ピッチャーはバントされた打球を処理しにダッシュで打者の方へ前進しなくては、内野安打になってしまう可能性があるのだ。

 打てないからバント。マンガなら使い古され過ぎて逆に新しくなっちゃってるぐらいのものだろう。

 だが、残念ながら僕の考えはバントをしてヒットを狙うことではない。そもそも、工藤の投球はバントすら許さない。それぐらいの実力差が僕らの間にはある。それにバントと言うのも、それ自体がそんなに簡単なことでもない。

 一人目の打者はあえなく三振した。だが、三球(・・)三振(・・)ではない。アウトには変わりない。だが、今までよりは遥かにましなのだ。

 この回は、工藤がちょっとイライラしながらも、二つの四球二つの三振で、ツーアウト、一、二塁で僕の打席が回ってきた。依然として工藤のボールにバットが当たった者がいないのだから感服するばかりである。

「……あの、バントはお前の指示か?」

 捕手の秋山が興味深げに話しかけてきた。

「……さあな」

「まだ、諦めてないんだな」

 その声には、どこか嬉しそうなニュアンスが含まれていた。こいつは本格的に敵失格だ。

 皆に散々指示しておいて何だが、僕はバントはしない。

 と言うか、してもあまり意味がない。

 おそらく、僕がこのチーム内で唯一バントして打球が前に転がせる打者だろうが、今の足ではいくらなんでもセーフになるのは厳しい。

 そもそも、バントは虚をつくから成功するのであってバレバレではいくら素人守備でも綺麗に転がして成功率が三割あるかも怪しい。

 だから打つ! ってほど、熱血キャラでもないのだが、やれるだけやってみよう。

 僕が野球経験者だと知らないファーストとサードは、またバントを警戒して少し前に守っている。

 まず、バットを一番短く持つ。そして、怪我した足ではバッティングフォームの過程であるステップは満足できない。だから最初から踏み出しておく。これによって、足の負担の最小化以外にもスイングの過程を一つ飛ばせることで速い球に食らいつきやすくなる。

 とても、不格好だが出来ることは全てやった。

 後は、工藤がどう攻めてくるかだが、ここで冷静に球を置きにきてくれれば、勝機はある。

 工藤が、こちらを真っ直ぐと見据え、第一球。

 その腕から放たれるボールは、先ほどまでの打者に放っていたものとは異質だった。

「っっ!」

 審判のコールが遠くからに聞こえる程、今のボールがミットにおさまった音が耳にこびりつく。コースはど真ん中だった。

 でも、反応できなかった。

「いやー、今のは速かったなー」

 秋山の呑気な声がする。

 なるほど、工藤の性格は、よくわかったよ。

 思った以上に熱くなってらっしゃるようだ。

 この場面で、()で(・)ねじ伏せ(・・・・)にきやがった。

 それなら、自然とボール球も増えるはず。気持ち、待球気味でもいいのか? 

 僕は無駄にボール球を振らないため、ど真ん中にだけ張って二球目を待つ。

 工藤が二球目を力強く投げる。

(来やがった。ど真ん中)

 狙い通りのところに、狙い通りの球が来る。そこに向かって、僕はコンパクトに当てにバットを向かわせる。


 ブンッ‼︎


 活字に起こすと、なんと間抜けなものだろう。

 細部まで明かしたくないが、僕はバットにかすりもしなかった。

 球種とコースがわかっていた。

 つまり打者として最高の条件が揃っている。この程度で挫けるつもりもないが、こいつを攻略するのは、なかなかハードだとよくわかった。

 後ろの味方たちに、白い目で見られてないか不安である。何せ、偉そうに指示を出しておいて、チームで唯一自分からストライク(・・・・・)を(・)稼ぎ(・・・)にいっているのだ。

「さすがに、スイッチ入った工藤は打つのは至難の技かもな」

 と秋山が話しかけてくるのをいつも通り無視して、考える。

 実際、秋山の言うとおり一打席目とは球の質そのものが違うのだ。速度自体はよくて四、五キロといったところだが、勢いや回転数が明らかに上がっている。

 やっと肩が温まってきたのか、軽くとは言えピンチにギアが一つ上がったのか、それとも姑息なバント作戦の首謀者の正体が、僕だと気が付いてしまったか、最悪その全てかだ。

 いずれにしても、大層スポーツ選手向きな性格で羨ましい事だ。

 さすが、野球特待生。

 僕は、バットの構える位置を下げる。更にミートポイントまでの位置を近づける。

 正直、この構えでは内野の頭を越すだけの力をボールに加えられるか怪しいが、まず当てなければ話にならない。

 周りからクスクスと小声での笑い声が、まとまって僕の耳まで届く。当たり前だ、僕が逆の立場でもたぶん笑う。それぐらい、みっともない格好をしている自信がある。

 この構えの意図がわかっている秋山や工藤、伊勢たちはともかくとしてだ。

 工藤が三球目の放つために構えに入る。

(もう、コース決めて張って打つしかない。)

 工藤は細かいコントロールを考えてない。ならばもう一度真ん中付近で張るしかない。

 工藤の手から第三球が放たれる。

 それと、ほぼ同時にバットを始動させる。

 (当たれー‼)


 キィィィン‼


 金属特有の甲高い音が、グラウンドにこだます。僕らのチームからは、初めて発せられた音だ。

 ツーアウトなので、ランナーは自動的に打球音と同時にスタートしている。

 しかし、問題の打球はドラマチックな展開など一切なく、セカンドの頭上に高々と上がっていた。

「くっ」

 僕は歯噛みしながらも、一塁まで足を少し引きずりながら小走りで向かう。

 完全捕球されるまでは、諦めるわけにはいかない。

 僕が一塁まであと三、四メートルといったところで、セカンドのグラブにボールが入りそうになる。

 ………こうなったら


「あっっ‼︎‼︎‼︎」


 僕は、腹からできる限り大きな声を驚いた風に出す。

 一瞬、周りの視線は僕に集まる。

 そう、一瞬でいい、一瞬ボールから目を離せば、それが命取りになる。

 特にソフトボールは、通常の野球ボールより随分大きい、野球未経験者には尚更フライはとりづらい。

「あっ」

 セカンドの方から小さな声がこぼれる。

 予想通りセカンドは、ボールをこぼしてくれた。

 素人にしか通用しないし、それ以前にかなり姑息な手だが、手段は選べない。

 セカンドがもたもたしている間に、ランナーがみんな帰ってくる。

 これで二対二、一応同点だ。セカンドからの視線が痛い。

 ただですら、イライラしていた工藤の方なんて、怖くて見れないまである。

 次のバッターをあっさり片付けた工藤は、こちらに一瞥もせず三塁側のベンチへ帰っていく。

 秋山には、ニヤニヤとした顔でこちらを見られた。ついでに深会先輩もどこか呆れたような顔をして苦笑していた。

 裏の攻撃では、相手は一、二番から始まり一番は何とか打ち取ったものの二番にヒットを打たれてしまい工藤に回してしまった。

 だが、こいつら野球部どもには一応対策は考えている。

「フォアボール」

 歩かすだけだけどな。それもあからさまな敬遠では、こんなレクリエーションでそこまでやるのかと周りからの顰蹙(ひんしゅく)を買うので、あくまで勝負しているっぽくだ。

 悪いが次の秋山も同様だ。ランナーを大量にため込んでしまうのは痛いが、満塁には満塁でアウトがとりやすくなるという長所も潜んでいるので、真っ向勝負するよりはるかに勝算が高い。

 もう一度、秋山に悪いと思いつつ顔を覗くと、悪戯小僧のようにニヤッと笑うのが分かった。

 僕は反射的に悪寒が走った時には、自チームの投手はボールを投げていた。しっかり外にボール二、三個は外れている。

 しかし、秋山はお構いなしに体勢が崩れつつも、しっかりとバットを振り抜く。

 その打球は激しい勢いを保ちつつ弧を描きライト線に落ちる。その打球にはとんでもないドライブがかかっていたようで、高く跳ね上がりワンバウンドでネットを超え、ホームランゾーンに入ってしまった。

 ルール上エンタイトルツーベースと言って、秋山は強制的にツーベースで止まることになり、ワンアウト二、三塁からプレーを再開することになる。

 秋山が得意げな顔でこちらを見ながら、一塁を回った時に後悔する。

(周りの目なんて気にしないで、堂々と敬遠するべきだったな)

 これで、三対二、再度逆転された形になった。

 この後、辛くも後続を打ち取り三回の裏終了。


 次のこちらの攻撃では、執拗なバント作戦で出塁を狙うが、フォアボール一つに終わりあえなく終了。

 裏の相手の攻撃も下位打線だったため、比較的静かな四回だった。


 そして、最後の攻撃となる。

 ここで、二点取れなくては僕たちの負けである。僕の打席は一人以上が出塁することが条件となる。

 そして、勝利への最低条件は、この回に二点入れて裏の相手チームの攻撃をゼロ点にすることだ。

 ただ、次の相手の攻撃には工藤、秋山に回る。ゼロ点で抑える仮定はいささか楽観的過ぎるだろうか。

 だが、ここまでのバント作戦はただ四球を貰うためだけではない。散々走らせて足腰に来てるはずだ。

 ここで、何とか叩ければ勝機はあるはずだ。


「………心地いい?」

 

 その背後からかけられた言葉の主は、確認するまでもない。深会先輩だ。

 僕は、あえて振り返らない。

 そう、この気持ちに名前を付けるとしたらそれだ。

 心地いいのだ。

 好き(や)な(きゅ)こと(う)で自分より大きな壁を頭と体をフルに駆使して打倒しようとする。その(プ)()が用意されているのは本当に一部。

 つまり完全な自己満足の世界。

 このぬるま湯はさぞかし心地いいことだろう。

 でも、そろそろ僕はこのぬるま湯から上がらなくてはならないのかもしれない。そういう時期が来たんだ。明確にこの時期が決まっているわけではない。一生来ない人もいるだろう。それが一番だが、そんな幸せ者は数えるほどだろう。

 他人には逃げにしか見えないかも知れない。

 でも、不器用極まりない僕はこうやって進んでいくしかない。次のやりたい事が薄っすらとでも見えてる分、僕はまだ幸せな方だ。

 僕は、工藤の方を真っ直ぐと見つめる。

 今はまだ後ろを振り返らない。

 彼女は意外に寂しがりやだから、拗ねているかもしれない。


 ただ、今はまだここを優先させてください。


 あっさりとツーアウトを取ったかと思えば、僕の前の打者をあっさり歩かせてしまう。

 これは、僕に対する招待状という解釈で合っているんだろう。

 そう、あくまで招待状だ。挑戦状ではない。挑戦しなくてはならないのは僕だからだ。彼らはその舞台に招待してくれただけにすぎない。

 僕は、その招待を受け、ゆっくりと重くなった足を引きずり打席に向かう。ちらりと伊勢も視界の端にとらえる。こちらに視線を向けているのは分かったが、あえてこちらから視線は合わせない。

 さぁ、せっかくの招待だが足の具合を考えると、そんなに長々とはいられそうにない。

 しかし、目は口程に物を言うとは、よく言ったもので、工藤の目は爛々と輝いて捕食者のようである。

 僕は、さしずめ少しばかり抵抗してきた物珍しい小動物といったところだろう。

 でも、工藤も肩で息をし始めている。バント作戦での球数を多く投げさせたのは、少しは効果があったようだ。

 ピリピリとした雰囲気を感じ取ったのか、さすがに秋山もこの場面では僕に話しかけてきたりしない。

 工藤が振りかぶる。

 一球目、胸元に重そうな球が走り向ける。

 ストライク。

 油断なんて微塵もしてないのにバットを振る事すら難しい球だな。

 二球目、外低めいっぱいにうねりを上げるストレートが決まる。

 僕はそれを不格好に振りをして空振る。

 四球なんて微塵も期待できない絶望。

 足を庇いながらでは勝負にもならない。

 

「頑張れーー‼」

 

 バックネットの方から何の工夫もない声援が、聞きなれた大声に乗って響く。全く一番集中しなければならないんだから、静かに見守っててほしいものである。

 それに、頑張っている人には頑張れは禁句だって知らないのかね。おかげで、もっと(・・・)頑張らなきゃいけなくなる。

 もう、足は庇わない。一スイングにすべてを乗せる。

 工藤が僕にとどめを刺すために振りかぶる。

 それと同時に、僕は全体重を右足に乗せる。

 美しさすら感じさせるピッチングフォームが始動する。

 バットのグリップが工藤の方に向く。


 放たれる。


 迎え撃つ。


 僕の両手に、確かなずっしりとした質量を感じた。

 ボールがバットに当たった。最後の最後まで目を離せない。

 絶対に力負けなんてしてやるものか、僕は最後の力を出し切る勢いでバットを振り抜いた。

 その場に僕は尻餅をつく。

 打球は……三遊間の方へ向かって……

「抜けてーーー‼」


 抜けた‼ 


 伊勢の叫びが通じたかは、さておいてもヒットだ。

 じゃあ次は、次は……次は一塁まで走らなくてはいけない。

「くっ」

 何とか、かろうじで足に力を込め、立ち上がった僕には、一塁までがはるか先に見えた。

 出し切ったのだ。笑い話にもならない。

 でも、それでも、まだだ。

 散々周りに迷惑をかけまくった僕はここで終わることは許されない。僕は一塁ベースに向かう。

「レフトー! ファースト間に合うぞ!」

 秋山が大声で叫ぶ。レフトは、まさかバッターが全然進んでもいないなんて思っていなかったようでもたつく。

 動け、向かえ、進め、走れ、頭から目一杯の信号を足に送る。

 あと半分、レフトから中継にボールが届く。

 慌てて右足を前に踏み出した。

「あっ」

 躓きバランスを崩し転倒する。

 ボールは、無情にも一塁手のグローブの中に納まる。

 ゲームセットだ。

 試合の終了に周りがざわめきだす。

 そう、試合は終了した。

 でも、笹箱敬馬のけじめはまだ終わってないのだ。せめて一塁ベースに届くまでは、終われない。でも、もう立ち上げれない。それでも進む。進まなくてはいけない。匍匐(ほふく)前進の要領で手で僕は地べたを張った。

 周りのざわめきの質が変わる。ドン引きだろう。僕だって自分自身にドン引きだ。

 でも、今だけは、これだけは何としてもやり遂げなくてはならないんだ。

 あと、一メートル。

 みじめでも、恥ずかしくてもこれ以上自分から逃げたくない。

 口から土の味がする。

 怪我をしてから、なかなか立ち上がらなかった僕には、お似合いの味だ。

 地べたがお似合いの僕が、前を向けばそこには一塁手とは別の影が二つもあった。

 じっとこちらを見つめる深会先輩、半泣きの伊勢。全く気が付かなかった。

 彼女たちは決して手を貸そうとはしない。

 ありがたい。

 その気持ちに最後のひと踏ん張りをする。一塁ベースに手が届く。

 そこには拍手などない。

 感動など一ミリもない。

 ここにいるほとんどの人が、意味が分からないだろう。

 当たり前だ。ほとんど意味なんてないんだから。

 泥まみれの汚らしい僕に、白魚のような手が伸びる。思わず躊躇してしまうが手を出して起き上がらせてもらう。

「どう? 諦められた? 次に進めそう? 何かわかった?」

「ははっ」

 いきなりの核心に、僕は思わず乾いた笑みがこぼれる。

 正直に今の感想を言うならすごく悔しい。爽快感なんて皆無だ。いろいろ手を尽くしたのに勝てなくて 悔しい。バットに当てるのすら困難で、レベルの差がはっきりとあって悔しい。点差以上の実力差を感じて悔しい。

 これでは、質の悪いギャンブルだ。次こそは、次こそはと思ってしまって、終わりが見えなくなる。大人は、この感情にどうやって折り合いをつけているのか、その答えが深会先輩と僕が今回求めている答えだ。

 僕は、彼女に答えを提供しなくてはいけない。僕は、この試合で掴んだ何かを言葉にしなくてはならない。

 必死に脳内から使えそうな言葉を探す。

 ヒントを求め周囲を見渡す。そこで、僕はやっと気付けた。

「………そうか」

 正確には、あの試合の中には答えはない。答えは全てを出し切ってズタボロの僕だから見える景色だ。

 何かに気づいた僕に対して、深会先輩は急かすことなく次の言葉を待ってくれる。

「……ペースダウンですよ」

「「は?」」

 初めて深会先輩と伊勢の感情が重なった。ちょっと感動。

「大人は、子供に比べて長い時間がありますからね。常に全力じゃバテちゃいます。ゆっくりでいいんです。喜びも悔しさもゆっくり噛みしめて生きていけばいいんです」

 とても、高校生で至る境地じゃないだろうけど、今の試合を全力でやり切った僕だからわかったことだ。どうせ、僕から野球を切る話すことなんてできない。なら、上手く付きあっていくには、これしかないと思う。

 周りはみんなが全力で頑張っている。きっと、短い高校生活を立ち止まっている暇などないのだろう。残念だけど、僕はここでペースダウンだ。

 これを諦めと呼ぶ人もいるだろう。それでもいい。

 諦めとは可能性をつぶすことではない。

 他の未来を描くためには必要なことなんだと思う。

 こんな簡単なことに気が付くのに随分な時間がたった気がするが、結果オーライかな。

 僕は、そっと深会先輩の顔を覗く。

 僕の高校生活は、彼女やその周りの愉快な人たちと、まったり過ごさせてもらおう。

「この答えは、深会先輩には当てはまりそうになくて申し訳ないです」

 時間の概念的には、この答えでは深会先輩は大人にはなれないだろう。

「……いいのよ。笹箱君が答えを自力で見つけられたことを私は誇りに思うわ」

 深会先輩はあまり気にした様子もなく、さらりと言ってくれる。

「あんたがあの試合を通じて、そういった答えを出したんなら、私はもう文句ないわ」

 と文句たらたらな顔で伊勢は言ってくれる。

 深会先輩は相変わらず伊勢を華麗にスルーして、会話を続ける。

「さぁ、笹箱君が大人の階段を一つ上がった事と正式入部を祝って部室に赤飯をモリモリと用意してるのだけれど、病院が先かしら?」

「ははっ、なんか色々ツッコみたいですけどお腹空いたんで赤飯でも食べながらにします」

 この日の僕はあんまりにも疲れ果てて、玄関で寝てしまい家族の誰に起こされても起きなかったそうだ。

 ちなみに、ソフトボールの結果は秋山たちのいるクラスの優勝だった。まぁ、どうでもいいけどね。



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