遅刻遅刻
翌日の朝のベッドの中(もちろん栄華部のベッドじゃないよ自宅のだよ)、スポーツ大会まであと六日。
僕には、もう逃げるという選択肢がなくなった。地下深くまで埋めた宝物ともう一度向き合わなくてはならなくなった。
ってな具合でかっこいい雰囲気漂うのだが、実際にできることなど何もない。ただ逃げずにスポーツ大会に出ることぐらいしかやることがない。なんとも盛り上がらないストーリー。
朝から自分の血圧の低さに合わせ、自分のテンションを自分で下げて、ベッドから降りて、リビングへ向かう。
せいぜい、当日まで体調を崩さないように、朝飯ぐらい食べておこうと眠気まなこで食パンをトースターにかける。うちは、両親が共働きで朝早くから仕事に出ているので、朝食は作るというほどではないが自分で用意する。母に至っては、出版社関係の仕事をしていて、昨日も泊まり込みらしい。まさに社畜。一応、姉もいるのだが大学生なので今頃自分の部屋で寝こけているだろう。
そういえば、食パンと言えば、昔の少女漫画には食パンをくわえた少女とイケメンの転校生が曲がり角でぶつかる素敵イベントがテンプレとしてあったらしい。
これは、僕の脳内計算なのでどこまでアテになるかはわからないが、全国の転校生率として比較的多い小学生で6~8パーセントらしい、皆わかっていると思うが高校の転校は編入試験があるし、そこそこ自立能力もあるので親の転勤などでも子供はその土地から離れないことも多い。
それらを踏まえて、高校の編入率は0・6~0・8パーセントまで落ちるだろう。つまり十分の一。
さらに、男目線なので女の子の言う『可愛い女子』位信用のない数値だが、高校一年まで全十回分のクラスメートがいたわけだが、かっこいいと思う男子はひとクラスあたり二人ぐらいが妥当なラインだろう。つまり平均八人か九人に一人という計算。全国のクラス平均が高校で九クラスくらいなので、そこから九分の一。
さらに、その男子が曲がり角に気を付けずに走るようなボーっとしたやつだという確率は人間の性格の種類から考えて五人に一人くらいか。仮に女の子のほうが意図的に遅刻ギリギリに家を食パンをくわえて出て行ったとしても、相手も転校初日から遅刻ギリギリのようにボーっとしたやつだというとなると ボーッとした性格のやつの中からさらに百人に一人くらいだろう。
これから導き出される確率は0・0000194444。全国の女子共これでもなお、お前たちは夢を持ち続けるか‼
………ごめんなさい。リビングのテーブルに置かれていた電卓まで使った計算だけど、穴だらけ過ぎて自分でも何がしたかったかわからない。
まぁ、パンが焼けるまでの頭の体操か、単純にイケメンが嫌いだったかのどちらかだと思って許してください。
これ、活字で書かれていたら僕なら読み飛ばしちゃうね‼
そうこうしているうちに、パンが焼けた事を知らせるタイマーのベルが鳴る。僕はパンをお皿に載せてリビングに置かれているテレビをつける。朝のニュースでも見ながらゆっくり食べようと思ってつけたのだが、そこで違和感を覚える。
いつものテレビの右端に表示されている時間が八時十五分となっている。うちの学校は八時半までに教室にいなければ遅刻扱いとなる。
八時半からショートホームルームが始まるからだ。ショートホームルームでは最初に鈴原先生が出席を取る。彼女のずぼらな性格からして最悪本人の名前が呼ばれるまでに滑り込みでも教室に入ればセーフかも知れない。
さぁ、ここで状況を整理してみよう。
八時半まで残り十五分、あっ、十四分になった。僕が学校まで徒歩で十五分(これは学校に着くまでなので下足箱から教室に上がるまでの時間は含めていません)。今、僕は寝巻き。通学鞄は昨日の時間割のまま。僕の名前は、さ行なので割と呼ばれる順番は早い。追い込みをかける足の怪我による全力疾走の不可。
ここから導き出される結論は、………………ヤバイぜ‼
慌てて僕は、寝巻きを脱ぎ捨てて、自分の部屋の学生服を取りに戻る。通学鞄に机に散らばる教科書を適当(目につくもの全て)に詰める。あとは玄関にむかうだけ、途中リビングの食パンが目に入り、食べながら行こうと口にくわえる。家には姉が居るので戸締りもせず、そのまま勢いよく玄関から飛び出す。
-ドンッ
………おや? こないだに続いて、また壁にぶつかる。しかし今回の壁はそんなに高くない。なぜなら僕は靴を履きかけの姿勢のまま玄関を出てので中腰だったからだ。
玄関に壁なんてあったかな? 僕は壁の全体像をつかむため顔を上げる。
そこには我が愛しき幼馴染、伊勢さんがいました。つまり壁だと思っていたのは、
「なんだ、まな板か」
彼女は、笑顔でこう言いましたとさ。
「内臓を口から引きずり出されるのと、ケツから引きずり出されるのどっちがいい?」
ーーしばらく表現することのできないグロシーンが多分に含まれますので、しばらくお待ちください。しばらくで、済むといいなーー
ここから話を戻すよ。
「さて、それはさておき、余談はやめて、閑話休題」
「あぁぁん?」
「お願いします。もう、そろそろ許してください。割愛したけど易しめの表現したら、今五分ほど俺殴られ続けてるからね。そろそろ閑話休題していいでしょ。閑話休題させてください。休題ったら休題」
「………続きは明日に残しといてやるよ」
こえー、完全に人格の切替スイッチかなにか入ってますよ。
食パン加えて玄関出たら、イケメンでも、美少女でもなく、まな板暴力幼馴染にエンカウントしてしまったよー。これ絶対0・0000194444パーセントより低いよー。
「で、お前はこんな時間に、こんな所になぜいるんだ?」
伊勢はフッと小さく息を吐き、不敵な笑みを浮かべて、片手広げ顔を覆い、決め顔を作り、口を開く。
「……その質問、そっくりそのままお前に返そう」
「返すな、百パーセントお前のものだ」
それでごまかせると思ってんのか? お前は主人公のピンチに何故か高確率で現れるライバルキャラか何かなのか?
僕の時間がないことへの焦りと割と真剣な態度に、伊勢は少し萎縮して小声でぼそぼそと答える。
「いや、あのなんか昨日散々余計なことを言ったり、したりしちゃったし、大丈夫かなーって様子を見に来たら、あんた家から全然出てこないし、もしかして不登校とか思ったりしてインターホン鳴らそうかなー、でも、そんなに傷ついちゃったなら鳴らして私がどの面下げて合うんだよっとか考えちゃって、ウダウダしてる間に時間が過ぎていったというかなんというか」
伊勢は両手の人差し指同士を合わせて、むにゃむにゃ言っているが、ざっと聞き取れたところだけを要約すると
「要は心配で見に来てくれたと」
その要約がお気に召さなかったのか、伊勢は物凄い速度で顔を真っ赤に指せると、両手を顔の前でブンブンと降った。
「はっ⁉ 意味わかんないし⁉ そっ、そんなんじゃないし」
「じゃあ、どんなだよ」
なんか、伊勢が安いツンデレキャラみたいになった。友人として彼女の成長を大変嬉しく思います。
「………………そうよ、心配だったのよ………悪い?」
おやおや、伊勢にツンデレキャラは荷が重かったかな? 早くもツンがなくなって素直になっちゃいましたよ。なので、僕も素直になっておきましょうか。
「………ありがとう。僕は大丈夫だ」
さて、僕らは思い出さなくてはならない。僕らは学生である。学生にはいくらかの義務がある。
「………伊勢、ちなみにいま何分?」
その中の一つに登校の義務がある。
「………………二十四分ね」
「伊勢えもん、独裁スイッチ頂戴よ」
「さらっと怖いもん要求しないでよ。もしもボックスこそが至高でしょ。それで私の都合のいい全てが私の支配下に置かれた世界を作るのよ」
「僕の考えとどっこいどっこいだな」
僕らには、どこでもドアという最もポピュラーな選択肢がなかった。
こんな時、どのくらいの人があきらめずに学校に向かうだろう。
実質この時間帯では遅刻は確定的だ。それでもあきらめずに必死に走る人もかなりの数いるだろう。中には遅刻するなら一分も一時間も同じなんて言う人もいるかもしれない、大した大物である。
ならば、僕の場合はどうだろう。
「1限には間に合うように焦らず行きますか」
「……そうね」
限りなく普通の選択肢だと思う。
絶望的な状況に立ち向かう程の諦めの悪さもなく、どうでもいいやとふてぶてしく知らんふりして生きることもできない。人間、一挙手一投足にその人の人生の指針のようなものが出る。こんな遅刻しそうになっているこんな状況下においても、それは例外ではあるまい。
僕、笹箱敬馬は限りなく普通だということだろう。普通とは悪いことじゃない。中二病患者ならまだしも、大抵の人は普通に不満なんてたいしてない。
そう、不満はない。
結局、僕と伊勢は1限の前に学校にたどり着いたが、昼休みに鈴原先生に呼び出されてお小言を食らう羽目になった。普通だなー。伊勢がいなきゃ多分遅刻しなかったけどなー。