来たと思ったら帰った
少年に説明をしようとしたところでギルドホールの入り口のほうから声が二つ聞こえてくる。
最初はやる気のなさそうな脱力した声。それを聞いているだけでこちらまでやる気を削がれてしまうような声。
次は、きっちりとしているような声。その声を聴いているだけでこちらまで背筋が伸びてしまう。そんな声。
面倒事が一つなくなったことに対する安堵がリテラエの心に浮かぶ。
だが、それと同時に、確実に面倒事の種を持ってきただろうと、ため息が出てくる。
入口の方に目をやってみると、リテラエの予想通りの人間が立っていた。
片方はそれなりに身長のある青年。服装はそれほど整ったものと言うわけでも、小奇麗と言うわけでもないが、不潔さは感じさせない程度。ざっくばらんに切られた髪が、本人の適当さを物語っているようだった。顔立ちは冷たさを感じるようなもの。そんな彼は右目を覆っている眼帯がやけに存在感を放っていた。年齢は二十代前半のように見える。
もう一人は、たおやかなと表現することが適切そうな女性……いや、女の子だ。身長や顔を見てみるにまだ十五年も生きていないことだろう。だが、纏っている雰囲気だけで言えば、さっきの男よりもずいぶんと大人びている。たまにピクピクと動く頭の上に飛び出した虎のような耳が特徴的だ。腰の辺りから生えた細い尻尾はふりふりと揺れている。男の一歩後ろに立っている姿は、男の従者の様だった。美しい翡翠色の瞳は、見るものを引き込んでしまう湖面のような雰囲気を感じさせる。
この二人が、さっき話題に上がっていた人間である。
グローリア・アザール。
泉盛寺月夜。
それが二人の名前だ。
グローリアは、肩に羽織っていた外套をその辺のテーブルの上に投げ出し、リテラエのほうに歩いてくる。そして、リテラエの前の椅子に腰を下ろすと、脱力したように机に倒れこむ。
「おかえり。それにお疲れ。それで、何でこんなに遅れ……」
入口の方に視線を向けると、月夜がグローリアの投げだした外套を丁寧にたたんでいる。
そこまでは別に何の問題もない。
だが、リテラエは入口にもう一つ人影があることに気が付いた。気づいてしまったと言おうか。
さっきまではグローリアの陰に隠れていたので見えなかったのだろう。
丈の長い外套を着込んでいる人影は体の起伏から察するにたぶん女、それも少女だろう。身なりには特に何か違和感を覚えるほどでもない。ただ、目深にかぶっているフードに少し違和感を覚える程度だ。
そんな少女を見て、リテラエは色々な感情がないまぜになったため息を一つつく。
ため息の音を聞いたグローリアはのったりという感じで椅子から立ち上がる。そして、フラフラとした危なっかしい足取りでギルドホールから出て行こうとする。
その背中にリテラエが声をかける。
「ロア。いろいろと聞きたいことがあるんだが」
「テメェにはない。なんかあんなら月夜と話せ。テメェなんかよりもずっとわかりやすく話してくれるだろう。あと、頼んだ」
「解りました、旦那様。旦那様はこれからどうなさるので?」
「家に帰って寝る。飯は起きてから食う」
「それでは、旦那様が起きられる頃にはご飯の準備を済ませておくことにいたします」
「あぁ」
最後にそれだけ言うと、いつ倒れるのではないかと気が気じゃない歩き方でギルドホールを後にした。
残されたのは、外套をたたみ終えた月夜。すげなくされて憮然としているリテラエ。状況が呑み込めずに目を白黒させている少年。そして、ムスッとした不満げな空気を纏っている少女。
この四人だ。
リテラエは肺の中にある空気を一気に吐き出す。感情を吐き出すためだ。
「あー……月夜ちゃん。悪いんだけどこっちに来て説明してくれる? ロアはあいつの言った通りだと家に寝に行ったみたいだからね」
「わかりました。……それでは、あちらに行きましょうか?」
「……」
月夜がリテラエのほうに歩いてくる。
少女も釈然としないような表情ながらも、月夜の後に従って歩いてくる。
やがて、リテラエの前まで来た月夜は席に腰を下ろす。
少女も腰を下ろすが、体を横に向けている。リテラエのほうを向く気はないようだ。
この少女の存在がある限り、依頼の内容や遅れた原因を聞いても上の空になってしまうことだろう。
とりあえず、そのことについて聞くことが先決だな。
「それで……その女の子は誰? どこかで拾ってきたの? それとも、またロアのやつの厄介な癖でも発動した?」
「旦那様のあの性質で救われた子も少なからずいますから、厄介と言うのには肯定しかねます。ですが、この少女に限って言うのならば、貴方が言う厄介な性質は一切関与していないと断言させていただきます」
「へぇ……なら、本当に拾ったとでも言うつもり? あいつの気に入った女の子がその辺に転がっているとでも? それに……こっちは、そこまでうるさくはないけど、拉致には看過できない。あいつのためにも。このギルドのためにも」
「わかっております。そのあたりもしっかりとお話しいたしましょう。旦那様からもそう言い使いましたので。その前に……ニルマ。貴方は部屋に戻っていなさい。これは貴方が聞くような内容ではありませんから」
「……は~い。わかりました」
急に話をふられた少年――ニルマは自分が認識されていたということに驚いて一瞬固まった後に、元気に返事をして奥の扉へと引っ込んで行った。
その月夜の行動にリテラエは二つの意味で眉をひそめた。
一つ目は自分の近くから癒しがなくなったことに対して。
二つ目はニルマが話を聞いてはまずいような話を、今から月夜がするのだと言うことに対して。
「それでは、お話しさせていただきましょう」
「あぁ。頼むよ。その娘は、一体何の『才能』を持っているんだい? あいつのことだ。もう大体予想はついているのだろうし、君にも聞かせているのだろう?」
「そうですね。旦那様から伺っております。それに、今回に限って言えば、旦那様から聞くまでもなくこの娘の『才能』は初見で理解できていました」
「……どういうことだ?」
グローリアが気に入る人間、その中でもギルドに連れてくるような人間には二つの共通点がある。
それは、比較的幼いこと。
そして、何らかのずば抜けた『才能』を持っているということ。このずば抜けた『才能』の中には特異な才能である異能も含まれる。
だが、それはグローリアの習性とも言うべきもので、周囲の人間がグローリアの説明なしにそれに気づけることは少ないし、本人が気づいていないことも少なくない。
それを聞く前に気付けた?
より一層、嫌な予感がしてきた。
もうこれは嫌な予感から悪寒に変わりつつある。
それでも聞かないわけにはいかないのだから嫌だ。聞かなくていいのなら聞きたくない。
そんなリテラエの心象など知らない月夜は口を開き言葉を紡ぐ。
「あまりもったいぶるのは私も旦那様も好みではないので、率直に言います。……いえ、それよりは実際に見たほうが早いかもしれませんね。貴方、そのフードを下してくれませんか?」
「……嫌」
「そんなこと言わずに下してください」
「それだけは嫌。絶対に嫌。わざわざ自分の恥部を他人に晒したいとは思わないわ」
月夜が脱げと言っているのに、少女は執拗に拒否を続ける。
それほどまでに拒否しなければいけないようなものが、そのフードの下には隠されているのだろうか? それに、この少女は恥部と言った。と言うことは、この少女からすると恥ずかしい類のものなのだろう。
若干の好奇心がわきあがるが、そこまで嫌がる人間の恥部を晒す気はリテラエにはない。
リテラエは自分がいじめっ子ではないと思っていたから。
「そこまで嫌がるのなら、無理に取らせなくてもいいよ。それに、俺は月夜のことを信用している。実物を見せられなければ信用しないなんてことはしないよ」
「そうですか? まぁ、実際に聞いたらあっさりと前言を翻すと思いますけどね」
「……そんなにヤバいものなの?」
「はい。言葉にはしませんでしたし、旦那様の行うことに何の意も挟むつもりはありません。ですが、この娘をここに連れてくるのに私は反対でした」
月夜の言葉にリテラエは目を見開くほどの驚きを覚えた。
驚きは衝撃になり、リテラエは軽くのけぞってしまう。
それほどまでに今の月夜の発言はリテラエからするとあり得ないほどのものだった。
月夜はグローリアに対して絶対の信頼と忠誠を誓っている。
そんな月夜はグローリアの行動には従う。こういうと言い方は悪いが、唯々諾々とグローリアのすることに従うのだ。
だと言うのに、今回は腹の内ではその行動を止めようとしていた。
実際に行動に起こしてはいないのだとしても、驚愕に値する。
「……今のは失言でしたね。忘れてください」
「あ、あぁ。それは別にいいが……そこまでか」
「はい。……これ以上は蛇足ですね。端的に言いましょう。この少女は尖角種です」
ガタガタガタッ!
思わず、大きな音を立てて椅子から滑落してしまった。
その自分の姿は、月夜の目にはひどく滑稽に映ったことだろうが、そんなことを気にしていられないほどにリテラエの心中は複雑だった。
尖角種。
災厄や災害の一端とすら呼ばれる異端の種族が自分たちの家であるギルドホームにいると言う恐怖。
何があっても、相手と刺し違えてでもこの後ろで普通の日常を過ごしているであろう子供たちを守ると言う決意。
最後に、この娘が本当に尖角種なのかという疑念。
その三つの感情が混ざりあった結果、リテラエはらしくもなく殺気を放っていた。
リテラエの殺気に気づいた少女は不快そうに表情を歪める。
少女の体から立ち上る気配によって、奥の景色が暗く揺らいで見える。これはきっと気のせいではないのだろう。
そして、それは期せずしてこの少女が尖角種であると言うことの証明にもなった。
尖角種特有の種族特性である『呪い』であろうから。
こいつが本気を出したら、リテラエなどそこいらにある木っ端と同じかそれ以下にしかならないだろう。尖角種という人の形を模した災害の前では、ただの森生種であるリテラエなんてカスでしかない。
それでも、拘束することぐらいは辛うじてできるだろうか?
話を聞く限りではできないだろうな。異能や魔法に対する完全耐性を持っている尖角種にはリテラエの異能自体が発動しない可能性すらある。
それでも一分の可能性があるのならそこに賭けるしかない。
リテラエは椅子から軽く腰を浮かせる。その手にはいつの間にやら、鍵束と無数の鍵がある。
尖角種であろう少女はもうすでに立ち上がっていて、もう戦闘準備は整っているようだ。
一触即発の空気が流れているギルドホールは何か合図でもあれば即座に戦闘が始まってしまうことだろう。戦闘ではなく、尖角種による一方的な虐殺かもしれないが。
その空気をうち破ったのは、一つの冷気を含んだ言葉。
「旦那様のお顔に泥をお塗りになるというのなら容赦はいたしませんよ。それに、旦那様の連れてきた方に文句があるというのなら、旦那様に直接いうことをおすすめしますよ?」
その言葉を発したのは、未だに椅子に腰かけたままの月夜だ。
普段からグローリアと共にさっき渦巻く戦場に身を置いている月夜からすれば、尖角種とはいえども成りたての少女の殺気や呪いなど、気にするほどのものでもなかった。
月夜の言葉を聞いたリテラエは殺気を解き、深く息を吐く。
そして、さっきまで座っていた椅子に腰を下ろした。
「スマンな、月夜。それにそっちの女の子も。迷惑かけた」
「いえ。迷惑などと思ってはいませんとも。貴方の反応は当然のものと理解しております。寧ろ、矛を収めてくれて感謝しておりますよ」
「そうかい。それじゃ、そっちの女の子が尖角種だってことは理解したが、女の子と会った時の事とか、何で帰還予定日から遅れたのかとか聞かせてもらおうか」
「そうですね。まず、最初の誤算は……」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
普通に会話を再開するリテラエと月夜を前に少女が声を発する。
少女に二人の視線が集まる。
リテラエの視線にはさっきまであった、殺気など欠片も確認できずに少女は鼻白んでしまう。
「何だ? お前に対する話はもうすでに終わった。お前から何か話したいことでもあるのか? このギルドで生活するにあたってと言うことならウルヴァーンに聞いてくれ。俺は関与しない」
「そうですね。今日とはいかないでしょうが、あとでウルヴァーンとも引き合わせておきましょうか。それで、他に聞きたいとこはありますか?」
「……私は尖角種なのよ? 何で、そんなに平然としていられるの? 寧ろ、さっきのそっちの男の反応のほうが正しいと思うけど?」
自分は化け物だ。そんな認識が少女のうちにはあった。
だから、普通に接してくるあのグローリアとかいう男が異常なのだと思っていた。
だと言うのに、この目の前にいる二人は、もう自分のことなどに欠片も警戒していない。それどころか、興味も持っていないようではないか。
そのことが少女にとっては不思議で仕方がなかった。
そんな少女の心中を察したのか、リテラエは少女に対して苦笑を向ける。
苦笑の意味が解らず、警戒を向ける。
「俺は……ってか、うちのギルドでロアの決定に逆らうようなやつはいねぇよ。さっきは咄嗟に殺気向けちまって悪かったな。よくよく考えてみると、あいつが何の対策もしていないはずがない。なら、俺が警戒することでもないだろう。ま、お前が今からでも気に入らないからここと俺を壊そうってんなら本気で抵抗するけどな?」
そんなことをあっけらかんと言う。
「それに……尖角種であるお前なんかよりも、面倒で厄介な奴らがこのギルドにはいっぱいいるからな。それが一人や二人増えたからと言って大して変わらねぇよ。面倒で厄介な馬鹿筆頭は、面倒事を引き込んでくる天才だからな。それが天災を引き込んできたとしても驚くには値しねぇよ」
「あら。面倒で厄介な馬鹿筆頭と言うのは、誰の事なのですか? 貴方ですか?」
「自分のことを馬鹿筆頭とは言いたくないな」
「それならば、誰なのでしょう? プリスさんですか? あの人はそこまで酷い質ではないと思いますけれど」
「……わかってて言ってんのか? それとも、本当に分からねぇのか? 後者だとしたら、失笑もんだぞ」
「当然前者ですよ。私には理解できませんが、貴方の考えは読める、という意味ですが」
「ホンットウに……お前らはロアのことが大好きだな」
「お褒めにあずかり光栄です」
「褒めてねぇ」
「私……いえ、私たちにとっては最高の褒め言葉ですよ」
ポカンとする少女を他所に、リテラエと月夜は会話を続ける。
本当に災厄や災害と同列視される少女のことは眼中にないように自然に。
さっきのリテラエの態度や月夜の発言から、二人とも尖角種を警戒しなければいけない相手とは認識できているようだが、興味を示さない。
そのことが少女にとっては理解できなかった。
だが、この二人にとっては別段当たり前のことだ。
グローリアのことを信用して信頼しているからこそ、こんな態度がとれるのだ。
「ま、お前についての話は後で聞いてやる。今は他にも重要なことはいくつかあんだ。だから今は黙っとけ。な?」
「は……はぁ」
「よし。……なら、月夜。続きを頼む」
「わかりました。今回の依頼はいつも通りリテラエがそれなりに裏を取りました。ですよね?」
「ああ。うちの最大戦力であるグローリアを失うわけにはいかん。あいつならどんな状況でも何とかすると思えなくもないがな。それがなくても依頼は裏を取るのが定石だからな」
依頼人が罠にはめようとしてくる可能性だって零ではない。
だから、依頼に関しては裏を取るのが当たり前のことだ。
その初歩でいて、とても重要なことを怠ったが故にフェイクの依頼を掴まされて死んだ奴の話だってそう珍しくはないのだから。
「今回の依頼は、この町から地理的に北東に少し行ったところにある街の代表者からの依頼。依頼内容は近くの山に最近現れた大型の化け物の討伐。ここまでに何か間違いはありませんか?」
「無いな」
リテラエは自分が調べた情報と照らし合わせて間違っていないことを確認し、頷く。
付け加えるのならば、その大型の化け物と言うのがドラゴンであり、その山にはドラゴンの他にも細々とした異人種がいると言う話ではあったが。
そのドラゴンと言うのも大したサイズではないらしく、グローリアならば何の問題もなく倒せるだろうものだ。そこに探索系の異能者である月夜も連れ添ったのだ。探索にも時間がかからないであろうことは予測された。
「その程度の依頼で……いや、ドラゴンがそれなりに危険だと言うことは十分理解しているつもりだ。が、グローリアはもう幾度となく討伐してきている。だからこそ、あのスケジュールを立てた。………だと言うのに、お前たちは一週間も予定日から遅れた。このことは疑問に思うべき事柄だろう?」
「えぇ。ただのドラゴンであれば旦那様にとっては敵でもないでしょう。鼻歌交じりでも手傷一つ追わないはずです」
「だろう? ならば、何故遅れた」
「気づけないのですか?」
月夜は馬鹿にしたような驚いたような表情をリテラエに向けてくる。
この少ない情報を精査したうえで答えを発見しろってか? それも、見つけれて当然だとか思われてるらしい。
……年下にそんなことを思われては、リテラエとしても気に入らない。
そう考えつつ、考えているとさっきの月夜の発言が妙に思い起こされた。
「……『ただの』ドラゴンならグローリアにとっては余裕。なら、今回討伐してきたドラゴンはただのドラゴンではなかったのか?」
「はい。今回討伐してきたドラゴンは知恵を持っていました」
「はぁ? その程度なら驚くに値しないだろう」
ドラゴンは化け物の中でも長命な種族であることが知られている。
歳を経るにつれて生き物は知恵をつけていくと言うことは当たり前のことだ。
長命種であるドラゴンの中には、ヒト種に知恵を与えることをする者すらいる。
まぁ、そういうドラゴンたちは戦闘をすることを好まず、どんなものもたどり着けないような僻地で隠遁生活しているのだが。
そう言う意味で行くと、珍しいな。
「その程度であれば驚くには値しません。ですが、今回討伐してきたドラゴンはあろうことか異人種を使役していました」
チラッと出た主人公さんは当分出ません