怒り狂うほど大事なモノ
「全然、減った気はしないな」
「数としては、三百十五。先ほどと比べれば半数ほどに減っているかと」
「上から見たらわかるんだろうがな。地面に立ってると分からねぇなって話だ」
南門の前でグローリアは月夜とそんな話をしている。グローリアの手にはさっきの模擬戦で使おうと思っていたクレッセントアックスが握られている。
目の前にいるのは月夜の話では三百匹と少しの魔獣。
さっきの半分になったとはいえ、ただの人間であるグローリアが一人で相手をするには多すぎる数だろう。
他はこの三分の一程度としか戦っていないかと思うと、自分で指示したと言うのに、悲しい気持ちになってきてしまうから不思議だ。
とりあえず、リテラエは後で酷い目に遭わせる。
そのことだけは心に誓った。
「……で、敵の主格は何処?」
「一目見ればわかるような見た目をしています」
「そう言う面倒なのは良い」
グローリアの言葉を聞いた月夜は左目を隠して敵の主格を見始める。
そして、右目で主格を見つつ、その特徴を言ってくる。
「はい。他の木端魔獣と比べると体格が良いことも特徴としては挙げられますが……一番の特徴は頭が三つあることです」
「三つ?」
「はい。珍しいタイプです。一般的な呼び名はケルベロスです」
「ふむ……それ欲しいな。ペットにするのは、そのケルベロスとやらで良いか」
「かしこまりました。それでは……どういたしましょうか」
問いかけてくる月夜に対して、グローリアはニィっと笑う。
良いイタズラを思いついた子供のような笑みと言えば分りやすいだろうか? そんな笑みを浮かべている。
「シンプルに行く。いつも通りの中央突破だ」
クレッセントアックスを肩に担ぎながら、魔獣に鋭い視線を向ける。
いつも通りの楽な仕事だろう。
今回は少し面倒くさそうだ。
そんな真逆の二つの考えがグローリアの中でせめぎ合っている。
三百超の魔獣がいるとはいえ、ただの魔獣であればあの倍の数いても問題なく殲滅できる。
これに関しては疑いようがない。犬型の木端魔獣に手間などかからない。
武器をふる。それだけで奴らはくたばるのだ。思考の端にとどめる価値もない。
しかし、ただの魔獣でないと言うのなら勝負は一気にわからなくなる。
そして、ただの魔獣でないことの証左はグローリアの目の前の状況が何よりも雄弁に語っていた。
グローリアはまだ殺気を放っていない。
無駄に殺気に当てられてここから逃げられても、手間だからだ。
殺気を放っていないから、今までの経験則から行くと、もう襲い掛かってきてもいいはずなのだ。……いや、襲いかかってきていないのはおかしい。
だと言うのに、魔獣たちはまだ唸り声をあげるだけでこちらに突っ込んでこようとはしない。
……最初から感じていたことだが、今回きた魔獣の動きは組織立っている。
それがグローリアの疑問だった。
魔獣が群を組むと言うのはそれほど珍しいことでもない。魔獣と言えども所詮は獣。集団の方が安全だと言うことは理解している。その程度だ。
知能の高い魔獣と言うのもいないわけではない。
しかし、そう言うタイプは集団を好まない。
自分と同じ種族だと言うのに、知能が低すぎるのが嫌になるから個人で勝手に行動するのを好む。
……要するに、あの魔獣どもはそのセオリーを無視している。
そのせいで戦力比較が上手くしづらい。
全ての知能が高いのか。
知能が高い個体がいて、それが全体を統率しているのかが全くわからない。
「……無駄か」
グローリアは頭をふった。
ここでどれだけ考えたところで、答えが出ることはないだろう。
ならば、実際に打ち合ってみるほかに検証する方法はないだろう。
「月夜。ここで待ってろ。お前が傷つくなんてことになったら……確実にテメェは止まらなくなる」
「かしこまりました。それでは……いってらっしゃいませ」
月夜の深々とした敬意にあふれたおじぎに送られて、グローリアは魔獣の群れのもとまで歩く。
その足取りは軽いもので、友人の家に遊びに行くようなものだった。
魔獣たちは少しだけ警戒を緩める。
この人間はさほど強くないのではないか? と。
それでも、命令は絶対なので、魔獣たちから攻撃することはできない。
最前列の魔獣の目の前までグローリアは来る。
グローリアの目の前にいる魔獣たちは誰が最初に食いつくかで牽制し合っている。
もう魔獣たちの中で、グローリアは取るに足らない相手。ただの餌程度まで評価は落ちていたのだ。
「……ここでもかかってこないか。ならいい」
ふぅと息を吐く。
その直後。魔獣たちの全身に押しつぶされるほどの重圧が振り掛かった。
それは、物量を持ったほどの殺気。
魔獣たちが慌ててグローリアのほうに顔と意識を向ける。
もう何もかもが遅すぎた。
「適度に殺す」
最前列にいる魔獣の頭がごろりと地面に転がった。
グローリアの殺傷圏内……クレッセントアックスの攻撃圏にいた魔獣がアックスの一振りで死んだ。
魔獣たちは自分の目を疑う。
自分たちは魔獣であり、肉体の性能は人間などに劣らないはずだ。
だと言うのに……この人間が武器を振るう姿も、振るった武器の軌跡も認識できなかった。
気が付いたら、仲間の首が地面に転がっている。
驚きつつも、目の前の人間に対する警戒を最大限にまで引き上げる。
「……つまらんな」
引き上げたというのに、魔獣たちのどの感覚器もグローリアの動きを捉えることは叶わなかった。
気が付けば、仲間の首が跳ね飛ばされている。
抵抗する余地などなく、戦う価値などなく、一回アックスが振られるたびに一匹の仲間がその骸を晒す。
いや、魔獣たちにはアックスが振られているということを認識できていない。
その結果として、仲間が倒れたということはアックスが振られたのだろうという対処的な発想でしかグローリアの動きを認識できていない。
グローリアの動きは決して早いというわけではない。グローリアは長年、といえるほどでもないが、経験から相手の思考や認識の裏を突く行動が身についている。それのおかげだった。
すぐに百体近い死体が生まれた。
それでも、まだ魔獣が減った感じはしない。
しかも、これだけ仲間が死んだことでやっと学んだのか、魔獣たちはグローリアの周囲を囲むようにしている。
もう街を襲うと言う思考はどこかに行ってしまったようだ。
そう魔獣が思考するように動いたとはいえ、実際に予想通りになったことに安堵する。
グローリアのことを魔獣たちが注視している限り、街が襲われることはない。
それは、月夜が傷つく可能性が薄れたということでもあった。
自分がいくら傷ついてもグローリアは何も感じない。
多少の痛みは感じるだろうが、その程度で剣先が鈍るようなへまはしない。
そんなやわな鍛え方はしていないし、軟弱な精神も持ってはいない。
だが、月夜が傷つけられたら確実に自分は後先なんて考えずに暴れまわることだろう。
最悪の場合、尖角種となる可能性だって捨てきれない。
だからという訳でもないが、グローリアは月夜が傷つくことを何よりも恐れているのだった。
「……この程度か。さっさと来い。テメェの時間は有限なんだ。お前らのような雑魚に時間を喰わせている暇はない」
腰を落とし、重心を下に下げる。
あと一度や二度、突撃すればこの包囲網も崩れるだろう。
魔獣だって生き物だ。死ぬぐらいならば、逃げることを選ぶだろう。
どれにしても、この群のリーダーだけは逃がす気がない。群と言うのはゴキブリと同じだ。頭を潰さない限り動き続ける。
……逆に頭を潰したことによって止まれなくなるというような例もなくはないが、この魔獣たちにそこまでの忠誠心などないだろう。それは幾度か突撃を敢行してみて、実感としてわかった。
「さっさと、頭が出てきてくれると楽なんだがな……。そう簡単にもいかないか」
さっき月夜に聞いた群の頭の特徴は二つ。
他の魔獣よりも幾分体格がいい。頭を三つもっている。
これだけだ。
最悪のパターンとして、もうすでに殺してしまったと言うものがあるが、頭を三つもっているような異様を間違うことはないだろう。
どうしたものか。
魔獣と戦えると言うことで多少は期待してきたグローリアだったが、数としてはそれなりの脅威だったのだが、個々は何の恐怖も感じない程度の性能。
集団らしい行動を組まれたら脅威にもなっただろうが、それもなかった。
今だって、全方位から襲い掛かられたら、グローリアでも多少面倒に感じるのに、それすらしてこない。
遠巻きに眺めてくる魔獣など、興味の失せた玩具程の価値すらない。
殺気でもぶつければ数匹襲い掛かってくるかと思って、戯れに殺気を向けてみても、びくりと体を一度振るわせるだけでかかってこない。
全く以て面白くない。
もう睨み合いにも飽いたので、また突撃しようかと思ったところで、魔獣たちに動きがあった。
グローリアの前の魔獣たちがサッと横に退き、道をつくる。
その道を通ってきたのは、大型の魔獣だった。
他の魔獣とは比べるべくもない大きな体格を持っている。目測で、縦に三メートル半。横に一メートル。がっちりとした体にはしっかりと筋肉がついていることが窺えた。
そして、何よりの特徴として、その魔獣は頭を三つもっていた。
「……お前が、頭か」
グローリアは返答など期待せずに言葉を発する。
当然のことながら、魔獣から返答はない。ただ、グローリアを見下ろしてくるだけだ。
ケルベロスのような魔獣は知性を持っていて、人語を理解する場合もある。
それを確認するための言葉だったが、返答はないので大した知能はないと判断する。
睨み合っていると、唐突にケルベロスの一番右の頭が周囲に吼える。
何をしているのか?
そう考える間に、その行動がどんな意味を持っていたのか。答えが出た。
ケルベロス以外の魔獣が一斉に門に向かって駆けだしたのだ。
その姿を振り向きつつ見ながら、グローリアは怒声を上げる。
「クソが!」
この戦闘が始まってから初めて、グローリアは本気で焦った。
南門を守護すべき自衛組織は中央に集まって、役にも立たずに住民を護っていることだろう。
と言うことは、あの南門にいるのは月夜だけということになる。
月夜を守らねばいけないという考えがグローリアの思考を埋め尽くす。
そのせいで、目の前にいるケルベロスへの警戒を怠った。
ゴォォォォォォ……!
何かが焼けるような音がケルベロスのほうから聞こえてくる。
ケルベロスに視線を戻すと、一番左の頭の口に炎が溜まっているようだ。
炎の温度は計り知れないが、周囲の景色がゆらめいて見えることから、喰らったらまずい温度だと言うことをグローリアは認識する。
「チッ!」
舌打ちと共に、クレッセントアックスを今にも炎を出そうとしている左の頭めがけてぶん投げる。投げる用途で作られていないクレッセントアックスではあったが、一直線にケルベロスの左の頭めがけて飛んでいく。
左の頭は首を振ることでアックスを回避する。
そのせいで集中がゆるんだのか、炎は霧散していく。
アックスによって強引にブレスをキャンセルしたグローリアは背後のことなど気にも留めずに、門に向かってダッシュする。
錘である武器がなくなったことで、グローリアはすごい勢いで地を駆ける。
すぐに、魔獣たちの最後尾に追いつく。
そして、何処から取り出したのか、手には長さ一メートル半ほどの大振りの両手剣が握られている。
フランベルジェ。
炎を意味する言葉を名の原型とするその両手剣は、炎のように波打った刃が特徴的である。その刃は、傷口の裂傷を広げることが目的の、非常に殺傷力の高い剣だ。その見た目の美しさから、儀礼剣として使われることもあった。
だが、この状況においてその美しい波打った刀身は、本来の用途通りにただただ魔獣たちを殺戮するためにのみつかわれる。
長いフランベルジェをグローリアは最適な動きで振り、魔獣を斬り飛ばす。
その時には、重心の管理も忘れない。そのおかげで、大剣であるフランベルジェをふりながらでも、全く勢いを緩めることなく駆け抜けることができている。
魔獣たちを惨殺しつつ、駆け抜けると魔獣の群れを抜けて最前線に出ることができる。
だが、群の中から一匹だけ突出している個体がいる。
グローリアが群から抜け出た時には、月夜まであとほんの数メートルと言うところまで迫っている。
その魔獣とグローリアの距離は十メートル。
どれだけグローリアが全力を出しても、魔獣が月夜に噛み付く方が早いだろう。
それを認識したグローリアは一瞬の躊躇もなく、フランベルジェを投げ捨てる。
そして、投擲の構えを取る。
その手には、さっきと同じく何の前触れもなく、武器が握られている。
柄が長く、穂先が短い変わった形状の槍。投擲に特化したような姿をしているこの槍の名はジャベリンと言った。
「届……けっ!」
渾身の力をこめて槍を投げる。
その槍は月夜に噛み付くために宙に飛びあがっていた魔獣にちょうど命中し、その運動エネルギーをもろに受け、吹っ飛んで行った。
そして、門に槍の穂先が突き刺さったことで、身動きが取れなくなる。ジタバタと暴れるが、その程度で槍が外れるはずもない。魔獣の行動は無意味以外の何物でもなかった。
仲間の無残な姿を見た、魔獣たちが足を止める。
放り捨てたフランベルジェを拾おうともせずに、グローリアは月夜に駆け寄る。
「無事か!」
「はい。旦那様が護ってくださりましたので」
グローリアに向かって柔らかに微笑む月夜。
パッと見たところ、本当に怪我は無いようで安心した。
安心すると同時に、不甲斐なさがグローリアのみを襲う。
あと一歩で月夜の柔肌に、あのゴミの牙が突き刺さってしまっていた。それを許しかけた自分のことがグローリアは許せなかった。
そんなグローリアに月夜は言葉をかける。
柔らかく、慈しみにあふれた口調で。
「旦那様。お気になさらないでください。私はこうして無事なのですから」
「あと少しで、お前は……」
「そうはならなかったではありませんか。ならば、それでいいでしょう?」
「だが、次はどうなるか……」
「過ぎたことを悔やまないでください。それに、次も必ず旦那様が護ってくださるのでしょう? ならば、それでいいではありませんか」
顔をあげたグローリアは、月夜の表情を見る。
心からグローリアのことを信頼しているという月夜の顔には、不安は欠片もなかった。
それを見て安心したグローリアは、新たな感情が胸中に浮かび上がるのを感じていた。
その感情の名は激憤。
どうしようもないほどに胸のうちで膨れ上がったその感情は、尋常じゃない量の殺気となって周囲にまき散らされる。
それは先ほどまでの殺気がお遊びだったと理解出来るには十分すぎるほどのもの。
魔獣たちを震え上がらせるのには十分すぎるほどのものだった。
「……面倒だから、さっきは適度に殺そうと思っていた。頭さえ潰せれば他の奴らは逃げるに任せようと思っていた」
地の底から湧きあがるような低い低い声。
声にはどす黒く、世界を侵食してしまうほどの殺気が紛れている。
「だが……止めだ。テメェは、テメェの大事な所有物が傷つけられそうになったのを許容できるほど懐が広くはない。それに……テメェの一番大事なものを傷つけられそうになって笑っていられるようなクズに成り下がるつもりもない!」