歩みを止めない止められない
地面に寝そべっているウルヴァーンを見ながら、グローリアは口を開く。
「終わりにするのは良いが……少し、不完全燃焼気味だな」
倒れ伏してしまったウルヴァーンと違って、グローリアはまだ余裕綽々と言った様子でいる。
これが地力の差か。
いつになったら、あのぶっ飛んでいる高みに到達できるのだろうか。
高すぎて、遠すぎて、どれだけの努力をすればあそこに辿り着けるかなんてウルヴァーンには全く以て見当がつかない。
だが、諦める気にはなれなかった。
あの日。世界に絶望しきって、死ぬことを覚悟した日に見た背中。
いつ何時でも自分の前に立っている背中。
どんな苦難にも屈せず、強者の前でも折れずに立つことができる背中。
そこに届くのが、その背中を護るのが、その横に並び立つのが、ウルヴァーンの抱いている夢だ。
その夢をかなえるためであれば、いかなる努力だってする。如何なる苦難だって背負う。
『才能』がないなんて言い訳は絶対に使わない。
ウルヴァーンには手に余るほどの『才能』があるのだ。
そう憧れる背中を持つ男が言ったのだ。
その言葉を信じることに躊躇いなどあるはずがなかった。
「……一歩は前進できたか?」
始めて、グローリアのほうから武器を振るわせることが出来た。
たったの二撃。二回しか振らせることはできなかった。
その二撃で越えたい背中の強大さを改めて知ることが出来た。
これが、今回の模擬戦の最大の収穫だろう。
「おい、ヘキル。ずっと見ていたお前は暇だろ?」
「無理ですッ! 僕の異能の発動条件を満たさない人間に対しての僕の戦闘能力なんてたかが知れてますッ!」
「セキルは十二分に戦えるじゃないか。お前も姉に倣え」
「無理ですよ……。お姉ちゃんがトレーニングしてるのは趣味ですもん……」
「そうなのか? 趣味であのレベルの戦闘能力を……今度あいつとも模擬戦してみるか」
「嫌」
セキルのことを思いだしながら呟いたグローリアに後ろから声がかかる。
振り向いて見てみると、そこには何時からいたのか、月夜とセキルが立っていた。
月夜は無言でタオルと飲み物を差し出してくる。別段汗はかいていなかったので、飲み物だけ拝借する。
中に入っていたのはよく冷やされたミカン水。
適度な甘みと冷たさが喉を伝って、体の中に入っていくのが心地いい。
「ウルヴァーン。貴方の飲み物もありますが、要りますか?」
「……珍しく優しいな。なら、くれ」
「貴方のもとまで運ぶなんて御免です。貴方のほうがこちらまで来てください。その程度までには回復しているはずです」
「んなわけないだろう……」
「私の『目』をごまかせるとでも?」
「……へーへー」
ダルそうに立ち上がったウルヴァーンがこちらまで歩いてくる。
そして、月夜から手渡された飲み物を口に含む。
そこで動きが一度止まった。
すぐにまた動き出したが、ウルヴァーンは完璧な笑顔を作り、月夜に向ける。そして、その笑顔のまま、口を開き、口の中に入っていた飲み物をダパーッと、地面に垂れ流す。
「……汚いですよ」
「…………これに何が入っているのか聞かせてもらおうじゃないか」
口の中のものを全部吐き出したウルヴァーンはなおも完璧な笑み。
こめかみのあたりの筋肉が引きつっているが、笑顔だけは崩れない。
その様は、笑顔を浮かべていないと、怒りが爆発してしまうので、無理に取り繕っている。そんな感じのするつくられた笑みだ。
「何と言われても……ただの泥水ですよ?」
「お前は泥水を人に手渡したってのか!? こんなのを団長にも飲ませてんじゃねぇだろうな……!」
「そんなわけないでしょう。貴方は馬鹿ですか? それに、私はさっき言ったはずです。『貴方の』飲み物だ、と。旦那様に負けた無様な貴方には泥水ぐらいがお似合いなのです。まぁ、旦那様に負けるのは始まる前からの決定事項だったのですが」
「そんなに、俺が団長の予定を食いつぶしたのが気に入らねぇのか……!」
「そんなことはないですし、何も含むところはありません。強いて言うなら、今現在貴方のことはとても気に入りません」
「それは含むところがあるって言うんだよ! はっきりと言葉にできねぇのか、この陰険虎!」
「……誇り高き、虎の獣人である私に対するその発言……空も飛べぬトカゲ如きが、調子に乗らないでください」
「それは俺にケンカ売ってんのかぁ……!」
月夜とウルヴァーンの二人が実に仲が悪く、本気の殺気と共に視線で火花を散らしあっている。
その姿を見ながら、ヘキルはあわあわとしているが、グローリアとセキルは全く二人に注意を割いていない。二人は二人で会話をしている。
「良いじゃねぇか。たまには」
「無理。グローリアと戦ったら、五秒持たない」
「別に、テメェも本気で戦いはしねぇよ。久しぶりに、お前の実力が計りたいだけだ」
「それでも断る」
「……理由は」
「あなたと戦ってもメリットがない。私には他にすることがある」
「具体的には?」
「読書。あなたと武器を打ち合わせているよりも、よっぽど建設的」
「ふむ……道理だな」
月夜たち二人と違って、グローリアたちのほうは至って静かに会話が進んでいる。
熱くなりやすいウルヴァーン、静かに見えて意外と腹の内は激しい月夜。
そんな二人と違って、表面的には感情を全く表に出そうとしない二人だ。ポーカーフェイスが上手いと言うよりかは、情動が薄いタイプ。
そんな二グループに挟まれているヘキルは、どうすればいいのかわからず、頭から煙など出している。
どうしようもないほどに混沌とし始めた空間。
そこに、眠そうな声の女が入ってきたことで、空気が撹拌される。
「ふぁ~ぁ……。おはよう、みんな」
「あ? あぁ、起きたのかプリス」
「今さっきね……。それで家にいても暇だからこっちに来たんだよ」
欠伸を幾度もかみ殺すプリスの表情はとてもではないがはっきりと意識が覚醒した人間のそれではない。
体もフラフラとしていて、安心してみていられるものでもない。
その体を支えてやりながら、グローリアは問う。
「何しに来た? こう言っては何だが、お前が何の用もなくこちらに来るはずもないと思うのだがな」
プリスは理由を話すことはないが、こちらのギルドの居住スペースに来ることをあまり好まない。
端的に、避けている。用でもない限り、プリスはこちらに来ることはないだろう。
それが故のグローリアの質問だった。
その質問に、プリスはちょうどいいところにあるグローリアの匂いを嗅ぎつつ答える。
匂いを嗅いでいるプリスをジッと見ている月夜の視線には気づいていないようだ。
「リテラエが、さ」
「あん?」
「ちょうどいいからグローリア呼んで来いって。何かね。お客さんも来てた」
「客……」
プリスが客と言うということは、その人間のことを少なくともプリスは知らないと言うことになる。
情報として、プリスにグローリアを呼んで来いと言った時のリテラエの表情や態度などの情報が欲しいところではあったが、寝ぼけているプリスにそこまでの情報は望むべくもない。
だが、不思議なことに、嫌な予感がグローリアの胸中には渦巻いていた。
グローリアは勘が鋭いという訳でもないが、こういう嫌な予感がするときは決まって面倒事が待っている。
これは経験則からよく知っている。
大体にして、そういう時に退路は残されていないものなのだが。
軽くため息をつく。
諦念と共に空気を吐き出したことで、まだまともな思考が戻ってくる。
未だに口論を続けている、自分の副官にグローリアは声をかける。
「月夜、面倒事だ。馬鹿との喧嘩は後にしろ」
「了解しました」
月夜はスイッチを入れ替えるようにウルヴァーンとの口論を止める。
その急激な態度の変化に多少鼻白んだウルヴァーンだったが、グローリアの姿を見て、表情を真剣なものに変えた。
空気に敏感な奴は実に扱いやすくてたまらない。
「月夜、ウルヴァーン、セキルヘキル。ついてこい。面倒事がテメェたちを待っている。テメェだけが面倒事を背負うのはごめんだ」
その言葉を言い捨てると、グローリアはギルドホールに向けて足を進め……ようとしたところで、へんにゃりともたれかかってきたプリスによって行動を阻害される。
「プリス、邪魔だ」
「……眠くて動けない。運んで」
言葉足らずに、そう言ったプリスはグローリアに体重を預けて、寝入ってしまった。
このまま放置して行ってもいいとは思うのだが、確実に起きた後のプリスを宥めるのが面倒だろう。
最悪、異空間に軟禁もありうる。
時間もないので、グローリアはさっさと諦めるとプリスを横抱きにして歩き始める。
グローリアの匂いに包まれているからなのか、グローリアに運ばれているからなのか。細かいことはわからないが、とりあえず、満足そうな顔をしていた。