終わりへと続く始まり
「……あー、どうしょうもねぇ」
広い吹き抜け構造になったホールのような場所で一人の男がつぶやく。
男が座っている机の他に、同じような長机がいくつかあることから、この場所は食堂のような機能も兼ね備えているであろうことが窺い知れた。
その男は、一言でいうと変わった服装をしていた。
深緑の髪をオールバックにまとめ、左目には片眼鏡をしている。きっちりとネクタイまで締めたスーツのような恰好をしている。
顔の横から飛び出した長い耳が特徴的だ。
ここまで並べ立てたところでは、別段突飛な恰好などしていないように思えるだろう。
だが、この男の服装は百人に聞いたら、九十九人が突飛と答えて、残りの一人がイカしていると答えるような恰好をしていた。
この男は、顔の四分の三を包み隠すような真っ白な無地の仮面をつけているのだ。
その仮面は左上だけがきれいに割れていて、頬の上部と左目、そして左半分の額だけが見えている。
それだけでも、十分に突飛だと言うのに、そこに片眼鏡などをかけているから余計に変わった見た目に見えるのだろう。
唯一まともに外から見ることのできる左目の下には濃く深いクマが染みのようにこびりついている。それだけでも、この男の苦労が窺えると言うものだ。
男は、椅子に座り、目の前のテーブルに書類を幾枚かまとめたようなものを眺めている。
書類には、それぞれ数字と計算式のようなものがいくつも書かれている。
傍目から見る限り、それは帳簿の様であった。
その帳簿に目を通しながら、何度も頭をかきむしる。そのせいできっちりと整えられている髪が徐々に崩れていっていた。
そこに一人の幼い少年が入ってくる。見た目からして、年齢は十歳前後と言ったところであろう。男と同じように耳が長い。
「あ、リテラエさーん。ちょっとご相談……」
「少し動くな。集中できん」
少年に、男――リテラエは強い視線を向ける。その視線は鉄板すら射抜けてしまえそうなほどに鋭い視線のように感じられる。片眼とは思えない圧力を感じさせる。
そんな殺人級の視線をぶつけられた子供は蛇に睨まれた蛙のように体の動きをぴたりと止めてしまう。
少年が動きを止めたことを確認もせずにリテラエは頭をウンウンと捻っている。
その背中からは威圧感のようなものすら放っていて、そのせいで少年はさらに肝を冷やす。
そして、数分が経った頃だろうか?
もう少年にまともな時間の感覚は残っていなかったから、もっと長くも感じた。
そんな時に、
「これで……一区切りか」
リテラエはそういうと、威圧感を緩め自分の前にある書類の束をてきとうにまとめる。
「スマンな。動くな、とか言っちまって」
「い、いえ。大丈夫です。こちらこそ、邪魔してすみませんでした」
リテラエに声を掛けられたことで、やっと体が動かせるようになった少年はホッと一息つく。空気を少し乱しただけで何かされそうだったので、ろくに呼吸もできなかった。
そんな少年の姿を見て、リテラエは少しだけ見えている表情を苦笑の形にゆがめる。
リテラエの表情としてはこの苦笑のほうが見慣れているので、少年はその苦笑を見てやっと心を落ち着けることが出来た。
「それで、何の用件だったんだ? ちょうど一区切りもついたし、お前の用件を片付けようじゃないか」
そう言いつつ、近くにおいてあった水筒に口をつける。
色々と考えなければいけないわけでもなかったのだが、これ以上根を詰めて、疲労を体に残すのはよくないことだろう。これから外に出るかもしれないと言うのに。
「ちょっと聞きたいことがあったんです」
「聞きたいこと?」
「はい。……いいですか?」
「あぁ。機密保持の関係上言えないこともあると理解してほしいのだが……お前の聴きたいことはそう言うことではないのだろう?」
「きみつ……? はい。たぶん大丈夫だと思います」
機密保持と言う言葉がわからなかったのか、少し首を捻ったがすぐに首を縦に振る。
これから聞こうと思っているのは、何でもないことのはずだ。
きみつほじとかいうのはわからないが、そう言う難しいものではないだろう。
言った後に考えて、改めて首を縦に振る。これは大丈夫なはず。
その姿を見ていたリテラエは楽しそうに表情をゆがめた。と言っても、顔の四分の一しか見えないが、それでも十分に分かるほどに喜色にまみれた表情だった。
リテラエが普段接している子供たちは無駄に……と言うと怒られそうだが、大人びているのが多い。一部の大人には見習わせたいほどに。
だから、子供らしく考え込む少年の姿が愛らしく見えたのだ。
「それで? 聞きたいことってのは?」
「あ、はい。最近、グローリアさん見てないから、何処に行ったのかなーって思ったんです。月夜さんの姿も見ていませんし」
「あぁ……ロアか」
グローリア。
その名前を聞いた瞬間に、さっきまで持っていたほっこりとした気持ちはどこぞへと掻き消えた。
今のリテラエの中にある感情は諦念。
何かに諦めた者だけが持つ、暗い感情だった。
一応、グローリアはこのギルドの団長と言うことになる。
だが、副団長であるリテラエから見たグローリアの評価と言うのは、『優秀であることは認める。だが、その優秀さで補えない程度に迷惑な奴』となる。
ギルドを率いるために最低限必要であるカリスマは文句の言いようがないほどに持っている。それに、実力だってないわけではない。寧ろある方だ。
そんなグローリアの何が不満か。
それはグローリアの二つの性格が物語っている。
気分屋で即断即決を好む。
前者はともかくとして、後者は良いことではないのか?
そう考える人間もいるだろう。
だが、この即断即決と言う長所になりえる性格も、グローリアの手にかかれば迷惑な性質に早変わりしてしまうのだから笑える。
端的に、グローリアは欲しいと思ったものを全く考えなしに購入してしまうのである。それも、結構な値の張る物を。
別にそれだけならいい。
自分の金で何を買おうが本人の勝手だ。それをリテラエがどうこう言う権利などないだろう。
だが、この件に関して言えば、リテラエは純然たる被害者なのである。
このギルドの財政を管理しているのはリテラエである。
几帳面な性格も相まって、最低単位までしっかりと管理している。
その金をグローリアは自分の欲しいもののために躊躇せずに持って行ってしまうのだ。
それは問題でしかないだろう。
さっきリテラエが悩んでいたのも、どう計算しても、何度計算しなおしても記録されている金額とさっき確かめてきた金額が合わないからなのだった。
嫌なことを考えているうちに、自然とリテラエの表情は暗いものになってしまっていた。
そんなリテラエの表情から察したのか、少年の表情もつられて暗いものとなる。
「…………ごめんなさい」
「……ハッ! いやいやいや。お前が謝罪することはない。あの馬鹿の事を考えていたらちょっと以上にテンションが急降下しただけだからな」
暗い表情での謝罪を受けたことで、何とか現実に復帰できた。
にしても、こいつは本当に癒し系だな。家に持ち帰りたいぐらいだ。
まぁ、そんなことをしたらグローリアに殺されるのでやらないが。
そして、リテラエにとっての家がここ、ギルドホールの一室なことも理由だ。会おうと思えば、いつ何時でも合うことが可能と言えば可能だ。
「大丈夫だから、な? そんなに落ち込まないでくれよ」
「でも……」
「お前は俺みたいな薄汚れた大人の顔色なんて窺わなくていいんだ。お前らしく生きて、お前らしく大きくなってくれればいいんだよ」
「……でも」
「あぁ、もう。よし、わかった。これやるから落ち込むのを止めなさい」
「? ……あ。飴だぁ!」
リテラエがポケットから取り出した飴を少年に渡すと、少年の機嫌は一気に急上昇したようで、口に飴を放り込むと喜色満面で飴を口の中で転がしている。
本当に、こいつ見てると癒されるなぁ……。
それで、さっきのこいつの質問の答えを言ってしまうと、グローリアは今月夜だけを連れて依頼をこなしに外に出ている。
今回の依頼は事前にこちらで集めた難易度的にはそう高いものでもない。
はっきり言って、グローリアならば、鼻歌交じりですらこなせるような難易度でしかないものであったはずだ。
だが、帰還予定日からもう一週間もたっている。
流石にこれは異常事態と言っても差支えないだろう。
どんなことにも予測できないことと言うのはある物で、そういう不可思議な事態が起こっているのであろうと予想がつく。
しかし、あのグローリアが苦戦するような事態と言うのが想像できないのも事実。
だからこそ、リテラエ自身がそのグローリアを探しに行こうと思っていたのだ。
そのためにこのギルドの管理をウルヴァーンに頼まなければいけないので、引継ぎ用の書類を作っていたのだ。
その過程で金庫の金が足りないと言うことに気付いて時間がかかったわけだが……。
少し、リテラエが抜けることで、このギルドホールの防衛に不安が残るが……いい加減にガキどもも大人の手から離れてもいい時期だろう。いつまでも甘やかしていては成長も望めないしな。
こいつに説明したことで色々とちょうどいい気持ちになった。
「さて……準備しますか」
「フンフフーン……って、リテラエさん、どこかに行っちゃうんですか?」
飴をなめながら上機嫌に鼻歌などを歌っていた少年がリテラエに視線を向ける。
首を若干傾げながらのその仕草は非常に庇護欲をそそられるものではあるのだが、そう言ってもいられない。
さっさと用意しなければな。
「あぁ。馬鹿を探しに行かなくては……」
「ただいま」
「ただいま帰還いたしました」
説明を始めようとしたところで、そんな声が聞こえた。