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旅は彩りとスパイスと共に  作者: 夕星氷雨
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登れ、世界樹の頂へ

世界は不平等で満ち溢れております。

人は生まれながらに平等を望むものですが、現実がそうとは限りません。

そして同時に、人は自由を求めます。

それは、風さえも置き去りにして大空を羽ばたく鳥のように。

あるいは、地平の先まで続く大海を優雅に疾走る魚のように。

生物としては当然の欲求かもしれません。

本来、生物とは種の存続が第一目標で、それ以外に縛るものなどないのですから。

ですが、非情で残酷なことに、世界というものはそのどちらも人に与えはしませんでした。

過酷な縛りと不平等を与え続ける。それがこの世界です。


私、こと四宮葵もそんな残虐な現実に打ちのめされているところでございます。


目の前にはまっさらな大地が横たわっております。

まっさらといっても少し先には自然の中で強く育った緑地がございます。

一陣の風が吹き抜けると、心地良い感覚が身体の上を駆け巡り、波のように揺れる葉擦れの音が優しく耳を撫でます。

周囲には特筆すべき物がなんらありませんが、不思議と優しい気持ちに慣れる、そんなこと場所が私のここ数日の住処でした。ほんの数刻前までは。


人は生きる上で食糧が必要になります。熱量消費を如何に省き、一日中惰眠を貪ったとしても、それは逃れられない宿命にございます。ですから、今日も私は日が昇ると同時に近隣の森に足を向けました。

当初の予定よりも時間はかかってしまいましたが、今日を無事越せるには十分なほどの果物や木の実を両腕に抱え、いたくご機嫌だったと言えるでしょう。


しかし、状況は一変致しました。

数刻前までは確かに存在していた、我が家が眼前にはありません。

寄せ集めの木材で作り上げた、質素な小屋。人一人が済むのにも多少無理がある程度の大きさで、急造の拵えであったことは否めませんが、風に負けて倒壊した、などとは考えられません。

文字通り、跡形も無くなっているのです。

場所を間違えていることも疑いましたが、数日を過ごし慣れ親しみ始めた地理でそうなるとは思えません。

何より、一面原っぱのようなこの場所で、何の痕跡もなくなるというのは異常と言えるでしょう。


予想外の事態に、私はまず驚けば良いのか、悲しめばいいのか、それとも狼狽すれば良いのか途方に暮れます。一体何があったと言うのでしょうか。


両の頬をぺちんと手で叩き、自身に活を入れると弱気な自分から少し立ち直れました。

大事なのは何があったか、ではありません。これからどうするのか、なのです。


私は目を閉じ、爽やかな空気は肺一杯に吸い込み、静かに吐き出しました。

波打ち際のように慌ただしかった精神が湖畔の水面のように澄んでいきます。

揺れ動いていた意識がぴたり、とその動きを止めた時、私は再び目蓋を開きました。


視線を周囲のあらゆる方向へ走らせ、何かしらの痕跡を探します。

足元には地面の上を伝う轍の跡がございます。私がこの場に仮宿を作り上げたのはこの場にこれがあったからです。そもそも私はこの地に永住するつもりなど毛頭ございません。


しかし、なにぶん行動を起こすには情報が足りませんでした。


今の私は一言で言うならば、「遭難」と言うのが最も正しいでしょう。

私の名誉のために申し上げるなら、遭難と言っても自業自得のものではございません。

不可抗力であったのです。深く語るには時間が惜しいので省きますが、私にはどうすることも出来ない出来事でした。


幸いなことに、私が遭難したのは極寒の吹雪が鳴り響く雪山でも、灼熱の陽光が降り注ぐ砂漠でもございませんでした。行動を急ぐ必要はありません。確実かつ、建設的な手段として人の頼る道を私は選択したのです。


地面にくっきりと残った轍から察するに、この場を通るのは商人のようでした。

荷車は誰かが引かなければ動きません。であるのにも関わらず、地面には轍の痕跡しかありませんでした。地面に跡が付くほど重量を抱えた荷車、すなわち大量の荷物を載せた商人の馬車に違いないでしょう。


私はここ数日の間、その馬車が通るのを心待ちにしておりました。


ここから街までどれほど離れているのかも分かりませんし、あわよくば便乗させてもらえればとさえ考えておりました。私の仮宿が姿を消したのは謎ですが、そこに何かしらの介入があったことは疑う余地がありません。


もしかしたら、私が戻る少し前にはここに誰かがいたのかもしれません。


そんな私の予想は、見事に的中致しました。

雑草、と呼ぶには少し育ちすぎた草花の間を通る道の先には小さな小さな影が映りました。

ゆったりと風に揺れる草葉の影とは異なり、大地の上をしっかりと歩く姿。間違いありません、人です。


私は、高鳴り始めた胸の鼓動を沈めながら、その場を駆け出しました。

徐々に近づく人影、よく見れば向こう側にいらっしゃるのはお一人ではありません。片方の影に隠れるようにして、小柄な影が側に立っていました。


あちらの方々が私の存在に気付く要素はありませんでしたが、やがて騒々しく近寄る足音が耳に届いたのか、ゆっくりとこちらに振り向きます。


影の正体は、二人の少女でした。


遠目に見ても端正整った顔であると窺えます。私にとって運が良かったと言えるのは、お二人が唐突に現れた余所者に逃げ出すそぶりを見せなかったことです。それどころか、立ち止まってさえ頂けました。


「どうかしたんですか?」


柔らかな栗色の髪を、一本に纏めている少女は第一声としてそう言い放った。

ふんわりと垂れたその姿が仔馬の尾を彷彿とさせることから、ポニーテールと呼ばれる髪型です。

明るくはっきりとした口調の少女によくお似合いだと感じました。


私は何度か吸ったり吐いたりを繰り返し呼吸を整えると、少女に返事を返します。


「初対面に身なれど、ご無礼を承知でお尋ねします。私、止事無き事情でこの場に居合わせたのですが、この辺りの地理に疎く、もしよろしければお聞きしてもよろしいでしょうか?」


そうお尋ねすると、二人の少女は首を傾げました。


「この道は天階二層の天都イルファンと、辺境のど田舎イロリトを繋ぐ道。一体に何があればこんな辺鄙な場所に余所者が辿り着くんだ?」


小言でお話になるお二人。その端々から聞こえてくる言葉に私は耳を疑いました。


天階二層。


この世界は階層構造をしております。正確に述べるなら、概念的階層構造ではありますが、単純な建物を想像して頂いても問題ありません。中心層と呼ばれる零層を境に地階層と天階層に別れ、私が元いた世界は八層に当たります。


彼女たちが口にした言葉が正しければここは天階二層。

私が戻るべき八層とはかなり離れている計算になります。途方も無い距離に、一瞬目の前の世界が暗転しかけます。


「あんた、イルファンに行きたいのかい?」


ポニーテールの少女が視線だけこちらに向けて問うた。

上層へ移動するには各階層にある天都から移動を繰り返すほかありません。現段階では、目指すべきは少女たちがイルファンと呼ぶ二層の天都です。


私がこくり、と頷くとポニーテールの少女は口の端を持ち上げてにやり、と笑った。

その様子を見て小柄な少女が、慌てて相方の手首を引っ張った。


「ちょっとっ! 凛音、あなた本気なの!?」

「いいじゃないか、旅は人数が多いほうが楽しいもんだ。これを機にその人見知りな性格なんとかしろよ」

「ひ、人見知りなんかじゃないわよっ。私は、そのっ、そう! 思慮深いの!」

「そういうことにしとくよ」


手のひらをぶんぶんと振り、不満気な少女をあしらうと彼女は私に説明をしてくださいました。


「ここからイルファンまでは約六段。あたしたちも向かう途中だから案内してもいいぜ」


段とは距離の単位です。その由縁は一つの世界を一階層と見なすことから来ています。

一つの世界を百等分し、百の階段で構成されているという考えです。


「ご迷惑でなければ、ぜひご一緒させて頂けませんか!」


私にとっては願ったり叶ったりというお話でした。ただでさえ外の世界に疎い私では、六段も離れた場所へ辿り着くのは決して容易ではないでしょう。


「あたしの名前は一文字凛音。かたっ苦しいのは嫌いだから、凛音でいいぜ」

「私は四宮葵と申します。短い間ですが、お世話になります凛音さん」


互いに軽く挨拶を済ませると、凛音さんの傍らに立つ少女は恨みがましげに凛音さんを睨んでいました。

その様子を見て、凛音さんは苦笑いを浮かべております。


「そう睨むなって。あたしたちがこれから向かうのは天都、そこらへんの雑草並に人がたくさんいるんだ。その程度の心構えじゃ村に帰った方がいいじゃないのか」


凛音さんの申し立てに、少女も思い当たる節があったのか、溜め息を一つつくと私の方を見ました。


「冬木奏、です。どうぞよろしく」


わずかに頬を染めながら、彼女はそう言いました。

名は体を表す、とはまさにこのことでしょう。


凛音さんが夜明けの朝空に響くファンファーレのような御方だとするならば、奏さんは木々の間を飛び交う小鳥たちの調べを思わせるような雰囲気をしております。


女性としては長身と呼べる凛音さんが隣にいるというのも一つの理由ですが、それを差し引いても奏さんは小柄だと誰もがおっしゃるでしょう。


日差しの元できらきらと輝く黄金色の髪は、宝石にも負けず劣らずの美しさです。纏めることはせず、無造作に腰元まで垂らしているせいで、彼女が身を動かす度に風に揺られ、その美しさを際立たせます。


「こちらこそ、よろしくお願い致しますね。奏さんっ」


私がそうお返事させて頂くと、奏さんは朱に染まった頬を隠すように凛音さんの背に移動しました。

なんて可愛らしい御方なのでしょう。


いつも通り、優雅に、そして艶やかにお辞儀をすると二人からほうっ、という感嘆の声が漏れました。

それもそのはず。ここ数日独り身の生活を続けていたことで失念しておりましたが、今の私はどこからどう見ても普通の格好をしていません。

風を受けて静かに舞うひらひらのスカート。所々にはお嬢様の趣味と思しき黒をシックな装飾が施されております。ゴスロリチックと言って問題ありません。


「ところで葵、なぜ君は給仕服なんて着ているんだ?」


相互理解を深めるためには、長い説明が必要になるのでしょう。私は心の中で小さく溜め息をつきました。幸運であったのは、少なくとも説明をさせてくれるだけの狭量を彼女たちが持ちあわせていてくださったことと、その説明をするだけの時間があることでしょう。


天階層二層から八層への旅。きっと長い旅となるでしょう。

その道は決して楽ではなく、様々な苦難が立ちはだかることでしょう。


「じゃあ新たな仲間を歓迎して、氷菓子を分けてあげよう」

「よろしいのですか?」

「ちょっとっ、それは私のよっ! 自分のを分けなさい」

「あたしはもう食べちまったよ。ほらっ、食え」

「むぐっ! いきなり、口に押し込まないでくださいよ! でもこれ甘くておいしー!」


それでも、一時の平穏と神の祝福とも呼べるような出会いに今は感謝し、その恩恵に浸らせて頂きたいと思います。

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