婚約破棄の現場で~王子の鉄槌~
それはあるうららかな春の日、ではなく暑さもおさまり過ごしやすい秋の日のことだった。
国を支える若人の集いと称した園遊会という形で未婚の若者が王宮の一角に集められた。
園遊会の主催者は第二王子のヘンリー様。
皆がヘンリー様に挨拶をし、それぞれのにこやかな社交の時間も終わりかけの頃、ヘンリー様は側近たちを引き連れてマッキンロー侯爵令嬢と対峙した。
このマッキンロー侯爵令嬢レイカ様はそれはそれはとんだお嬢様なのだ。身分が下の者にはとことん威張り散らし、踏み付け、役に立たないと思ったら捨てにするのは当たり前、乙女ゲーの悪役令嬢のする悪事などまだ甘っちょろいと思うようなことをする性格なのだ。
ヘンリー様一筋だといえば聞こえは良いかもしれないが、それにしてもやることがえげつなすぎる。
悪役令嬢好きですら受け入れられるかどうか分かれる物件だ。
「レイカ・グレース・マッキンロー! リビングストーン男爵令嬢キャロルへの高位貴族令嬢としてふさわしくない振る舞いの数々、目に余りある!」
皆が思っていることを代弁するヘンリー様。
「ひどいですわ、ヘンリー様! そんな戯れ言を鵜呑みになさるなんて、わたくし、心が引き裂かれそうです! 一体、どなたがそのようなことをおっしゃったのやら・・・。大方、身分もわきまえず、ヘンリー様に付きまとっている男爵令嬢じゃありませんこと?」
焦りをおくびにも出さない態度のレイカ様。まさに麗しき毒花。元々、普段からの言動でレイカ様を開き直っている以外に思える者は少ないだろう。
キャロル嬢以外にも下位貴族の令嬢令息は皆、同じ戯れ言をヘンリー様に進言するに1000ポイント。
対するヘンリー様の冷ややかな姿勢は崩れない。それどころかパワーアップしている。
「キャロに暗殺者や暴漢を差し向けたり、毒を盛ったり、男爵家の馬車に細工したり、使いを装った偽者におびき出させて監禁することのどこが戯れ言だ?! それが高位貴族のやることか! そなたのような性根の腐った女が高位貴族の一員でいることすら許しがたい!! マッキンロー侯爵に連絡したら既に一族の名から外すと連絡が来ている! 勿論、私との婚約話も無かったことにしてもらう」
暗殺者って、そこまでいったらもう駄目でしょ?!
何でそこまで知ってんですか、ヘンリー様?
というか、マッキンロー侯爵も自分の手の者を使って色々していなければ、蝶よ花よと館の奥で厳重に育てられたレイカ様がそんなことをする伝手はないから、追求を逃れるために切り捨てましたね?
事実上の死刑宣告と婚約話がおじゃんと聞き、表情を取り繕えなくなったレイカ様は必死の形相だ。
「何故ですの?! 何故そんなことを!! わたくしはヘンリー様のことを思って・・・ヘンリー様があのような下賤な女に誑かされているのを止めようとしただけですのに・・・!!」
でもね、レイカ様。一途なのは良いけど、限度があるってもんでしょ?
それにそんな口を王族にきけるような関係でしたっけ?
母系父系共に近しいところで王族との血縁どころか姻戚もないですよね?
親の世代の交友関係ぐらいですよね?
ヘンリー様には思いっきり嫌われていますし。
「そなたは数いる婚約者候補に過ぎない! それを思い上がって婚約者のような振る舞いをし、自分より身分が下の者たちに対する態度は到底、私の妃にふさわしいものではなかった! その上、王子である私にもそんな口をきくのか?!」
そうなんですよ。
王太子である第一王子のジョン様はともかく、ヘンリー様は未だに婚約者を定めておられないのです。
ですから、レイカ様はヘンリー様の婚約者ではなく、ただの婚約者候補の一人に過ぎないのです。
レイカ様の顔から血の気が一気に引きました。
倒れないといいですね。
倒れると厄介ですから。
既に貴族としての身分を剥奪されていますから、倒れれられたら対応が大変だ。
「いえ、そんな、わたくしはヘンリー様を蔑ろにするつもりなど欠片もありません!」
「つもりはなくとも、充分、蔑ろにしているではないか。・・・もういい。早く目の前から去ってくれ」
「ヘンリー様?!」
ヘンリー様の目配せで近くに控えていた騎士がレイカ様に近付き、拘束して連れ出す。
聞いている分には愁嘆場にしか見えないこの光景を改めて説明しよう。
ヘンリー様ことヘンリー王子は下位貴族に対して横暴な振る舞いをする社交界の華レイカ様を断罪した。
以上。
え?
簡単過ぎる?
断罪の名目に使われたキャロル嬢については本当にヘンリー様を誑かしていたんじゃないかって?
――残念ながらそこんところはわからない。
下位貴族にモブ転生してしまうとおきてしまう弊害だな。
それに彼女自身、この場にはいない。
新しい悪役令嬢断罪パターンなのだろうか?
今回の糾弾以外、ヘンリー王子の側近たちの身辺も静かだったし、乙女ゲーだったら王子ルートだったんだろうな。
この乙女ゲーを知っていればもう少し楽しく傍観できたのに。残念。
「離しなさい!! あなた、わたくしが誰かわかっておりますの!」
レイカ様の叫び声が聞こえているにもかかわらず、ヘンリー様は既に何事もなかったような様子だった。
「ああ、皆。騒がせてすまなかったな」
「ヘンリー様!! お願いです! やめさせて下さい! ヘンリー様っ!!」
ヘンリー様はレイカ様の叫び声を無視されていた。
雑音として聞き流しているのかもしれない。
ヘンリー様とその側近たち以外は異様な沈黙に包まれていた。
これは王家に逆らえばレイカ様のようになるから、身を慎めという我々、若い貴族への警告なのだろう。
ヘンリー様は天使のような外見をしているだけに、さしずめ今は断罪の天使のようだ。
それにしてもこの乙女ゲーの名前は何なんだろう?
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宗教画に描かれている天使のような容貌の青年が温かな笑みを浮かべる。
「これでもう大丈夫だ、キャロ」
不安げな面持ちの少女が青年の表情を探るように見つめる。
「ヘンリー兄様・・・」
「お前を苛める女は排除したから、これからは安心してこの国で過ごせるはずだ」
豪奢ではあるが罪を犯した王族を密かに幽閉しておく塔の一室に保護されている少女は安堵の息を漏らした。
「・・・ありがとうございます」
「礼なんか構わない。せっかく、この国に身を隠しているのに危険な思いをさせてすまない。ここにはいない、父も母も兄も同じ気持だ。家族を代表して謝罪する」
「私はこうして助けて頂いて無事だったのですから、気になさらないで下さい」
少女の肌は救出されて以降、この塔で暮らしているせいか青白い。
あの救出の指揮をとっていたヘンリーとしては、そのような言葉が出るのは想定していなかった。
レイカの危険性はそれまで彼女が陥った危機が危機だけにヘンリーには充分わかっているはずだった。それでも後手後手に回ってしまい、従兄妹は監禁されてしまった。
身分の不安定な従兄妹を表立って婚約者だと発表できないツケを彼女自身に払わせる結果だった。
「キャロは昔から優しいな。もし、あの国があのままの状態であったり、亡くなってしまっても私たちはキャロの味方だからからな」
「そのお言葉だけで充分です」
自分の言葉が彼女の家族の死を意味しているにもかかわらず、自分たちに遠慮して気を遣う従兄妹がヘンリーは愛しくてたまらない。
自国への介入を依頼したり、母親の嫁ぎ先に介入をしない姿勢を批難してもおかしくないのに。
母親の母国で男爵家の令嬢として慎ましく暮らす彼女の姿に心が痛む。
「療養のためにここに滞在してもらっていたが、まだ危険は多い。もうしばらくは王宮の一角で不自由な暮らしをさせるかもしれないが耐えてくれ」
「そこまでして下さらなくても・・・」
「王位を継ぐ可能性もあるんだぞ、キャロライン王女。そなたは男爵令嬢ではない。今まで身を隠していたのはそのためなのだから」
「・・・はい、ヘンリー兄様」
「後数年待っても国が安定しないなら、男爵令嬢として私に嫁してもらうことになるが構わないな?」
それは一番良くない未来だった。
できれば、一国の王女としての輿入れがふさわしい従兄妹がそうせざるをえない未来。
「はい」
頬を染めながらそう答える恥ずかしがり屋の婚約者をヘンリーは昔から愛している。
元々はモブ視点ではなかったんですが、モブ視点が主になってしましました。
・モブ貴族
前世の知識や考え方があったので、ジョン王の治世下で革新的な文官と評価される。
・キャロル(キャロライン)
ヘンリーの従兄妹で政情不安な国の王女。このことは王族とリビングストーン男爵以外、知らない。避難しているこの国では男爵家の令嬢として暮らしている。
恥ずかしがり屋でヘンリーのことは兄のように慕っている。
・ヘンリー
この国の第二王子。公にはされていないがキャロライン王女の婚約者。
キャロラインの警護責任者でもあり、暗殺や毒殺などから守っていた。自身に複数の婚約者候補を作ることで、本当の婚約者に危険が及ばないようにしていた。
結婚後も毎日妻に送る恋文で歴史に残るほどの愛妻家として有名。
・レイカ
ヘンリーの婚約者候補の一人で侯爵令嬢。