其の二 : 猫が幼児になりました
落下物(黒猫)を拾った俺は、とりあえず介抱しようと部屋に持ち帰った。
連れ帰った、ではない。持ち帰った、だ。
ここ重要。
決して、ペットにしようと思った訳ではないのだから。
ペット不可のアパートでも、これならセーフですよね?
……そうですかだめですか。
まぁでも大家には見つからなかったし、猫は結局居着かなかったわけで。
そう。猫は居着かなかったのだ。
では何が居着いたのかと言うと……。
話は五日前、俺がアパートに帰ったところに巻き戻る。
ずぶ濡れで気絶している黒猫、それを腕にどうしたものかと悩む俺。
とりあえず拭くべきか、それとも温めるべきか。
そう言えば親父が昔、
『汚れた子猫を拾ったから綺麗にしてやろうと思って』
どうしたんだっけ?
『洗濯機で回した! そしたら猫の目も回った!』
はい却下。
俺は親父ほど性格も常識も破綻していない。
猫は死ななかったらしいが、気を取り戻した瞬間に猛ダッシュで逃げたらしい。
当り前だな。
まあイカレ親父の思い出話はどうでもいい。
とりあえず俺は、黒猫をタオルで拭いた。
どこか打ったかも知れないし起こしても可哀想なので、出来るだけそっと水滴を拭う。
(自然と目が覚めたら、外に出せばいいだろう)
そんな風に軽く考えて、俺は黒猫をバスタオルに包み、自分はシャワーを浴びて早々に布団に入った。
……ここまでは良かったのだ。
バイトの疲れもありあっという間に睡魔にやられた俺は、もぞもぞと動く何かに目を覚ました。
いや、目覚めてはいないな。ぼーっとしてたし。
何かが布団からはみ出した俺の腕に当たり、それが温かい熱を持った何かであることを認識出来たくらいで。
柔らかくて心地よく温かいもの。
俺は躊躇わず、それを布団の中に引き込んで抱えた。
温かい抱き枕。
寝ぼけていた俺はそれくらいにしか思っていなかった。少なくとも、黒猫だと認識はしていなかったと思う。
何せ意識がはっきりしていなかったせいで記憶は曖昧だが、ぬいぐるみサイズの何かを抱えたことは覚えている。
そしてそこからは朝まで、気持ち良く爆睡したわけだが……。
ちゅん、ちゅん。
『…………………………』
いつも通りに鳴り出した目覚ましを止めた俺は、上体を起こして眉間に皺を寄せていた。
布団に、何かいる。
常識では語りつくせない何か、が。
『……何だこれ』
ホームセンターで購入した薄っぺらい掛け布団。
それにくるまってすやすやと眠る…………何だこれ。
『子供……?』
疑問形になる俺。
何故なら確信がないからである。
敷きマットの上に丸まっているのは四・五歳くらいの子供。
柔らかそうな頬、長い睫毛と小さい口元に添えられた――と言うか口にしゃぶられているハムみたいな手。
真っ黒い髪はやたらと長く、一部は掛け布団に巻き込まれ、あとはマットの上に外にと広がっている。
そして敷き布団から覗いている――――。
………………。
はしっ
『ふにゃああぁぁぁっ』
起きた。
『にゃっ、は、なっ!』
驚いてる驚いてる。
証拠に、頭から生えた耳らしきものがピコピコ動く。
……どうやら飾り、とかではないらしい。
大きな目がせわしく回り、やがて正面の俺に戻って、幼児(もどき)は叫んだ。
『ちかーーーーん!』
『は?』
いきなり何言ってんだ。
『ねこみをおそうとはなんてやつだ! サイテイだ!』
『おい』
『しかもしっぽをつかむなんて、オスのかざかみにもおけないヤツだ!』
『こら』
『おんじんだとおもったのに、とんだヘンタイだったなんて――――にょあっ』
俺は話を聞かない幼児(もどき)のしっぽを再び掴む。
もう限界だ。好き勝手言いやがって、許せん。
『勝手に上がりこんでおいて、その態度か?』
掴んだしっぽを引っ張り、幼児もどきを引き寄せる。
『ふ、ふええぇぇえ~』
『それに何だ、その口のきき方は』
捕獲した。上から睨みつける。
『年上には敬意を払う。当たり前だろぉ?』
ん? と首を倒す。
もちろん眼光は衰えさせない。
……いじめではない、教育的指導です。
俺は女は好きではないし、子供といえども容赦はしない。
『ふ、ふにゃあぁっ』
『な、に、か。……言い残すことは?』
あ、間違えた。言うことは、だ。
まぁどっちでもいいか、とりあえず謝らす。
『ご、ごめん~』
『なさい、だ』
敬語を使え、と俺はさらに睨みを利かせた。
『ごめんなさい~』
よほど睨みが効いたのか、幼児もどきは大きな瞳を潤ませた。
そして。
『お前は誰だ?』
『きのうのくろねこです!』
返ってきたのは簡潔な答えだった。
うん、まぁ、そう言うと思ったけど。
明らかにおかしなもんが生えてるし、子供が喋るたびに連動してるし、どう見ても猫耳だし。
『そうか』
『はいです!』
意識しすぎるあまりか、幼児の敬語はおかしい。が、良い笑顔だ。
『よしわかった。じゃあ……』
『じゃあ?』
俺は首を傾げる幼児(あくまでモドキ)を腕に抱き、立ち上がった。
そのまま部屋の奥に移動し、窓を開ける。
『自然界に帰れ』
『ふっ―――――にゃああぁぁ』
ポイと放り出す、その瞬間幼児もどきは俺の首にしがみ付いた。
『放せ。そして帰れ』
『いやだむりだっていうかたかいのこわい~』
はぁ?
『猫だろお前』
『ねこでもたかいのはこわい~』
叫び、うえうえと泣き出す子供。
あー、もう。
『めんどくせえなぁ』
うるさいのでとりあえず窓を閉め、畳の上に下ろした。
子供は鼻をびすびす鳴らし、しっぽを抱えて震えている。
何かの本で読んだことがある。
怯えた子供と動物は、向こうから近づくまでほっといたほうが良いと。
警戒心を解いたら勝手に寄ってくるので、それから構うのが正解らしい。
そんなことを思い出しながら自分の膝に頬づえをついて、俺は子供が泣きやむのを待った。