其の一:うちの居候
「佐々木ーっ、上がっていいぞー」
「うぃーっす」
店長に返事をしてカウンターを出る。
ロッカールームの手前でタイムカードを記入し、着替えを済ませて鞄を背負う。
「え~っと、今日は……」
再び店内に戻った俺は、小さなメモを片手にずらりと並ぶレンタルDVDの棚を回る。
「チュー太朗、田舎へ行く……これだ」
抜き出したのは今、子供に大人気のアニメ「てくてくチュー太朗」だ。
「チュー太朗? 佐々木、お前妹か弟居たっけ?」
「いません」
途端、店長が眉間に皺を寄せた。「じゃあお前が?」って顔だな、これ。
「親戚が来てるんすよ。あ、一泊で」
袋は要りません、とさっさとDVDを奪い、鞄に押し込む。
これ以上の詮索は面倒、疑わしそうな眼差しの店長には「お疲れ様です」と一際愛想を振りまき、とっととバイト先を出る。
時刻は午後十時。
外は真っ暗で、風は生温かった。
「ただいまー」
玄関でスニーカーを脱ぎ捨て、洗面所に入る。
手洗いうがいをきちんと済ませ、口元を拭って居間へ向かう。
古い造りのさびれた3DK。
両親不在のアパート、一人暮らしであるはずのそこには俺と、それから――――。
「おーい」
テレビの前にちょこんと座る子供がひとり。
「あっ!」
たたた、と走り寄ってくるのは幼稚園年中組くらいの、可愛らしい女の子。断じて親戚などではない。
なぜならこの幼児には、「普通の子供」にはあってはならないモノがあった。
きらきらと輝く大きな瞳、小さな背中を覆う豊かな黒髪、だぼだぼのTシャツから覗く、まだ丸こくて短い手足、そして――――。
頭のてっぺんに生えた黒い耳。そして。
「かずま~」
とすっ、と突っこんできたその背に揺れる、同じく黒くて細長い尻尾。
「ただいま、ミケ」
非常に猫っぽい名前、それもそのはず。
「おかえりなさいです〜」
ごろごろすり寄るこの生き物、その正体は幼児などではない。
永い時を生きた猫――――古くから伝わるところの、猫又と言う妖怪だ。
「良い子にしてたか?」
「はいですー!」
「そうか。じゃあ……」
カーペットに膝をつき、俺は子供と目線を合わせた。
「お前の後ろの、散乱した駄菓子は何だ?」
「あ――っと」
ぐわしっ。
逃がさない。
回れ右をしたミケの、その頭をわし掴んだ。
拍子に、ミケが「うにゃぁ」と鳴くが、手加減はしない。
テレビの前、先程までミケが陣取っていたそのスペースには、食い散らかされた袋があった。
チョコレート、ポテトチップス、ラムネに鈴カステラ、そして――――。
「俺のじゃがリッツは食べるな、って言ったよなーぁ?」
ゆらり、と上から見下ろせば、ミケはびくぅっと毛を逆立てた。
「ごっ」
「ご? ――――って!」
ミケの長い尻尾が俺の手を打つ――その一瞬の油断を誘い、ミケは見事、アイアンクローから脱出した。
かと思うと、ものすごい勢いで逃げて行く。
「ごめんなさーーーーいっ」
しかし脱走劇は長くは続かないのを、俺は知っている。何故なら。
「――――ぷぎゃっ」
前を見ていないミケは、毎回柱に激突するのだから。
……あーあ、もう。
「だーかーら、前見て走れっての」
畳に転がるミケを見下ろし、溜息をつく。
そんな俺に返って来たのは、へにゃっとした締まりのない笑顔だった。
ω
コレが我が家にやって来たのは五日前。
自称猫又である幼児いわく。
「恩返しがしたいのです!」
だそうな。
出会いは梅雨の、冷たい雨の降る夜。
バイト帰りの俺は段ボールに入れて捨てられた、びしょ濡れの黒猫を見つけた。
『お前……うちくるか?』
傘を差し出せば、黒猫はにゃあとか弱く鳴き。
「ひごよくをしげきされたかずまは、わたしをあぱーとにつれかえったので」
「す、じゃねぇ! 俺の独白に勝手に入り込むなっ」
怒鳴りつけると、ミケはぱたりと耳を伏せた。
もちろん掴んで耳元で喋る。
「お前は拾ったんじゃない、落ちて来たんだ!」
そう、あれは酷い雨の日(ここだけは合ってる)。
家路を急ぐ俺の傘に、柔い物体が落ちて来た。
軽くない衝撃、驚いた俺が慌ててあちこち見まわすと。
『………………』
足元に黒い物体。
どうやら雨で濡れた屋根に足を滑らせたらしい。
『……生き、てるか?』
つんとつついてみると、黒い物体はか弱く(ここも合ってる)にゃあと鳴いた。
決して庇護欲を刺激されたわけではないが、そのままにしておくと死んでしまいそうだったので、仕方なく部屋に連れ帰ったのだ。
――――大家に見つからないように。
そう、このアパートはペット禁止なのだ。
そんなところで猫を飼おうなどと思うはずもなく、ある程度回復したら、元の場所に返すつもりだった。
つもりだったのだ。
それがこんな事態に発展するとは、五日前の俺は思いもしなかった――――。