11 何も無い side:嵐山魁
「悪いが心底惚れてるやつがいるんだ」
魅上先輩は高校に入ってから受けた告白をこのパターンですべて断ったらしい。おかげで、段々告白人数は減っていったものの、あの人が本気で惚れてる人がいるという話はほぼ全校生徒の知ることとなってしまった。
本命がいようがいまいが、これだけの女の子に告白されたらさすがの魅上先輩でも……と思ったが、どうやら純情まっしぐらだったらしい。中には読者モデルをやっているような可愛い子や綺麗な子もいたのにな。まあ、環先輩以外はアウトオブ眼中だったというわけだ。
本人は「一体何の羞恥(周知)プレイだよ」なんて恥ずかしがっていたので、「真顔で告げることができるなんて芸当、魅上先輩しか無理っすよね」と笑顔で返したら、「誤魔化しても仕方ねぇだろ」と反撃された。
全く恥ずかしい人だ……かくして確実に伝説は広がり、環先輩も伝説化していく。
ここまで真摯にただ一人の人だけ思うことが出来るというのは、愚直というか馬鹿というか
――ある意味羨ましい
空を見上げる。
空は広い。
そしてこの広い空の下で、ただ一人……そこまで思える人に出会えた。それは奇跡のような確率だけど、同じ空の下にいた。
昨年、中学3年の夏、俺はひざに怪我をした。事故のようなものだった。
リハビリも含めて約2ヶ月。サッカーしない日が続き、やっと日常に戻れると思った俺に用意されていたのは、『これまでどおりフルタイムでサッカーするのは無理』という診断結果だった。ただでさえブランクがあって腐っていた俺にとって、その言葉はキレる引き金となった。
A学園高等部のスポーツ推薦枠で内定が出ていた故の、混乱もあったかもしれない。
とにかく暴れて、暴れて、嵯峨野ちゃんや監督に迷惑をかけたばかりか、ひどいことも言ったような気がする。
そんな誰も近づくことができないくらい荒れていたとき、いつもと同じようにがしっと容赦なくアイアンクローをかませてきたのが魅上先輩だった。まあ、その後ちょっと魅上先輩とも乱闘になり、右頬に一撃入れてしまったのは、今でもからかいのネタにされている。
俺から神の恩恵をとったら何も残らない。それが怖いのだと泣き言を呟いたら、
「俺の恩恵がサッカーの役に立つと思うか?」
と真顔で返ってきた。ハーレム作りたい放題の……ある意味男なら憧れる特殊技能ではあるが、あの人にとっては役に立つどころか忌々しいものでしかないらしい。ギリギリと歯噛みする姿に、思わず笑ってしまった。
「そうっすね。役立たずっすね」
無言でボディーブローが飛んできたのは言うまでも無い。
「フルタイムで出られなくても、これまでと同じような超人的な動きができなくても、要は嵐山がサッカーを続けたいか、そうでないかだろ。多分、今のお前なら俺よりも強いと思うがな。業腹だがな!」
高校でもサッカー部に入った魅上先輩は、また2軍からスタートしているらしい。
俺は2軍からのスタートでも頑張れるのだろうか……それだけサッカーが好きだったのだろうか。ただ、単にほかの人よりも上手くできるから、ちやほやされるのが嬉しかったから続けていたのだろうか。勿論練習してどんどん上達するのは楽しかったけれど、練習しても上達しなかったら、それでも俺はサッカーを続けていたのだろうか。
分からなかった。
「俺、どうしよう。高校、いけなくなるかもとか思ってなかった……」
楽しいからとそればかりで、全然何も考えてこなかった。
「とりあえず一般受験しろ。面倒見てやる」
魅上先輩の言葉通り、俺は一般枠に切り替え、A学園高等部に合格した。背景に、辛抱強く勉強に付き合ってくれた魅上先輩の努力があったことはいわずもがなである。
面倒見がいいというか、見捨てられないというか、見た目と違って情に厚い人だと思う。
ふいに昔、環先輩言っていたことを思い出した。
「ねえ、嵐山。あの人は優しいでしょう?」
あの続きはなんだったか……もう記憶の彼方だけれど、大事なことだったような気がする。
「環先輩が選んだのは、俺や醍醐先輩じゃなくて、そういう魅上先輩だったからなんすね」
あの時は、なんであんなヘタレ……と思っていたけれど、今ではなんとなく判る。
その環先輩といえば、向こうでの生活がめちゃくちゃ忙しいらしく、丸1年帰国しなかった。魅上先輩とはメールのやり取りをしているようだけれど、魅上先輩は「元気そうだ」としか教えてくれない。たまに気持ち悪くニヤけているときは、絶対環先輩がらみだと確信している。
「環先輩はどうやって進路を決めたんだろう」
一度魅上先輩に聞いてみたことがあった。
「本人も別にこれが正解だって信じてるわけじゃねーってさ」
ただ、たまたま実家が接骨院だったから体の仕組みに興味を持って、たまたま道場もやってたから怪我の治療や各人に合わせたトレーニングプログラムを作ってて、たまたま……俺という不健康な彼氏ができたからなんとかしたいと思ったらしくて。
「そういうもんなんすかねー」
「ま、興味持ったなら、やってみて損はねーだろ。やらなかった後悔よりずっと良い」
高校に入った俺はサッカー部に入らなかった。他の運動部からいくつか勧誘はきたけれど、やってみたいと思えることがなかった。ただ、単純に体を動かすのは楽しい。けれど、どうしてもひざをかばってしまう。長時間走ってると心配になってくる。そんな自分が嫌だった。
幸いエスカレーター式だったため、友達作りなどで悩む必要はなかった。部活をやっていて一番良かったと思うのは集団生活に慣れていることだ。すんなり輪に入って、馬鹿な話をして、半分違うことを考えながら授業を聞く。そんな普通の……けれど何かが抜け落ちているような高校生活を送っていた。
ふと、甘い匂いがした。
そういえば環先輩が”ぜんざい”を作ったことがあったな。温かかった。
その前にゴーヤカレーを食わされたっけ。カレーが苦いなんて……金輪際出会うことはないだろう。
調理実習でおすそ分けされたプリン。茶碗蒸しのような甘さ控えめのデザート。
ああ、全てが懐かしく、遠い日のような気がしてしまう。
グランドから聞こえる運動部の掛け声が途切れ途切れに届くからだろうか。
「……綺麗な夕焼けだな」
カバンを肩に引っ掛けて階段を下りる。部活のない人たちはもう帰寮して……しんと静まり返った階段を通り過ぎ、昇降口に立つ。靴を履き替え、さて……と思った瞬間、俺は何か見覚えのあるシルエットを目にした。
髪は短く切っていたけれど、
白い肌……
ほっそりとした輪郭、
すらりと長い脚。
9月に入り、まだまだ残暑が厳しいというのに、一瞬体温が下がったような気がした。
「環先輩!」
黒い帽子をかぶっているし、逆光だし、何よりも外国にいるはずなのに……と思ったけれど、俺の勘が環先輩以外の何者でもないと告げている。
「嵐山!」
果たして正解だったらしい。
夢? 幻覚?
いや、こんなにはっきり見える幻覚なんてあるはずない。
「どーしたっすか? 夢破れて帰国?」
「ちょーーっと休み取れたから、急いで帰ってきた。明日には戻らなきゃいけないんだけどね」
「相変わらず忙しいっすねー」
「暇だったら何のために日本を離れたんだか分からないって」
一瞬心が痛んだ。
目標に向かって一直線に進んでいるこの人に比べて、俺は……勉強さえしておけば将来目標が変わっても潰しが利く、なんて思ってはいなかっただろうか?
そんな風に考えて、安心している間は決して目標なんて立ちやしないのに。
「あ、そういえばどこかいくところだった? ごめん。邪魔して」
「なーんもないっすよ」
それは本心だった。
「じゃあ、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど」
そんな俺を見て、環先輩は悪戯を企てるガキ大将のように笑った。




