10 元気でな
紙で出来た花を渡された。
それをブレザーの胸元につける。
それは卒業生の証。
――そして……今日は卒業式。
「卒業といっても何の感慨も湧かないな」
まるで次は中学4年生に上がるような気分になってしまうのは、ここが高校エスカレーター式の学校だからかもしれない。
嵐山や嵯峨野から貰った花束を片手にぶらぶら歩く。
男子寮と女子寮の間のフェンスは只今南京錠をかけるのがブームなのか、鈴なりだ。そしてなぜかカップルが多い。以前醍醐が「願い事がかなうらしい」と言っていたが……何だか怪しいな。
――風が吹く
環は今日、空港に行くといっていた。
俺は見送りには行かないと言った。
これまでずっと俺と一緒だったから、最後くらい家族との時間が欲しいだろう、と言った。
でも、あれは嘘で……実のところ、見送りになんか行ったら思わず泣いてしまいそうで、そんな涙を見られたくなくて、空港には行かないことに決めた。
――風が前髪を揺らした。
もう、環は行っただろうか?
嵐山たちが花束を渡すために探していたから、間に合えばいいなと思う。
南京錠でてんこ盛りのフェンスを避けてもたれかかると、目に入ったのは大きな空だった。
……晴れたな。
卒業式は大抵曇りか雨ってのが相場だったから少し意外な気もする。去年は雨がざあざあ降る中、環と醍醐と俺とであいさつ回りだったっけ。
「魅上ならやれると思ってるさ」
俺が2軍にいたとき支えてくれた先輩は、やはり最後まで2軍のままだったけれど、俺の1軍入りを笑って祝福してくれた。もう、高校でサッカーはやらず、家業を継ぐ手伝いをするのだそうだ。
俺は、環がいなくてもサッカーを続けていくことが出来るだろうか?
「俺もきっと進む道についての決断を迫られるときが来るんだろうな」
ため息混じりに呟いた言葉は消えていく。
――ふわりと花の香りがした。
「そうだね」
そして、一番聞きたかった声。
「環と一緒に歩きたいと思っている」
後ろ向きのまま、何のてらいもなくしゃあしゃあ言ってのけると逆に気分がいい。
「……うん」
振り向くと、少しだけ照れたように笑った環がいた。……大量の花を抱えて。
いつも突然なんだ。
環は突然現れて、突然心をさらって、そして突然去るんだ。
まぶしいくらいの魅力にひきつけられる。
二人でいるときは本当に幸せだけど、時々これが夢じゃないかなんて考えたこともあった。
両手いっぱい花束を抱えた環の手にフェンス越しながら触れる。
……夢じゃない。
そう、いつも言い聞かせて。
……夢にしたくない。
そう、何度も呟いて。
「連絡よこせよ」
「うん。手紙書く……英語で」
英語で? 口元を緩めると「そう」と、彼女は少し笑った。
――ふわりふわりと花びらが落ちる中
俺たちはフェンス越しにキスをした。
柔らかい感触が消えたあとも、しばらくフェンスに寄りかかって目を閉じていた。
目を開けたらきっと環はいなくなっているだろう。
ぎゅっとフェンスをつかんで、目をきつく閉じた。
ここから先へは手が届かない。
フェンスが憎らしくて、ぎゅううっと力を入れて掴んだ。
なぜか、自分でも分からないけれど……悔しかった。
思いっきり叫びたかった。
行くな、と。
でもその言葉はのどの奥で詰まったままでてこない。
いまさら言ったって困らせるだけだろ。
でも、いくら頭でそう思おうとしてもなかなか振り切れなかった。
理性と感情がごちゃ混ぜになって、思いっきりフェンスを蹴ったけども、返ってきたのは「カシャン」という音と、南京錠のぶつかり合う音だけだった。
ゆっくり目を開けると、卒業生たちの声は遠くなっていて、
目の前には……
環の手からこぼれた花びらが落ちていた。
「元気でな」
ようやくそれだけ言うと、俺は荷物をまとめるため寮の自室へと戻ることにした。
――花びらは、風に吹かれてどこかへと飛んでいく。
なあ、また戻ってくるよな。
今は彼女を信じるのみ。
ふと、以前はじめて進路のことを環に打ち明けられた時のことを思い出した。
好きで、
好きで、
誰より好きで、
盾になれといわれたら「仕方ね―な」って笑って身がわりにぐらいなってやってもいいと、そう思えるほど好きで。
他人から見たら馬鹿だと思われるに違いないけれど、でもそれはすごく幸せなことで、そういう人に出会えたことだけでも感謝したくて……。
そんな、そんな気持ちを貰ったのに「寂しい」だなんて我侭なこと、思わない―――――――――ようにする。
今は見守るのみ。
そして背中を押してやる。
帰ることが出来る場所を残してやりながら・・・
「待ってる」
――待ってる
今度は俺が「おかえり」と言う番なのだから。




