6 月が綺麗だな
――選抜試験に落ちた。
送られてきた郵便物を受け取ったとき、手が震えて仕方なかった。
結果にドキドキして震えたのではない。寮の部屋宛に届いた封書は俺と醍醐のものと2通、そして、醍醐のものは明らかに俺宛に届いた封書よりも分厚かった。つまり、あいつの封書にはこれからの予定等々が書かれた案内が入っているということで……ようするに、当然の如く合格通知を受け取った醍醐の横で、俺は不合格通知を受け取ったのだと、開ける前に察してしまった。
「あー、醍醐。俺、ちょっと部室で開封してくる」
「分かった」
結果の予想は付いたけれど、実際に不合格の文字を見たら……落ち込まない自信がない。優しいルームメイトに心配をかけないよう、俺は笑って寮の部屋を出た。
遅くまで練習で残っていた奴らとすれ違いながら部室へと向かう。照り付けていた太陽はもう鳴りを潜め、あたりは綺麗なオレンジ色に染め上げられていた。
土にまみれて、あちこち剥げ落ちた野球のボールが転がっている。
水が撒かれたグランドからは、独特のニオイがした。
俺は俗物だ。
本当なら無心でサッカーに打ち込むべきだった。他の事を考えながら合格できるほど器用な性格じゃないのは分かっていたはずなのに。
進歩したと思い上がって、失敗して。また、がむしゃらに頑張って、思い上がって落っこちて。本当に俺は成長できているのだろうか。いつになったらこんな情けない思いの無限ループから抜け出せるのだろう。
去り際に「大好き」と言った環のことを信じていないわけじゃない。けれど、嵯峨野兄に思わず当たってしまったのは脊髄反射のようなものだった。一旦「こいつはダメだ」と脳にインプットしてしまうと、フィルタがかかったかのように、そいつの全部がダメになってしまう。
醍醐や、嵐山に対しても嫉妬のような気持ちがなかったと言えば嘘になる。けれども、同じポジションとして、男としてあいつにだけは負けたくなかったんだ。
「それで余計な力が入って落ちるなんてな」
馬鹿の代名詞だろ。
一つ、ため息をついた。環に会わせる顔がないとはまさにこの状況だ。
今は慰められるのも、同情されるのも、ましてや頑張れとか、仕方なかったとか、そんなことは絶対に言われたくない。
俺は頑張っている。いつだって必死でやっている。
本気を出せなかったなんてそんなの言い訳に過ぎない。
あれがあのとき俺が精一杯出せる本気だった。
とめどなく溢れる思考に自分で言い訳しながら歩いていると、いつしか部室の前に到着していた。
とりあえず一人でへこみたいと、副部長の職権濫用で鍵を取り出す。
しかし、予想に反して鍵は既に開いていた。
あれ?
ギギーと音を立てて扉を開けると、机に突っ伏していた誰かが顔をあげて、ゆっくりこちらを見た。
「環?」
思わずじっと見つめたまま立ち尽くす。先ほど合わせる顔がないと思った人がそこにいる。何て言っていいのか分からなくて二の句が継げない。
けれど、
「……おかえり」
彼女があまりに綺麗に微笑むものだから、ごちゃごちゃした考えごと吹っ飛んでしまった。
息を呑む。
ふわりとこぼれる笑みからは何もかも癒すようなオーラが出ている気がした。幸せそうな、温かく包まれるような、ふわふわした……まるで、俺が帰ってきてくれてそれだけで嬉しいといわれている気がして、そのままフラフラとこちらに伸ばされた手をとった。
「……ただいま」
今、俺は笑っているかもしれない。
何故だか心が膨らんで、胸いっぱいで、泣きたいくらい訳の分からない気持ちで満たされていて、どんな顔したら良いのか分からない。多分、笑おうとして失敗しているような表情になっている気がする。
泣き顔を見せるわけにはいかないから一生懸命微笑む。
そうしたら、環が困ったように少し笑うから、今度こそ思いっきり抱きしめた。
「了、おかえり」
「ただいま」
それ以上言葉にならなかった。
抱きしめたまま、何も言えずに立ち尽くしていた。
彼女の肩に顔をうずめると、よしよしと背中を撫でられる。その感触が気持ちいい……けど、いつまでも甘えているわけにはいかなくて、環を一旦離して、目を見て言った。
「ダメだった」
あんなに言いにくかった一言がするすると素直に口をついて出た。
「……」
なんて言われても、環にならいい。そう覚悟した俺に降りかかったのは……言葉ではなかった。
ぼきぼきぼきぼき……っ!
ぐぎゃっっっ
ばきっ……
「――――! ってえええええええええええ!?」
自分でもすごい音がして仰け反り、叫び声をあげると
「はい終了」
彼女はそっけなく、パンパンと手をはたいて離れた。
俺は脱力したまま沈み込んでいく。
……力が入らない。
しかし、こんなことをして環は笑っているのかと思ったら、逆に怒っていた。
「ハイ、そこ。あと少し整体しとくよ。そこに座って」
一体なんで俺が怒られるんだ?。
……選抜で落選したから? 他のこと考えててグダグダのサッカーをしていたから?
などと悩みつつも、身体が勝手に指示に従ってしまうのは悲しい習性だろう。
環の指がそっと肩に触れた。
「無茶したでしょ。また捻ってる。バランスがずれてる」
そのまま肩に彼女の頬が押し付けられた。……もしかして心配かけたのだろうか?
環が怒っていたのは選抜の結果が悪かったからなんかじゃなくて、俺が無理して身体を痛めていたからだった。
「治せるか?」
全くの愚問だった。
1秒後俺は沈みゆく夕陽に思う存分叫ぶ羽目になる。
いてぇ!
容赦ねぇ!
つーか、マジ容赦ねぇっての! ……いや、マジで痛いんだが? もしもし、聞いてます? たまきさーん? もっしもーし。
「あー……久々に死線を彷徨ったぜ」
「ここしばらくやってなかったから」
でも肩とか腰とか整体してもらったとたん、胸のつかえも不思議となくなっていた。そんな感じで身も心もすっきりした頃には……すっかり日は落ちて夜になっていた。
カサリとポケットで音を立てた封筒を破る。中に入っていたA4サイズの紙には、長々とした前書きの後、さらりと重要な一文が付け加えられていた。
『厳正な審査の結果、残念ながら採用を見送らせていただきます』
「だよな」
自分でも驚くくらい、ストンとその結果を受け入れていた。
体を起こし、環を誘って外へ出る。夜風が少し冷たい。
つないだ環の手も冷たくなっていた。
「ほら、ちょっと羽織っとけ」
上着を環にかけると、彼女は少しぶかぶかの俺の上着に手を通した。
――愛しい。
そんな気持ちが溢れて仕方がない。
「月が綺麗」
「そうだな」
“好き”とは少し違った感情に進化していく。
切なくて、切なくて、幸せすぎて切なくて、この気持ちをなんといって表現したら良いのか分からないくらいなのに、昔から知っていたかのように、懐かしくて、一瞬訳もわからず涙が出そうになった。
星がキラキラ瞬く。
時々飛行機の光が混ざって夜空を駆け抜けていく。
「……なあ。夏の大三角ってどの星だか知ってるか?」
「え?」
この気持ち、どうしたら伝わるだろう?
手をしっかり握り締めて、
俺は星を見ようと見上げた環の唇にキスをした。
――ファーストキスだった。




