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恋愛恐怖症候群  作者: アルタ
恋愛栄養補給法
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2 映る今と進む未来

 私立A学園では5月に第1回目の進路面談がある。

 面談といっても中等部の生徒の大半は高等部にエスカレーターで上がるため、ほとんど面談らしい面談ではないのが普通だ。


 しかし……

「正直迷っているんです」

 本日最後の生徒は成績表と、進路調査書を目の前にため息をついた。

 小さな輪郭の顔に、絶妙のバランスで整ったパーツが配置されている美少女はぎゅっと自分の手を握り締めた。長い髪がさらりと肩から零れ落ちる。


「三輪さんの成績ならまだあせることはないと思うわ。私としてはこのまま残る方をお勧めするべきだとは思うんだけど、生徒の自主性を尊重するべきだと思うし……まだ9月まであるから、今はもう少し勉強して備えておいたらどうかしら?」

 “生徒の自主性”そう言うと聞こえはいいけれども、それは責任放棄にも聞こえる響き。

 どうしたいのだろう。どうすればいいのだろう。

 問い掛けても誰も答えることは出来ない。



 空は憎たらしいほどに晴れていた。

 グランドは相変らずの砂ぼこり。部室は相変らずにぎやかで……何が変わるというわけでもないのだけれど。


「環先輩、結構時間かかったっすね。成績が下がったとかなんかいわれたんすか?」

「嵐山に言われたくない」

 いつもの軽口で彼女は何とか気を取り直す。

 悩んでいても、迷っていても、いつまで引きずっていたって、今のままでは堂堂巡りしかない。


「嵐山。三輪は成績いいぞ?」

「え! そうなんすか?」

 醍醐が苦笑してフォローすると、嵐山の顔が晴れ晴れとしていく。

「だったら俺に勉強教えてくださいっす! この前魅上先輩に歴史を教えてもらおうと部屋に押しかけたら、パソコンの画面を見ながら……俺のほうに見向きもしないで、『暗記しろ。脳に刻み込め』の一言であっさりバッサリ切るんすよ~」


 魅上先輩の鬼!ひ~と~で~な~しぃぃぃ。とか何とか騒いでいる彼の背後に、すらりとした影がすうっと寄ってきた。

「ほほう……その後宿題を手伝ってやった恩を忘れたらしいな」

「ぎゃっ! 魅上先輩」


 デビルスマイルを湛えた魅上によって、ぐりぐりと背後から拳で両のこめかみをえぐられる嵐山。痛そうに騒ぐ彼の姿を見て、彼女はそっと視線を外した。

「……ごめんよ。その技をみかみんに伝授したのは他ならない私だったりする」

「環先輩、極悪スキルを魅上先輩に教えないでくださいっす~っうがあああ」


「ま、まあ、みかみん。お仕置きはその辺にして……じゃあそろそろ今日のメニューに入ろっか。今日は監督から渡された秘密兵器を使うことになってるから期待してね」

 元凶となってしまったことによる良心の呵責から彼女がそろりと助け舟を出せば、面白がって後輩をいじっていた魅上はあっさりその手を離した。

「……秘密兵器?」

「これです」


 彼女はニッと口角を上げると、鞄から新品のビデオカメラを取り出した。もう充電は済んでいるようで、電源を入れると赤いランプが点灯し、画面に嵐山と魅上、醍醐の姿が映る。

 ピクンと反応したのは嵐山。

「ピース! ピース! ほら! 魅上先輩も、醍醐先輩も!」

 すぐさまポーズをとるやいなや、魅上の肩に手を回し……タックルで吹き飛ばされた。ちなみにその横で、困ったように醍醐がピースしていたことに突っ込める猛者はいない。


「これでフォームや陣形など記録しておけば、後で反省できるでしょ? 監督が直々に自腹を切って購入してくれたんだよ」

「監督ってば太っ腹!」

「スリムだがな」

 普段口数の少ない監督の心遣いに一同感謝しつつ顔を見合わせた。バッサリ切るときは切るけれど、なんだかんだいって甘いよなぁ、なんて思ったら、自然と笑みがこぼれる。そういえば、甘い甘いぜんざいもしっかり食べていた。


「それじゃあデータの容量を無駄にしないよう、早速練習試合を組むか」

「醍醐部長、俺、魅上先輩と戦うので敵同士でお願いします。上下関係ははっきりさせておきたい主義なんで」

「いや、お前後輩だろ……」

 嵐山と醍醐がコントのようなやりとりをしながら1軍コートへ歩いていく。


 けれど、魅上は環の傍にとどまっていた。

「ほら、了も。しっかり撮るから、格好良く映ってね」

 彼女がビデオを向けると、魅上は軽く手でレンズを押さえた。

「今は映さなくて良いから」

「え?」

 空いたもう片方の手でポンポンと環の頭を撫でると、踵を返して醍醐と嵐山の後を追う。その姿を彼女は困ったような表情で見送った。



◇◇◇



 環の元気がない。

 一見普通そうに振舞っているけれど、でも少し違う。

 一瞬遠くを見る。

 一瞬悲しそうな表情をする。

「嵐山、あんまり前に出るな。俺がこっちに回る」

 進路面談といっても、ほとんどエスカレーター式の学校だから、よっぽど成績が悪くない限り進学できないなんてことはないと思う。

 じゃあ何を悩んでいるのだろう?


「魅上! ボールそっちいったぞ」

 ちっ、ヘディングはあんまり好きじゃないんだがな。

 上手くクリアすると、どっからか声が掛かった。 

「ぬるいぞ! 魅上の顔にぶち当てる気で行け!」「おおお!」「イケメン滅べえええええ!」

「誰だ今言った奴はあああっ!」

 ……いかん、考え事をしながらやってたら本気で顔にボールをぶつけられそうだ。

 ちらりと環を見ると、こっちを撮っていた。その表情は見えなかったけれど、彼女も何か考え事をしているようだった。


「……惚れたか?」

 あとで環にこっそり耳打ちすると「もう惚れています」と返ってきた。

 うーん、元気がない……こんな環は珍しい。

「なんだか了ばっかり撮っちゃいそうで危なかったよ」

 それじゃあマネージャー失格だから頑張って、なるべく均等に撮ったつもりなんだけど。

 ビデオカメラの撮影時間を確認しながら巻き戻そうとする環の手を、俺は……すっ、と握っていた。


「ん?」

 そのままカメラを取り上げる。

「ちょっと、なに?」

 ●RECボタンを押して環を撮り始めると、彼女は何事かと不審そうにする。

「不公平かと思って。ほら、何でもいいから5分だけ映してやる。笑え」

「やめてよ、恥ずかしいじゃない」

 しかしその声は、態度とは裏腹にちょっとホッとしたような声。それから環は目を伏せて、「敵わないなぁ」と笑った。


 ――その笑顔に少しだけ俺も安心した。


「今すごく迷ってることがある。……どうしたいのか自分でもわからないの。思いつきなだけで……自分が本当にそうしたいのかなんて分からないし、ましてやそれが正しい道なのか、その道を歩んでいいのかも分からない。

 普通の人生ってなんだろう? とか考え込んでしまうこともあれば、いつかは人生についての選択を迫られるなら、それは今なんじゃないかって思ったり。

 そんな未来の選択に対して正面きって向かい合うのが怖くって……ね。ちょっと考えてた」

 ごめん、心配かけて。いまいち何言っているのか分かりにくいと思うけど……まだ自分でもまとまっていないことについて了に言えないから、ここまでで精一杯。


 そう言う環の顔は真剣だったけれど、俺には何を言われているのか全く分からなかった。

 けど、彼女が何か真剣に考えていることだけは分かった。

 何もしてやれないのかという残念な気持ちはあるが、

「人に話してたら頭んの中が整頓されてくることもある。いつでも聞いてやるから……」

 俺ができるのはそのくらい。

 ……いつでも聞いてやるから――心の準備ができるまで待つことにする。




 夏が近づくと空気が澄んで、独特の清涼感が溢れ……しかし、何故か心をかき乱していく時がある。

 何かが始まる予感は、同時に何かが終わる予感を感じさせるから、唐突に不安を感じてしまうのかもしれない。

 触れるだけで崩れてしまう、そんな儚い何かを俺は知らず知らずのうちに守っていたのだろうか……。

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