14 好きだ
知らず知らずのうちに傷つけていたなんて……。環がそんな気持ちを抱えているなんて思わなかった。
彼女の強さ、そして弱さを知ったら……どうしようもなく自分が情けない奴に思えて仕方なくなる。
どうして気づいてやれなかったんだろう。
トレーニングでいつも走りこんでいる坂を一気に駆け降りる。
伊達に毎日走りこんでいるわけじゃないんだぜ?
「……でも速ぇーなぁ……環……」
ま、絶対に追いついてやるけどな。
今度こそ手を離しちゃいけない。そんな気がした。
◇◇◇
みかみんのことが好きみたい。
でも、これ以上深入りするのが怖い。
もう、傷つきたくない……
本気で振り切るつもりで走って、走って、息がきれても走る。
私の気持ち、聞かれた!
聞かれた。
……なんて思っただろう。
わがままな奴だと思っただろうか? それにしてもあんなタイミングで……後ろにいるなんて……ああ、もう! みかみんの馬鹿!
「……っ!」
自分を立て直す時間が欲しくて、スーパーの駐車場までたどり着くと、私はへなへなと隠れるように座り込んでしまった。
「格好悪~~~~」
最悪だ、私。
肩を上下させながらも深呼吸する。
落ち着け自分。
息を吸って…………吐く。
そうして顔を上げると、目の前にみかみんが同じく息を切らして立っていた。
「速いんだよ、お前。はーっ、まじで……全力疾走じゃねぇか」
咳払いして息を整えると、彼はどっかりと私の隣に腰掛ける。私はといえば、まだ息を整えることができなくて、ひりつく喉を我慢しながら両手で口元を覆っていた。
心臓はまだバクバクと動いており、立ち上がることもできない。逃げられないことを悟ったので、ささやかな迎撃のために悪態をついてみる。
「へタレ」
「おう」
おう、じゃないよ……みかみん。
――って、なんか笑ってるし。
「何がおかしいの?」
「いーや……ただ、初めて会った時にそのセリフを呟いてたのは俺だったなぁ、と思って」
そうだった。
あの日、保健室で出会った日に、そんなことを呟いていたなぁと思い返してみる。
「……あの頃に比べて、私は随分余裕がなくなったよ。主にみかみんのせいで」
「逆に俺は余裕ができた。環のおかげで。環との距離、縮まったかな?」
みかみんがあまりに嬉しそうに笑うので、なんとなくまぶしくて違う方向を見る。
まだ昼間ということもあり、駐車場からはスーパーに出入りする多くの買い物客の姿が見えた。走り回る小さな子供はともかくも、大人たちはどこか人生に疲れたような顔をしている。
たくさん傷ついたのだろうか。たくさん悩んだのだろうか。
「あのな……昔読んだ本にこんなことが書いてあった」
みかみんがぼそっと呟いた。
――心が傷つかないようになる魔法。
とっさに頭にくることを言われたり、ひどい言葉を投げかけられた時に、傷ついたり落ち込んだりしないようにする魔法があります。
誰にでも出来る魔法です。
まず、自分の心に薄いバリアが張ってあるイメージを思い浮かべてください。そしてそれはすごく弾力性に溢れていて、自分の体全体を包んでいます。
このバリアには、ひどい言葉も入ってきません。
何を言われても傷つきません。
このバリアがある限り貴方は貴方でいることが出来ます。
「それは自分を守る一つの手段になるかもしれない。でも、俺はこうも思った。……それじゃあ『俺』には何も届かねーって」
傷つかない分、嬉しいことも、楽しいことも心に響かない。
極端な話、その壁を分厚くしすぎるとどんな警告も注意もその人には届かない。
そうすると相手は今度こそ届くようにと、もっと鋭い言葉を投げつける。そして届いたときにはバリアが壊れ、その人は直撃を食らってしまう。
その心はすごく弱くて……壊れてしまうかもしれない。
「傷つかないことにどれほどの意義があるのだろう。サッカーだって失敗しなけりゃ前に進まねーし……。
俺には天性の才能とか、そういったもんがない分、
人一倍失敗して、
傷だらけになって、
……そこから学んでいくしかねーんだ」
正直俺も怖い。
一旦忘れようとして環と別れたくせに、やっぱり忘れられないくらい好きになっていた。
不安にも思ってたんだぜ? 俺は本当に環とつりあうのか? って。
もっともっとすごい奴がいて、器のでっかい奴がいて、環を攫っていくんじゃないかって。
「好きになるたび、自分ばかり惹かれていって……環はそういうのを足手まといに思ったり、嫌いになったりしないだろうか? とか、まあ、言い出したらきりがないくらいいろいろあるわけだ」
「みかみん……」
「でも、傷ついてしまうかもしれないけれど、それでも、それが怖くて自分の殻に閉じこもっていたら一生恋なんてできない。
人を愛することなんてできない。
自分に嘘をつくたび、心が遠くなっていく気がするんだ。
それこそ格好悪りぃんじゃないか……?」
後悔したくない。
そう思う
いまここで環を逃したら一生俺は後悔する。
必死で追いかけた。
追いかけて、追いついた。
だから逃げるな。
「環を傷つけてしまうかもしれないけど、他の奴には絶対傷つけさせたりしないから」
自分の気持ちに正直でありたいと願うから、
どんなに怖くても、
言うぞ。
「好きだ。……どうか俺ともう一度付き合ってください」
頭を下げた。
「……やっぱりみかみんは強いな」
そんな風に考えることができるなんて。
ちょっと感動して涙が出たよ。
「お……おい」
自分ばっかり守っていても、自分の思うようにはならない。
――たまには身を投げ出すような勇気も必要なのかもね。
「いいよ。みかみんになら傷つけられても」
コツンとみかみんの肩に寄りかかると、そのまま抱きしめられた。
これでいいのかなんて分からない。
傷つくかもしれないし、この選択を後悔するのかもしれない。
だけど、それでもいい。
覚悟はできた。
そしてきっと間違っていないと思うんだ。
自分に素直になれたのだから。
この先どうなるかなんて、分からないけれど――
冷たい風が吹く。
でも、みかみんが横にいるから温かかった。
二人共、走っていたからというのもあるかもしれないけれど、どうしてか涙が止まらないくらい心の奥がジンとして……温かかったのだ。




