10 くるくる回る○○
某チキンが有名なファーストフード店は恐ろしいほど混雑していた。客席に座れず外のベンチで食べているのはまだましな方で、ベンチにも座れず店の自動扉の前で三銃士のようにチキンを掲げている集団もいる。
お前らそんなにチキンが食いたいか! というよりはむしろ、何故そこまでチキンにこだわる? という方が正しいか。かく言う俺も何故ここにいるのだろう。
「うーん、選択まずったな」
ジーっと少し離れた外から遠巻きに眺める。どうもクリスマスという暗示に引っかかって、ここまで引き寄せられてしまったが、さすがに並んでまで食べたいとは思わない。それに、ぐずぐずしていたら近衛兄妹が戻ってきてしまう。
むむむと唸っていると、横でキョロキョロしていた環がくいくいとコートの袖をひっぱった。
「じゃあ違うもの……あ、みかみん。くるくる寿司があるよ!」
「それを言うなら回転寿司だろ。まあ、でも久々に寿司もいいな」
回る方ならお財布にもそれほど冷たくないだろう。
酢飯の香りがほんのりと漂う店内に足を踏み入れると、目の前にどかんとクリスマス限定チキン寿司の巨大ポスターが貼ってあった。何もそこまでして時流に乗らなくてもいいじゃねーかと思ってしまうのは野暮なのだろうか……。寿司屋くらい和風の季節感でいてくれよ。
「みかみん、みかみん! 鶏肉の照り焼きが軍艦巻きになってるよ」
「そーだな。最近の寿司は魚だけじゃなくて肉まで乗せるようになったんだな」
むしろ乗せているならまだ可愛げがあるほうだ。回転している皿を見ると、チョコレートケーキやらプリン、うどんまで回っている。
「眺めてるだけでも面白いね」
随分寿司とはかけ離れている気もするが……まあ環が楽しそうなので良しとしよう。
「では紫の札のところへお座りくださーい」
やたら元気な店員から3番と書かれた札を受け取り、俺は環と向かい合って席についた。
「さて、何を取るかな。まずはサーモン? いやいや、イカも良いかな。あ、何か取って欲しいものがあったら言えよ?」
実は寿司って俺の好物なんだよな。好きなものがたくさん並んでいると、どういう順番で食べるか迷ってしまう。
メニューを広げたまま悩む俺を見て、環はふわりと笑った。
「ね、みかみん。ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど」
「んー? 取って欲しい皿があるのか?」
「いや……うーん。まあ、とりあえず食べてからでいいかな」
彼女にしては珍しく歯切れが悪い言葉に首をかしげると、携帯の着メロが鳴る。予想していなかったからビックリして机の脚を蹴ってしまった。
「……ってぇ、誰だよ」
嵐山だったら後でシメる。
醍醐だったら留守電に切り替える。
……しかし画面に映る文字は、本日約束をすっぽかしたアイツを示していた。
環にちょっと断ってから電話に出る。
「……おい、何かあったのか?」
しかし返事は何も返ってこなかった。
辛抱強く待ってみる。ここで声を荒げたり、怒ったら俺の負けだ。
環は相手が誰かを悟ったのか、少し席を外してもいいと頷いた。
「……」
「怒ってね―から」
「……」
一度たりとも怒らなかったと言えば嘘になるが、今はもう怒っていない。
「どーした?」
「……別れよう。サトル、別れよう」
携帯から聞こえた声はがらがらに嗄れていた。
◇◇◇
約束の時間になっても目の腫れが収まらないどころか、とにかくダメダメで、こんな顔で外になんて出られなくて、私はベットに突っ伏したままだった。何回も待っているサトルに電話しようと思うのに、やっぱりかけられない。そのくせ、電話がかかってくると身がすくんで出ることができなかった。
頭の中ではぐるぐる考えが回っている。
――もう別れたい。
――でも別れてサトル以上の男の人と付き合える?
サトルは自慢の彼氏だった。
顔もいいし、
スタイルもいいし、
サッカー部の1軍で司令塔を任されていたし、
頭もいいし、
優しい。
自慢だった。見せびらかしたかった。誰に見せても「いいなー!」と羨ましがられた。
いいでしょ? 素敵でしょ?
そうすることで自分も素敵な人だと思わせたかったのかもしれない。ブランド品を身につけて、お金持ちだと主張したがる馬鹿といっしょ。そう、私は馬鹿だった。
身につける人が汚くて、貧相だったら……どうなのよ。
その重さに耐えられなければ、こんなにも息ができなくて苦しいだなんて知らなかった。
……サトルにとって私はただのガラクタで、自慢どころか迷惑かけっぱなしで、気に掛けてもらってばっかりで。
これ以上は私が限界だった。
何回も見つめた携帯のアドレス帳。逃げてばかりもいられないからと、思い切ってボタンを押す。
呼び出し音が流れ、ガチャリと向こうの世界とつながった。
「……おい、何かあったのか?」
しばらくして出たサトルは心配している口調だった。
2時間も待たせたのに、なんで怒らないのよ! なんで怒鳴らないの?
私だったら絶対キレてる。相手を大声で罵ってる。
「怒ってねーから」
サトルは安心させるように続けた。
もう……なんで、
「どーした?」
なんで!? なんでなんでなんでなんで、なんでこんなにサトルの声は優しいのだろう。
止まったはずの涙が溢れてきた。
――私には勿体ないよ。
だからその言葉は、思っていたよりも抵抗なくするりとでてきた。
「別れよう。サトル、別れよう」
それを言ったとたん体が軽くなった気がした。
手放すのが惜しいと思ってしがみついていたものを、自分から離すことで心が解放された。
……力が抜けた。
なんて言われるだろう?
以前付き合った男みたいに怒ってぶん殴ってくれたらまだ気が楽なんだけど、サトルは絶対そんなことしない。
理由を聞かれるだろうか? それとも俺も別れたかったと言うだろうか?
それは……両方嫌だ。
しかし私の予想は外れる。
「悪かったな」
サトルは……謝った。
「なんで、サトルが謝るわけ?」
お門違いもいいところなのに。
「俺、好きな奴がいる。それでも良いってお前は言ったけど、そんなわけないよな」
「……」
「だから、そのことで苦しませてしまってたら……悪かった。ごめん。……ごめんな。本当は環のこと忘れられないんだ」
サトルの口調はゆっくりで、でも三輪さんの名前を呼ぶ時に少し愛しさが伝わる。
やっぱり、そうだったんだ。そういえばサトルは私のこと一度も名前で呼んでくれなかったね。
「違うよ。三輪さんは関係ない。これは私の中での問題だから」
何でこの人はこんなにいい人なのだろう。私が勝手に重荷を感じて別れようと言ったのに。
私が小さすぎて見上げることさえ苦しかったから……大きすぎるサトルが私を見てくれているのか不安になった。これからは、付き合う彼女にこんな惨めな思いを抱かせたりしないよう、簡単にオッケイしちゃダメだよ。
最初は浮かれて気づかなくても、じきに思い知らされる。
自分の卑小さを。
「サトルのそういう優しいところ、キライだったな」
涙が頬を伝った。
きっと戦争になったら他の弱い誰かのために死んじゃうタイプだよ。長生きしないよ。
もっと醜く卑怯にならなきゃ生きていけないよ。
「……俺はお前の人間くさいところ……嫌いじゃなかったぜ」
サトルが微笑んでくれた気がした。
ありがとう。
今までたくさんのいい気分を有難う。
クリスマスプレゼントなんていらない。
今までが毎日クリスマスだったから。
ありがとう。
……ありがとう。
ばいばい。




