9 まるでデートのようだ
「たまきちゃん可愛いから着せ替えするの楽しいなぁ!」
「お前なー、環は着せ替え人形じゃねーんだから手加減してやれよ」
「自分が選ばない服を着てみるというのも新鮮だけどね。私は正美ちゃんの服も見立てたいなぁ?」
楽しそうな声が聞こえた。もたれていた石像から体を離すと、声の主の一人が驚いたように口元に手を当てる。
「みかみん?」
そこにいたのは、いつも以上にフワフワモコモコした環の姿だった。
「えー……っと」
待ちぼうけを食っている姿を見られたというバツの悪さと、やたら可愛らしい格好をしている彼女の両方のせいで言葉に詰まってしまう。
ロングブーツに焦げ茶色のスカート、柔らかそうな白いセーターにはザックリと模様が編みこまれている。暖かそうなグレーのコートはきゅっと後ろでベルト部分が蝶々結びにされ、体のラインを強調していた。頭にはベレー帽のような帽子を載せている。
――な、なんて格好してんだよ! デートか? そうなのか?
「なによ、みかみん。まさか誰か分からないなんて言わないでよね」
相手は誰だ! 俺は聞いていないぞ。堅物の醍醐……じゃないだろうな、まさか嵐山じゃないだろう。近衛、は弟だったっけ。
思わぬスキャンダルの香りにダラダラ冷汗が出る。
「そんな、格好、一体、ダレ」
ダメだ。片言なんだが、今日は疲れているのかな。
しかし、その答えは物理的な衝撃と共に知らされる。助走をつけた小学生の女の子が勢いよく突っ込んできたからだ。
「こーらーっ! そこのタレ目っ。たまきちゃんに手を出したら承知しないわよ! ホラッ、将、虫除けの仕事しなさい!」
凄い剣幕で俺を引き剥がす彼女に見覚えはない。本当にダレだコイツ?
「おいおい、兄貴を呼び捨てかよ。……って、この人は環の部活の仲間。で、元彼」
そんな喜劇とも言える一幕に呆れながらも入ってきたのは、近衛将だった。どうやら環は姉弟妹3人で遊びに来ていたらしい。少しホッとして胸をなでおろす。
「あー、いつも環には世話になってる。サッカー部の魅上だ」
さり気なく呼び名をタレ目から魅上へ変えるよう誘導してみる。全く最近の若い奴はストレートにあだ名をつけるからブツブツ。
「じゃあこの人がみかみん? なんか思っていたより格好いい……けど、ムカつく」
罵倒された。
「はじめまして、『みかみ さとる』だ」
くじけず、再度自己紹介。少しかがんで視線を合わせるとキッと睨まれる。
「みかみんに名乗る名などない!」
どうしよう。俺、初対面なのにめちゃくちゃ嫌われている。地味に傷つくんだからな。しょんぼりだ。
「あららら……」
環を見ると困ったように笑っていた。どうやら俺に対する三輪家の評価はかなり辛口になっているらしい。ああ、きっと醍醐やら嵐山経由で近衛に情報が流れているのだろうな。
「それよりめずらしーな。“魅上さん”ともあろう方がクリスマスに待ちぼうけなんて」
クスクスと近衛がおかしそうに笑う。フォローを入れる振りをして傷口をえぐりに来るとは……弟妹揃ってえげつない。ニヤニヤ笑っていることからも、絶対確信犯だ。
「……悪かったな。デートドタキャンされたんだよ!」
時計を見ると12時半をすっかり回り、約束の時間から1時間半以上経過していた。もう昼の時間かと認識してしまえば、急に腹が減ってくる。無意識のうちに腹に手をやった俺に気づいたのか、環が思いついたように提案した。
「それじゃあ、みかみんもこれから一緒にお昼ご飯食べない? 今から寮に帰っても遅くなるし……」
確かにこのカップルと家族連れ満載のクリスマスムードの中、一人で店に入るのは何だか肩身が狭い。だが、彼女の隣にいるお供の2人もちょっと怖い。
「有り難い提案だけど……」
今回は遠慮させてもらうと続けようとしたら、将がポンと手を叩いた。
「じゃあ、俺たちその間に『環には内緒の用事』を済ませてくるから、ゆっくり二人でどーぞ」
俺にとって思いがけない申し出は、環の妹にとっても思いがけないものだったらしく、目を見開いていた。
「えええーっ。そんな用事聞いてないよっ」
「俺らは十分クリスマスプレゼント貰ったろ? 今度はあげる番だろーが」
環が俺とクリスマスを過ごすのが、どうしてプレゼントにつながるのかは分からなかったが、それが近衛なりの気使いだということは俺でも分かる。
「むー……。分かった」
「よしよし。じゃあ魅上さん、環のこと頼むぜ。ホイ、行くぞ、正美」
意味ありげに微笑んだのはどういうことなのだろう。
「ええい! 肉だ肉。食べ放題の肉を食べてやる」
「ほいよー」
置いていかれた俺たちは2人で、しばらくあっけに取られたように立ち尽くしていた。
「……」
「……なあ」
「……なに?」
「飯でも食いに行くか」
「うん」
どういうことかは分からなかったけれど、とりあえず今年のクリスマスは環と過ごせるらしいということに、何故か心が弾んだ。わずかばかりの罪悪感よりも強く感じる喜びに、蓋をしていたはずの感情が溢れそうになる。それを必死で押さえた。
赤と緑の装飾にキラキラと光る電球が加わって、街はすっかりクリスマスカラーに染まっている。
アーケードを見渡せばサンタが風船を配っていた。どの店からもクリスマスソングが流れ、ケーキやオードブル、クリスマスプレゼントにお勧めの品を全力でアピールする。
「混んでるね」
隣で環の髪が揺れた。どんなに人が多くても、こいつのことは探し出せるような気がする。けれど……
「迷子になるなよ?」
「なるわけないでしょうが!」
人ごみを理由に環の手に触れる。チリ……と胸が焦げ付くような気がした。
――まるでデートのようだ
そういえば、カムフラージュだとはいえ、付き合っていた頃は手をつないだこともなかった。考えてみると本当に純情だったなぁと思う。
今は慣れたのかと問われれば、はっきり肯定することはできない。いや、久しぶりの距離感に困惑しながらも嬉しいと頬が熱くなっているようでは、慣れたなんてとてもじゃないけど言えないよな。
だから今は前を向いたまま歩き、前を向いたまま話しかける。こんな顔、到底見せられやしない。
「なに食う?」
「……クリスマスだし、チキン?」
いま、環がどんな表情をしているのか分からない。
見たいけれど、見られない。
跳ね上がる鼓動を落ち着かせるように、マネージャーと飯に行くだけだ、マネージャーと飯に行くだけだ、マネージャーと飯に行くだけだ、と呪文のように呟いた。
結局呪文は効かず、落ち着くことなんてできやしない。だから、今度は勇気を出して隣を見た。
不思議なことに、彼女の姿は、とても……自分が想像していたよりも小さく感じられた。
「あれ、お前……背縮んだ?」
「みかみんが大きくなったんだよ」




