8 タイムオーバー side:???
クリスマス当日。
ルームメイトが朝食を用意してくれなかったので、食料を調達すべく私は1階に下りていった。食堂の利用時間は過ぎているけれど、自動販売機にパンの一つくらいは残っているだろう。
昨日はパーティをした部屋が多かったのか、お菓子やケーキ、肉料理やろうそくなどのニオイがごっちゃに混ざって鼻をくすぐる。まさに祭の後だ。
「楽しそうだったなぁ」
誰に言うという訳でもなく、その場を立ち去ろうとした時
「待ちなさいよ」
サトルのファンに囲まれた。もう恒例行事になりつつあるんだけど、うんざりなんだよね。釣りあわないとか、他人にわざわざ忠告してもらうことじゃないでしょ。
「何よ。あたしこれからサトルとデートなんだから、言いつけるわよ」
サトルは先に様子を見に行っている。
約束の時間は11時。それまでに髪の毛のセットもあるし、洋服の選択もしなきゃならない。さっさと朝食をお腹に入れて準備したいんだけどなぁ、と髪をかきあげると、どうやら相手を刺激してしまったらしい。
「サッカー部で騒ぎを起こしておいて謝罪もなし? 結局昨日は醍醐君も三輪さんも欠席だったんだけど、その意味があんた分かってるの?」
「知らないわよ。勝手に向こうが気を回したんでしょ? もう、嫉妬醜い! 羨ましいからってほんと目障りなんですけどぉー」
段々焦る気持ちも混ざって、怒鳴り口調になる。だって、ああもう! シャンプーしてる時間ないじゃない!
「何でこんな女ッ!」
私を囲んでいた一人が手を上げた。やばい! 殴られた跡なんてついたらどうしてくれんのよっ!
だけど体がすくんで避けられない。だからぎゅっと目を瞑っていた。気がすんだらさっさとどっかへ行っちゃって欲しい。
「……」
予想していたはずの痛みはこなかった。恐る恐る目を開けてみれば、三輪さんが私を殴ろうとしていた女の子の手を掴んで立っている。
「朝っぱらから怒鳴り声がすると思えば……」
「三輪……さん?」
これから出かけるのだろうか? シンプルな黒いズボンに白いタートルネックのセーター、ピンクゴールドの時計を腕に着けて、灰色のコートを羽織っていた。
「何があったの。私の名前も聞こえたけど?」
心なしか詰め寄るような口調に、今まで強気だった女の子が後ずさりする。
「だって……」
これはどういうことだろう。
何で私はこの人に助けられているのだろう。
何でこの人は私を助けるのだろう。
「とにかく2度とこんなことしないこと!」
キッと強い眼差しで彼女が睨んだ瞬間、サトルのファンクラブはもごもご「ごめんなさい」と言って去って行った。
普通ならお礼の言葉を言うところなのだろう。でも、言い出せなかった。
あてつけのつもりなの? 自分なら対処できるっていう。
「大丈夫? こういうことがよくあるなら、ちゃんとみかみんに言ったほうがいいよ。じゃあ」
けれども三輪さんは、それだけ言うとさっさと玄関の方へ行ってしまう。
急になんだかイライラしてきた。
「同情なんて要らないんだから! 余計なことしないでよ!」
自分が情けなく見えるのは、三輪さんがいるから。
あんな人がいるから……私ばっかり惨めで、格好悪くて、汚く見えるんじゃない。三輪さんなんているから……。
けれどもあの人は何も言い返さないまま、外へ出て行った。こういうのを恩を仇で返すというのだろうか。
自分の部屋に帰った。
約束の時間までまだ少しあった。
朝食を食べる気力もないままテーブルを見ると、昨日嵐山君と嵯峨野さんが置いていったケーキが目に映った。
「嫌味だと思ってくれて良いよ。環先輩と醍醐先輩が欠席だったから、その分をあげる。欲しかったんでしょ?」
素朴ながらも美味しそうなケーキはどこか寂しげに見えた。
私って、
何でこんなに馬鹿なんだろう。
何でこんなに子供なんだろう。
何でこんなに惨めなんだろう。
何で私だけ……
私だけっ……!
何で私だけ不幸なんだろう!
ドライフルーツがぎっしり詰まったケーキを見ていると悔しくて、悔しくて。胸焼け覚悟で、それを一口食べると上品な甘さが口の中に広がった。
「やだよう……もうやだぁ」
ボロボロ泣きながらケーキを貪るように食べた。
甘いケーキが心に染みる。これだって、元はといえば醍醐君が三輪さんのために心をこめて焼いたケーキだと聞く。
嫉妬で狂いそうだった。
「大嫌い」
嫌い。
キライ。
顔も見たくない。
初めて見たとき、すごく綺麗な人だと思った。そこだけ空気が浄化されているような……澄んだイメージ。
綺麗で、
頭も良くて、
優しくて、
格好良くて、
運動神経抜群で、
そんなの反則だ。反則過ぎる。
最初からサトルが三輪さんのこと忘れられずにずっと好きでいることくらいわかってた。同じ土俵で対決なんて出来ないから、ひたすら逆のタイプになるよう心掛けた。
「でも、かなわない」
あの人にはかなわない。
さっき助けてもらった時に垣間見た彼女の横顔が目に焼き付いている。
……胸がぎゅっと締め付けられるくらい格好良かった。
「わかってる」
もう嫌なのは私。
大嫌いな私。
シーツに顔を押し付ける。
髪を整える時間なんて残っていなかった。
◇◇◇
「ったく。呼び出しておいて遅刻かよ」
女の身支度は長いからなのか……。あたりをぐるっと歩いて混み具合を確認した魅上は、待ち合わせの場所として指定された駅前に立っていた。道行く女性がこっちを指差して何事か囁いている。
正直なところ、あまり外に出るのは好きじゃない。自分の容姿が人目を引きすぎるのか、まとわり付くような視線がうっとおしい。
待ち合わせの時間は11時。
遅れるとうるさそうだったので5分前に到着したが……今はその時間を30分もオーバーしている。
野暮かと思ったが一応メールを入れた。しばらく待ってみる。何も返って来ない。何かあったのだろうか? まあ、彼女のわがままは今に始まったことではなかったので、後10分だけ待つことにする。
しかし、1時間待っても何も音沙汰なかった。
――すっぽかされた?
そんな考えがさすがに浮かんでくる。あれだけ連れてけと騒いでいたくせに。
さすがの彼も頭に来て電話で呼び出す。しかし、トゥルルルル……という呼び出し音だけが虚しく響き渡り、怒りから不安へと変わっていった。
一度電話を切り、再度コールをかける。すると一瞬つながった。
「おい……大丈夫」「今日はもういい!」
心配してかけた言葉は激しい拒絶の言葉にかき消され、追い討ちをかけるようにガチャリと切れてしまう。
「え……はああああっ!? なんだよソレ」
彼女はすぐに電源を切ってしまったらしく、しばらく連絡がつくことはなかった。




