7 甘味と苦味
クリスマスイブがきた。
子供達はサンタを待って、恋人たちはお互いを待つ。
しかしキリスト教信者でもない俺は、このお祭り騒ぎで浮かれるつもりもなければ、わざわざ苦手なケーキを食べるつもりもない。
「魅上」
それはこのお堅い醍醐も同じ考えだろうと思っていたのに、うきうきしているのが不思議でならない。お前はサッカーが恋人だったよな? 浮かれた世俗の奴らとは違うよな? ならばなぜだ。
「んだよ。ボールならキッチリ環の横にあった籠にシュートしただろうが」
心の動揺を悟られないよう唇を尖らせると、彼は部室の方を指差した。だが俺には人だかりしか見えない。ああ、そうだった。醍醐もサバンナの狩猟民族並みの視力を持つ能力者だったな。
眉をぎゅっと寄せてなんとか目を凝らすと、隣にいる人物は飄々とその答を差し出した。
「待ってるぞ。お前の彼女が」
「あ?」
どうやらその人だかりに自分の彼女がいるらしい。
クリスマスイブである今日は練習だから断ったが、結局明日のクリスマス本番は一緒に出掛ける約束をした。それであいつも納得したはずだというのに……。
疲労感を覚えて、眉間の皺に指を当ててぐりぐり伸ばすと、醍醐はさらりととんでもない言葉を付け加えた。
「ちなみに嵐山と揉めているみたいだから、急いだ方がいいと思うのだが……」
「それを先に言えっての!」
片づけを醍醐に押し付け、俺は慌てて人だかりの方へと走る。
それにしても奇妙だった。破天荒で人に迷惑をかける達人ともいえる嵐山だが、基本的に女子には優しい。だから、彼女と揉める姿は全く思い浮かばなかった。
「だーかーら。なんでだめなの?」
「んー、ごめん」
騒ぎに近づくにつれ、彼女の声が大きくなってくる。どうやら揉めているというよりも、一方的な彼女の攻撃に嵐山が困ったように首を振るばかりというのが正解らしい。醍醐よ、お前の目と耳が人間を卒業していたのを俺は祝福していいのだろうか。
「おい、お前ら何やってんだ」
とりあえず原因は分からないが、声をかけて注意をこちらに向けさせる。
冷静にこの事態を観察していそうな2軍マネージャーに目で説明を求めると、「はぁ……」と呆れたようなため息をつかれた。え、何。俺、何かしたのかよ? 冷たい視線に背筋が凍りそうです。
「今晩嵐山君が開くクリスマスパーティにあの子が呼ばれなかったから、自分も参加させろと詰め寄っているらしいですよ」
「パーティ? なんだそりゃ」
初めて聞くイベントに心の中でクエスチョンマークを飛ばせば、どうやら寮で持ち寄りのパーティをする予定があるらしい。最初はサッカー部とその周辺でやるつもりだったのが、面白そうだと次々参加希望者が増えてしまい、部屋に入りきらない規模になってしまったため人数制限をしたのだそうだ。
「パーティくらい、分かれてやりゃあ良いだろ」
「醍醐先輩が焼くケーキが注目の的になっているそうです。本人は気がついていませんが」
「それでか!」
朝から甘いニオイが廊下に漂っていたのだ。てっきり女子寮の仕業かと思っていたのだが……。
「現在は招待したサッカー部員とその関係者だけでやるつもりというのを聞きつけて、自分も関係者だから入れてくれとかなんか無茶苦茶なこと言っていますよ。一体なんですかねぇ。魅上先輩は参加しないといっても信じないし。のけ者にされたと感じたというよりも、三輪先輩に対抗心を燃やしているんでしょうか。イブに魅上先輩と三輪先輩がこっそり会うんじゃないかって疑ってる目ですよ」
マネージャー……もとい嵯峨野の声のトーンがどんどん下がっていく。怖い。
「おいおい、俺はゆっくり寝ると言ったはずだ」
「だったらさっさと止めてくださいよ。耳障りなんです」
「うぉう。お前、見た目と違ってきっついな」
中学生にしては低めの身長に、ふわりと緩いカーブの付いたショートボブの嵯峨野はどちらかというと可愛い部類だ。笑わない女子だなという印象はあったが、ここまでつっけんどんに言われると敵視されているのかという錯覚に陥る。
「私、三輪先輩派なのであの人嫌いなんです。でも、色々誤魔化し続けている魅上先輩も好きじゃないです」
思わずこの後輩には逆らうまいと思ってしまうのは悲しい人間の性か。しかし、異性に嫌われるなんてあまり無かったので、思わず笑顔になってしまった。
「教えてくれてありがと。止めてくる」
ちなみに俺はMじゃないぞ。
「三輪さんも参加するんでしょう? だったら……だったら……あたしだって!」
「心配しなくても魅上先輩はこないっすよ」
「心配なんてするはずないじゃない。……もういい、どーせサッカー部なんて皆三輪さんの下僕なんだ」
一体何をどうしたらそうなるのか分からないと嵐山が困ったように上を向く。するとさっきまで突っかかっていた彼女はボロボロ泣き出した。
「こーら。なにやってんだよ、お前」
滅茶苦茶だぞ。ゲシッと軽く彼女の頭にチョップを落とすと号泣される。
「だって、だって、イブ断ったのって……ひっく……浮気されそうで。自分たちだけ楽しいパーティに参加して、私だけ置き去りにして」
「ハイハイ。気持ちは分かったからとりあえず落ち着け」
そのまま頭をがしがしと撫でると、余計に涙が出てきたのかハンカチをギリギリと噛み締めていた。そこはそっと涙を拭うところなんじゃないだろうか?
「魅上先輩、遅いっす!」
嵐山の恨みがましい視線に、俺は素直に悪かったと頭を下げた。
「ごめん。こいつ、何かにつけて環と比べられるから、対抗して無理難題ふっかけてたんだろーよ」
不機嫌そうな嵐山の背中もぽんぽん叩いてやると、少し落ち着いたのか「俺こういうの苦手なんすけどー」と頬を膨らます。まあ、宥めすかして妥協点を探る嵐山なんて気持ち悪くて仕方がないが。
「対抗とか意味分からないし」
堂々とすればいい。自分らしくあればいい。その主張は分かるし正しいと思う。けれど、俺には当てこすりのようにイチャモンをつけた彼女の気持ちも分からなくはなかった。多分、環に会う前なら、このわがままに一番最初にキレてたのは俺だっただろう。
――俺を見ろよ!
環に会う前の俺がずっと感じていた気持ち。
常に誰かと比較され、お前の方が劣っているといわれる気持ち。
自分を見て欲しくて、わざと馬鹿やって……注意を引きたくて、「仕方ないなぁ」といって欲しい。そんな愚かな気持ち。
馬鹿だと思うし、苦い経験でもあったけれど、今はその気持ちが分かるようになっただけ成長したということか。
「俺はいかね―よ」
「本当に?」
「本当」
繰り返した。
疑いが消えるわけではないだろうけれど、何度も……何度も……安心するまで繰り返した。
◇◇◇
「あの彼女に魅上先輩は勿体ない気がする」
パーティの晩、嵐山は憤慨した様子でスナック菓子を口に放り込んだ。
「この前まで魅上先輩に三輪先輩は勿体ないって言ってたのに」
嵯峨野は無表情のままサイダーをコップに注ぐと、口の中の水分をスナック菓子に吸わせっぱなしの彼に差し出す。
「そりゃ勿体ないけど……はあ。なんでこんなに思ったようにならないのかな」
人と人との関係は難しい。サッカーにゴールがあるように、人の関係にもゴールがある……というわけではなく、ゴールだと思っていたそれすら、常にその位置を変える。
「俺の勘も鈍ってんのかな」
「何を企んでいたのか知らないけど、嵐山君は欲張りすぎなんじゃないの? パーティが成功しただけで満足しておけば良いのに」
珍しく励ますような言葉をかけてもらい、嵐山は軽く目を見張った。
「うん。まあ、3人の先輩が気を使ってくれたおかげではあるけどさ」
醍醐、三輪、魅上。3人の配慮のおかげでパーティは滞りなく行われた。しかし、結局3人は会場には現れず、代わりにケーキとローストチキンとパイナップルがテーブルの上に出席している。
「なるようにしかならないよ」
「ああっ、今日の嵯峨野ちゃん、怖いくらいに優しい! その鋼の精神力が好きっ!」
「私はだいっ嫌い!」
地下のパーティ会場だけでなく、寮の他の部屋や玄関ホールからも笑ったり喧嘩したり、走り回る音が聞こえてくる。平日ならば、もう明かりを消して就寝しているところもある時間だが、さすがに今日は明かりをつけている部屋が目立つ。暗い中から見るそこは、なんだか暖かい場所に思えた。
俺は約束どおり自分の部屋の中にいた。彼女の危惧していたとおり、環に誘われたなら、俺はパーティに参加していたかもしれない。
空を見上げると星が瞬いていた。
しばらくして誰かが寮の庭に現れる。携帯で話しているのだろうか……聞き慣れた声が聞こえた。
「……うん。じゃあ朝一で帰るから、用意して待っていてね。え、荷物持ち? そんなに買い物するの?」
どんなに遠くにいても、
どんな雑音があっても、
どんなに別のことに集中していたって、
分かってしまう……
――君の声。




