2 保健室で×××
「嵐山、てめえ! その噂を広げたのはお前か!」
ゴツンと手に持ったサッカーボールを後輩に当てると、そいつは口を尖らせた。
「魅上先輩、三輪先輩の何処が不満なんですか。それに確かな証言だってあるんすよ!」
◇◇◇
「……いてぇ」
無茶な練習のつけは自分に跳ね返ってきてしまった。
「大丈夫か? 今変な音がしたぞ」
先輩に助け起こされて、土を払うと少し体を動かしてみた。肩から転んでしまったせいで、なんだか捻ってしまったような気がする。
「すいません。無理に動いて……」
そう言うと、「お前が焦る気持ちも分かるさ。俺も2軍に3年間いるからな」と、苦笑いして転がったボールを拾ってくれた。
「やはり年下の奴に抜かれていくのはつらい。才能をまざまざと見せ付けられて、どんどん追い越されるのに俺は先輩なんだ。だけど魅上、お前は違う。きっと監督もお前を2軍に置いているのに訳があるはずだ。ヤケになるな」
……俺は何もいえなかった。
どうしてこの先輩はここまで悟っているのだろう。どうしてここまで俺を心配してくれるのか、分からなかった。
「魅上さん、一応見てもらったほうが良いんじゃないですか?」
2軍のチームメイトに心配され俺は保健室に向かうことにする……のだが、
「「「「「付き添うっす!」」」」」
と、わらわら人が集まってくるのは何故だろうか?
保健室といっても、確か50代のベテラン保健師がいるだけだったのでは?
「こら! そこ何やってんだ」
そうこうしているうちに、2軍の顧問がやってきて、俺は一人で大丈夫だからと保健室へと急いだ。
最後にこっそり誰かが囁いた言葉がひっかっかっる。
「今の時間なら三輪さんに会えるかもしれないぜ」
保健室はグランドから見える位置にあった。
「すいませーん」
ガラッと簡素な戸を開けて声をかけたが、誰もいないらしい。
他の教室にはない消毒薬のようなニオイが鼻をくすぐる。サッカー部のかけ声が遠くに聞こえた。全てが遠くて、ここは静かで……少し自分からは砂の匂いがした。
1歩、中へ足を踏み入れる。
そういえば俺はめったに保健室にきたことがない。怪我しないように気を配っていたからだ。慎重なはずなのに、タガが外れてしまうなんて、らしくない。反省……だな。
パイプ椅子に腰掛ける。近くの机に目をやると、体温計やガーゼ、傷薬から湿布までそろっていた。
少し肩を動かすと、ズキッと痛みが走る。なんだかそんな自分が惨めで仕方なかった。
「……格好悪りぃ……」
呟いた言葉は誰にも聞かれることなく消えていく……はずだったのだが……
「誰かいるの?」
女の子の声が聞こえた。
――ヤバイ!
悲しいことに、長年の習性で思わず腰が引けてしまう。そういえばベットの方にカーテンがかかっていたような気がする。
俺は慌てて腰をあげて逃げようとしたのだが、彼女が出てくるのが先だったらしい。
薄いピンク色のカーテンが揺れて白い指が見える。
続いて漆黒の長い髪、真っ白の肌に赤い唇、華奢ですんなり伸びた脚を惜しげもなく出して、一人の少女が現れた。
そんな時、普通の男子ならその艶やかさにドキドキするのだろうが、俺は違う意味で鼓動が早くなっていた。
――いかん! またこれはトラブルになりそうだ!
誰もいない保健室に女の子と2人だなんて、今までのパターンから考えるに、俺が連れ込んだだのあらぬ方向に行くに違いない。まあ、俺はそういう噂に慣れているからともかく、そんなデマが流れたら彼女に傷がつくだろう。
そこまで考えたときにはもう、俺は走り出そうとしていた。肩を庇いながら。
「まーたサッカー部の誰かが痛めたのね?」
「ひぎっ!」
しかし、俺は走り出すより早く腕を掴まれ、声にならない悲鳴をあげてしまった。こ……こいつ、今、思いっきり掴みやがったぞ!
「ちょっと骨がずれてるみたいね。そこのベットにうつぶせになってて。今動かすとおかしな癖がついて、また同じ所を傷めやすくなるわよ」
さばさば、はっきりそう言われてしまっては仕方がなく、俺は渋々ベットの上に上がった。
一体何やってんだか……。
とりあえず彼女は保健の先生を呼んでくれるらしい。学校の内線ボタンを押す電子音と話し声が聞こえた。
「そう、肩を痛めたみたいなんです」
そうだよ。こんちくしょう。
「ん? 別に良いですけど、まだ会議抜けられないんですか?」
今職員会議だったのか……
「はい。じゃあそうします」
カチャッと受話器を置く音がして、彼女がつかつかやってきた。
俺はなるべく彼女の顔を見ないように枕に顔を押し付ける。すると、ふいにバサッという衣擦れの音がして、次にギシッとベットが沈み込んだ。
「は???!」
一瞬何がなんだかわからなくなって横を振り向くと、彼女の手が頭の横に置かれて……端正な顔が目の前に現れる。
「処置しとけって言われたんで、遠慮なく」
と彼女は宣言するや否や、片方の手を俺の背中に当て、もう片方の手で俺の腕を持つ。そして、軽く横から膝で俺の腰を抑えると、力を込めて
……ズレた骨を入れた。
ぐぎゃっっっ
「~~~ってえええええええええええ!!!」
自分でもすごい音がして仰け反ると
「はい終了」
彼女はそっけなく、パンパンと手をはたいてベットから離れた。
俺は脱力したままベットに沈み込んでいく。もう……力が入らない。
「サッカー部って最近、練習しすぎの人が多いのよね。しょっちゅう怪我しただの捻っただと来るから、けが人の面倒をみる手伝いやってるわけ。実家の仕事の関係で整体もできるんだけど、素人がやったら危険だから真似しないでね。いやー、元々はマネージャーだったんだけど、こっちでスタンバイしてた方が何かと役に立てるものだから住み着いちゃった」
「い、今、すげー音」
眉をひそめながらようやく息をついで抗議すると
「骨、ちゃんと入れておいたから、もう動かしても大丈夫よ。湿布渡しておくね。あと、体が硬いみたいだからちゃんとストレッチしたほうが良いよ。怪我しやすくなるから。以上!」
と、ぴしゃっと言い返されてしまった。
反論できずに恨めしい目で睨む。すると、夕陽の逆光で顔は分からなかったけれど、彼女が微笑んだような気がした。
なんて奴だ。
「将来いい看護師になれるぜ。お前」
半分呆れながら言うと「むしろ医者志望だけどね」と返ってきて苦笑する。顔は美人だけれど、性格は男勝りだ。
「あなたもいい選手になりなさいね。あ、紹介遅れたけど私は三輪。2年よ。よろしく」
「俺は……魅上、2年だ」
女性恐怖症の俺が「普通に」会話できたのは、これが初めてのことだった。