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恋愛恐怖症候群  作者: アルタ
恋愛矯正治療中
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1 泣き虫林檎 side:三輪環

 不覚にも風邪を引いてしまった。

 新しくできた妹が風邪をこじらせてしまい、その看病でしばらく実家から登校していたのだが、試験勉強との両立で体力が落ちていたのか今度は私がダウンしてしまった。

 全く不甲斐ない。正美ちゃんと仲良くなれたのは怪我の功名だけれど、これでは逆に心配をかけてしまう。ダメだなぁ。


「うう、ゴホゴホ」

 甘くて苦い咳止めシロップに顔をしかめながら目覚し時計に手を伸ばすと、すっかり部活の時間になっている。何とか試験は根性で出たものの、外で行う部活はさすがに無理だ。

 咳がひどくて電話できない状態だったから、偶然とはいえ将に見つけてもらえてラッキーだった。そうでなければ遅かれ早かれ、メルアドを知っているみかみんに連絡を入れざるを得ないという事態になっていた。風邪が治ったらもっとちゃんと連絡先の交換をしておこう。同じマネージャーの嵯峨野ちゃんなら、快く応じてくれそうだ。


 ルームメイトがしっかり暖房を入れてくれたので部屋の中は暖かい。光熱費は折半なので、申し訳なく思うもここは素直に好意に甘えておくことにする。別の機会にお礼をしようと心に決めた。

 ぶおおおお……と低い唸り声を上げて仕事をしているエアコンに向かって手を伸ばしてみると、雪だるまがプリントされたファンシーなパジャマの袖が目に映る。本物の雪だるまを見たことがない私に義理の母がプレゼントしてくれたものだった。


 寒い寒い時にしか存在できないもの。

 温かい光が注げばたちまち溶けてしまう、儚い存在。

 今はなんだか他人に思えなくて、色々なポーズをとる雪だるまをぼんやりと眺めていた。寮は静けさに包まれている。きっと試験が終わったから、部活組は部活へ、帰宅組はカフェでお茶でもしているのだろう。

 頭ががんがんする。ぼーーっとした熱にうなされて、背中は気持ちが悪い汗をかいている。


 外は寒い。びゅうびゅう北風が鳴っていて、わずかに見える窓の外は冷たい雲が立ち込めていた。

 気がつけばどうやら少し寝ていたらしい。でも、こんな日に一人で寝ていると精神的にこたえるな。

 ゆっくり起き上がって水でも飲もうかと床に足をつけたとき、大きな全身を映す鏡が目の前にあった。

 思わず目を見張ってしまう。


 ――赤い顔、潤んだ目……こりゃ疲れてるわ


 自分の情けない姿にがっくりきた。

 うーわー弱そう。やはり体調を崩すと心も弱くなるというのはあながち嘘でもないのだろう。

 みかみんに新しい彼女が出来た時にも、ちゃんと笑えたというのに。なんて失態だ。


 うん……新しい彼女は可愛い子だった。なんというか、守ってあげたいような女の子だった。私なんか自分で身を守れる以上に強いから「相手に怪我させないようにな」くらいは言われるのだろうが……はは。

 はぁ……。

 でも、私だっていつもいつも強いって訳じゃないんだ。たまには、そりゃあちょっとくらいは、ぐらつくこともある。


 別れた後みかみんに告白が集中したように、私にもいくつか声がかかった。

 好きだと言ってもらえるのは有難いのだけれど、私はもう恋愛する気なんてこれっぽっちもなかったから全部断った。寂しいというだけで付き合ったりするのは私の主義じゃないし、そんな簡単に割り切れるようなものでもなく。

 ――なんだかんだいっても、みかみんの代わりはいないのだ。


「病は気から」

 もう一度フラフラの体に気合を入れて姿勢を正す。


 笑ってみる。

 ああ、ダメ。泣きそうな表情。

 もう一度、笑ってみる。

 消えてしまいたいほどの心細さを押し殺して。


 ……ああ、大丈夫。

 今度は笑えた。だから大丈夫。

 鏡から台所へ移動して、買い置きしてあったミネラルウォーターを取り出す。コップに注いで飲み干せば、焼け付くような喉に染み込む感覚にホッとした。

「はー」

 風邪がひどくなった時はやっぱ水に限るわ。


 そのとき来訪者を告げる音楽が鳴った。

 誰だ、こんな時間に。時計を見ると丁度部活も終わったような時間……ありえない想像が頭をよぎった。

 ――もしかして、

 ――もしかして。


 でも、あの人には新しい彼女が出来た訳だし……でも、もしかしたら、「マネージャーとしての私」を心配して来てくれた可能性もゼロではない気もする。

 ……会いたかった。

 風邪を移さないようにしなきゃだめだけど、最近何も話をしていなかったから。ほとんど誰とも話をしていなかったから。

 笑いにきたのでもいい。

「なんだ? お前でも風邪なんて引くことあるんだな」

 そう言ってくれてもいい。


 ――話がしたい。みかみんと。


「もしもし?」

 備え付けのインターホンを手に取る。少し掠れる声で尋ねれば、声の主はちょっと困ったように答えた。

「あー、醍醐だが部のメンバーから見舞いの品を預かって……」

「え? あ、もう、そんな気を使わなくていいのに」

 ……馬鹿だ、私。

 会いになんて来るはずないのに。風邪で頭までおかしくなったのかも。


「うーん、しんどそうだな。差し支えなければそっちへ届けにいってもいいか?」

「風邪を移したら悪いんだけど……」

「渡したらすぐ帰る。それに俺、今まで風邪引いたこと無いんだ」

 健康優良児その2がここにいるよ! 嵐山といい醍醐といい恵まれすぎだろう。


 しばらくして、控えめにドアがノックされた。カーディガンを羽織って扉を開けると、

「三輪。大丈夫か?」

 醍醐がカバンを持ったまま立っていた。部活から直行してくれたらしい、さすがサッカー部のおかんだ。

「大丈夫。ちょっと今日はダウンだけど休めば治るから」

 そう言いながら、さっき鏡の前で練習しておいて良かったと、心から思った。


「メンバーから差し入れの林檎だ」

「あ……ありがとう」

 購買で購入したらしき林檎は艶々で美味しそうだった。

 みんな優しいなぁ……そう思いながら受け取ろうとした瞬間、目の前がかすんで、膝ががくんとゆらいで……がっしり醍醐の袖を掴んだ姿勢になってしまう。


「……」

 か、格好悪い。

「……」

 なんか言ってくれ。醍醐。むしろそのまま静かに扉を閉めていただけると助かるのだが。


 しばらくの沈黙の後、彼は苦笑するなり「失礼するぞ」と人を軽々と担いで部屋の中に入ってくるではないか!

 うーわー、ありえん!

 布団の上にふわりと私を降ろすと

「林檎剥いたら帰るから、今日はゆっくり休むといい」

 醍醐は台所に立って林檎の皮を剥きはじめた。


 その優しさが心に染みて……


 布団に顔を押し付ける。

 今は反則。

 反則だ。

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