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恋愛恐怖症候群  作者: アルタ
恋愛恐怖症候群
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番外編1 初見が大事だろ(前編) side:近衛将

 新しい「姉」の第一印象

「まあ、いいんじゃねぇの? 」

 ごろんと屋上で寝そべりながら空を見上げる。




 母さんが再婚すると言った時は、ああそうかというぐらいにしか思わなかった。ただ、苗字が変わったら邪推する奴が出てきて面倒だなとは考えた。親父の記憶がない妹などは「ねえねえお父さんになる人って、あのダンディなロマンスグレーだよね? 」とからかっていたぐらいだ。

 客としてちょくちょく店に顔を出していたその人は、そのくらい自然に俺達家族となじんでいた。

 ただ、俺より一つ年上の子供がその人にいると聞いたときは、正直少しだけうっとおしくなった。……姉貴面されたらたまらないし、逆に気を使われすぎると言うのも野暮ってもので居心地が悪くなるかもしれない。


 適当にあしらっておこうと考えながら新しい父さんの家の前に立つと、ふと離れの方から声が聞こえた。

 どうやらここは柔道の道場らしいと気がついたのは1分後。古めかしい看板が表札の横にかかっていたからだ。

「柔道ね……」

 あの人、そういえば趣味で道場も開いていたんだっけ。表向きは接骨院をやっていたり、柔道の審判をやっていたりと忙しい人だ。折角だし顔合わせまでに時間があるから覗いていこう。


「しっつれいしまーす」

 キョロキョロと門をくぐり抜けると白い胴着を着た人がうろうろしている。ジーパンにパーカーを着た俺とは明らかに違う世界がそこにはあった。

 ストレッチをしているのは20名ほどだろうか、思っていたよりも多い。小学生が多いということは、今はコースの教室でもやっているのかもしれない。などと推測していると、にこやかに道場の人かと思われる女子がポンポンと肩を叩いた。


「見学希望の人? 今は子ども教室の時間だけど、良かったら見ていってね」

 振り向いて俺は驚く。

 美人だった。艶やかな長い髪を一つに束ね、細い手足を白い胴着に包んでいるが、凛とした雰囲気はあるのに粗暴さは全く感じられない。本当にこんな華奢な体で武術なんてやれるのだろうかとすら疑ってしまう。小さな顔には整った目鼻立ちが配置され、白い肌に少し赤い唇が綺麗だ。

「あんたもここの弟子?」

 カバンを肩に下げなおして視線を低くするよう腰をかがめると

「そうよ。強いわよ」

 ふっと唇の端を上げて彼女は笑った。


 自分から強いと言い出すなんて、たいした自信家じゃねーの。

「じゃあ見学させてもらうかな」

 少しだけ興味が湧いて、見学希望者と偽って俺は道場の片隅に潜入することに成功した。


「師範代、師範代! あのチャラ男は彼氏っすか?」

「なんかいい加減そうな日焼け野郎だよな。騙されちゃダメだぞ」

「こんじょうたたきなおしてやる」

 おおっと、なんだかひどい言われようだ。


 クスクス笑っていると、彼女はごめんねと小さくジェスチャーした。そういう動作をしていると小動物のようで可愛らしいなぁとニヤニヤしていたら、次の瞬間その認識はあっけなく崩れ去った。

「せやっ!」

 緑色の畳が敷き詰められた真ん中でお辞儀をした後、両手を構えた彼女は一番大柄な男の子をいとも簡単に背負い投げしてしまったのである。正座するため「どっこらせ」と腰掛けようとした俺の顔横10センチ付近を、俺の悪口を言っていた奴が高速スピードでぶっ飛んでいく。俺はそのままの姿勢で凍りついた。


 ……いま、何が?

「げふぅ!」

「投げられたときはちゃんと息を吐いてから受身だよ。叩きつけられた瞬間、肺に来るからね。じゃあ、次ー」

 高い天井に凛としたきれいな声が響き渡って……道場特有の特殊な畳の感触に、熱気のこもる練習生の衣擦れの音。


 ――もしかしたらやばいところに来たのかもしれない。

 隣にこんな大きな道場を抱えている家にきて「柔道できません」では通用しない。妹ならともかく、俺は……俺は、避けられない気がする。ひんやりと冷汗が背中を伝った。




「やらしいなぁ。何思い出し笑いしてんのよ」

「んー? ああ、環と初めて会ったときのことを思い出した」

 今日は俺の誕生日だからという理由で、普段は寮生活をしている姉を強制的に連れ出した。正直俺の誕生日は単なる口実で、実際は母さんと妹の正美まさみが会いたがっているというのが正解なのだが。


「あー、あれか」

 彼女は少し苦笑して「最初が肝心だと気合入れちゃったかなぁ」とそっぽ向いた。俺の横にぶっ飛ばしたのも、俺が新しい弟だと知っていて、なめられたら面倒だとわざと飛ばしたのだろう。

「なんだか俺たち似たもの同士だよな」

 クスクス笑うと「今思えば馬鹿よね」と彼女も笑った。

 俺たちはお互い一緒にいても居心地がいい姉弟になった。俺も彼女も野暮が嫌いで、お互いどこまで人の心に入るか……その距離が似ている。だから、こうやってたまに過ごす時間も苦ではない。


「どーだ?」

「似合ってる」

 似合うと誉められたことよりも、彼女が自分の見立てに満足している笑顔に対して笑う。

「やはり、環の見立てが一番いいな」

「自分の服くらい自分で決めなさいよ」

 言葉とは裏腹に楽しそうな彼女は、俺を通して別の男の服の見立てをやっているようにも見えた。あの頃は触れれば蹴飛ばすくらいの警戒心があったというのに、今の可愛げは片思いの男とやらのせいだろうか?


 選んでもらえる男が羨ましい。服選びはちょっとなぁ……

「面倒なんだよ」

 裸じゃなけりゃいいだろうと着古したジャージを着ていたら、遊びに来ていた妹の友達に不審者と間違われて怒られた経験がある。泥棒じゃねえよ、この家の住人様だよ。


「素材は良いんだから、そんなに悩まないでしょうに」

 呆れたように笑う彼女は少しだけ雰囲気が柔らかくなった。

「ん? やけに素直じゃねーか」

 笑い方も、どこか慈しむような笑い方になって時々ドキッとさせられる。無論、そんな笑顔を俺に見せてくれることなんてほとんどないが……。


 ふと、視線が気になって顔を上げると、黒い帽子を深く被った不審者が環を凝視していた。背中を向けている彼女は全く気づいていない。……ストーカーだろうか?

 確かに彼女は美人だし、最近ガードも緩みがちのようだから、変な輩に目を付けられてしまったのかもしれない。

 まあ、今日は俺が追い払っておくか。


「じゃあ、これと合わせてもう1個……あ、これ了が着たらすごい似合いそう」

 などとぼそぼそ呟く環の手を取ると、そっと指先に触れるか触れないかのキスをした。

「はあっ? 何のつもり!」

 彼女は慌てて手を引っ込め、手をパタパタひっくり返しながら混乱している。

「はっはっは。なんだかデートしてる似合いのカップルに見えるかなってー」

「見えないから!」



 いつの間にかストーカーは姿を消していた。

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