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恋愛恐怖症候群  作者: アルタ
恋愛恐怖症候群
12/42

12 凍える×××

 醍醐勝也だいご かつや。サッカー部に所属する天才のうちの1人である。嵐山魁を攻撃の要とすると、醍醐勝也は守備の要。また、明朗快活な嵐山とは対照的で、物静かで面倒見が良く……こっそりサッカー部のおかんと呼ばれているのはここだけの話だ。

 そんな彼は、グランドに転がったままのボールを戻そうと倉庫へ向かう途中、三輪環と鉢合わせした。


「醍醐……」

 声のトーンは変わらないのにいつもと違う感じがするのは、涙の跡と少し赤くなった顔のせいだろうか。

「大丈夫か?」

 いつもの強気な表情が少し弱々しくて声をかけると、彼女は「少し砂が目に入ってしまったから」と言ってごしごしと目をこすった。


 ついさっき水をまいたばかりのグランドに砂埃は立っていない。けれど、強そうに見える彼女でも泣きたくなるときがあるのだろうと納得し、醍醐は環の腕を取った。

「水道のところまで連れて行くから目を洗った方がいい。こするとあまり良くないぞ?」

 彼女は何も言わず、そのまま素直に従った。


 水道で目を洗い、ハンカチで顔を拭いた彼女はそのまま顔を埋めていた。

「誰にも言わないで」

「ああ」

「絶対に言わないで」

「分かった」

 何があったのか気にならないはずはないけれど、彼は彼女が「もう大丈夫」というまで黙って隣にいた。



◇◇◇



「プリン?」

 サッカー部の部室には現在積み上げられたプリンが鎮座していた。黄色いタワーに慄くサッカー部員達。何個あるのか分からないが、とりあえず異常事態であることは分かる。

 そんな彼らに苦笑しつつ、環はプリンを一つ手に取った。


「みかみんの好きな食べ物について聞かれてね。『プリン』って答えたら、女子が調理実習で競うように作っちゃって。その数、積もりに積もって50個以上。いやあ、罪な男だよね~」

 昔は遠巻きにされていたが、「案外優しいらしい」ということが分かってから急激にもて始めた。これまでは環がいたのでこっそり見守るだけだった彼女達は、今や入れ食い状態でがっついてくる。肉食系女子のパワーを舐めてはいけない。


「ナマモノだから食ってくれ。俺はもうそんな元気なんざねえ」

「そうそう。手伝ってあげて」

 あははははと笑う彼女に他のレギュラーから

「お前彼女のくせに、他の女からのプレゼントを彼氏に渡すなよ」

 とすかさず笑いを含んだ突っ込みが入る。

「え? ああ、別れたんだけど知らなかった?」

 それに環がニコニコと返した。


「う……うそだろ?!」

「いやホント」「ホントだぜ」

 今度は魅上までもがあっさり認める。そんな姿に部員達は訳が分からず混乱した。

「そんな訳だが、これからも普通に接するつもりだから気にしてくれるな」

「そういうことです」

 何かの冗談だろうか……と彼らが思ったのも無理はない。


 あれだけ仲が良かった2人なだけに、

 あれだけお互い幸せそうに過ごしていただけに、

 ラブラブな雰囲気こそはなかったものの、とてもいい感じで……密かにサッカー部員達の憧れのカップルだっただけに、

 ――信じられない。


「まあまあ、とりあえず頂きましょうや」

 みんな本当に料理上手だよね~、あたしも優しいお嫁さんが欲しいよ。そう言いながら部員に配る彼女のどこにも不自然なところは見られない。

「お前もちっとは見習えよ」

 受け取る魅上の姿にも不自然なところはなく、ただ、唖然と部員達は見守る他なかった。


「はい。醍醐も苦手じゃなければご協力ください」

 暗にしゃべるなよという脅しをつけて、にっこり環がプリンを渡すと彼は複雑な顔で受け取った。

「これからもマネージャーは続けるのか?」

 気遣ってこぼれた質問は

「愚問です」

 と頼もしい答しか返ってこなかった。


 遠くて近い存在から、近くて遠い存在に変わったと嵐山は思う。

「俺は環先輩のプリンがいいっす」

 両手を差し出すと

「茶碗蒸との狭間で揺れている物体でもいいならあげよう」

 と、プリンが手の上に乗せられた。

 本当だったら魅上に手渡されるはずのプリン、もとい茶碗蒸(?)は美味しかった。甘さ控えめに作られていたのは甘いものが苦手な魅上への配慮だったのだろう。そんな優しさがジーンときてしまった。


「魅上先輩は馬鹿っすよ。お互いまだ好きって顔してるくせに」

 ぼそっと呟いた言葉は

「嵐山、愛を勘違いしないことよ」

 と、環先輩の慰めの言葉によってかき消されていく。


「なんで俺のほうが落ち込んでるんすか? 次の魅上先輩の彼女が環先輩以下だったらいじめてやる」

「こらこら」

「だって、悔しいっすよ」

 てっきり魅上先輩が振られたのだと思っていたのに……逆だったなんて。



◇◇◇



 ――12月に入った。


 今年の冷え込みは例年以上だと気象庁から発表があった。部員達も流石に夏の時のような半袖とは行かない。

「息が白いな」

 醍醐がかじかむ手をこすり合わせてグラウンドを見渡した。そうだなと魅上も呟いてパーカーをベンチに置く。既に2軍ではミニゲームが始まっており、2軍のマネージャーが記録をとっている姿が見えた。

 試験が終わって、はじめての練習に気合も入る。

 しかし、監督の姿はまだ見えず、1軍マネージャーである環の姿も見えない。というより、試験が終わってから彼女の姿を見かけていない気がする。まあ、学校の授業も冬休みに入るまでのつなぎのようなものだから困ることもないが。


 ぐるっと辺りを見回せば、遠くから監督と……この冬の景色には不釣合いな男がやってきた。サーフィンボードでも抱えているのが似合いそうな男、環が将と呼んでいた奴だ。

「遅れてすまない。三輪は風邪で休みだ。代わりに補習で遅れていた嵐山に備品を取りに行かせているから少し待っていてくれ。後で2軍マネの嵯峨野も合流する」

 表情を変えずに淡々と連絡事項を伝えると、監督はキャプテンと打ち合わせを始めてしまう。


 その間、俺は将と呼ばれた男から目をそらすことができないでいた。そいつは醍醐と話している。どうやら学校は違うがサッカーつながりの知り合いらしい。

「試験期間中、環はしばらく妹の看病につきっきりだったからな。寝込んでしまって外に出せる状態じゃねぇし、休ませてもらうって伝えに来たんだ」

 妹の病状が回復したのでお礼を言いに寮へ寄ったら、具合が悪そうにしているのを見つけたのだそうだ。その場はルームメイトに任せて、自分は挨拶がてらサッカー部の方に顔を出したという。

「大丈夫なのか?」

 心配そうに醍醐が尋ねる声が聞こえる……遠く、遠く。


 ――頑張って、努力して、苦労して、でもどんなに疲れてもそれをなかなか見せないんだよね

 そう彼女が言ったのはいつのことだったか……。


「あんた、魅上……だっけ?」

 気が付けば目の前に将がいた。

「そうだ」

 軽く睨めば、よろしくと手を出してくる。こんなところで仲良しこよし、握手する気にもなれず手をポケットに突っ込むと、肩をすくめて、ククク……と彼は笑った。

「あんた噂どうりだな」


 噂の元は環だろう。なんて吹き込まれたのやら。

「そうだよ。噂の魅上了とは俺様だ」

 こちらも負けじと唇の端を上げると

「はじめまして。環の“弟”の近衛将このえ まさるだ。義理の……だからまあ、血はつながっていねぇけどよ」

 とこちらを値踏みするようにじろりと見られた。


 ――義弟?

 頭の中が真っ白に染まっていく。


 ――誤解

 明確な単語が脳裏に浮かび上がった。


 その名前に反応して、周りでは近衛に話し掛ける奴が出てきた。

「フットサルやってたよな、お前。醍醐とはそれつながりの知り合い?」

「近衛って、まじ三輪の弟か? いいよなー、美人な姉さん」

 環の弟ということで親近感がわくのだろうけれど……俺は違った。


 ずーんと、重いものが心の中にのしかかってくる気がする。あの時それを知っていたならば、何か変わっただろうか。

 けれども、もう、あの時には戻れない。


 ――別れてすぐ俺には新しい彼女ができた。

 別に特別好きだというわけではなかったが、環と正反対のタイプだった。まあ、典型的な「女の子」という感じだろう。

 美人系の環とは違って、顔は可愛らしい系。圧倒されるくらいしっかりした環と違い、甘えるのが上手だ。……こいつ俺がいないとダメなんじゃねーの? ってところが、今度こそ付き合っているという気分にさせてくれる。

 天然というわけではなく、思いのほか計算高いところも長所だった。こいつならやっかみも上手く処理するだろう。

 女避けのために女と付き合うというのも変な話だが。


 環と別れたことは、間違いじゃなかったと言い聞かせる。

 今でもあいつとはいい友達だ。――もしも――なんてことはありえないのだから。




「そっか……義弟……か」

 練習が終わってから、腕を絡ませてくる彼女と歩く。

「了~? なーに考えてんの?」

 別に。


 見舞いに行こうかと思ったけれど、こいつがいるのにそんなことをするのは裏切り行為な気がしてやめておいた。

 けれども自然に視線は寮のほうに注がれる。明日、果物くらいなら差し入れに持っていってやってもいいかもしれない。

「あまりくっ付くなよ」

「だって寒いんだもん」


 外は北風が吹きすさんでいる。

 凍えるように錆付いた自転車が歩道に置き去りにされていた。


「確かに……寒いな」

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