ボリューム1
気になっているクラスメートの女子と一緒の大学に行きたいがため、進路調査票に書き込んだ第一志望の大学は、俺の学力ではなかなか難しいところだった。そのため生まれてはじめての受験勉強とやらに熱を入れてみたはいいものの、開始から三日目で既にガス欠状態。
目の前に置いたノートパッドと右手に握っていたタッチペンは、いつの間にか積み上げられた漫画本とジュースに切り替わっている。
目指しているべき場所は、どうやら俺には向いていないんじゃないかと思う。
ふと、壁に掛けてある時計を見ると、時刻は二十二時までもう少しというところだった。
「やべ、勉強しねーと」
本日三度目となる言葉を呟き、俺は再びペンを握りしめた。
課題は英語。一番苦手な教科だ。
問題文を読み、回答となる単語が思い浮かんだはいいものの、アルファベットの並びが思い浮かばない。
「ラジオ……ラジオだから…………アール、エー、ジー」
汚い字でアルファベットを書き込んでいる時、夏休みに入るよりも少し前に交わした友達との会話を思い出した。
そういえば、友達の一人はラジオを聴きながら受験勉強をしていると言っていたな。俺から言わせてもらえば、耳で何かを聞き流しながら勉強なんて、集中出来ない要因だと思うんだけど。まあ、そんなことを友人に言えば、「飽きっぽいお前にだけは言われたくない!」という文句が返ってくるのも分かっている。だから話を聞いた当時は、笑って聞き流したのだ。
かと言って、“俺にだけは言われたくない文句”とやらを掲げてみても、少しだけ興味が沸いたのも事実。試しにやってみたら面白いかも知れない。
一旦自室を出て、居間の戸棚に閉まってある旧式の非常用懐中電灯を持ち出してきた。これにはラジオが組み込まれている。
部屋に戻ってさっそく電源を入れると、内臓されたラジオからザーザーという、古い砂嵐の音が聞こえてきた。
アンテナを伸ばし、ダイヤルを回してチューニング。ダイヤルを大雑把に回し続けると、砂嵐の音の合間で、時折人の声が聞こえる。一瞬だが演歌も聞こえた。
どの番組がいいだろうか。流行の曲などがよく流れる番組だといいのだけれど。
ラジオの放送局なんて全然知らない俺は、しばらくの間ラジオのつまみを回し続けて遊んだ。
すると、途中で知っている曲のイントロを聴いた。すぐさま手を止めれば、思ったとおり、去年の夏に流行っていたアイドルグループの曲が耳に届く。
俺は曲に合わせて一緒に鼻歌を歌い始めた。
しかし三十分が過ぎた頃、俺は聴いていた番組に飽きてきて、再びダイヤルを回し始めた。今度は洋楽でも聞いてみようか。
そんな時だった。
『……てください…………』
「ん?」
一瞬だけ聞こえた女の子の声。
ダイヤルを摘む指が止まると、ラジオからは砂嵐の音だけが聞こえてくる。回し過ぎたか。
少しずつダイヤルを戻してみると、さっきの声が再び聞こえ始めた。
『…………赤とか、紫とか、思っていたよりもいろんな色があるんだなーって』
か細くてのんびりとした、でも明るい口調の女の子の声が、再び俺の耳に届いた。
『いつぐらいまで見られるのかは分からないけれど、今度写真を撮っておこうかと思います』
次に感じたのは、優しい声だなぁというものだった。
俺はしばらくチャンネルをそのままにしておいた。
『では、本日の二曲目をお送りしたいと思います…………曲はもちろん私マリナで、“お月様とキス”です!』
聞いた事のない曲名だし、マリナという歌手に心当たりもなかった。
そもそもラジオのパーソナリティーなんて、まともに名前を言える人は一人もいない。
まあ、曲を出しているくらいだからテレビにも出たりするんじゃないだろうか。俺が知らない理由は、デビューして間もないとか、単に売れていないとか。
とにかく、俺は曲が始まるまでの数秒間を沈黙して待った。
しかし。
「…………なんだ、この歌?」
曲の始まりから十数秒間、思わずポカンとしてしまった。
ラジオから聞こえてきたのは、楽器の演奏などが一切無い中、アカペラで歌う女の子の声だった。
しかも。
「びみょー…………」
あんまり上手くない。加えて、聴いているとちょっと恥ずかしくなってしまうほど、メルヘンチックでロマンチックでコッテコテで、だけどどうにもしっくり来ない歌詞。
まさか作詞作曲はこのマリナって子なのかな。それにしても伴奏が無いとは。
ちょっと風変わりな曲に面食らってしまった俺は、しばらくその番組を聴き続けた。
なんだか手作り感満載のリズムと歌詞。ただ聴いているだけなのに、耳や頬が熱くなってくるのは俺が照れているからだ。聴いているだけなのに俺が恥ずかしくなってしまう。
時々聞き取りづらい発音に、カラオケで歌うようなカタコト具合。
それでも、やっぱりその声だけは心地良いものだったので、俺はチャンネルを変えなかった。
時計の針を見た。彼女の歌が聞こえなくなったのは、歌が始まってから約四分後。終わったのか。
『…………はい、曲が終わりました! 聴いてくれてありがとう! この曲は昨日出来上がったばかりなので、ちゃんと歌えるかどうか心配だったんだぁ』
昨日出来たばかり。レコーディングを終えたばかりってことだろう。それにしても伴奏が無い曲というのは斬新だ。
気がつけば俺は、ラジオの前で真剣な表情を浮かべていた。
意識を耳に集中させて、窓の外から聞こえる車の音さえも煩わしく思いながら、彼女の言葉を一つ残らず聞き取っていた。
興味が湧いたのだ。この妙なラジオ番組を届ける“マリナ”という人は、一体どんな人物なのだろうか。
一番のポイントは声だった。歌が下手であっても、素人のようなトークであっても、それを届ける彼女の声が気に入ってしまった。
特徴的な声かと訊かれれば、そんなこともないような気がする。どこかで似た声を聞いた気もするし、別に俺の耳が特殊なわけなど無い。
ただ、やっぱり気になってしまう。
『…………では、今日はこの辺で番組を終わりにしたいと思います。聴いてくれてどうもありがとう。お相手はマリナでした。また明日ぁ』
毎日放送しているのかな。
彼女の声が聞こえなくなっても、ラジオの電源を切らないままで俺は腕組みをした。
思うことはただ一つ。
これは明日も聞いてみるしかない。
「…………あれ?」
ふと、妙なことに気がついた。
「このチャンネル…………」
CMが流れていない。それに次の番組も始まらない。
それどころか、今ラジオから聞こえてくるのは、ザーザーという砂嵐の音だけだった。
いつの間にか部屋の外も静かで、父さんと母さんも寝てしまったらしく、居間からの会話も聞こえない。
少しだけ震えた。脳裏によぎる予感は、この季節にはぴったりだった。
放送局はどこだ。何故番組が終わった途端に何も流れないのだ。どうしてCMや次の番組じゃなく、砂嵐なんだ。
まさか俺は今、心霊現象というやつを体験してしまったんじゃないだろうか。
今日は勉強が手につくわけなどないな。
俺はノートなどをしまうと、部屋の電気をつけっ放しにしたまま布団に入った。
翌朝、未だに眠気の抜けない頭を揺らして居間に行くと、朝食の用意をする母さんが言った。
「おはよう。ユウスケ、あんた昨日の夜に非常用のラジオ持ち出したでしょ」
「え? ああ、部屋にあるけど」
「あれ使わないでよ。いざって時にバッテリーが切れてたら困るじゃない」
その意見はもっともなのだが、生憎とうちには、ラジオがあれしかないのだ。
「なんだ、ラジオ聴いてるのか?」
コーヒーカップをテーブルに置いた父さんが言った。
「まあ、受験勉強の時に聴こうかと思って」
背後から、「本当に勉強してるのかしら」という母さんの嫌味が聞こえてきた。悔しいが、結局勉強をしなかったのは事実だ。
母さんの言葉に気付かないフリをしながら、俺は父さんが手にしている電子端末へと近づく。
「ちょっと昨日の番組表見せて」
「ほれ」
父さんがタブレットを数回叩いてから差し出してきた。そこには、昨晩のテレビ番組表が表示されていた。
「いや、ラジオのほう」
俺が操作をやり直すと、父さんが言った。
「俺も昔は聴いたなぁ。まあウェブラジオだったけど」
「へぇー。やっぱり勉強の時に?」
「いや、ネットアイドルのおっかけで。でもその子な、本当にデビューしてからウェブラジオを止めちゃったんだよ。すごいだろ? 本当にデビューしちゃったんだよ」
父さんのことだから、たぶんそのアイドルが誰なのかってのを言いたくて仕方が無いのだろう。今は聞かず、後で検索してやろうと思った。
タブレットとにらめっこを続ける俺に向かって、父さんが続けて言った。
「なんだったら、帰りにラジオ買ってきてやろうか?」
「え、いいの?」
「受験勉強のお供にラジオってのは、大昔からの定番なんだよ。ラジオくらいいいさ」
父さんがそう言うと、母さんが再び「本当に、勉強になるのかしら」と呟いた。
俺と父さんは苦笑いを浮かべつつも、表示されている番組表に再び視線を落とす。
俺が昨日聴いた、マリナというパーソナリティーのやっていた番組が見つからないのだ。該当する時間の番組情報も見てみたが、マリナという名前はどこにも無かった。
おかしい。探す時間帯は間違っていないはずなのだが。
番組表を取り消し、画面にキーワードを入力して検索開始。
しかし、候補としてあがる情報はどれも俺の探しているものとは違うようだった。
だったらテレビだ。タブレットにチャンネルを入力して、放送局をグルグルと回す。
曲を出しているくらいなのだから、芸能情報で何か紹介されているかも知れない。
しかし。
「ユウスケ、いい加減ご飯食べて」
「無いなぁ。何でかな?」
結局、マリナというパーソナリティーのラジオ番組は見つからなかった。
やはり昨夜のアレは心霊現象だったのだろうか。いや、仮にそうだとしても、このまま何も分からないのでは気持ち悪くて仕方が無い。
部屋に戻った俺は、携帯電話を掴んだ。
勉強中にラジオ、という勉強阻害術を教えてくれた友人に尋ねてみれば、何か分かるかも知れない。
しかし、返ってきた答えは容赦なく俺の期待を裏切った。
ますます気になる。もうここまでやってダメならば、今夜もう一度あの放送を聴くしかない。最初から聴いてやる。番組の始まりから耳に叩き込んで脳みそに刻み込んでやる。
父さんがラジオを買ってきてくれる夜までの間、俺はあの番組のことが気になって何も手につかなかった。
そんな父さんは、約束どおり、その日の帰りがけに電気店へ寄ってラジオを買ってきてくれた。
その買ってきたラジオは、携帯電話と同じくらいの大きさしかない小型ラジオだった。首から下げられるようにと、長めのストラップが付いている。
「なんか、もうちょっとかっこいいのが良かったな」
少しだけ頬を赤らめてアルコール臭を引き連れた父さんは、機嫌良さそうに笑いながら俺の肩を叩いた。
「なぁに言ってんだよぉー。こいつでも十分だって! 職場の余ってるやつを持ってきちゃおうかとも思ったんだけど、さすがに中古はかわいそうだろ?」
だけど、これはまるで登山用みたいな。いや、本当にそうなのかも知れないな。
とりあえず父さんにお礼だけ言うと、俺はラジオを持ってさっそく自分の部屋に戻った。
昨日聴いた時間帯から考えて、始まるとしたら終了時刻の一時間前か三十分前。もしかしたらもっと短い番組かもしれないけれど、聴くことができればいい。
ラジオのタッチパネルを操作し、プリセットされている周波数を定期的に選曲して回しながら、俺は聴こえてくる音声に耳を傾けた。
選んだ番組をしばらく聴きながら、タッチパネルに番組表を映して確認する。
やっぱり、あの番組らしいものは見つからない。
何でだろう。
聞こえてくる音声に時々笑ったり、流れる曲に合わせて鼻歌を歌ったり。なんだかんだでラジオ放送を楽しんでいると、時間はあっという間に過ぎていった。
気が付けば、昨日俺が番組を聴き始めたのと同じ時間が近づいていた。
おかしい。ここまでチェックをしても、あのマリナの番組が始まる気配はない。
放送日が違うのか。いや、昨日は翌日の放送も予告していたはずだ。
では、昨日と今日では何が違うのか。いまだ片付けていない非常用ラジオを見ながら考えると、あることに気が付いた。
「あ、そうか」
昨日は、俺はダイヤルを回して自分でチューニングをしたのだ。
すぐさま手に持つラジオを操作し、選曲モードを切り替える。タッチ画面に現れたハンドルを回して、周波数を探る。
昨日と同じ。やっぱり同じだ。この周波数は、プリセットされたものではなかったんだ。
砂嵐と番組音声が入り乱れる雑音をいくつも通り過ぎ、流行の歌と演歌と洋楽の隙間を駆け抜けていった。
思ったとおり。俺がたどり着いたのは、あの声だった。
『今日はお菓子を作りました』
番組は始まっていた。彼女の声がラジオから聞こえてきたとき、なんとなく安心感がこみ上げてきた。
俺ってば、なかなかミーハーな奴なんだな。そんなことを考えながら、ベッドに寝転がって目を閉じる。そうすると、彼女の声がより一層はっきりと聞こえるようだ。
『焼きあがったクッキーはみんな動物の形をしていて、私は一つ摘んでみたんだけど』
微笑ましい光景が俺の脳裏に浮かび上がっていった。
母親の作ったクッキーを手にして、嬉しそうに笑いながらクッキーを口に頬張る美少女。そんなヴィジョンが俺には見えているのだ。
『…………何の動物だか分からなかったんです。だってデコボコなんだもん。思わず苦笑いを浮かべちゃって。味もちょっとだけイマイチだったかな。上手にクッキーが焼けるようになりたいな』
昨日はどういった内容を喋っていたのだろうか。少しだけしか聴けなかったから分からないけれど、トークの内容が何だか日記みたいだな。
番組はしばらくの間、クッキーの話題で進んでいった。
そして時間が過ぎていって。
『では、そろそろ最後の曲をお届けしたいと思います!』
終わりを迎えようとしていた。
『歌い手はもちろ私、マリナで、“シャッフルハート”です!』
またしても聴いたことがない曲。曲の始まりと同時に、俺はすぐさまウェブ検索をかけてみた。しかし、相変わらずのヒット数ゼロ件。
もう一つ相変わらずなのは、上手くも無いアカペラ歌唱。
微妙に顔を顰めながら歌を聴く。その間、ふと思ったことがある。
この番組はリスナーからのメールとかを読むのかな。
しかし、そんな考えはすぐに忘れた。聴いている時間が長いわけではないので、もしかしたら聞き漏らしているだけかもしれない。俺が聞きそびれた前半で、もうお便りコーナーを終えているんじゃないのか。そうだ、その可能性は十分ある。
妙な点が多いこのラジオ番組に、俺は特異性を求めすぎているのだろうか。
放送局不明のラジオ番組。
正体不明のパーソナリティー、マリナ。
聴いているとこっちが恥ずかしくなるような歌。
たとえそれらの要素があるとしても、俺の勝手な妄想で、この番組やパーソナリティーのマリナを得体の知れない奴扱いしてしまうのは悪い気がする
。
幸いにも番組の流れる周波数は判明した。明日こそ、このチャンネルを一日中流してでも、この番組を最初から聴こう。
彼女の歌、“シャッフルハート”が終わりを迎えるのと同時に、俺はベッドから体を起こした。今日はもう寝てしまおう。
部屋の電気を消そうと立ち上がった時、ラジオから聞こえたのは昨日と同じ調子の彼女の声だった。
『ではまた明日、同じ時間でお会いしましょう! マリナでしたぁー』
そして、彼女の声が終わるのと同時に聞こえてくるのは、やはり砂嵐。
本当に、この番組しか流れていないのか。まさに幽霊放送局じゃないか。
俺は、部屋の電気をそのままにして布団に入った。
特異性を求めすぎているも何も、やっぱりこの番組は十分不思議じゃないか。
翌日、俺は友人のヒデノリと会っていた。高校に入ってからの友人であるヒデノリとは、家が近いということもあってよく一緒に飯を食べに行ったりする。
今日だってこうしてヒデノリと会っているのは、いつもどおりの日常を過ごしているだけのことなのだが。
「なに? いつからそんなラジオ大好き人間になっちゃったの?」
ヒデノリが苦笑いを浮かべながらそう訊いてくるのも仕方が無い。
昼時を過ぎたファミレスの中、ポテトの盛り合わせとドリンクバーで時間を潰す俺たちなのだが、一つ、普段の日常と違うことがあるとすれば、これだ。
俺の首から下がっているストラップ付きラジオ。いくら携帯電話とあまり変わらない大きさとは言え、見慣れないものがぶらぶらと揺れていれば誰だって気になる。
例の幽霊放送局から届けられる謎の番組を聴くため、俺は今日一日、朝起きた瞬間からこうしてラジオを肌身離さず持ち歩いているのだ。
ラジオの周波数はもちろん、マリナの番組が流れていた時のまま変えていない。イヤホンを片側だけ伸ばして耳にはめ、常に放送をチェックしている。
そう、チェックしているのだが。
「流れねえなぁ」
朝から俺の鼓膜を震わせ続けるのは、無情で無機質で一切変化の無い砂嵐だけ。正直に言って、耳がおかしくなりそうだ。
「そんなに面白い? ラジオ」
ヒデノリがそう言うので、俺は顔を顰めた。何時間も砂嵐を聴いていたって面白くは無い。
「なあヒデノリ。実はさぁ、お前にも聴いてもらいたい番組があるんだけど」
「俺? もうラジオなんて聴いてないよ。姉ちゃんにあげちゃった」
「はぁあ!? 聴いてないの!?」
例の謎の番組を探求する仲間が増えればと思って、俺はヒデノリに全てを話そうとしたのだが。
「だって、聴きながらだと全然勉強が手につかないんだもん」
そもそもこいつが「受験勉強中にラジオを聴いている」なんて言っていたから、それがきっかけで俺はこうしてラジオに齧りついているというのに。
「なんだよー、お前がかっこつけてラジオ聴きながら勉強してるとか言ったからさぁ」
「かっこつけて言った覚えはねーよ。それに、本当にただ聴くだけなら勉強できたよ」
「見え透いてるよ、嘘が」
「嘘じゃないって! ただ…………ラジオ聴いてるとメールを送りたくなるんだよ」
ヒデノリが恥ずかしそうにそう言った。
メール。それはつまり、番組宛へのメッセージってことだろう。
するとヒデノリは、番組に送るメールを考えてしまうせいで勉強が出来ないと言うのか。
「なにお前、ラジオにメール送ってんの?」
「何回かだけだよ! 別に読まれたわけでもねえし!」
「ねえねえ、なんて送ったの? どんな題材で募集してたわけ?」
「うるせえな! 別にいいだろ!」
顔を赤くさせるヒデノリが滑稽で、俺はしばらくからかい続けた。
しかし、気の済むまでヒデノリをいじり倒したところで、俺はふと思ったのだ。
あの番組を聴いていて、もしメッセージを募集していたりしたら。
俺は、どうしているだろうか。
ラジオ番組にメッセージを送るというのは、少しだけ気恥ずかしさがあるのは事実だ。だが、気になっている番組の中で自分のメッセージが読まれたりしたら、それはきっと嬉しいのだろうと思う。
自分以外にもたくさんの人が同じ番組、一曲の歌、そして特定のパーソナリティーから届けられる気持ちを共有しているわけだ。
そしてラジオの向こう側から電波に乗ってやってくる気持ちを、俺達リスナーはただ受け取ることしか出来ない。
しかし、そんな中でもし自分のメッセージが読まれたり、リクエストに応えてもらったりしたならば。それは、受け取ることでしか分からないはずだった気持ちが実は繋がっているのだと、確かに実感出来る瞬間だ。しかも大勢のリスナー代表として。
そう考えると、俺だってメッセージが読まれたいと思う。
だから、きっとメッセージを送るだろう。
「なあヒデノリ」
「なんだよ」
からかい過ぎたせいか、ヒデノリは少しだけ不機嫌になっていた。
「ラジオネームとかは何にしたの?」
「お前しつこい!」
「茶化してるわけじゃねーってば。けっこう考えたの? 俺も送ってみたい」
そう言うと、どうにも感情の読み取れない表情を浮かべながら、ヒデノリは唇をもごもごと動かした。
「ノリ……ん」
「え? 聞こえない」
「……ノリタマごはん!」
「センスねー! 読まれなくてよかったな!」
俺は再びヒデノリを怒らせた。
それは、夕飯を済ませて自室でくつろいでいた時のことだった。
タイミングとしては風呂にでも行こうかと思い立ったのと同時。時刻は夜の九時になったばかり。
『はーい、間もなく始まりますよー! マリナの“エンジェルボイス”!』
突然のことだったので、俺は立ち上がった姿勢のまま固まってしまった。胸元から届けられる音声に、全神経が集中している。
『皆さんこんばんは。今日も始まりました、マリナの“エンジェルボイス”。本日のお相手も私マリナでお送りしますね』
始まった。ついに始まった。
そうか、番組名はエンジェルボイスと言うのか。
謎のラジオ番組のオープニングに直面した俺は、何か胸の奥からこみ上げてくるものを感じていた。
やっぱりオープニングにもBGMは無し。この番組は、本当にパーソナリティーの声以外一切の音を排除して送られている。
しかし、だからこその効果なのかも知れない。俺は、マリナの声だけで送られるこの番組には、まさにエンジェルボイスというタイトルがぴったりだと思った。
『では最初のコーナーをお送りしたいと思います』
コーナー紹介なんて、この番組で聴くのは初めてだった。一体どんなコーナーを用意しているのだろうか。
紹介されたコーナーは何とも言い難いほどに盛り上がりの欠けるような内容だった。それはマリナが日ごろから気にしている疑問や不思議について、彼女なりに調べた結果を発表するというものだ。
ありきたりと言えばありきたり。新鮮さを感じない内容ではあった。強いて言うとすれば、マリナの抱く疑問というのが「海の水はいつからしょっぱいのか」とか、「花が歩かないのはどうして」などという珍妙なもので、五つほど紹介はされたものの、どの回答もしっくりくるものがない。結局最終的な結論は、彼女の妄想で締めくくられてしまう。
そしてコーナーの終了後、一曲目の歌が紹介された。
『では聴いてください。タイトルは、“星の勇者様”』
番組の締めに曲を聴くことしかなかった俺は、“本日の一曲目”というやつを聴けるだけでも十分満足感を得ていた。歌は相変わらずのいまいちさで、もちろん音楽だって無いマリナのアカペラだ。
それなのに、俺は今まで聴いたマリナの曲の中でも、この一曲が気に入ってしまった。
最初の曲。記念すべき一曲。
ここから始まったのは間違いない。
気がつけば、俺はマリナが届けるラジオ番組、エンジェルボイスの虜になっていたのだ。
番組は曲の終了後も続いた。時間だってまだ始まって三十分も経っていない。
まだまだ番組を楽しめる。マリナの声が聴ける。それが嬉しくて仕方が無かった。
CMが一切入らない、余すことなくマリナの声で送られる番組は、二つ目、三つ目のショートコーナーもこなしていった。やっぱり面白みに欠けてしまうような内容だったかも知れないが、今の俺にとってはそんなことなど微塵も気にならない。
放送局も不明。周波数だって番組表に載っていない。正体不明のパーソナリティー、マリナ。
こんな謎ばかりに満ちたラジオ番組を聴いているリスナーは、一体どれだけいるのだろう。ラジオ好きの間でも隠れた名番組として、密かに知られているのかも知れない。
その秘匿な感じを想像するだけで、俺はこの番組に対する想いを膨らませることが出来た。
しかし、それならば。
俺は、番組とリスナーとを繋ぐ絆が欲しかったのだ。
そんな時。
『…………では』
その切り出しが、とても控えめな声だった。
何をそんなに遠慮するのかと疑問に思ってしまうほど。
『今日も……その…………番組へのメッセージを募集したいと思います』
今日も。マリナはそう言った。
やっぱり連日の放送の中で、メッセージを募集していたに違いない。そうさ。ラジオ番組なんだし、やっぱり無いなんておかしい。
携帯ラジオのタッチパネル画面を叩き、すぐさまメールフォームを呼び出す。
送り先はどこだ。募集するテーマはなんだ。俺のメッセージは読んでくれるのか。
待ち構えていると、ラジオからはマリナの声が静かに流れ始めた。
『あの、そう……その…………どんなことでも結構です。メッセージ、お待ちしています』
とても遠慮がちな声だった。フリーテーマということならば珍しくもないのだが、何だかマリナのそれは他と違うような気がした。
なんでそんなに恐る恐る募集をかけるのだろう。
何が彼女をそんなに不安にさせるのだろう。
気になって仕方が無かったが、とにかく今は何かメッセージを送ることだけ考えよう。
読んでほしい。俺の気持ちを。
そして電波の向こう側と繋がりを感じたい。
そう思ったのだ。