第4話 価値
◇ ◇ ◇
「――思いの外、あっさりと諦めてくれましたね」
夕陽が茜色に染め上げる道を、いつものように棗さんと並んで歩いていると、無意識にそう呟いていた。
会話に困っていたわけでも、沈黙に耐えられなかったわけでもない。
それでも無意識に呟いてしまったのは、意外感が強かったからかもしれない。
「そうだねぇ……。私も意外だったけど、多分、なによりも不名誉を嫌ったんだろうね」
ちょっと言葉足らずな呟きだったのに、棗さんはしっかりと意味を理解してくれたようだ。
「プライド高そうだもんなぁ……」
「人一倍どころか、天元突破してるからね」
推して知るべしって感じだよなぁ~。あんな捨て台詞を吐くくらいだし……。
もしかして、他責思考なのはプライドの高さから来るものなのか?
「あの男は棗さんよりも、自分の名誉を守ることのほうが大事なんですね」
「まあ、自分の名誉が傷つくのは誰だって嫌だと思うけどね」
それはその通りだから、棗さんが苦笑してしまうのは仕方がないのかもしれない。
だが、惚れた女のためなら不名誉の一つや二つくらい被るのなんて大したことじゃないだろうに。
「結局、自分のことしか考えてない奴だったってのが、改めてわかったってことか」
「それか、不名誉を被ってまで手に入れる価値が私にはなかったってことかな」
「いや、価値がなかったらこんなところまで探しに来ないと思うんですけど……」
「どうだろうね……。結局は本人にしかわからないことだから」
肩を竦める棗さんは、遠い目をしている。
「俺には価値しかないですけどね」
「ありがとう。価値ある女でいられるように頑張るよ」
「別に頑張らなくてもいいですよ。そのままの棗さんが価値ある存在なので」
「ふふ、口が上手いね」
「本心ですよ」
本当に俺にとってはそのままの棗さんが価値ある存在だ。
一緒に過ごすうちにどんどん彼女の魅力に気づかされる。元々、好みのタイプだからか、簡単に彼女の魅力に嵌まってしまう。
なにより、一緒にいてもまったくストレスがかからない。
それが俺にとってはなによりも捨てがたい価値だ。
「それに結婚って自分が幸せになるためにするものではなく、惚れた相手を幸せにするためにするものじゃないですか。だから大須賀のやってることが気に食わないんすよね」
どこまで行っても自分のことしか考えていない大須賀の振る舞いが、俺の価値観とは相容れない。
「自分が幸せになるためにするものではなく、惚れた相手を幸せにするためにするもの――か。いいね、その考え方」
足を止めて俯き気味にそう呟いた棗さんは顔を上げると――
「そういう結婚観を持つ密君と結婚できた私は幸せ者だね」
俺の顔を見つめながらはにかんだ。
「私も密君を幸せにするよ」
「今も充分すぎるくらい幸せですよ」
「もっとだよ」
「なら俺も相応の愛情を返さないと」
「相乗効果で幸せが溢れるじゃん」
「それが理想の形かもしれないっすね」
相手の幸せが自分の幸せになるのが夫婦としての正しい形だと思う。
相手を幸せにしようとしないのに、自分を幸せにしてもらおうなんて魂胆の奴は、傲慢で怠惰な自己中だ。
幸せにしてほしいなら、まずは相手を幸せにしなくてはならない。そうすれば相手も気持ちに応えて、パートナーを幸せにしようとしてくれるはずだ。
相手に求めるならまずは自分から行動するのが夫婦のあるべき姿だと思う。――まあ、そもそも愛に見返りを求めること自体間違っていると思うけども。見返りを求めるってことは下心があるってことだし、下心がある時点でそれはもう愛とは言えないでしょ。〝無償の愛〟って言葉があるくらいだし。
自分のことより惚れた相手を幸せにしたいと思うのが、愛というものなんじゃないかな。
結婚したばかりの若造がなにを偉そうに語っているんだって話かもしれないが、あくまでも俺の結婚観だから他人に強要するつもりはない。もちろん、棗さんに押し付ける気もない。俺が勝手に思い描く夫婦像だ。
「私は密君の結婚観、好きだよ」
再び歩き出した棗さんはそう口にすると、数歩進んだところでまた足を止める。
どうかしましたか? と問いかける間もなく、手を伸ばしても届かない距離にいる棗さんが振り返った。
「だから私にも同じ理想像を思い描かせて?」
夕陽に照らされた棗さんが破顔した。
今まで見たことがないニッコリした表情がかわいくて、綺麗で、いっそ幻想的とも思えるほどの美しさだ。
視線が離せなくなるほど魅力的な笑顔からは、出会ってからずっと差していた陰りが、憑き物が落ちたようになくっている。
陰りがなくなったのは一時的なものかもしれない。
だけど、彼女の笑顔にはなによりも代えがたい価値がある。――そう確信できるほど、彼女の破顔には俺の心を惹きつけてやまない魅力があった。
「もちろん、大歓迎ですよ」
守りたい。この笑顔を守りたい。一緒に笑い合いたい――と強く心に刻んだ俺は覚悟を胸に秘めると、彼女に釣られるように笑みが零れた。




