第3話 続・対抗策
「その気持ちは嬉しいけど、獅子原君はまだ若いんだし、結婚に縛られずに、もっと恋愛を楽しんでもいいんじゃない? 大学生なんて遊んでなんぼでしょ?」
確かに同じ大学の奴らは遊んでばかりだが、ちゃんと勉強もしていますよ。――しているよな? 多分、きっと、おそらく、しているはずだ……。
「俺は恋愛とか女遊びとか、そういうことをしたいっていう願望がないんですよ。そんなことしてる暇があるなら本を読みたいですし」
「あぁ~、それはなんとなくわかるかも……」
半同居状態の灰咲さんは、俺が暇さえあれば読書している姿を何度も目撃している。だから俺の言葉に嘘偽りがないことはわかっているはずだ。
「それに結婚から始まる恋愛があってもいいじゃないですか」
「……随分とロマンチックなことを言うね」
「そうですか? でも、恋愛なら結婚後に灰咲さんと楽しめばいいので、心配はいならいですよ」
「だとしても、その恋愛する相手が私でいいの?」
「大歓迎ですよ。正直、灰咲さんはめちゃくちゃタイプなので」
「……そ、そんなどストレートに言われると、さすがに照れるんだけど」
灰咲さんの双眸を見つめていると、彼女は気恥ずかしげに顔を逸らした。
頬がほんのりと赤くなっているように見受けられるが、きっと暑さのせいではないだろう。
六月下旬になって三十度を超す日が増えてきたから、最近はエアコンに頼ることが多い。
例に漏れず、今もエアコンが効いていて快適に過ごせている。
だから灰咲さんの顔が赤くなっているのは、彼女の言葉通り照れているからだろう。
「……獅子原君って、私みたいな女が好みだったんだ」
顔を逸らしながらそう呟く灰咲さん。
「好きですよ。だから建前とはいえ、もし結婚できるのなら俺は嬉しいです。まあ、恋愛は懲り懲りな灰咲さんにとっては、二の足を踏む話かもしれないですけど……」
「正直、悪い気はしない。むしろ嬉しいし、獅子原君となら恋愛に前向きになれるかもしれない」
「マジっすか?」
「……うん、マジ」
俯き気味に頷いた灰咲さんは俺と目を合わせるが、すぐに視線を逸らしてしまった。
俯いたままチラチラと俺の顔を窺う灰咲さんは、幼い少女と錯覚するような様相を呈している。
普段のクールな姿とのギャップにドキッとさせられてしまう。
思わず見惚れてしまうほど、今の灰咲さんは蠱惑的だった。
「だったら、結婚から始まる恋愛を、俺と始めてみませんか?」
動揺しているのか、灰咲さんの瞳が揺れる。
ただ悩んでいるだけだと思いたいが、もし不安に駆られているのなら申し訳ない。
友達としての関係を保つと口にしておきながら、結婚しようなどと言っている俺に対して不信感を募らせてしまうのは無理もないことなのだが……。
「……獅子原君は、好きでもない人と結婚できるの?」
俺にとって灰咲さんはタイプの女性ではあるが、恋愛的な意味で好きなわけではない。
それを灰咲さんもわかっているから、懸念しているのだろう。
「愛はなくても、情はあります。結婚する理由なんて、それで充分ですよ」
情があれば一緒にいられる。支え合うことだってできる。
お互いに情があれば、夫婦としてやっていける。
結婚したことはないから偉そうに語ることなんてできないが、これが俺なりの考えだ。
若いな、と言われても仕方ないかもしれない。
それでも俺は、情があれば生涯を共に歩むことはできると思っている。
「私との恋愛が上手くいかなかったとしても?」
「そうなったとしても情はありますし、未来のことはその時の俺がどうにかします」
「確かに、先のことなんて誰にもわからないもんね。今、気にしたって仕方ないか」
「一緒にいられなくなるほど仲が悪くなったら話は別ですけど、灰咲さんとならケンカしても乗り越えられると思ってます」
たった半月ちょっとしか生活を共にしていないが、不思議と自信があった。――灰咲さんとなら上手くやっていけるという自信が。
理屈じゃなく、感覚的にそう感じている。
「そこまでの覚悟をぶつけられたら、その気持ちに応えないと失礼だよね。私のために言ってくれていることだし」
居住まいを正した灰咲さんは揺らぎ一つない瞳で俺と目を合わせると――
「不束者ですが、よろしくお願いいたします」
頭を下げながらそう口にした。
「こちらこそ、できれば末永くよろしくお願いします」
俺はリングケースから指輪を取り出すと、灰咲さんの左手を優しく掴む。
「安物で申し訳ないですけど……」
しがない大学生でしかない俺には安物の指輪しか用意できなかった。急いでいたから余計に。
「いつかもっといい指輪を贈るので、今はこれで我慢してくれると助かります」
灰咲さんの左手の薬指に指輪を嵌めながら、情けないことを口にしてしまう。
本来ならもっとロマンチックなことを伝える場面なのかもしれないが、甲斐性なしなことしか言えない。
男として失格と鼻で笑われたとしても、なにも言い返せない状況だ……。
なんなら、指輪のサイズが合っていて良かったと内心で安堵しているくらいだし……。半同居しているお陰で、なんとなくだけど灰咲さんの指の太さを把握できていた。
「これで充分だよ。ありがとう」
そう言って微笑む灰咲さんは、自分の薬指に嵌められた指輪を優しく撫でる。
なんとなくだが、彼女の笑みには裏がないと感じた。
心の底から充分だと思ってくれている。
そう察せられるほど、今の灰咲さんは自然体だった。




