第4話 萎縮
◇ ◇ ◇
「――お待たせ」
喫茶店のカウンター席でコーヒーを堪能していると、背後から声がかかった。
「おつかれさまです」
俺の斜め後ろに立った声の主に労いの言葉をかける。
「灰咲さんも一杯どうですか?」
「……せっかくだし、貰おうかな」
灰咲さんは俺の隣の席に腰を下ろすと、水出しアイスコーヒーを注文した。
「先週と逆だね」
「そうですね。先週は俺が灰咲さんのことを一時間くらい待たせましたからね」
灰咲さんを初めて家に泊めた日は、俺のバイトが終わるまで待ってもらっていた。
今日は俺が彼女のバイトが終わるのを待っていたから、立場がまるっきり逆になった。
「私はやっぱり、待たせるより待つほうが性に合ってるな」
「待たせるのは申し訳なくなりますもんね」
「獅子原君も待つほうがいいタイプ?」
「俺は相手によりますね。本当に気心が知れている親友とかなら、大遅刻でもしない限りは気にならないです」
「それは私もそうかも……?」
小首を傾げる灰咲さん。
「待たせるのが嫌なのは、根が良い人って証拠なんじゃないですかね?」
「そういうものかな?」
「わからないですけど、世の中には待たせることになにも思わない人だっていますし」
平気で遅刻する人って存在するからな……。
しかもまったく悪びれないし、謝りもしない。そんなどうしようもない奴もいる。
「確かにそういう人もいるけど、私の場合は根が良いっていうのとは違うと思うよ」
眉間に皺を寄せて困ったような表情になった灰咲さんに、「と言いますと?」と返す。
「私の場合は〝慣れ〟だと思う」
「慣れ……ですか?」
「うん」
俺の呟きに頷いた灰咲さんは、注文していた水出しコーヒーをウェイトレスから受け取る。
コーヒーを一口啜り、ウェイトレスが離れたところで再び口を開いた。
「元カレが遅刻を絶対に許さない人だったんだよね。罵詈雑言が飛んで来るし、最悪の場合は外出中じゃなければ殴る蹴るってこともあり得るから」
「えぇ……」
ドン引きです……。
普通、たかが遅刻でそこまでするか……?
「自分が遅れた時は軽く済ませるくせにね……」
深々と溜息を吐く灰咲さんからは、呆れやら怒りやら、なんとも言えない負の感情の塊のような物が滲み出ている――と錯覚してしまうくらい哀愁が漂っている。
「その時の経験が染み付いているからか、待たせることに萎縮してしまうんだ」
なるほど……。
誰だって待たせることに罪悪感を覚えるものだけど、灰咲さんの場合はそんな単純な話ではないんだな……。
事情が事情だから苦手意識を持つのは仕方がないだろう。むしろ、抱いて当然の感情だと思う。
「良く付き合っていられましたね……」
「最初の頃はあんな人じゃなかったんだよ……」
「猫を被ってたんですね」
「それか私が彼を変えてしまったのかもしれないね」
灰咲さんは気怠げに肩を竦める。
「いや、俺は元カレさんとの付き合いを詳細に知ってるわけじゃないですけど、灰咲さんは悪くないでしょ」
元カレさんが本性を隠していたのか、灰咲さんの優しさに甘えて好き勝手振舞っていたのかはわからない。
だが、これだけはわかる。――灰咲さんは悪くない。元カレが百パーセント悪い、と。
仮に灰咲さんが気に障るようなことをしてしまったり、元々の性格とは違う人に変えてしまうようなことを仕出かしてしまったりしていたとしても、恋人に暴言を吐いたり暴力を振ったりしてもいい理由にはならない。
そもそも誰に対してもそんなことをしてはいけない。
恋人でも、友達でも、家族でも、知人でも、初めて会った人でも、嫌いな人でも、仲の悪い人でもだ。
そんな当たり前なことをいい大人が失念している時点で、元カレさんの器が知れるというものだ。
まあ、まだ二十歳にもなっていない若造の俺が偉そうに語っても説得力はないかもしれないが……。
「ありがとう。そう言ってもらえると救われるよ」
少し表情が明るくなった灰咲さんは微笑を浮かべる。
「少なくとも、持ち人が俺の時は気にしなくていいですよ。まだ難しいかもしれないですけど」
「うん、ありがとう。まだ萎縮はしちゃうけど、気は軽くなるよ」
「でも、遅れるなら連絡はしてほしいですけどね。なにかあったのかと心配になるので」
「優しいんだね」
「普通のことですよ」
「元カレは心配してくれなかったから……。むしろ、糾弾する連絡が怒涛の勢いで飛んで来たし……」
「あぁ……それはなんとも……」
なんて返せばいいのかわからなくて口籠ってしまった。
「まあ、そもそも俺と灰咲さんが待ち合わせするような展開にならないと意味のない話ですけど」
沈黙が場を満たして居た堪れなくなってしまい、思わず話をすり替えてしまった。
「今のところ私が獅子原くんちに泊めてもらう時くらいだもんね、待つのは」
少々強引に話題をすり替えたが、幸いにも灰咲さんが気分を害すことはなかった。
「それもバイト終わりだから待ち合わせって感じでもないし」
「そうなんですよね。だからもしもの話になりますね」
「はは、そんな機会あるかな?」
「どうでしょう?」
苦笑気味の灰咲さんに釣られて俺も苦笑する。
「まあ、友達ならあるんじゃないですか?」
「それもそうか。友達なら別に普通のことだもんね」
納得して頷いた灰咲さんはコーヒーを啜る。
流麗な所作を横目で見る俺は、灰咲さんと待ち合わせして出掛けるのも悪くないな、と思わずにはいられなかった。




