第3話「扉を叩く鋼音」
扉を叩く鋼の音が、辺境の空き家に不協和音を響かせる――。
壊れたかまどの前で静かに湯気を見つめるリオ。
無許可の“料理場”に立つ女騎士の鋭い視線。
冷たい鋼と、温かな一匙が交わるとき――。
第3話「扉を叩く鋼音」、どうぞご覧ください。
コン、コン、コン――。
煮込みの残り汁が冷め始めた台所に、重く鈍い音が響いた。かまどの前に腰を下ろし、ぬるくなったスープを見つめていたリオは、心臓が跳ねるのを感じた。夜が迫る辺境の村は静まり返り、風と虫の声だけが揺れていたはずだ。だが今、確かに「鋼の足音」が戸口の向こうから伝わってくる。
思わず立ち上がり、手にした木匙で鍋の蓋をそっと抑えたまま、リオは震える指で扉にそっと近づく。甲高い金属音を纏ったそのノックは、一度、二度、三度――間を置きながら繰り返された。呼び鈴ではない。「誰か」が、力任せに中に入ろうとしているのだ。
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扉を引くと、銀色の隙間が現れた。甲冑の縁が映し出す月光が眩しく、リオは思わず目を細める。ノックの主は、長身の女騎士だった。腰には鋭い剣を、肩には漆黒のケープを纏い、額には僅かに汗を浮かべている。
「……ここには、何の用だ?」
声は低く、だが確かな緊張感を帯びていた。聞くからには――察しの良い者ならわかるだろう――許可なき立ち入りを強く咎める意味を含んでいる。
リオは深呼吸してから一歩退き、声を絞り出した。
「すみません、驚かせて……。ここは、ただの――空き家でして。俺、追放されてから、身を寄せているだけです」
女騎士は眉をしかめ、腕組みをしたまま中を覗き込む。部屋の隅に置かれた鍋、床の埃、壁に残る煤の跡。リオの言葉を聞き流すように視線が巡る。
「……料理をしているのか?」
「はい。飢えと寒さをしのぐために、ここで――」
リオが素直に答えると、女騎士は苛立ちを隠せない表情で続けた。
「この辺境に、何の騒ぎもなく暮らす者が――料理目当てに流れ込むと心得ろ。それが騎士団の認めるところか?」
言葉は厳しいが、その目には好奇心の色も混ざっていた。リオは覚悟を決め、鍋を指差す。
「味見してもらえませんか? 飢えた者の命をつなぎとめるだけの――ただのスープです」
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警戒したまま、女騎士は鍋に近づき、木椀を一つ受け取った。リオが匙ですくい上げた湯気混じりのスープを静かに啜る。その瞬間、甲冑の金具がわずかに音を立てた。
女騎士は瞳を細め、眉根を緩ませる。喉を潤した熱が、硬く沈んだ表情に少しずつ安堵を運ぶのがわかった。
――〈潜在能力開放+5%〉
リオの視界の端で、先ほどよりも鮮明にシステム風の数字が瞬いた。しかし女騎士に皿を向けられている以上、そんなことは言えない。
「……温かいな」
女騎士はぽつりと言い、声のトーンに戸惑いが交じる。
「ここまで熱いのは珍しい。辺境の煮込み料理は、大抵ぬるいからな……」
口調はなおも厳しいが、その瞳の奥には敬意すら宿っていた。
リオは俯いたまま、右手でひと言絞り出した。
「――俺の、スキル【料理】が、唯一の武器です」
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女騎士は椅子を引くと、鍋のそばに腰を下ろした。その動作には、戦場のまま座らざるを得ないほどの疲労が滲んでいた。
「あんた、本当に“料理人”として生き延びていく気か?」
「……はい。何もできない俺が、生きる理由を探した結果です」
しばしの沈黙の後、女騎士は背筋を伸ばし、鋼の手で脇差しの柄に触れた。月光に光るその一振りは、警告としての威圧感を伴っている。
「よかろう。ならば、正式に認めてやる――空き家の使用を許可する。
だが条件がある。『騎士団用の炊事係』として、ときどき鍋を貸せ」
リオは驚きと安堵が入り混じった表情で、そっと頷く。
「……承知しました。騎士団の皆さんにも、温かい一皿を」
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こうして、壊れかけたかまどは正式に “炊事場” となった。
女騎士――名をセリアという――は扉を閉める前に、小さく笑みを浮かべた。
「次は、もう少し手の込んだ料理を頼むぞ。俺たちももう少し“美味い飯”に飢えている」
その言葉に、リオの胸に小さな火種が灯った気がした。
外では、駐屯地からのラッパと鐘の音が遠くで重なる。――次回、リオが新たな鍋を抱えて駆け出すとき、辺境の村はまた少しだけ賑わいを取り戻しているだろう。
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リオの料理が冷たい鋼音を溶かし、正式に「騎士団の炊事係」として認められました。
重いノックは、新たな一歩への合図。
しかし、本当の試練はこれから始まります。
次回、第4話では――
リオが炊事場を改装し、“本格的な厨房”に挑む様子をお届けします。
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それでは、また次話でお会いしましょう。