変わり果てたジータ
「おい、ジータ……なんだよな? 返事をしてくれよ……!」
変わり果てたジータの前に、オレはフラつく足取りで近づく。
黒い拘束具の鎧に覆われた巨体、無機質に輝く瞳。
そこに、かつての面影は微塵もなかった。
「何だ、貴様がこやつの主か。――まあいい、やれ」
キラが冷ややかに命じた。
「ギイイオオオオオオウ!!」
ジータが低く唸り、次の瞬間――オレめがけて巨大な頭部を突き上げた。
「がはっ……!?」
激しい衝撃が全身を襲う。
視界がぐらつき、呼吸が止まる。
オレの身体は床を滑り、無機質な石の地に何度も打ちつけられた。
「くっ、あばら……折れたか……」
脇腹に走る鋭い痛みと、口の中に広がる鉄の味。
ジータの一撃――それは、かつて「相棒」と呼んだ者からの暴力だった。
「ジ、ジータ……っ」
名を呼ぶ声もかすれ、声にならない。
ジータは容赦なく歩み寄り、巨大な足を上げ――今にも踏みつぶそうとしていた。
「やめろぉおおおおおお!!」
その瞬間、オレの身体を抱きかかえて飛びのいたのは、ユリウスだった。
「どういうつもりだ、ユリウス」
キラの低い怒声に、ユリウスが顔をしかめて叫ぶ。
「もうやめてください、義父さん! 彼は……彼はもう、ジータの主じゃないんです!」
「裏切るか、ユリウス」
キラの目が冷たく細められる。
「情に絆されたか。哀れなことだ。……ならば貴様も、まとめて消し炭にしてやろう」
ジータが咆哮を上げる。
その背から蜘蛛の脚のような機械が展開し、先端に収束するエネルギーが眩しく光る。
「グオオオエエエエエエ!!」
放たれた光線が爆音を立て、目の前で爆ぜた。
「くっ……!」
オレとユリウスは爆風に吹き飛ばされ、地面を転がる。
耳鳴りがひどく、焦げた匂いと熱気が肌を刺す。
「裏切り者に用はない。……ここで消えろ」
キラの声は氷のように冷たかった。
「そんな、義父さん……!」
絶望に満ちた声を漏らすユリウスに、追い打ちをかけるようにジータが脚を構え、再び光線を放とうとした。
その時だった。
「ーー土よ、阻め! 土塊の障壁!」
駆けつけた声と共に、地面が盛り上がり、厚い土の壁がオレたちを覆う。
ーードゴォン!!
直後、光線が土壁を砕いたが、それがなければオレたちは間違いなく消し炭だった。
「……お待たせしました!」
「遅くなってすまない!」
息を切らせながら駆けつけたのは、イリヤとレン先輩。
「ほう、援軍か。だが無駄な足掻きよ」
キラがジータを従えて一歩前に出る。
その禍々しい姿に、イリヤの目が見開かれる。
「あれが……ジータ!?」
「信じられない……あんな、化け物に……!」
二人の驚愕を背に、オレはボロボロの身体を引きずって立ち上がる。
「ジータ……オレだ、スタンだ……戻ってきてくれ……!」
「ダメだ、スタン君!」
ユリウスが叫ぶ。
「もう君の声は、届かない……!」
「うるさい……! オレは……諦めな……かはっ!」
込み上げた血が、喉から噴き出す。
「スタン!」
「スタンさん……!」
イリヤとレン先輩が駆け寄るその刹那――ジータの巨大な脚がオレたちを襲う。
「があっ!」
「ああっ!」
地響きと共に吹き飛ばされたオレたちは、もう、立つことすらできなかった。
「……撤退しましょう、今は……!」
「……ああ、それしかない」
「待てよ……ジータは……ジータはどうすんだよ!!」
「スタン! 死ぬぞ……!」
「光よ、送りたまえ! 転移!」
イリヤが放った転移魔法が発動し、足元に白い魔法陣が広がる。
「ジータァ……ジータああああああああああ!!」
必死の叫びも届かぬまま、光に包まれたオレの意識は白く塗り潰されていった。
目を開けた瞬間、天井の淡い光がにじんだ。
「気がついたのね、良かった……!」
耳に飛び込んできたのは、どこか安心したような保険医のビオラ先生の声だった。
「ビオラ……先生……っ。うっ……!」
言葉にしようとした瞬間、胸を貫くような鋭い痛みが走る。
「まだ無理しないで。骨は折れていたし、内臓にも軽い損傷があったのよ。応急処置と治癒薬で何とかしたけど……しばらくは絶対安静ね」
「……ありがとうございます」
身体を見下ろすと、白い包帯とギプスがきっちりと巻かれていた。
でもそれ以上に、胸の奥にずっしりとのしかかる痛みがある。
「……ジータ……」
名を呼んだ瞬間、視界が滲んだ。
失ったという現実が、ようやく全身を締めつけるように襲ってくる。
悔しさと、情けなさと、無力感。
何一つ守れなかった自分が、ただ惨めだった。
「すまないな、スタン。私は……本当に、何の役にも立てなかった……」
「私もです……。ジータさんを……っ」
カーテン越しに聞こえてきたのは、レン先輩とイリヤの震える声だった。
普段は強くて頼れる彼らの声が、こんなにも弱々しく聞こえるなんて。
「……レン先輩、イリヤ……」
オレの唇は、言葉を紡げなかった。
そこへ――
「スタン!!」
扉が勢いよく開かれ、駆け込んできたスカーレットの声が響いた。
次の瞬間、彼女はオレの胸に飛び込んできた。
「本当に、無事で良かった……!」
柔らかな温もりと、震える小さな肩。
張り詰めていた心が、一気に崩れ落ちた。
「スカーレット……オレ……ジータを……助けられなかった……!」
嗚咽が喉の奥からこぼれた。
情けなさも、痛みも、後悔も、すべて涙になって流れ出していく。
スカーレットは何も言わず、ただ優しくオレの背を撫でてくれていた。
「……スタン、まだ終わってない。ジータは生きてる。だから……だから今度は、アタシも一緒に行くわ」
彼女の声は、涙で少しだけ震えていた。
でもそこには確かな強さと覚悟があった。
「スカーレット……ありがとう。本当に、ありがとう……!」
この温もりが、どれだけ心強いか。
支えてくれる誰かがいるだけで、こんなにも救われるなんて。
ふと周囲を見ると、いつの間にかシルヴィアとアレッタさんもそこに立っていた。
「スタンくん。お辛かったでしょう? 今日くらいはわたくしの胸に飛び込んでも許してあげますわよ?」
「お嬢様は、本当に心からスタン様のことを……」
「アレッタ、それ以上言ったら後で覚悟なさい!」
そんな二人の掛け合いに、ほんの少しだけ口元がゆるんだ。
「ありがとう、みんな……」
この数日の間に、気づいたんだ。
オレは、たくさんの人に支えられている。独りじゃない。
「そういえば、ユリウスは……?」
ふと気になって問いかけると、スカーレットが小さく答えた。
「……ユリウスなら、さっき退学処分を受けたって」
「そっか……」
白き爪痕のスパイ。
そう呼ばれても、あいつは最後にオレを助けてくれた。
本当は、敵なんかじゃなかったのかもしれない――。
そうしてオレは、仲間たちに囲まれながら、少しずつ、心と身体を癒していった。